昼寝城(ひるねじょう)

昼寝城の基本情報

通称・別名

所在地

香川県さぬき市前山

旧国名

讃岐国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

寒川光治

築城年

嘉吉年間(1441〜1444)

主な改修者

主な城主

寒川氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、竪堀、堀切

指定文化財

市史跡(昼寝城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

十河城(香川県高松市)[9.9km]
雨滝城(香川県さぬき市)[10.1km]
虎丸城(香川県東かがわ市)[11.8km]
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脇城(徳島県美馬市)[14.9km]
岩倉城(徳島県美馬市)[15.4km]

昼寝城の解説文



昼寝城(ひるねじょう)は、香川県さぬき市前山に築かれていた日本の城(山城)。さぬき市指定史跡[1]

概要 

昼寝城は、鴨部川上流の南側にある矢筈山の中腹、俗称昼寝山の頂上に所在していた。昼寝山の山頂平坦地は2ヶ所あり、西方は100平方メートルあり、東方は200平方メートルある。西方の隅には寒川社(寒川さん)と呼ばれる祠が存在する。東方の南端に土塁とみられる遺構が存在する。また2ヶ所に平坦地を幅員約2メートルの道で結ばれており馬場と伝えられている。

歴史 

築城されたのは嘉吉年間(1441年-1444年)、築城主は香川光治と伝わる。

南北朝時代から室町時代にかけて、東讃に勢力を誇っていた寒川氏は仁明天皇の頃に讃岐朝臣の姓を賜り、代々寒川郡の郡司であったために寒川氏と称するようになった。

室町時代になると長尾荘の地頭に就任し、細川氏の被官となり大内郡・寒川郡と小豆島を領し、昼寝城、引田城虎丸城を築いた。

大永3年(1523年)、寒川郡内の境界争いを端に発する塩ノ木合戦が起こる。

塩ノ木合戦とは、雨滝城城主安富盛方が寒川元政所領の城を攻撃し、寒川氏は塩ノ木で安富氏を追撃したものである。

大永6年(1526年)、大内氏に属する寒川氏と三好氏に属する十河氏の紛争が起こり、十河氏に加勢する三好氏は昼寝城・池内城を攻撃しようとしたが、寒川氏は先に二本杉を攻め、十河氏・三好氏を敗走させた。

十河一存は仇討ちのために元政と戦ったが細川晴元が和睦を命じた。しかし盛方は晴元の命に従わず、寒川氏を攻め、池内城を奪った。寒川氏は昼寝城に退き兵糧攻めにあったが落城せず、安富氏は退いた。

天正10年(1582年)8月、長宗我部氏の岩田雲長に率いられた部隊は石田・長尾に侵攻した。石田の小十九間城城主細川則弘は野崎時安らを召集。

岩田雲長を大将とする長宗我部軍は昼寝城・常憐城を攻撃。細川則弘は蓮田池で迎え撃ち、岩田雲長・一宮平四郎を討ち取った。

参考文献 

  • 『日本城郭大系』15、新人物往来社、1979年
  • 『四国の古城』 著者:山田竹系 発行:四国毎日出版社(絶版)

昼寝城の口コミ情報

2019年05月24日 西市正紫雲
昼寝城



詳しい説明板。『なぜこんな奥地に?』とありますが、四国に住んでると、現代と往時とでは、平野と山間部の人口比率が全く異なっていると感じます。山の民が多いです。

2019年05月24日 西市正紫雲
滝[昼寝城  その他]



名もない滝。貴重な水場。山を一気に登るだけではおもしろくないので、ここで休憩いかがでしょう。登山道より至近です。

2019年05月24日 西市正紫雲
登城口[昼寝城  碑・説明板]



🅿️よこづけできます。交通量は、ほぼ皆無です。

2013年11月22日 ちょんごろ
昼寝城

籠城したら昼寝をしてても落城することはないという要害な山城で。
三回攻められていますが、一度も落ちていない難攻不落のお城でした。

昼寝城の周辺スポット情報

 登城口(碑・説明板)

 説明看板(碑・説明板)

 駐車スペース(駐車場)

 (その他)

 案内看板(その他)

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