十河城(そごうじょう)

十河城の基本情報

通称・別名

十川城、西尾城

所在地

香川県高松市十川東町

旧国名

讃岐国

分類・構造

平城

天守構造

なし

築城主

十河吉保?

築城年

南北朝時代

主な改修者

十河存保

主な城主

十河氏、長宗我部氏

廃城年

天正14年(1586)頃

遺構

曲輪、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(十河城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

由良山城(香川県高松市)[3.6km]
前田城(香川県高松市)[4.7km]
向城(香川県高松市)[7.0km]
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十河城の解説文

十河城(そごうじょう)は、讃岐国山田郡蘇甲郷にあった日本の城(平城)。現在の城跡は称念寺という十河氏ゆかりの寺となっており、称念寺一帯が本丸と考えられている。市指定史跡。

概要
十河城は高松市の南部に位置し、春日川上流より南側にいくつもの丘陵があり、十河城もその丘陵上に築城された。大正初期の整地で、城の遺構の大半が失われてしまったため、現在は門扉のみをとどめている。

なお、城門前立札よると「南北朝時代から桃山時代まで約230年間十河氏の居城だった。西に池、東は断崖、南に大手があった。十河氏は景行天皇の末流で山田郡を領した。三好長慶の弟一存が養子に入り鬼十河と恐れられ、讃岐一円を制した。その養子存保が、長宗我部軍3万5千とこの城で戦った。のち秀吉から2万石に封ぜられたが、九州で戦死し廃城となった。寺があるのは本丸跡である。」とある。

沿革
代々の城主であった十河氏とは、讃岐国山田郡を支配していた、植田氏の支族で1362年(南朝:正平17年、北朝:貞治元年)に細川清氏の陣に最初に馳せ参じたのが十河吉保で、この時の様子を「清氏の曰く、十河は庶子なれども惣領の挙動也とて、十河を以て惣領す」(『南海通期』)とあり、十河吉保がこの地の惣領となった。これにより南北朝時代に十河氏によって築かれたと考えられている。以後8代目の十河景滋には子供がおらず、三好元長の子で三好長慶の末弟の十河一存を養子に迎え入れる。一存は「讃岐守鬼十河」といわれた武将であったが、この時はまだ幼少であったため三好存保を迎え入れ十河城の城主となった。

しかし、1561年(永禄4年)に一存が急死(前年の有馬温泉での落馬が原因といわれる)、1562年(永禄5年)には三好実休が久米田の戦いで討死、その翌年には長慶の嫡男の三好義興が病死してしまう。有力な一族が次々に死亡する不幸に見舞われた長慶は実弟である安宅冬康を無実の罪で誅殺するなどした後、間もなく死去した。長慶の死後、三好政権の実権は松永久秀と三好三人衆が握るが、永禄の変や家中分裂によって畿内が混乱に陥る中で東からは織田信長が足利義昭を奉じて上洛、西からは長宗我部元親が阿波へ侵攻し三好氏は弱体化していった。

第一次十河城の戦い
長宗我部元親、香川親和連合軍が讃岐国に侵攻してきた。天正10年(1582年)8月6日、香西佳清が籠城する藤尾城を攻撃したが香川之景の仲介の基、親和軍に降伏した。佳清隊1千兵を味方に加えた親和軍は、同月11日に讃岐国分寺を1万1千兵で出軍、十河城を取り囲んだ。当時存保は勝瑞城におり、十河存之が城代として城を守っていたが1万の軍との報が入ると長期戦を考え城兵を1千兵迄絞り込み、兵糧三ヶ月分を積んで籠城戦の準備を整えた。

親和軍は平木周辺に着陣し十河城周辺の麦薙、苗代返しを行った。この時の様子を「敵兵万余人、山田郡ニ入テ秋毛ヲ刈リ菽栗ヲヒキ抜テハ馬ノ食ヲ足シム程幾日モナク野ヲ清ミ、凡民ノ寄ルベキ便モナク、四方ニ惑ヒ行クコト疎マキコト也」(『南海通期』)とあり、領民が難民となって故郷に逃亡するものも多かったと記している。

その後親和軍は十河城の四方を囲み、攻城のために作道をしたが城中には多数の鉄砲があり、四方の櫓から撃ち作道は中止となった。長宗我部軍は十河城との間合いを2町まで詰め、大筒を2挺用意し十河城の櫓を打ち崩し、籠城戦も難しくなってきた。しかしこの時前田城の城主前田宗清が夜討ちをかけ十河城を援護した。「忍者戦術に出て敵をなやませた」とされ、夜討ちや抜け穴、長宗我部元親軍の陣地に忍び込み食料を奪い取ることもあり、遠地で兵站もままならず長陣になると長宗我部軍も疲弊し始めた。

一方勝瑞城では同時期中富川の戦いとなったが敗れ、存保は同年9月21日の夜半、勝瑞城から虎丸城に逃走していった。存保は虎丸城に入ると「土州の凶徒漸々に募り、四国を合呑せんとす。我いまだ旧領を失はずして相保てり。不日に征伐を加へらるべし。若し事延引せば天下の禍いをなすべし」(『南海通期』)とし羽柴秀吉に援軍を要請した。これに応えた秀吉は淡路国洲本城の城主仙石秀久に救援を命じた。
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十河城の口コミ情報

2019年11月19日 さぬきんとんコウスケ
土橋跡[十河城  遺構・復元物]

十河城での戦いで激戦がくりひろげられた場所。亡くなった方を供養するためのお地蔵さんがいます。

2019年11月19日 さぬきんとんコウスケ
十河の郷 おもひで館[十河城  関連施設]

十河一存の末裔さんが営む小さなレストラン?的な所があります。一存の末裔として様々な活動をされています。例えば甲冑作りなど。

2019年11月19日 さぬきんとんコウスケ
十河家の墓(十河一存 など)[十河城  その他]

あの三好長慶の実弟で戦国武将である十河一存のお墓があります。

2019年11月19日 さぬきんとんコウスケ
称念寺[十河城  寺社・史跡]

十河城跡に建つお寺。

2015年10月11日 まー刑部卿
十河城

十河歴史資料館は御子孫の方が管理していますが資料館とは言い難い建物でわかりづらいです。昭和おもひで館にいる方に資料館のことを尋ねて下さい。その方こそ御子孫の方です。

十河城の周辺観光情報

塩江温泉郷

塩江温泉郷は約1300年前の奈良時代に僧行基によって発見され、弘法大師空海が湯治の地として伝えたという由緒正しき温泉エリアの総称。県内最古の温泉郷で「高松の奥座敷」として親しまれている。

詳細はこちら

情報提供:高松市観光交流課
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