高松城(たかまつじょう)
高松城の基本情報
通称・別名
- 玉藻城
所在地
- 香川県高松市玉藻町2-1
旧国名
- 讃岐国
分類・構造
- 輪郭式平城
天守構造
- 独立式層塔型[3重4階地下1階/1669年築・1671年改/破却]
築城主
- 生駒親正
築城年
- 天正18年(1590)
主な改修者
- 松平頼重、松平頼常
主な城主
- 生駒氏、松平氏
廃城年
- 明治2年(1869)
遺構
- 曲輪、門、櫓、渡櫓、石垣、横堀(水堀)
指定文化財
- 国重要文化財(北の丸月見櫓・水手御門・渡櫓、旧東の丸艮櫓)、国史跡(高松城跡)
再建造物
- 御殿、石碑、説明板
周辺の城
-
室山城(香川県高松市)[3.0km]
向城(香川県高松市)[4.3km]
筑城城(香川県高松市)[4.7km]
芝山城(香川県高松市)[4.8km]
藤尾城(香川県高松市)[4.9km]
屋島城(香川県高松市)[5.1km]
喜岡城(香川県高松市)[5.9km]
勝賀城(香川県高松市)[6.5km]
由良山城(香川県高松市)[7.7km]
前田城(香川県高松市)[7.8km]
高松城の解説文
[引用元:Wikipedia「高松城」の項目]
高松城(たかまつじょう)は、香川県高松市玉藻町にあった日本の城。別名・玉藻城(たまもじょう)。国の史跡に指定されている。
概要
別名「玉藻城」は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。
高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年(天正15年)讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものである。
近世城郭の海城としては、最初で最大の例で[1]、「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われている。本丸に建てられた天守は、最下重が萩城や熊本城の天守のように天守台より出張り、最上重が小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」であった。その様子は、解体される以前に写真におさめられ、また1884年にイギリスの週刊新聞「:en:The Graphic|ザ・グラフィック」でイギリス人のヘンリー・ギルマールの絵によって紹介されている。
現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されている。
沿革
安土桃山時代
- 1587年(天正15年) - 生駒親正が讃岐国12万6千200石[2](のち高直しで17万6千石)の大名に封ぜられ引田城に入城するが、手狭であったので同年中に聖通寺城に移る。
- 1588年(天正16年) - 聖通寺城でも不便を感じたため、香東郡篦原庄玉藻浦(現高松市玉藻町)に築城を開始する。
- 1590年(天正18年) - 高松城完成。
江戸時代
城主については高松藩歴代藩主を参照。
- 1639年(寛永16年) - 生駒氏4代・高俊、生駒騒動により出羽国矢島藩1万石に転封となる。
- 1642年(寛永19年) - 水戸藩初代藩主・徳川頼房の子の松平頼重が12万石で入封。城の整備に着手する。2代頼常にも改修が引き継がれる。
- 1644年(正保元年) - 頼重、城内の飲料水確保のため水道を造り、城す下の亀井・大井戸・今井戸より水を引く。
- 1669年(寛文9年) - 小倉城を模した3層5階の天守が完成し、頼重は隠居する。隠居所として城の南西に栗林公園を造築する。
- 1671年(寛文11年) - 松平氏による城の大改修が始まる。
近現代
- 1869年(明治2年) - 版籍奉還に伴い廃城となる。
- 1884年(明治17年) - 老朽化のため天守が破却される。
- 1890年(明治23年) - 旧藩主松平家に払い下げられる。
- 1945年(昭和20年) - 高松空襲により三の丸の桜御門が焼失。
- 1947年(昭和22年) - 旧国宝保存法により北の丸月見櫓、北の丸水手御門、北の丸渡櫓、東の丸艮櫓の4棟が当時の国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定される。
- 1950年(昭和25年) - 文化財保護法の施行により北の丸月見櫓、北の丸水手御門、北の丸渡櫓、東の丸艮櫓が重要文化財に指定される。
- 1954年(昭和29年) - 高松市に譲渡される。
- 1955年(昭和30年)
- 3月2日 - 国の史跡に指定される。
- 5月5日 - 高松市立玉藻公園として一般公開[3]。
- 2006年(平成18年)4月6日 - 日本100名城(77番)に選定される。
- 2007年(平成19年) - 天守台の解体・補強・積み直し工事を開始。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)3月20日 - 天守台の一般公開を再開[6]。
- 2013年(平成25年)10月17日 - 披雲閣庭園が国の名勝に指定される[7]。
- 2022年(令和4年) - 戦災で焼失した桜御門の復元再建が完成し、7月16日に記念式典(開門式)がおこなわれた。
城郭
城郭の形式は輪郭式平城で、本丸を中心に二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、3重に堀が廻らされていた。 かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外濠・中濠・内濠のすべてに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が出入りできるようになっており、水軍の運用も視野に入れ設計されていた日本初の本格的な海城である。縄張りは黒田孝高(よしたか)が手掛けたといわれ、細川忠興、小早川隆景、藤堂高虎などによるとも言われている。高松城をはじめとする海城は海上封鎖が難しく、水攻めや水断ちといった攻城手段が使えないため戦争時の篭城や物資の搬入、脱出ができ、近世の縄張りとしては有利であった。
しかし、版籍奉還以後廃城になった高松城は明治以降の都市化の波に呑まれ、現在では海側に新しい道路(水城通り)が通り、ほとんどの建物が取り壊され、内堀と中堀の一部を除いて埋め立てられている。最盛期には66万m2(約20万坪)あった城の総面積も、現在では約1/8の7万9587m2(約2万4千坪)にまで減少した。しかし現在でも外堀と内堀には海水が引き込まれており、往時の名残を残している。そのため、堀には牡蠣などの貝が生息し、養殖の鯛も放流されている。
本丸
本丸は城のほぼ中央に位置し、周りを内堀に囲まれ他の曲輪とは完全に独立している。外部とは堀に掛かる長さ16間(約30メートル)の木造の鞘橋(後述)一本だけで繋がっており、この橋を落とせば外部からの進入路を断つことができた。この構造は、防備に優れるが一旦橋を落としてしまうと内部にいる人間は逃げ場を失ってしまう、という欠点があるが、当城の場合は海に面していることもあり、堀を通じて海上への脱出が可能であった。
本丸の面積は狭く、多聞櫓で囲まれた天守、本丸御殿があった。天守台は本丸の東端に突き出しており、三の丸の方から見ると天守が海上に浮いているように見えたという。
天守
天守は独立式層塔型3重4階、地下1階、初層平面が東西13間2尺(約26.2メートル)×南北12間2尺(約24.2メートル)、高さ13間半(約24.5メートル)にもおよんだといい、現存している3重5階の高知城天守(高さ約18.6メートル)や松山城(高さ約20メートル)の天守を凌ぎ四国最大の規模であった[8]。また、4階平面が3階平面より大きい、いわゆる唐造で、1重めも天守台から外には張り出させて石落としを開いていた。ほかに、1重目と2重目の比翼入母屋破風と唐破風、4階の火灯窓などの特徴があった。創建時の天守は下見板張りの黒い外観であったが、1671年(寛文11年)の松平氏による大改修の際に、白漆喰総塗籠の天守に改築された。又、天守を木造復元する計画もあるが国からの許可が下りない為、進んでいない。
天守は老朽化により1884年(明治17年)に解体され、1920年に松平家初代藩主松平頼重を祀った玉藻廟が建立された。2006年より始まった天守台石垣の解体修復工事に伴い、玉藻廟はすべて解体された[9]。
鞘橋
本丸と二の丸をつなぐ橋で、“鞘橋”の名称は、橋上が露天ではなく屋根と側壁がある廊下橋の構造をしており、それを刀の鞘に見立てたことによる。
築城当初には屋根や側壁はなく、「らんかん橋」と呼ばれていたとされ、文政6年(1823年)に描かれた絵図『讃岐国高松城石垣破損堀浚之覚』には屋根が描かれていることから[10]、江戸時代中頃に屋根付きの橋になった[11]。1971年に架けられた現在の橋にも銅板葺の屋根がつけられており、堀には海水が引かれていることから、橋脚は腐食対策のために石材で造られている。
地久櫓
本丸南西にあった二重櫓。石垣跡を発掘調査し整備された[12][13][14][15]。
中川櫓
本丸虎口にあった櫓。
三の丸
江戸時代の松平氏時代には披雲閣と呼ばれる現在の2倍の規模の三の丸御殿があったが、1872年(明治5年)に老朽化により取り壊された。現在の披雲閣は、1917年(大正6年)松平家高松別邸として、当時の金額で15万円と3年の歳月をかけて建設された。昭和天皇が宿泊したり、アメリカ軍に接収されたりしたが、高松市が譲り受け、貸会場として市民に利用されている。また披雲閣の再建に合わせて内苑御庭という枯山水の庭が作造された。城の遺構としては、三の丸入り口には桜御門があったが、1945年(昭和20年)の高松空襲で焼失した(後述の通り、2022年に復元)。披雲閣は2012年(平成24年)7月9日に国の重要文化財に、庭園(披雲閣庭園)は2013年(平成25年)10月17日に国の名勝に指定された。
北の丸
北の丸(北新曲輪)は1671年(寛文11年)の松平氏による大改修で、御殿である旧披雲閣が三の丸に移されたため、防衛上東の丸とともに増設された。通路状の曲輪には、1676年(延宝4年)に隅櫓として月見櫓(着見櫓)が建てられ、その後海城に特有の水手御門(みずのてごもん)、渡櫓、鹿櫓が建てられた。
水手御門
正式な出入り口としての性格を持つ。城主はこの門から小舟に乗り、沖に止まった大船に向かった。城主の船が着くのを見る「着き見」が由来という月見櫓がある。
東の丸
1671年(寛文11年)の松平氏による大改修で、北の丸と共に増設され、主に米蔵や艮櫓、巽櫓などが建てられた。現在、艮櫓は桜の馬場の太鼓櫓跡に移築されており、艮櫓の櫓台やそれに続く石垣以外は埋め立てられて、県民ホール(アルファあなぶきホール)や香川県立ミュージアム、松平公益会などが建っている[16]。
東の丸の敷地の一部にあたる高松市立城内中学校が2009年3月31日に閉校し、同年6月30日校庭南東部でプールの解体作業中、東の丸と中堀の間の石垣が出土した[17]。
桜の馬場
かつてはL字型であったが、その後半分が現在の中央通りの敷地になるため埋め立てられた。その名のとおり桜が植えられ、馬場があった地であり、現在は春になると桜の花見の名所になっている。寛文11年(1671年)の大改修までは桜の馬場の南中(現在の南西隅)に大手門があったが、御殿であった旧披雲閣が三の丸に移されたためこれを廃し、新たに桜の馬場東端に旭橋と旭門を設けた。桜の馬場内には虎櫓、鳥櫓、太鼓櫓などがあったが現在ではそのいずれも残っておらず、現在ある艮櫓は1965年(昭和40年)に高松市が東の丸から太鼓櫓跡に移築したものである。
1985年まではさぬき高松まつりのイベント会場としても使われていた。現在はその役目を中央公園に譲っている。
2020年東京オリンピックの聖火リレーでセレブレーション会場となった。
西の丸
現在は埋め立てられ、JR高松駅や西の丸町に当たる。サンポート高松整備事業に伴う西の丸の発掘調査では多くの遺構が発見されたが、その後一般に公開されることもなく埋め戻され、周りと同様に市街地化した。
現状
現在、高松市立玉藻公園として有料で開放されている。天守は現存せず、重要文化財には月見櫓、艮櫓(丑寅櫓、うしとらやぐら)、水手御門(みずのてごもん)、渡櫓が指定されており、毎週日曜日、月見櫓と渡櫓の中が一般公開されている。また、城内にある桜の馬場は桜の名所として知られ、春になると多くの花見客が訪れる。
高松市街中心部北辺に位置し、北側にフェリー乗り場など港湾施設、西側にJR高松駅、東側に香川県民ホール・香川県歴史博物館、南側には高松高等裁判所・西日本放送などがある。
文化財
北の丸月見櫓、北の丸水手御門、北の丸渡櫓、旧東の丸艮櫓(丑寅櫓)が現存し、1947年(昭和22年)2月26日、ともに国の「国宝」(旧国宝、今の重要文化財)に指定された。このうち、艮櫓は元は東の丸跡(香川県民ホール一帯)にあったが、1965年(昭和40年)に旧所有者の日本国有鉄道から高松市に移管され、1967年(昭和42年)に現在地の桜の馬場に移築されたものである。このほかに旭門が現存している。また1980(昭和55年)に、玉藻公園に隣接する玉藻緑地に報時鐘(ほうじしょう)が再移築された。
披雲閣は、2012年(平成24年)「披雲閣(旧松平家高松別邸)3棟」の名称で国の重要文化財に、2013年(平成25年)庭園は「披雲閣庭園」の名称で国の名勝に指定された。松平家の高松別邸として、1917年(大正6年)に竣工した和風住宅建築である。本館、本館付倉庫、倉庫の3棟が指定対象で、他に袖塀、東門、裏門、井戸屋形、四阿(2棟)が重要文化財の附(つけたり)指定となっている。本館は建築面積1,916平方メートルの大規模な和風木造建築で、一部を2階建とするほか平屋建。表玄関、蘇鉄の間、大書院、槇の間、松の間、桐の間、杉の間などの諸室を渡廊下で結び、大小の中庭を設けた複雑な平面構成になる。大正期の大規模かつ本格的な木造住宅建築として貴重である[18]。
三の丸の桜御門は、1945年(昭和20年)の高松空襲で焼失し、その後長らく再建されない状態が続いた。2008年5月21日に開催された「史跡高松城跡整備検討委員会」の会合において復元に乗り出す方針が高松市から報告された。市は文献資料の収集分析や実見した市民への聞き取り、石垣の空襲による損傷等の調査を実施する予定とされた[19]。2011年、市は復元に向けた基礎部分の発掘調査をおこなった[20]。2013年2月28日、高松市は桜御門の復元に向けた基本整備計画を公表し、復元設計図を作製した[21]。同年6月には、焼失前の1943年に文化庁が撮影した、従来よりも鮮明な写真の存在が公表されている[22]。復元に際して大きな課題となったのは木材の確保で、県内では使用できるような大きなものがなく、日本国内から1年をかけて調達された。2022年に完成し、7月16日に記念式典(開門式)が実施された。
天守の復元
天守の復元計画はは1980年代半ばに、高松市が市議会の意を受け天守閣の復元に動き、外観姿図を含む構想を策定し、文化庁に提出したが、審議の対象にすらしてもらえなかった。1996年にも史跡高松城跡保存整備計画としてまとめたが結果は同じで認めらなかった。2003年には香川証券の平井二郎会長は、高松市にある出版社の文教社の協力を得て、天守の資料を作成し、地元経済人らに働き掛け、「玉藻城再建の会」(仮称)の設立準備を進めた。当時、平井会長は、資料が乏しいといっても小倉城(北九州市)を参考に建てられたとされ、同じ津山城、岩国城(山口県岩国市)の絵図などが参考になるはずとして、復元より再建と持論し、「史実にすべて沿った『復元』は不可能。ならば、現実に即した夢の城に『再建』を」。木造による本格的復元にこだわるべきではないとし「市民が気軽に上がれる城でなければ。エレベーターを付けるなどバリアフリーへの対応も必要」と訴えていた[23]。文化庁は文化財保護の立場で史跡での復元の基準を1967年以降厳しくしており、資料不足を理由に外観だけの復元は認めないと拒否して来た。2003年夏、この地区が国の構造改革特区に申請されたことで、それまで「資料が写真一枚しかない」ことを理由に復元の拒否をしてきたとみられた文化庁が復元に対する考えを軟化させたため、その後、高松市は整備検討委員会を設置し、2010年の着工を目指して準備を進めていたが着工には至っていない。高松城天守に関する資料は明治17年(1884年)までに撮影された1枚の写真のみとされていたが、2005年秋頃、より鮮明な2枚目の高松城天守の古写真(1882年撮影)がイギリス・ケンブリッジ大学で発見された(上記写真参照)。このことが更なる資料発見の可能性や復元運動につながることが期待されている。一方、天守台の石垣が老朽化してきたため、その対策として2006年より石垣の解体修理工事が実施され玉藻廟も解体された[24]。この修理作業は将来の天守復元も視野に入れ、石垣の内部構造の確認と石垣の積み直し工事が実施された[25]。
2009年3月、生駒家の家紋(波引車)を模した瓦が堀底から初出土した。天守に使用されていた可能性が高い。これまでは松平家のものしか出土しておらず、生駒氏が築城した高松城、丸亀城、引田城の跡で家紋が入った瓦が出土するのは初めてである[26]。
内部構造復元に向けての資料発見に対し、高松市が3000万円の懸賞金を提供することになり、情報が求められている[27][28][29][30][31]。
また、NPO法人高松城を復元する市民の会が組織され、10万人を目標として署名活動が行われている。2008年1月現在8万を超える署名が集まっている。
石垣の土台部分の発掘調査により、天守の礎石や柱の痕跡などが発見されており、地下1階(穴蔵)の平面が判明した。土台痕跡から地下1階と1階の平面が判明したが、まだ高松城を復元する為の内部の資料としては不十分であるとされている。復元する為に現在も存在している月見櫓と艮櫓を参考にした図面が2案制作された。地下1階から3階までは城内に現存する月見櫓と艮櫓を参考にした2案が、3階から4階までは「諸神の間」と呼ばれる最上階(4階)の解釈によって2案が考えられ、計4案の復元案となった[32]。それでも階段や、間仕切りなど不明なところもあるので資料の収集に努めているが資料は見つかっていない。市は現在、文化庁が新しく設けた復元基準の「復元的整備」として天守の復元を目指すとしている。
維持管理
1954年以来この高松城は高松市が所有し、維持管理を高松市都市開発部公園緑地課玉藻公園管理事務所が管轄している。
- 高松城に関する高松市の附属機関
- 玉藻公園管理委員会(1962年12月25日、市長の諮問に応じ玉藻公園の管理運営に関する事項を審議することを目的に設置。)
- 史跡高松城跡整備検討委員会(2004年1月、史跡高松城跡の保存整備に関する検討を目的に設置)
- 史跡高松城跡石垣検討委員会(2005年1月、史跡高松城跡の石垣の安全性を確保するための検討、史跡高松城跡の石垣の伝統工法を生かした修復の検討を目的に設置)
- 史跡高松城跡建造物検討委員会(2005年2月、史跡高松城跡の建造物の安全性を確保するための検討、史跡高松城跡の建造物の復元に必要な資料収集を目的に設置)
施設情報
入園料
大人200円、子供100円。なお1月1日〜3日は無料開放。
開園時間
なお12月29日〜31日は休園。
- 西門
- 4月〜5月・9月 05:30-18:00、6月~8月 05:30-19:00、10月 06:00-17:30、11月 06:30-17:00、12月〜1月 07:00-17:00、2月 07:00-17:30、3月 06:30-18:00
- 東門
- 4月〜9月 07:00-18:00、10月〜3月 08:30-17:00
アクセス
鉄道
- 高松琴平電気鉄道琴平線高松築港駅下車
- JR四国高松駅下車
自家用車
- 高松自動車道高松中央IC → 香川県道43号 → 国道11号
- 併設駐車場は無料。57台分。
船
- 高松港 サンポート高松
参考文献
- 【書籍】「定本 日本城郭事典」
- 玉藻公園管理事務所『史跡高松城跡』
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高松城の口コミ情報
2024年09月14日 甲斐の虎ハムちゃん
高松城
朝5:30から開門されてます。早朝は涼しくて人もいないので、美しい庭園を独り占めできて快適です。鯛の餌やりも、楽しいですね。
2024年08月16日 唐いも修理亮剣士
高松城
本丸跡へは橋を渡らないと行けません。また簡単に行けそうですが、迷路のような感じでした。
2024年07月29日 気分爽快陸奥守
月見櫓[高松城 遺構・復元物]
時間があったので、月見櫓をぐるっと周ってきました。披雲閣には入れませんでしたが、桜御門と月見櫓(日曜日に公開)には入ることができ、緑多い庭園も観れました。
①鉄門の東辺りから石垣越しに
②水が引けた堀に降りて
③北の国道から①
④北の国道から②
⑤披雲閣庭園から①
⑥披雲閣庭園から②
⑦2階への階段
⑧月見櫓からの眺め
2024年07月27日 小太郎左衛門督南海道22國守
高松城
城南東角付近専用の無料駐車場が設置されており、普通車50台余りの駐車スペースがある。同駐車場から城門の一つまでは、隣接しており容易に訪問可能である。7月24日情報。
2024年03月28日 たぬき
高松城
高松駅、高松築港駅から至近距離です。天守閣再建を目指していますが、月見櫓は丸亀城天守閣より大きいとのことです。
2023年10月08日 斎藤弾正少弼
高松城
東口に無料駐車場あり、良櫓、桝形を抜けると、真新しい桜御門。披雲閣と庭園を抜け、橋を渡って天守台へ。月見櫓に回り、庭を抜けて一周。城カード、御城印もありますよ。
2023年08月14日 たぬきち但馬守
高松城
無料の駐車場があることを調べずに行って損しました。艮櫓の方にあります。艮櫓は見ましたが、もう一つの重要文化財、月見櫓を見逃しました。残念!堀に海水が入っていますので、クロダイが泳いでいました。
2023年07月23日 noble左近衛大将弥勒菩薩
高松城
レグザムホールの裏にひっそりと隠れてますが…艮櫓が本来存在した処の石垣です。ちょっと玉藻公園からは離れてしまっているので見落としがちですが。ここも是非見ましょう!
2023年01月21日 備前大納言マサトシ
高松城
堀で鯛のえさやりもできますよ。海水が入ってるので他にも海の魚が泳いでいます。
2022年12月11日 松平左兵衛督元信
高松城
最近木造復元された桜御門は、内部公開されています。
2022年11月25日 中務少輔EHI-MEN
高松城
披雲閣の正面に桜御門が復元され、土日祝日には二階内部が公開されています。
門をくぐり向かって右の方には陳列館があり、高松城に関する資料が展示されています。
披雲閣にある管理事務所では高松城グッズが販売されており、御城印や図録もあります。図録は平成26年現在の内容なので、復元された桜御門の情報は載っていませんが、集大成的な内容で一見の価値あり、です。
2022年11月04日 竹中播磨守じゅん兵衛
高松城
本日、三大水城2つめの攻城。玉藻公園駐車場は無料、助かります。旭門くぐってスタンプ&御城印ゲット(別途入園料200円)、艮櫓が存在感出してます。月見櫓は残念ながら工事中でした。披雲閤庭園のちらほら色づく紅葉も美しい限りです。
2022年07月16日 大和式部大輔秀長
高松城
石垣、庭園が立派です。本日は門の開通式が行われていました。高松城復活を目指しておられます
2022年06月09日 左兵衛督ストリーム
高松城東[高松城 スタンプ]
こちらの窓口で御城印を販売されています。
2022年05月03日 オミト河内守
高松城
残された櫓や、復元中の門など綺麗になってます。また天守跡が展望台になっておりました!
2022年05月02日 オレンジ 伊予守
高松城
まだ一般公開されてませんが、戦争で焼失した桜御門が完成したみたいです。外観は見ることができます。
2022年04月23日 マグロ常陸介祐平
高松城
現在、桜御門の復元工事中で6月に完成予定のようです。天守復元も遠くないかもしれません。生駒親正の墓は近くの弘憲寺と八十六番札所の志度寺にあります(京都妙心寺にもあるようです)。
2022年01月02日 ラウール兵部卿
高松城
お堀に鯛がいてものすごく感動しました(*'▽'*)♪
2021年10月16日 虹ノ松能登守
高松城
天守閣こそありませんが、天守台があり、そこが展望デッキになっていました。地下1階の発見という案内板がありました。町の方を見ると、今でこそビルがたくさん建っていますが、昔はずっと遠くまで見渡せたのだろうと想像が膨らみます。
石垣や櫓などは現存しています。松の木がたくさん植えられた庭も綺麗ですが、現在一部修理工事中でした。海水を取り入れる水門に、海の貝がたくさん付いていたのが、個人的にはツボでした。
2021年06月05日 駿河守せんとくん
高松城
6月21日までの土日は入城不可です。
平日は入城可です。
また艮櫓は修理中です。
2021年05月20日 龍馬太閤【備中の麒麟】
栗林公園[高松城 その他]
香川県の高松市にある栗林公園♪国の特別名勝で回遊式の大名庭園になります☆
江戸初期に生駒家が庭園を造りました☆
生駒家が改易されてから初代高松藩の高松・松平家が手を加え現在の姿になっています☆
関ヶ原の戦い以降、世を治める徳川家☆
江戸時代に入り大名庭園は全国各地で造られて行きました☆今日に見られる、多くの建物を持つ城郭(平城、平山城)やこの大名庭園☆戦国時代の動乱期を駆け抜け世を収める者が出て来たからこそ平地に造る☆ちょっとずつ平和な時代が訪れていく事を知る為の貴重な遺構ですね♪しかし優雅だったw
2021年05月04日 ひろ右京大夫
高松城
お堀と石垣がきれいです。ちなみにお堀は海水で鯛のえさやりが体験できます。
2021年02月17日 織田上総介晃司
高松城
東入口の駐車場(無料)に停めると目の前に中堀越しに艮櫓。ここからの眺めが美しい。
北の丸の月見櫓と続櫓・水手御門・渡櫓も絵になります。
高松城の堀は海水で鯛が泳いでおり、餌やりができますが釣ることはできません。
見た感じチヌ(クロダイ)のようだが…
天守台を修理するも天守の復元資料が少く未だ許可が下りない。
早く白漆喰・南蛮造りの天守を見てみたい。
高松市には玉藻公園(高松城)と栗林公園(大名庭園)があります。
栗林公園は樹木と庭石の美しさでは三名園(後楽園・兼六園・偕楽園)より優れていると言われてます。
栗林公園の栗林は「リツリン」と読み「クリバヤシ」や「クリリン」ではありません。
クリリンの事か−−っ!!
2021年01月11日 摂津守ようちん
高松城
天守は台のみですが櫓や石垣は結構残っています。海に直接面していた往時が想像できて見ごたえあり😄
庭園もGood❗️
2020年12月20日 【城郭道】たっきー
水手御門[高松城 遺構・復元物]
水手御門は直接海へ出ることができる特有の門で、全国唯一の現存例です。門の前は石段となっており、小舟を着ける雁木となっています。
2020年12月20日 【城郭道】たっきー
艮櫓[高松城 遺構・復元物]
旧東の丸艮櫓は東の丸北東隅から太鼓櫓跡へ1967年に移築されたものです。
この櫓自体は1677年に造られたものです。
2020年11月30日 ともりん雅楽頭♪♬☻
月見櫓[高松城 遺構・復元物]
水がなくて残念!月見櫓・水手御門・渡櫓。藩主が船で帰って来るのをここから見たから、【着見つきみ】櫓とも。薬医門様式の水手御門は海の大手門とのこと。こういうの初めて見た!
2020年11月15日 super中納言すぎっち
高松城
天守台も修復され公園として整備ている海城。
2020年08月22日 生駒讃岐守江現蔵✿
高松城
艮櫓(うしとらやぐら)が修復中でした。月見櫓、水手御門、渡櫓は公園の外から綺麗に撮れます。城舟体験は30分500円で、乗ってる人がいました。天守台は復元されていました。
2020年01月25日 勘解由長官ヒロミツ
高松城
月見櫓は平日だったので外からのみ。東側の庇が一部破損して、傷みが目につきます。
2020年01月18日 水野山城守祐利【7】
高松城
高松城、令和2年1月18日現在北側着見櫓の内部公開が日曜日のみになっています。
昭和20年に焼失した桜御門の再建は今年から開始されるとのことでした。
2019年11月17日 さぬきんとんコウスケ
高松城
高松城の天守を再建しようとする取り組みがあるそうです。関係者さん頑張って!その天守は、石垣を除いても、約26.6メートル位と、四国最大です。!
2019年11月17日 さぬきんとんコウスケ
高松城
桜の馬場の北にある桜門は、太平洋戦争での高松の空襲で残念ながら消失してしまいました。
しかし、幸いにも資料もたくさんあるそうなので、再建は可能だそうです。今も立派な石垣があります。ところが・・・いざ工事が始まると、何かしら会社側の問題で、工事が中止に、しかも今までそれが3回位?! ある意味呪われている?とも・・・(諸説あり)
2019年09月24日 さぬきんとんコウスケ
鞘橋[高松城 遺構・復元物]
戦になれば最後本丸にこもって橋を焼きはらい、敵に攻められないように工夫されています。当時はおそらく屋根はなかったそうです。
2019年09月24日 さぬきんとんコウスケ
艮櫓[高松城 遺構・復元物]
日曜日は中に入れます。石垣は太鼓櫓のもので大正時代に艮櫓が移築されたそう。
2019年09月24日 さぬきんとんコウスケ
月見櫓[高松城 遺構・復元物]
日曜日は中に入れます。
2019年09月04日 風祭すぅ
高松城
日本名城11城目登城
名城スタンプは、チケット売り場にありました。
とてもきれいに整備されてる公園。
天守閣といつか復元されればいいですね。
無料駐車場があります。
2019年06月27日 稲田阿波守植元
栗林公園[高松城 その他]
16世紀後半、地元の豪族佐藤氏が築いたのを始まりとされる栗林公園。日本三名園にも劣らぬ名園かと。高松城から少し離れていますがこちらも城とセットで行かれてみては?
2019年06月13日 稲田阿波守植元
高松城
北側にある水手御門と渡櫓。往時は直接海と繋がっておりここから殿様が船で参勤交代に出る事があったそうだ。
2019年06月13日 稲田阿波守植元
高松城
桜の馬場にあるひっそりと残る石垣。ガイドさん曰くここは生駒時代の大手門があったそうだ。城主が松平に変わって塞がれたらしい。
2019年06月13日 稲田阿波守植元
高松城
枡形虎口。左に見えるのは埋門。丸亀城よりは小さいが巨石を用いた切り込み接ぎで綺麗に仕上げられてる。
2019年06月13日 稲田阿波守植元
高松城
香川県高松城艮櫓。築城したのは生駒親正だが水戸黄門のお兄さん、松平頼重公が改修を行ったのが有名。
2019年04月28日 飲んだくれ近江守ジョニィ
玉藻公園管理事務所[高松城 スタンプ]
お城EXPOで貰ったチケットを持って行くといいものが頂けます。
2019年03月29日 駿河守せんとくん
高松城
百名城スタンプは、東口の券売所と西口の券売所と管理事務所にありますが、押し比べてみたら、管理事務所のスタンプが一番綺麗に写ります。
3箇所ともスタンプにスタンプ台のインクを着けて押すタイプです。
2019年02月03日 十河民部大輔一存
高松城
地元民ですが、玉藻公園だけ見て帰るのは勿体ない!
一見ビルや商店街が建ち並んでいるような場所でも屋敷や門の跡地が多いので、時間のある方は半日位かけて城下を回ってみた方がより高松城を楽しめると思います。
2017年09月30日 ソバッソ80.0
高松城
修復された天守台がイイ。
独立していて橋で渡してあるだけっていうのが、すごく好きです。
市街地化してますが松平家が城主として入っており、かなりの規模の城郭だったようです。縄張り図ググって下さい。
城跡から南に進むと、ビルの中に石垣が出てきます。井戸跡やったと思いますが、丸亀通りにて見つけました。
公園化した主郭部もすごく落ち着くステキな城跡です。主郭部散策したら、うどん食べて鳥食べて、古地図と睨めっこしながら惣曲輪跡の散策も非常に楽しいかと。
ここだけで3時間くらい遊べそうです。
個人的な意見ですが、丸亀城より好きです。縄張りがキレイ。
2017年05月08日 くろねこ駿河守⛩️【秋祭】
高松城
高松城内のお堀で和舟「玉藻丸」に乗れます。
大人500円
小人300円(乗船記念付き)
冬季12月~2月はお休みです。
お堀から見上げた天守台は観光には良いですよ。
2016年08月14日 まるき〜陸中守
高松城
平成28年8月28日まで夜間入園無料
19時〜21時まで
ライトアップ&ミストシャワー披雲閣庭園で夕涼みができる。
現在正規ルートが石垣工事の為通れません、仮のルートが水堀内に作られています。
アプリ「VR高松城」と言うのがあり現地で位置登録する事で天守台に天守を再現できたり当時の様子を360°パノラマバーチャルリアリティが楽しむ事ができます。
これから行く予定のある方はインストールして行くとよいかも…
駐車場、無料 入城は200円
城船体験500円 鯛のエサ100円(ガチャ、当たり付き)
100名城スタンプ 券売り場で
2016年06月14日 石工集団穴太衆【兒】
高松城
高松城天守復元計画があるようです、今まで天守内部の構造が分かる資料、図面、写真が無い為文化庁の許可が下りず復元出来ずそこで高松市が懸賞金を懸け(3000万円)詳細な内部構造が分かる写真、図面を提供して下さった方に差し上げる様です、個人的には南蛮造り(唐造り)の高松城天守が見たいものです。
2014年08月20日 千住民民部卿
高松城
お堀の鯛(たい)に百円で餌があげられます。ガチャガチャで購入。当たりがでるとバッチなど貰えます。天守台の近くです。
2014年08月20日 中村民部卿素牛
高松城
日曜日9:00〜15:00に月見櫓の内部を見学出来ます。が、少し早めに行って下さい。14:50に行ったところ、既に閉鎖準備がほぼ完了し、断られました。次に来たカップルがゴリ押しして一階部分だけ見せてくれましたが。あと、和船でお堀遊覧やってました。一回5名定員で、30分に一本です。小さい子供でも一人に数えます。約20分の船旅です。
2013年11月30日 尾張守ひろっちぃ
高松城
天守台の修復工事は終了しており天守台に登ることができます。
2012年09月04日 YKラーク加賀守
高松城
琴電のホーム脇にある高松城のお堀には鯛が泳いでいました
時々水面に口を出して水を飛ばしていたのが可愛らしかったです。
2012年01月21日 徳川内大臣源朝臣康武
高松城
天守台見学の機会がありました。
玉藻廟が撤去された後は、地階礎石が公開されてます。一部、掘立柱が併用され、柱穴跡には柱をレプリカ的に見せてます。
2012年01月20日 徳川内大臣源朝臣康武
高松城
築城者、生駒親正像アップ。
城跡から離れた小さい公園にポツンとおられた(T^T)
天守台修理工事は、石垣工事は完成したようですが、濠はまだ埋まったまま(H24年1月)
2011年07月14日 摂政M三郎
高松城
高松城には、意匠の対照的な二つの三重櫓が残ります。ひとつは、北面に面し水手門を従えて建つ、細身の着見櫓。総塗籠に長押型を出し、軒唐破風や千鳥破風を配した格調の高い櫓です。
他方は、南東角に移築された色白ぽっちゃり形の艮櫓です。高さを抑え、一重角の思い切って裾拡がりとした石落や二重の千鳥破風、大屋根により斜めの線が強調された、女性的な櫓です。石垣は、大きめの転石を用いた打込接で全体に茶色っぽい印象。城内には老松が多く、堀には海水が引かれています。潮風を感じながら歩きたい落ち着いた印象の城です。
2011年05月18日 摂政M三郎
高松城
高松城の天守石垣の修復(解体後に積み直し)も完成間近です。一度解体しナンバーリングして場内狭しと並べられていた石材も数少なくなりました。現況の写真を何枚かアップしましたので見て下さい
2010年11月19日 June02
高松城
海上から観る北の丸。
海城で在ることを、さらに実感します。(高松港入港中に‥)
2010年09月13日 tomm加賀守
高松城
時間があれば栗林公園も見学したいですね
讃岐うどんはもちろん、べえすけ・骨付鳥も絶品です
高松城の周辺スポット情報
艮櫓(遺構・復元物)
月見櫓(遺構・復元物)
天守台(遺構・復元物)
水手御門(遺構・復元物)
鞘橋(遺構・復元物)
地久櫓跡(遺構・復元物)
続櫓(遺構・復元物)
桜の馬場(遺構・復元物)
桜門(遺構・復元物)
報時鐘(遺構・復元物)
水堀(遺構・復元物)
竜櫓跡(遺構・復元物)
簾櫓跡(遺構・復元物)
桝形(遺構・復元物)
矩櫓跡(遺構・復元物)
鹿櫓跡(遺構・復元物)
艮櫓跡(遺構・復元物)
二の丸(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
披雲閣(旧松平家高松別邸)(遺構・復元物)
披雲閣庭園(遺構・復元物)
大名庭園-栗林荘(遺構・復元物)
文櫓(遺構・復元物)
天守復元イメージ(碑・説明板)
玉藻公園案内図(碑・説明板)
玉藻公園石碑(碑・説明板)
内堀(碑・説明板)
鉄門(碑・説明板)
披雲閣庭園(碑・説明板)
北之丸月見櫓(続櫓)・水手御門・渡櫓(碑・説明板)
外堀(碑・説明板)
外堀(碑・説明板)
高松城東(スタンプ)
高松城西入口(スタンプ)
玉藻公園管理事務所(スタンプ)
駐車場1(駐車場)
乗船所(関連施設)
香川県立ミュージアム(関連施設)
玉藻公園陳列館(関連施設)
栗林公園(その他)