喜岡城(きおかじょう)

喜岡城の基本情報

通称・別名

高松城

所在地

香川県高松市高松町(喜岡寺)

旧国名

讃岐国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

高松頼重

築城年

建武2年(1335)

主な改修者

主な城主

高松氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

屋島城(香川県高松市)[2.2km]
前田城(香川県高松市)[3.7km]
向城(香川県高松市)[3.7km]
志度城(香川県さぬき市)[5.9km]
高松城(香川県高松市)[5.9km]
由良山城(香川県高松市)[6.3km]
室山城(香川県高松市)[7.0km]
十河城(香川県高松市)[8.3km]
筑城城(香川県高松市)[9.9km]
藤尾城(香川県高松市)[10.7km]

喜岡城の解説文



喜岡寺(きおかじ)は、香川県高松市にある真言宗御室派の寺院。山号は栄松山。本尊は不動明王。

歴史 

1229年(寛喜元年)に覚行法親王が常光寺として開基したが、後に焼失し長らく廃寺となっていた。ところが、1592年(文禄3年)に古高松村の旦那衆が常光寺の復活を願って堂宇を建築し、この地がかつて喜岡城跡であったことから喜岡寺として中興した。

旧高松城跡 

境内はかつて高松城(別名:喜岡城、以下同上)の本丸であった。この高松城は現在の高松城(別名:玉藻城、以下同上)とは別の城であるが、玉藻城の名前はこの「高松」を引き継いだものであり、この一帯は現・高松市の地名のルーツでもある。

喜岡城は1335年(建武2年)に建武の新政で功をあげて讃岐守護となった舟木頼重(後に地名をとって高松頼重と名乗る)が築城するも、同年11月26日に足利尊氏の臣下、細川定禅らの軍勢によって落城する。しかし、頼重は生き延び、子孫の高松頼邑によって城は再建。その後香西氏に属したが、1585年(天正13年)4月26日に豊臣秀吉の長宗我部氏に対する四国攻めに際し、宇喜多秀家を総大将とする約2万3千人に攻め込まれる。対する頼邑側は長宗我部氏からの援兵を合わせてわずか200人の兵をもって戦うも敢え無く、全員が討死し喜岡城は再び落城した。この事件は結果的に讃岐における最後の軍隊同士による戦の舞台となった[1]

その後1590年(天正18年)に生駒親正が香東郡篦原庄玉藻浦に城を築き、現在に至るまでこの城を新たな高松城とした。この時喜岡城周辺では地名として「高松」が定着していたが、新たな高松は玉藻城とその城下町を指すよう変更されたため、元祖高松の地域は「古高松」と改名され、現在でも周辺の地区名として使用されている。

交通アクセス 

  • JR高徳線屋島駅:徒歩10分
  • ことでん志度線古高松駅:徒歩9分
  • ことでんバス庵治線古高松バス停:徒歩8分

参考文献 

【書籍】「新修高松市史 第2」[2]

喜岡城の口コミ情報

2024年03月03日 ショウちゃん
喜岡城



喜岡城は高松頼重によって築かれた。1336年.細川定禅との合戦に破れ落城するがその後、高松氏の居城となるので石碑は高松城となってます。

2022年07月14日 RED副将軍
喜岡城



讃岐国守護の高松頼重の居城であった旧高松城です🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1335年、讃岐守護の舟木頼重により築城。居城とし、以降は高松氏を名乗りました。
1336年には、足利尊氏に属した細川定禅との合戦に敗れ落城。しかし、その後は再び高松氏の居城となった様です。
1585年、城主の高松頼邑は長宗我部氏の重臣である香山氏に属していましたが、豊臣秀吉の四国平定により、仙石秀久が率いる約二万の大軍に攻められ落城しました。

見所
現在は喜岡寺の境内となり、遺構はほぼ消失。切岸と思われる一段高い地形が残ります。

2021年02月28日 なっちゃんFF大好き
喜岡城



お店も無く、静かなひっそりとした住宅街の中の喜岡寺という場所にありました。ことでん古高松駅からまっすぐ南で歩道橋を端まで渡りきって歩いて5分程で到着しました。

2020年08月08日 水野讃岐守祐利【7】
常光寺跡[喜岡城  碑・説明板]



喜岡城跡に移転され、喜岡寺となった常光寺があった場所。
現在はマンションの駐車場に碑が残っています。

2020年08月05日 水野讃岐守祐利【7】
鞍掛松[喜岡城  寺社・史跡]



源平の合戦において、源義経が徳島から山越えでこの地にたどり着いたおり、馬を休ませるため鞍をはずして近くにあった松の木に掛けた場所と伝わります。
現在ある松は何代目かのものらしいです。
最近北側にドラッグストアができ、場所が分かりやすくなりました。

2020年08月05日 水野讃岐守祐利【7】
長塚[喜岡城  遺構・復元物]

戦国時代の喜岡城の闘いにおいて亡くなった人を葬ったとされる場所。当時この辺りまで喜岡城の城域だったようです。
第一次大戦で亡くなった人を奉る忠魂社もあります。

2019年09月16日 水野讃岐守祐利【7】
喜岡城



二度落城した悲劇の城です。一度目は1335年、足利尊氏側の武将細川定禅によって、築城してすぐの城を破壊されました。

二度目は戦国時代、1585年(天正13)宇喜多秀家率いる3万8千の軍勢に囲まれ、城内の手勢はわずかに2百名。深い空堀と土塁に守られていたこの城も、圧倒的な兵力の差に敢えなく落城しました。

現在跡地に建つ喜岡寺には、三将のお墓が残されています。

喜岡城の周辺スポット情報

 長塚(遺構・復元物)

 常光寺跡(碑・説明板)

 説明看板と碑(碑・説明板)

 田井城(周辺城郭)

 鞍掛松(寺社・史跡)

 喜岡城主 高松頼邑の墓(寺社・史跡)

 永の谷公園内トイレ(トイレ)

 喜岡寺駐車場(駐車場)

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