藤尾城(ふじおじょう)
藤尾城の基本情報
通称・別名
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所在地
- 香川県高松市香西本町465(宇佐八幡宮)
旧国名
- 讃岐国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 香西佳清
築城年
- 天正3年(1575)
主な改修者
- -
主な城主
- 香西氏
廃城年
- 天正13年(1585)
遺構
- 曲輪
指定文化財
- 市史跡(藤尾城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
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芝山城(香川県高松市)[0.7km]
勝賀城(香川県高松市)[1.7km]
筑城城(香川県高松市)[1.9km]
黄峰城(香川県高松市)[4.3km]
室山城(香川県高松市)[4.4km]
高松城(香川県高松市)[4.9km]
北岡城(香川県高松市)[7.3km]
向城(香川県高松市)[8.0km]
高屋城(香川県坂出市)[9.0km]
屋島城(香川県高松市)[9.9km]
藤尾城の口コミ情報
2024年07月27日 小太郎左衛門督南畿道19國守
藤尾城
城中心部は宇佐八幡宮社殿付近の模様。社殿は南向きに建てられている。同宮南側には道路を隔てた隣接地に駐車場が設けられている。大半は月極駐車場となっているが、北側2スペースは参拝者用として解放されており、参拝を兼ねて訪問。同宮南側には社殿に通じる階段があり、説明文板と石碑がある。階段は急であれば、昇れば社殿前に通じ訪問は容易と思料される。7月24日情報。
2023年07月03日 やまてつ伊予守
藤尾城
神社になってます。車でも行けますが、神社までの道が大変狭く、軽自動車でないと難しい印象です。
2021年06月13日 水野山城守祐利【7】
安倍有政墓[藤尾城 寺社・史跡]
香西氏陰陽師であった安倍有政は、藤尾城廃城後鬼無山辺に住んでいましたが、生駒氏が新城を作るに当たり召し出され卜占を行いました。
彼の占いにより当時箆原の庄と呼ばれていた場所に玉藻城が築かれ、同時に地名を高松と改めました。
これによりもともと高松と呼ばれていた地(喜岡城付近)は古高松と呼ばれるようになったのです。
ここに説明板など何もありませんが、彼の墓は今でも香西氏詰城勝賀山を見守っています。
2021年06月10日 水野山城守祐利【7】
西光寺[藤尾城 寺社・史跡]
かつてこの寺と藤尾城の間には潮が割って入り、現在の香西小学校付近は干潮のときにのみ通ることのできる細い道があったそうです。
2021年06月10日 水野山城守祐利【7】
作山城[藤尾城 周辺城郭]
香西備前守の居城跡。備前守は香西家最大の内紛成就院事件の首謀者でした。
現在は縄張り跡を県道が貫いていますが、縄張りを囲むように残る細道があり、そこから恐らく城の石垣の一部や土塁跡を見ることができます。縄張りは宅地化していますが、県道からでもわずかに土地の高低差で偲ぶことができます。
2021年05月21日 龍馬備中守【】
藤尾城
香川県の高松市にある藤尾城☆現在、城郭には宇佐八幡神社が祀られてます♪
香西氏によって築かれました☆
香西氏は古くからこの地に根を張りました☆
室町時代には讃岐東部において最大の勢力を有する国人に変貌☆讃岐守護で室町幕府管領になった細川京兆家に仕え細川四天王と呼ばれる一族になりました♪
戦国時代には同じ讃岐の国人である香川元春が織田信長に謁見☆香川氏とこの香西氏は揃って織田氏に従属して行きます☆
この頃、四国制覇を狙う長宗我部氏を警戒し香西佳清は新たに藤尾山に藤尾城を築き勝賀城から本拠を移しました☆
でも、これ以降、香西氏は内輪もめが続きます☆妻との離縁により義父で香西氏に付いていた羽床資載が離反してしまい抗争に発展☆他にも家督相続をめぐって香西佳清の弟・千虎丸の相続を支持する同族の香西清長の子・清正が香西佳清派の新居氏、植松氏を殺害するなど香西家に不運が続きました☆
その後、四国で勢力を振るう長宗我部氏の侵攻があって藤尾城は開城☆
更には羽柴秀吉の四国征伐の後に廃城となってしまいました☆
2020年11月10日 水野山城守祐利【7】
藤尾城
高松市立香西小学校の北にある神社の森が城跡で、帯曲輪跡も良好に残っています。神社階段下の広場の一角に参拝者用駐車スペースが一区画あります。
2013年08月15日 日向夏隠岐守
藤尾城
現在は宇佐八幡宮となっており遺構が社殿と一体化したためかよく分かりません。非常に綺麗な神社です