金田城(かねだじょう/かねたのき)
金田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 長崎県対馬市美津島町黒瀬
旧国名
- 対馬国
分類・構造
- 古代山城
天守構造
- なし
築城主
- 天智天皇
築城年
- 天智天皇6年(667)
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 石塁、土塁、一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸、掘立柱穴、水門
指定文化財
- 国特別史跡(金田城跡)
再建造物
- -
周辺の城
-
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金田城の解説文
[引用元:Wikipedia「金田城」の項目]金田城(かねだじょう/かなたのき)は、長崎県対馬市美津島町黒瀬および箕形にまたがる城山(じょうやま)に築かれた、日本の古代山城(朝鮮式山城)である。城跡は、1982年(昭和57年)3月23日、国指定の特別史跡「金田城跡」に指定されている。
【概要】
『日本書紀』に、「大和国に高安城・讃岐国に屋嶋城・対馬国に金田城(かなたのき)を築く」と、記載された城である。
金田城は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷が倭(日本)の防衛のために築いた古代山城である。667年(天智天皇6年)、高安城・屋嶋城とともに築かれた。また、金田城は、政権基盤の宮都を守る高安城、瀬戸内海の制海権を守る屋嶋城とともに、国土の領域を守る最前線の重要なポイントであった。
金田城は下対馬の北端部にあり、浅茅湾の奥で北に突出し、三方が海に囲まれた標高272メートルの城山に所在する。城壁の外周は自然地形の断崖を含めて約2.8キロメートル、城内面積は約26ヘクタールである。自然の要害を利用した選地で、外周城壁の全てが石塁で、高さ6メートルを超える石塁もある。陸続きは南西側だけで、他は急峻な地形である。国内で外郭城壁を石塁で構築しているのは、金田城・屋嶋城など少数派である。そして、韓国釜山まで約50キロメートル、隣島の壱岐まで約70キロメートル、博多まで約120キロメートルである。山頂からは北西方向に視界が開き、韓国南岸が視野にいる。城門は、二ノ城戸・三ノ城戸・南門の三か所が開く。一ノ城戸の城門は確認されていないが、張り出した櫓と水門が残存する。
一ノ城戸に加え、二か所の張り出しがあり、南側の張り出しは「東南角石塁」と呼称する。城内の発掘調査では、五棟の掘立柱建物跡・柵列が一列・炉跡・土塁と門礎石などが確認されている。出土遺物は、羽口・鉄滓・温石と各種の土器などが出土している。
白村江の戦いの翌年に、対馬・壱岐などに防人(兵士)が配備されている。防人の語源は「崎+守」とされ、東国諸国から徴発された人々が、三年交代で九州の防備にたずさわっている。
対馬は、佐渡島・奄美大島に次ぐ面積を有する島である。古来より大陸と日本列島を結ぶ海路の要衝にあり、南北は約82キロメートル・東西は約18キロメートル・面積は約709平方キロメートルである。古代は上対馬と下対馬が一つの島であり、島の中央に位置する浅茅湾は西方に開き、屈曲の多いリアス式海岸である。対馬の古代の中心は、金田城の南東の雞知(けち)であった。
【関連の歴史】
『日本書紀』に記載された、白村江の戦いと、防御施設の設置記事は下記の通りである。
・663年(天智天皇2年)ー白村江の戦いで、倭(日本)・百済復興軍は朝鮮半島で唐・新羅連合軍に大敗した。
・664年ー対馬島・壱岐島・筑紫国などに防人と烽(とぶひ)を配備し、筑紫国に水城を築く。
・665年ー長門国に城を築き、筑紫国に大野城と基肄城を築く。
・667年(天智天皇6年)ー大和国に高安城・讃岐国に屋嶋城・対馬国に金田城を築く。この年、中大兄皇子は大津に遷都し、翌年の正月に天智天皇となる。...[続きを見る]
金田城の口コミ情報
2020年11月17日 カズ@大高の信長
金田城
金田城は1400年近く前に築かれた防人の城です。一般に石垣は戦国時代に発達しましたが、それより1000年近く前に石垣の城壁が築かれ、3キロ近く万里の長城のように囲んでいます。周囲をくまなく探索しましたが、感動しました。
ただし、どこかが破られたら終わりっぽいので、造る労力の割には防御力が低いと思います。また、囲いと谷筋防御の弱点をカバーする為、海沿いに城戸が3つ築かれていますが、苦労が偲ばれます。防御に多数の兵が必要な割には、平坦な居住地が少なく見ていて疑問が尽きません。今後の発掘調査に期待します。
絶景の山頂下には明治の砲台跡もあり、城巡りと併せて探索をお勧めします。
(追加)①すれ違いが困難な道と4台程度の駐車スペースは、登頂以上のハードルかも。
②見学時間は4時間は確保したい
2020年10月04日 特にありません
金田城
一の城戸の先は、ほとんど登山に近いね。天気が悪かったら行けないところですよ。続100名城なのでもう少し素人合わせした方がいい気がする。見る価値は充分ですよ。
2020年09月22日 明石家船上
金田城
7世紀の遺構が残っているのが奇跡的です
当時の国家事業として建設されました
軍道跡は歩きやすいですが、それ以外は路肩が崩れていたりして、気をつけて参りましょう
2020年08月13日 しげぽん
金田城
空港からほど近い場所にあるのでレンタカーを借りて行きました。バジェットさんでクルマを借りたのですが、お店のスタッフさんも金田城を実際に登ってるので、手作りの道案内図も用意されてたりと迷わずいけました。
空港から約20分位で登山口に到着。入口の郵便受けの中にあるパンフが品切れになってました。登城時は予め手に入れておいた方が良さそうです。
軍道を進むと城山頂上まで1時間程度で到着できます。頂上手前の砲台から頂上に向かう道がわかりづらいです。(パンフがないとわからん)日露戦争時代の遺構や、白村江の戦いの頃の遺構など色々見れる場所です。
2019年06月22日 通勤750分の征夷大将軍ほにゃ
金田城
登山口から神社、山頂とぐるりと巡って4時間かかりました。装備は完全登山ウェア。杖、帽子、長袖、登山靴。虫除けグッズも必須。神社から山頂までの道は登山経験者か、体力自慢の方推奨。山頂からの景色は、、、これぞ絶景。
山頂の景色だけを楽しみたいなら軍道の往復をオススメします
2019年04月28日 おおしょう
説明板[金田城 駐車場]
ポスト内にリーフレットがあります
2019年04月23日 大隅守上
説明板[金田城 駐車場]
数台停めれます。
2019年04月23日 大隅守上
最初の曲がり角[金田城 その他]
ここを曲がります
後はひたすら林道を行きます。
2018年12月26日 大宰帥ロドリゲス
金田城
登山口のポスト内に地図がありますが、それを頼りに歩いても迷いました。旧日本軍の軍道は歩きやすいのですが、園道(特に砲台から一ノ城戸迄)は道なき道のような箇所もあり、行ったり来たりでした。行き止まりも多いです。
もう少し看板があれば良いのでしょうが…
続百名城スタンプのある公民館の職員の方も「整備が追い付いていない」と仰っていました。
皆様は道に迷いませぬように。
2018年12月24日 Marky武蔵守
金田城
登山口まではバスやレンタカーよりもタクシーで行くのが一番無難です。但し、戻りにタクシーを呼ぶ場合は、登山口は電波が届かないので、登山口から進んだ最初の絶景ポイントで電話することになります。
2018年06月13日 ひろちゃん
金田城
登山駐車場マデ離合注意❗
2018年04月07日 みやび姫
金田城
林道、所々に待避所が出来ていましたがそれでも一方通行ではないので、恐怖に慄きながら走らせました。駐車場は、多分そこなんだろうというスペースがありましたが、4/7現在Pとか駐車場の看板は無し。登城には女1人ではかなり勇気が必要だと思われます。続日本100名城のスタンプは公民館にあります。美津島地区公民館 対馬市美津島町雞知甲1287番地1
2017年07月24日 大隅守上
金田城
2年前の正月に行きました。
金田城迄
林道は途中から未整備になりますが
城の入り口迄車で行けます。
入り口に城の案内板がありますので
分かります。
2015年09月09日 June02
金田城
個人的には、大満足です。
石塁の中でも特に、二ノ城戸は上端部から眺めるアーチ状のラインに垂直な野面積みが美しく、そして、階段下から望む全景はスクリーンの様でした。一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸の画像をUPしました。
対馬トレッキングガイドには初心者向きとありますが、城戸へ向かう道は旧軍道から外れた山道となり、夏だけ?小川越えに、1/3は沢沿いの濡れた山道を歩きます。
土塁と住居跡のビングシ山付近は道に迷い易く、二ノ城戸へ向かうには、ビングシ山の東屋を背に正面の道で、入口に埋もれている柱穴礎石が目印です。
城戸付近と見通しの良い場所以外は、は厳しく、登山道入口は圏外。また、蝮?短い蛇とは2回遭遇。
登山道入口→東南角石塁→三ノ城戸→ビングシ山→二ノ城戸→一ノ城戸→大吉戸神社のルートで50分程。 でも、登山道入口迄の交通手段が難儀で、県道24号線の城山入口を通るフリー乗降バスは、スクールバス対応?で運行時間及び便数共に難しく、厳原〜鶏知宮前間はバス(20分\570)、鶏知宮前〜登山道入口間はタクシー(15分\2000弱)の移動でした。(若干有無)
2014年03月26日 Dr.K佐渡守
金田城
なお、駐車場はほんの数台分でしたが、雨天のため空き状態。駐車場から三、二、一の城戸経由頂上をぐるっと回って約2時間、しかもかなりの山道なので装備は確実に。
わたしは出張ついでに寄ったためスーツと革靴で難渋しました。
2014年03月26日 Dr.K佐渡守
金田城
車道が狭く、一部落石がありました。
帰りになんとタイヤがパンク!痛恨!!!