向城(むかいじょう)
向城の基本情報
通称・別名
- 向井城、奥城、真鍋城
所在地
- 香川県高松市木太町
旧国名
- 讃岐国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 真鍋氏
築城年
- 戦国時代前期
主な改修者
- -
主な城主
- 真鍋氏(香西氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
喜岡城(香川県高松市)[3.7km]
前田城(香川県高松市)[3.7km]
室山城(香川県高松市)[3.7km]
由良山城(香川県高松市)[3.8km]
高松城(香川県高松市)[4.3km]
屋島城(香川県高松市)[4.7km]
筑城城(香川県高松市)[6.8km]
十河城(香川県高松市)[7.0km]
藤尾城(香川県高松市)[8.0km]
芝山城(香川県高松市)[8.3km]
向城の口コミ情報
2022年10月03日 やまてつ伊予守
向城
水田と住宅に囲まれていました。少し高くなった場所に説明板がありましたが、遺構なのか分かりにくかったです。車を停める場所がなかなか見つからなかったです。
2022年05月03日 RED副将軍
向城
住宅開発により消えゆく城です😿
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。勝賀城主香西氏に属した真鍋氏の居城。
当初は奥城と呼ばれていましたが、対立する十河方の神内城と白山神社を挟み、向かい合っていたので向城と呼ばれるようになりました。
見所
最近まで詰田川の西側の田畑の中に、土塁と小原神社が祀られていたが周囲の住宅開発が進み、田畑は埋め立てられ、小原神社も移設。僅かに土塁だけが残ります。
2022年02月26日 えんちゃん
向城
向城は香西氏の家臣で真鍋氏の居城。
築城当時は奥城と呼ばれていましたが、対立する十河氏の家臣である神内氏が今の木太南小学校運動場の南方に神内城を築城し、奥城との距離が1キロ程度しか離れておらず、お互いが向い合っていたことから向城と呼ばれるようになったようです。
向城は今の木太南コミュニティセンターの東方に位置
し、一般家屋や月極駐車場等宅地化が進展し土塁の一部しか残存していません。
残念でありますが当時の面影は薄くなりつつあります。
2021年01月16日 水野山城守祐利【7】
向城
向城跡に残っていた小原神社が近くの八坂神社に移転した模様。
すぐ横の土地に開発の手が入り、神社も移転と言うことでもしかしたらわずかに残る土塁跡もなくなる可能性が出てきました!
現在土塁は見ることができます。これから先、土塁あとは保存されるのか、それとも撤去されるのか?どのようになるのか見守っていきたいと思います。
2021年1月16日の情報です。
2020年08月07日 水野山城守祐利【7】
熊野神社[向城 寺社・史跡]
向城の眞鍋氏と同じく香西氏に属した宮脇氏の居城、松縄城があったとされる場所です。
付近住宅地よりやや高くなっており、居館があったとするならばここだろうと推測されます。
2020年08月05日 水野山城守祐利【7】
神内城[向城 周辺城郭]
高松の南部に勢力を持っていた十河氏配下の武将、神内氏の城です。神内氏は南部西植田にも領地を所有していましたが、戦国時代末期に木太町にも領地を得て城を建てたようです。
向城とはわずか200メートルほどしか離れておらず、このような立地の城は全国でも類を見ません。
現在神内城があったとされる場所は小学校になっており、小学校の東を流れる宮川が不自然に蛇行していることから、この川が堀の代用とされていたと推測されます。また宮川にかけられた橋がその昔石橋で、ここが大手口だったという伝承も残っています。
さらに西に行った場所には、城主であった神内清定の墓もあります。
2020年08月05日 水野山城守祐利【7】
眞鍋祐主の墓[向城 遺構・復元物]
向城城主眞鍋祐重の父の墓と伝わるもの。
祐主は仏心厚く、城の中に首塚を作って戦で殺めた武将の霊を弔っていたそうです。
向城の周辺スポット情報
眞鍋祐主の墓(遺構・復元物)
木太城主神内清定の墓(碑・説明板)
神内城(周辺城郭)
熊野神社(寺社・史跡)