勝賀城(かつがじょう)
勝賀城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 香川県高松市鬼無町佐料
旧国名
- 讃岐国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 香西資村
築城年
- 承久3年(1221)
主な改修者
- -
主な城主
- 香西氏
廃城年
- 天正13年(1585)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 国史跡(勝賀城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
藤尾城(香川県高松市)[1.7km]
芝山城(香川県高松市)[2.1km]
筑城城(香川県高松市)[2.5km]
黄峰城(香川県高松市)[3.4km]
室山城(香川県高松市)[5.5km]
高松城(香川県高松市)[6.5km]
北岡城(香川県高松市)[6.6km]
高屋城(香川県坂出市)[7.4km]
向城(香川県高松市)[9.2km]
城山(香川県坂出市)[10.1km]
勝賀城の解説文
[引用元:Wikipedia「勝賀城」の項目]
勝賀城(かつがじょう)は、香川県高松市鬼無町佐料にあった日本の城。国の史跡に指定されている[1][2]。
概要
勝賀城は中世讃岐国の豪族・香西氏の城で、高松市西部の勝賀山に位置していた山城である。現在は山上に土塁や井戸等の遺構が残っている。
承久3年(1221年)、承久の乱で戦功をあげ、香川・綾両郡の郡司に任じられた香西資村(藤原資村)は勝賀山山上に城を、東麓に平時の居城である佐料城を築き、以後香西氏の本拠となった。
室町時代になると、香西氏は讃岐国領主で室町幕府管領の細川氏の臣下として重きを成し、また瀬戸内海の塩飽水軍や村上水軍と連携し、貿易を行ったため、香西の城下町や港は大いに栄えた。この香西城下町は、敵の襲来に備え、迷路のように道が入り組んでいたため「香西の向き向き」と呼ばれた。讃岐国領主の細川氏が三好氏の下剋上により暗殺されるとこれに反発。天正2年には三好氏から攻められる。
天正3年(1575年)、長宗我部元親の讃岐侵攻に備え、新たに藤尾山に藤尾城が築かれ香西氏の本拠はそちらへうつった。この藤尾城の支城が作山城である。のち、香西氏は長宗我部氏と和議を結んだ。
しかし天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐で香西氏は破れ、これら香西氏の城は廃城となった。
城跡は1980年(昭和55年)8月6日に高松市指定史跡に指定され、2024年(令和6年)2月21日に国の史跡に指定された。
参考文献
- 【書籍】「勝賀城跡 2」
- 四国の建設のあゆみ
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勝賀城の口コミ情報
2024年01月28日 松永伊予守だんじょー
勝賀城
2024/1/28
鬼無方面から登頂です。勝賀城説明版の横に、果樹園を登る急な坂があるので車で登ります。農作業の邪魔にならないように。
軽や、車高の高い車の方がいいと思います。登山口のすぐ近くに3台分位のスペースがあります。体感45〜60°の坂を登り、馬返しの難所を超えると、急にひらけた城跡に着きます。土塁の虎口や曲輪が綺麗に確認できました。
保全活動の皆様のおかげで、国指定史跡になり訪れる方も増えるといいですね。坂道めっちゃきついですが、山城を堪能できると思います。
2023年11月28日 タロベエ
勝賀城
国指定遺跡になったなを知り攻城しました。林道経由で中腹にある駐車スペースまで上がり攻城。思いのほかに急坂が猫のひたいまで連続、、、主郭周辺は保存会の方が草刈り整備をされていて、土塁とか石積みが容易に確認出来る。珍しい縦土塁とかも見られる。連続している曲輪群は徐々に草刈り整備して視認できる様にすると言う事でした。
2023年11月22日 上田図書頭雪娘
勝賀城
土塁が立派に残っていて感動レベルです。虎口も複数あります。本アプリのリア攻めマップのおかげで駐車場に着きました。
2022年12月13日 RED副将軍
勝賀城
昨年に城友さん達と行ったものを今更投稿。時の経つのは早いものです😂
讃岐の名族である香西氏の本拠地🏯
讃岐を代表する名城のひとつです✨
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。在地土豪である香西氏の代々の居城。
1221年の承久の乱で戦功をあげた香西資村がこの地の郡司を任ぜられ築城したのが始まりとされます。
香西氏は、その後も室町幕府管領の細川氏の家臣として勢力を拡大しました。
讃岐国領主が細川氏から三好氏・十河氏となった後も香西氏は三好氏に従い勢力を保ちました。
しかし、1582年に長宗我部元親によって攻められ、香西氏は降伏。長宗我部氏に従属しました。
1585年には豊臣秀吉による四国征伐で長宗我部氏は敗れ、香西氏も表舞台から消え、勝賀城も廃城となりました。
見所
標高364mの勝賀山ピークに築かれており、主郭は高い土塁で囲まれています。土塁は横矢掛かりの折れを伴い、北側に開口する食い違い虎口が一番の見所でしょうか。
なかなか技巧的な縄張りです。
2022年05月17日 日向夏隠岐守
勝賀城
佐料城跡方面(南東側登山口)からだと登山口付近に駐車スペースがありますが、傾斜がキツイので車高の低い車はNG。登山口から主郭までは20分程度で行けます。週末は保存会の方が整備をされており、案内をして頂けたりします。土塁、そして折れや虎口などが綺麗に残っています。南北で構造の違いが認められるのが特徴です。
2022年04月06日 yama清正
勝賀城
柵のしてある登城口手前400メートルくらいまでなら何とかコンパクトカーか軽自動車なら通行できますがギリギリ駐車スペース1台分ありますが停め方次第では厳しいので気をつけて下さい。
登城ルートは馴れてないと大変かなと思います。本丸はよく整備されていて土塁や横堀等が見事です。パンフレットも専用ボックスに有ります。
2022年01月04日 織田上総介晃司
勝賀城
鬼無口より登城。車は登城口の近くの路肩スペースに停める。車で来られる方はみかん農家の方の邪魔にならないよう気をつけるのと、コンクリート道の傾斜にキツイとこがあるので腹を擦らないように気をつけましょう。
登城口から20分強で着きますが、かなりキツイ勾配です。でもその苦労が吹き飛ぶほど見事な城跡です。
ちなみに鬼無という地名ですが桃太郎が鬼ヶ島(女木島)から讃岐に逃げのびた鬼をこの地で滅ぼし、鬼がいなくなったからという伝説に基づきます。
2021年11月08日 水野山城守祐利【7】
勝賀城
中讃の北部を支配していた香西氏の詰城です。最近鬼無口、香西口、植松口3ルートの登山道が整備されました。鬼無口、香西口へは勝賀山の麓にある農免道路の看板から上がりますが、駐車場はありません。車ですが、南側の鬼無口には、農免道路から少し上がった場所に少しばかりのスペースがあるので、農作業の方の邪魔にならないところに停めてください。
さて、勝賀城は山頂全体に広がる県下でも最大級の城です。鬼無口より上がるとたどり着く南側には、二重の土塁に囲まれた複雑な方形の曲輪があります。こちらには食い違い虎口跡、堅土塁などがあり、近世城郭に近い要素の遺構が見られます。一方北側には香川氏の天霧城や安富氏の雨滝城などに代表される、讃岐の戦国時代によく見られる連郭式の曲輪が広がります。
南北ゆうに350m程度にも及ぶ巨大な山城ですが、残念なことに水を天水に頼るしかなく、長期の籠城は不可能とのことでした。そのせいか、南側の方形曲輪内にも瓦などを用いた本格的な建造物はなかったようで、虎口跡にも簡易的な柵状のものが作られていた程度だろうと、地元の郷土史家の先生が説明してくれました。
今回は高松市の町歩きツアーのコースに参加しましたので、合わせて佐料の古城も案内していただきました。こちらは今個人の敷地となっていて、鈎状に残る内堀跡を見学することができます。
2021年07月19日 内記かずりヾ(・ε・。)
勝賀城
勝賀城は標高364.1mの勝賀山山頂に主郭が存します。南麓からの比高は280m位でしょか。が、林道を使って車でかなり比高を稼げるので、徒歩で登る比高は200m位だと思います。又、登山道入口は2箇所程あるようですが結局は同じ道となります。
築城年代は承久三年、築城者は新居資村で、承久の乱において幕府方となった資村はその功により香川郡12郷、阿野郡4郷を支配し、勝賀山東麓に居館である佐料館に住し山頂に詰城として勝賀城を築きました。その際にどうやら姓を香西に改めたようです。
香西氏は讃岐国司であった藤原北家の流れを汲み、二代讃岐藤原氏、藤原資高が地名を取って羽床氏を称し、その四男の資光が新居氏を称した事に始まります。室町時代以降は讃岐守護、室町幕府管領であった細川京兆家に従い、細川四天王と呼ばれた時期もある讃岐東部最大勢力の国人でもありました。そして室町時代、戦国時代を通じて上香西氏と下香西氏に別れてそれぞれ別の道を歩む事となります。
お城は山頂部に広大な主郭と郭を持つ香西氏に相応しい縄張を持っています。主郭の土塁の残存率が極めて高く、喰違虎口も明瞭に残ります。主郭周りは空堀と土塁を巡らせ郭の一部には石積みも見られますが、ちょっとこの時期は厳しい草写真しか撮れません。土塁には要所で横矢が掛けられたりなんかもする芸の細かさがあったりもしますね。
武蔵の住人なのに「信濃のお城と比べると…」等と御配慮頂く事が多い自分ですが、他地方のお城にそれと同じものを求めていません。大体、信濃のお城なんて貧乏感MAXだし、細尾根に築かれたそれは数十人から数百人の戦(隣人同士の喧嘩ってやつさ〜)しか想定していないものが大多数を占めます。10m×10mの主郭とはレベルが違う勝賀城の主郭はその城主の勢力を物語るに十分なものでありとても新鮮に感じました。お城の成立はその地方の時の情勢や権力、財力、人物、技術、地形が密接に影響しているものだと考えます。讃岐には讃岐でしか成しえないお城があり、往時の香西氏が築く事が出来たお城がこの勝賀城だと思います。広大な主郭からその軍役人数を割り出す事だって可能(そう此処は詰城なのだ…)でしょう。
室町幕府に大きな影響力を保ち続けた香西氏の素晴らしいお城です。瀬戸内海を一望出来るロケーションも素敵です。皆様も是非訪ねてみて下さいまし!
2021年05月21日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐料城[勝賀城 周辺城郭]
香川県の高松市にある佐料城☆住宅地の中にその名残を残します☆
佐料城は香西資村が築城しました♪
背後の勝賀城が詰城となっていて佐料城は平時の居館として同時期に築かれました☆天正その後は香西佳清は藤尾城の築城を開始しました☆香西氏は藤尾城へ居城を移して行きます☆
今も宅地内に堀跡の名残(側溝等)城域の輪郭は残ってます♪
2019年04月24日 大隅守上
駐車場[勝賀城 駐車場]
登城口です。
2016年08月31日 カーネル
勝賀城
予讃線の鬼無駅から
城は北西ですが改札は東側しかないので、歩道橋で線路を超えてから県道33号を北上します
10分くらいで、小さい「勝賀城1.5km」の看板があるので左折して西へ
途中にある神社が佐料城なので、ちょっと寄り道。往復5分くらいです
登山道はいくつかありますが、道中の道標に従うと南から登ることになります
登山口への道中には3回のY字の分岐がありますが、道標もあります。分岐を超えるたびに道は狭くなります
フェンスを越えると山道になり、あとは先人の書き込みの通りです。主郭を囲う土塁は見事です
一度、草刈り機を背負って登っている方を見たことがあります。かなりの急坂なのに
本当にありがとうございます
駅から往復で2時間を少し切るくらいでした
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2016年03月31日 梅鉢近江守Silvine
勝賀城
県道33号を高松方面より南下し、JA香川のフルーツの里を越えて2つ目の信号を右折します。
道は細く少しわかりにくいですが、曲がる交差点に看板がたっています。その道を看板に従って直進します。住宅地を抜けるとみかん畑になり、十字路のところに城の説明板があります。
十字路をまっすぐ進み、みかん畑の中を登っていくと、左手に山に入る入口と獣除けのフェンスがあり、その手前に車を停められます。
山道は登りはきついですが、整備されていて歩きやすく、道もわかりやすいです。猫ひたい、猫の背、馬かえしを抜け、25分程で城内へたどり着きます。
城跡は木が伐採されていてかなり見やすく、景色も一望できます。
主郭の土塁は技巧的で、奥には石組も確認できました。なお主要部以外は藪になっているところもあります。
総じて、登りやすく、見やすく、また見応えのある山城です。
一度行って見る価値はあると思いました。