金田城(かねだじょう/かねたのき)

金田城の基本情報

通称・別名

所在地

長崎県対馬市美津島町黒瀬

旧国名

対馬国

分類・構造

古代山城

天守構造

なし

築城主

天智天皇

築城年

天智天皇6年(667)

主な改修者

主な城主

不明

廃城年

遺構

石塁、土塁、一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸、掘立柱穴、水門

指定文化財

国特別史跡(金田城跡)

再建造物

周辺の城

清水山城(長崎県対馬市)[10.3km]
厳原城(長崎県対馬市)[10.8km]
勝本城(長崎県壱岐市)[63.3km]
亀丘城(長崎県壱岐市)[72.6km]
大島城(長崎県平戸市)[95.3km]
名護屋城(佐賀県唐津市)[101.8km]
平戸御館(長崎県平戸市)[106.4km]
平戸城(長崎県平戸市)[107.0km]
箕坪城(長崎県平戸市)[107.6km]
日本山城(長崎県松浦市)[107.9km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)186 金田城

設置場所

美津島地区公民館[地図
観光物産協会(観光情報館ふれあい処つしま)[地図

金田城の解説文



金田城(かねだじょう/かなたのき/かねたのき)は、対馬国下県郡の城山(じょうやま、現在の長崎県対馬市美津島町黒瀬)にあった日本の古代山城(分類は朝鮮式山城)。城跡は国の特別史跡に指定されている。

概要 

対馬島中央部、浅茅湾西側の外浅茅の南縁の城山(じょうやま、標高276メートル)の山上に築城された古代山城である。飛鳥時代の天智天皇6年(667年)に築城された朝鮮式山城で、西日本各地に築城された一連の古代山城のうちでは朝鮮半島への最前線に位置する。近世期までに城の所在は失われていたが、1922年(大正11年)・1948年(昭和23年)の調査で比定が確定され、1985年度(昭和60年度)以降に発掘調査が実施されている。

城は城山の急峻な自然地形を利用して築造されており、城山の東斜面において城壁とともに城門・水門・掘立柱建物跡の構築が認められる。特に城壁としては約2.8キロメートルにもおよぶ石塁が全周し、他の古代山城が土塁を主とするのとは性格を異にする。また掘立柱建物跡の遺構から防人の居住が示唆されるほか、出土品の様相からは奈良時代までの廃城化が推測される。古代の対朝鮮半島の最前線としての重要性、また遺構の良好な遺存状況と合わせて、文献上では知られない当時の防人配備の実情を考察するうえでも重要視される遺跡になる。

城跡域は1982年(昭和57年)に国の特別史跡に指定されている。

歴史 

古代

関連年表
年月 出来事
天智天皇2年(663年) 8月 白村江の戦い
天智天皇3年(664年) 対馬・壱岐・筑紫等に防人・烽設置
水城築造
天智天皇4年(665年) 8月 長門城・大野城・椽城築造
天智天皇6年(667年) 3月 近江大津宮遷都
11月 高安城・屋嶋城・金田城築造

文献上では『日本書紀』天智天皇6年(667年)条[1]において「築倭国高安城。讃吉国山田郡屋島城。対馬国金田城」として、同年に高安城屋島城ともに金田城が築城されたと見える。

『日本書紀』によれば、天智天皇2年(663年)の白村江の戦いで倭軍が唐・新羅連合軍に敗北したのち、天智天皇3年(664年)[2]大宰府の防備を固めるために対馬島・壱岐島・筑紫国等に防人・烽が設置されるとともに筑紫に水城が築造された。次いで天智天皇4年(665年)[3]に答㶱春初の指導で長門国に城が、憶礼福留・四比福夫の指導で筑紫国に大野城・椽城が築造されたのち、前述の天智天皇6年(667年)に高安城屋島城・金田城の築造に至っている。以上から、白村江の戦いの敗北を受けて防衛態勢が整備され、その一環の対朝鮮半島への最前線として金田城が築城されたことが知られる。

城域での発掘調査によれば、7世紀中頃に築城されたのち、7世紀末頃に修築、8世紀初頭以後には廃城化したと推測される。文献上では奈良時代にも壱岐国・対馬国に防人が配置されたことが知られるが、上記の事実から同時期の金田城には防人が駐屯していなかったことが示唆される。その後の経緯は詳らかでない。

中世

中世期には、嘉吉元年(1441年)・享徳2年(1453年)に城山の木の伐採を禁じた文書が見える。特に前者では黒瀬の平左衛門尉に対して命じられているが、この平左衛門尉こと平山氏は俗に城山の番人と称されたという。

近世

近世期には、所在不明の金田城について対馬市厳原町佐須の金田原に比定する説が有力であった。これに対して、対馬藩の儒学者の陶山訥庵は『津島紀略』において城山説(現在地)を挙げている。なお佐須説については現在までに遺構の存在は知られていない。

また『津島紀略』では、天智紀山城とする説のほかに神功皇后の新羅征伐時の城とする説も挙げる。類似の説として藤斎延の『本州武備談』、藤定房(藤斎延の子)の『本州編年略』、藤仲郷(藤斎延の孫)の『武本談』、『津島紀事』では仲哀天皇の築城とする説を挙げている。『楽郊紀聞』では、黒瀬村城山に木戸が3箇所ある旨、三ノ木戸辺りの石垣が巨石である旨、平山伝吉が城山預役である旨が見える。

江戸時代後期には対馬近海に外国船が出没するようになり、対馬藩は寛政4年(1792年)に沿海地図を作成するとともに要所に遠見番所を設置し、寛政10年(1798年)に『海辺御備覚』を作成している。『海辺御備覚』には城山・貝鮒の陣構えが明記されており、この頃に金田城の修築がなされたと見られる。

近代以降

近代以降については次の通り。

  • 1901年(明治34年)、明治政府により城山上に城山砲台・城山付属堡塁の構築。金田城遺構を一部破壊。
  • 1922年(大正11年)、後藤守一による調査(1922年の『対馬瞥見録』で報告)。
  • 1948年(昭和23年)、東亜考古学会による調査。金田城に比定する説が確定的(1953年の『対馬』で報告)。
  • 1962年(昭和37年)11月8日、「対馬城山」の名称で長崎県指定史跡に指定。
  • 1982年(昭和57年)3月23日、国の特別史跡に指定。
  • 1985年度(昭和60年度)以降、発掘調査・史跡整備(旧美津島町教育委員会)。
  • 1993-2018年度(平成5-30年度)、第1期整備事業(旧美津島町教育委員会のち対馬市教育委員会)[4]
    • 2000年(平成12年)、報告書『金田城跡』の刊行:1993-1998年度(平成5-10年度)分。
    • 2003年(平成15年)、報告書『金田城跡II』の刊行:1999-2001年度(平成11-13年度)分。
    • 2008年(平成20年)、報告書『金田城跡III』の刊行。
    • 2011年(平成23年)、報告書『金田城跡IV』の刊行。
  • 2012年度(平成24年度)、長崎県対馬市で第3回古代山城サミットの開催。
  • 2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(186番)に選定。

遺構 

金田城の所在する城山は、白嶽(標高519メートル)から北へ延びる白岳石英片岩の岩脈から形成される。城山の三方は海に囲まれ、陸続きの南西側も急峻な地形をなす。また山上から北西方向には朝鮮半島が眺望可能であるため、守りやすく見張りにも適した立地になる。

城は城山の東斜面に構築され、谷を取り込むように石塁を構築した「包谷式山城」になる。北側から西側にかけては城山の断崖を利用する。城域面積は約22ヘクタール(0.22平方キロメートル)を測る。なお史跡指定範囲は半島全域におよび、約240ヘクタール(2.4平方キロメートル)を測る。

城壁

城壁としては石塁の構築が認められており、石塁の総延長は約2.8キロメートルにもおよぶ。多くの古代山城が土塁を主とするのに対して、城壁のほぼ全てが石塁で構築されている点で特色を示す。石塁は低い箇所で2-3メートル、高い箇所で4-5メートル、谷部で6メートルを測る。土塁は1ヶ所数百メートルでのみ確認されている。

また一ノ城戸北部・一ノ城戸南東部・城域南端(東南角石塁、)では、石塁の張り出しが認められる。この張り出しは防御機能を高めた技術で、朝鮮半島では「雉(ち)」・「雉城(ちじょう)」と呼ばれる。類例は鬼ノ城(岡山県総社市)の角楼でも知られる。

城門・水門

城壁に開く城門としては3ヶ所(二ノ城戸・三ノ城戸・南門)が、水門としては2ヶ所(一ノ城戸・三ノ城戸)が認められている。

; 一ノ城戸
城域の北東部に位置する水門遺構()。これまでに発掘調査は実施されていない。
城門遺構は認められないが、谷部における高石垣として構築される。ただし石垣の石材は上部が平板状の砂岩、下部が未加工の石英斑岩と明らかに異なっており、後世に修築が行われたとされる(寛政期の修築か)。南東部では張り出し(雉城)が認められ、谷部での高さは5.5メートル、張り出し部での高さは5.95メートルを測る。
; 二ノ城戸
城域東部、一ノ城戸の南に位置する城門遺構()。1999年(平成11年)以降に発掘調査・復元整備が実施されている。
門は間口1間・奥行3間で、門礎石6個が原位置を保った状態で遺存するが、上屋構造は不明(瓦の出土はなし)。門内部には石を敷き、門の前後には石段または梯子を必要とする高低差を伴う。
; 三ノ城戸
城域南東部、二ノ城戸の南に位置する城門遺構・水門遺構()。これまでに発掘調査は実施されていない。
巨岩を用いた石垣として構築されるが、現在までに大きく崩れている。門礎石3個が認められるほか、門内部には二ノ城戸同様に石を敷いたと推測される。水門は現在も機能する。
; 南門
城域南部、三ノ城戸の南に位置する城門遺構()。2003年(平成15年)に発見され、発掘調査・復元整備が実施されている。
門は間口1間・奥行3間で、門礎石8個が原位置を保った状態で遺存する。門内部には石を敷き、二ノ城戸同様に門の前後には高低差を伴う。かつては二ノ城戸・三ノ城戸の立地から金田城内へは海路での移動が想定されていたが、南門の発見によって陸路での移動可能性も示唆される。南門の東側では掘立柱建物跡2棟(いずれも1間×3間)・柵列跡が認められており、詰所・見張り所・南門守備の可能性が指摘される[5]
以上のほか、ビングシ山鞍部の土塁においてビングシ門が認められている(後述)。

ビングシ山鞍部

城山の東側、二ノ城戸と三ノ城戸の間には「ビングシ山」と称される小峰があり、ビングシ山・城山の鞍部(ビングシ山鞍部、)は金田城において中枢的機能を担ったとされる。城内では最も早く、1993年(平成5年)以降に発掘調査が実施されている。

ビングシ山鞍部は城内で最も広い約20メートル四方の平場を形成しており、これまでに門(ビングシ門)・土塁・掘立柱建物跡3棟・柵列跡が認められている。土塁(南土塁・北土塁)は鞍部を防御するように弧状に構築される。土塁の断ち割り調査では二重構造と認められており、ある時期に拡張されたことが知られる。土塁に開かれたビングシ門では石英斑岩の礎石1個が認められているが、対になる礎石は失われている(現地では複製を展示)[6]。また掘立柱建物は1間×3間の小規模な建物であるが、炉遺構が認められており、防人の詰所・宿所の可能性が指摘される[7]

その他

城山山頂は「火立隈(ほたてぐま)」とも称され、その名称から烽の設置が推測されるが、遺構は検出されていない。

一ノ城戸付近には、大吉戸神社(おおきどじんじや、大吉刀神社、旧村社、)が鎮座する。金田城の鎮守として祀られたと推測され、「きど」の読みとの関連性も指摘される。『日本三代実録』貞観12年(870年)条[8]に従五位下から従五位上に昇叙されたと見える「大吉刀神(大告刀神)」に比定する説があるほか[9]、中世頃以降は「城八幡宮」として変遷している。

出土品 

城域からの出土品としては須恵器・土師器・鍛冶関連異物・温石等がある。須恵器の様相によれば、金田城は7世紀中頃に築城され、7世紀末頃に修築されたと推測される。

なお、前述の大吉戸神社では城山出土という弥生時代の広形銅矛7本が伝わっており、長崎県指定有形文化財に指定されている。

文化財 

国の特別史跡

  • 金田城跡 - 指定範囲面積は約2.4平方キロメートル。1982年(昭和57年)3月23日指定。

関連文化財

  • 大吉戸神社の広鋒青銅矛 7本 - 長崎県指定有形文化財(考古資料)。大吉戸神社に伝わる弥生時代中期後半-後期頃の銅矛。黒瀬城山出土と伝わる広形銅矛で、長さ82.6-89.2センチメートルを測る[10]。1973年(昭和48年)9月4日指定[11]

現地情報 

所在地

  • 長崎県対馬市美津島町黒瀬

交通アクセス

  • 車:対馬空港から城山登山口まで約20分(登山口から徒歩約40分)
  • : 登山口から先は明治期の軍道が登山道として利用されている。

関連施設

  • 長崎県立対馬歴史民俗資料館(対馬市厳原町今屋敷)

周辺

  • 城山砲台
  • : 城山山頂付近に構築された砲台跡(対馬要塞の一部)。1900-1901年(明治33-34年)構築、榴弾砲4門配備[12]
  • 城山付属堡塁
  • : 城山砲台の南約1.2キロメートルに構築された付属堡塁跡(対馬要塞の一部)。1900-1901年(明治33-34年)構築、臼砲4門・野砲2門配備。

参考文献 

  • (対馬市教育委員会)
  • 史跡説明板
  • 地方自治体発行
    • 【書籍】「 - リンクは九州国立博物館「西都 太宰府」資料観覧ライブラリー。
    • 【書籍】「 - リンクは九州国立博物館「西都 太宰府」資料観覧ライブラリー。
  • 事典類
    • 【書籍】「国史大辞典 (昭和時代)」
    • 【書籍】「世界大百科事典」
    • 【書籍】「日本歴史地名大系 43 長崎県の地名」
      • 、。
    • 【書籍】「国指定史跡ガイド」 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
  • その他
    • 【書籍】「金田城」
    • 【書籍】「対馬島の山城 -金田城-」
    • 【書籍】「よみがえる古代山城 国際戦争と防衛ライン(歴史文化ライブラリー440)」

関連文献 

  • 旧美津島町・対馬市発行
    • 【書籍】「特別史跡金田城跡 -保存管理計画策定書-(美津島町文化財調査報告書 第4集)」
    • 【書籍】「特別史跡金田城跡環境整備基本計画」
    • 【書籍】「古代山城 特別史跡金田城跡III -特別史跡金田城跡保存修理事業に伴う発掘調査報告書概報(南門)-(対馬市埋蔵文化財調査報告書 第5集)」
    • 【書籍】「古代山城 特別史跡金田城跡IV -金田城跡保存整備事業に伴う発掘調査報告書「二ノ城戸」-(対馬市埋蔵文化財調査報告書 第6集)」
  • その他
    • 【書籍】「対馬古代史論集」
    • 【書籍】「東アジア考古学辞典」
    • 【書籍】「

金田城の口コミ情報

2022年03月11日 総州荒木氏始祖武蔵守まさ
金田城



結構な登山です。軍道以外はハイキング気分では行かない方がいいです。

2022年01月15日 ふみ
金田城

厳原港からチャリと徒歩で、2時間半で、リア攻め完了。ヘロヘロになった。

2021年10月30日 ( *¯ ³¯)っ旦
金田城

城壁は見事で見応えがあります。二ヶ所にある登り石垣の城壁は圧巻ですし、海の方へ降りる神社がありますが、降りてから攻める側になって登ってくると正面にそびえる高石垣には圧倒されます。頂上付近は砲台跡となっています。

城壁周り一周しようと思えばできますが、かなりの体力と危険な場所があります。城壁一周しながらトレッキングコースと使い分けて周られるのが良いと思います。

2021年08月07日 摂津守いくpika
金田城



立地やコンセプトに疑問が残る金田城。

小茂田浜神社に訪れた際に三人組の方がとても興味深い話をされていたので、こっそりと聞き耳を立ててしまいました_φ(・_・

「小茂田浜神社の内陸に金田と言う地名があり、その奥の金田山が金田城があった本当の場所なのではないか」との説があるそう。

後でググると神功皇后の三韓征伐が神話では無くリアルな史実であれば、今の金田城は朝鮮半島への前線基地として築かれた黒瀬城の可能性が⁈
大軍では攻めて来れない狭い入り江の奥にあるのはもしかすると守りの城では無いから?
また、今の金田城付近には金田と言う地名は無く、一の木戸から三の木戸に面している湾の名前が何と黒瀬湾!

時は下って元寇の際に上陸された場所は小茂田浜。今の金田城は戦地にならず…
どちらが対馬防衛の要地であったかは歴史が物語っているのだと。

まだまだ謎が多き金田城。
本当に歴史ロマンは尽きないですね〜

2020年11月17日 カズ@大高の信長
金田城



金田城は1400年近く前に築かれた防人の城です。一般に石垣は戦国時代に発達しましたが、それより1000年近く前に石垣の城壁が築かれ、3キロ近く万里の長城のように囲んでいます。周囲をくまなく探索しましたが、感動しました。
ただし、どこかが破られたら終わりっぽいので、造る労力の割には防御力が低いと思います。また、囲いと谷筋防御の弱点をカバーする為、海沿いに城戸が3つ築かれていますが、苦労が偲ばれます。防御に多数の兵が必要な割には、平坦な居住地が少なく見ていて疑問が尽きません。今後の発掘調査に期待します。
絶景の山頂下には明治の砲台跡もあり、城巡りと併せて探索をお勧めします。
(追加)①すれ違いが困難な道と4台程度の駐車スペースは、登頂以上のハードルかも。
②見学時間は4時間は確保したい

2020年10月04日 特にありません
金田城



一の城戸の先は、ほとんど登山に近いね。天気が悪かったら行けないところですよ。続100名城なのでもう少し素人合わせした方がいい気がする。見る価値は充分ですよ。

2020年09月22日 明石家船上
金田城



7世紀の遺構が残っているのが奇跡的です
当時の国家事業として建設されました
軍道跡は歩きやすいですが、それ以外は路肩が崩れていたりして、気をつけて参りましょう

2020年08月13日 しげぽん
金田城

空港からほど近い場所にあるのでレンタカーを借りて行きました。バジェットさんでクルマを借りたのですが、お店のスタッフさんも金田城を実際に登ってるので、手作りの道案内図も用意されてたりと迷わずいけました。

空港から約20分位で登山口に到着。入口の郵便受けの中にあるパンフが品切れになってました。登城時は予め手に入れておいた方が良さそうです。

軍道を進むと城山頂上まで1時間程度で到着できます。頂上手前の砲台から頂上に向かう道がわかりづらいです。(パンフがないとわからん)日露戦争時代の遺構や、白村江の戦いの頃の遺構など色々見れる場所です。

2019年06月22日 通勤750分の征夷大将軍ほにゃ
金田城



登山口から神社、山頂とぐるりと巡って4時間かかりました。装備は完全登山ウェア。杖、帽子、長袖、登山靴。虫除けグッズも必須。神社から山頂までの道は登山経験者か、体力自慢の方推奨。山頂からの景色は、、、これぞ絶景。
山頂の景色だけを楽しみたいなら軍道の往復をオススメします

2019年04月28日 おおしょう
説明板[金田城  駐車場]



ポスト内にリーフレットがあります

2019年04月23日 大隅守
説明板[金田城  駐車場]

数台停めれます。

2019年04月23日 大隅守
最初の曲がり角[金田城  その他]

ここを曲がります後はひたすら林道を行きます。

2018年12月26日 大宰帥ロドリゲス
金田城

登山口のポスト内に地図がありますが、それを頼りに歩いても迷いました。旧日本軍の軍道は歩きやすいのですが、園道(特に砲台から一ノ城戸迄)は道なき道のような箇所もあり、行ったり来たりでした。行き止まりも多いです。
もう少し看板があれば良いのでしょうが…
続百名城スタンプのある公民館の職員の方も「整備が追い付いていない」と仰っていました。
皆様は道に迷いませぬように。

2018年12月24日 Marky武蔵守
金田城

登山口まではバスやレンタカーよりもタクシーで行くのが一番無難です。但し、戻りにタクシーを呼ぶ場合は、登山口は電波が届かないので、登山口から進んだ最初の絶景ポイントで電話することになります。

2018年06月13日 ひろちゃん
金田城

登山駐車場マデ離合注意❗

2018年04月07日 みやび姫
金田城

林道、所々に待避所が出来ていましたがそれでも一方通行ではないので、恐怖に慄きながら走らせました。駐車場は、多分そこなんだろうというスペースがありましたが、4/7現在Pとか駐車場の看板は無し。登城には女1人ではかなり勇気が必要だと思われます。続日本100名城のスタンプは公民館にあります。美津島地区公民館 対馬市美津島町雞知甲1287番地1

2017年07月24日 大隅守
金田城

2年前の正月に行きました。
金田城迄
林道は途中から未整備になりますが
城の入り口迄車で行けます。
入り口に城の案内板がありますので
分かります。

2015年09月09日 June02
金田城

個人的には、大満足です。
石塁の中でも特に、二ノ城戸は上端部から眺めるアーチ状のラインに垂直な野面積みが美しく、そして、階段下から望む全景はスクリーンの様でした。一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸の画像をUPしました。
対馬トレッキングガイドには初心者向きとありますが、城戸へ向かう道は旧軍道から外れた山道となり、夏だけ?小川越えに、1/3は沢沿いの濡れた山道を歩きます。
 土塁と住居跡のビングシ山付近は道に迷い易く、二ノ城戸へ向かうには、ビングシ山の東屋を背に正面の道で、入口に埋もれている柱穴礎石が目印です。
城戸付近と見通しの良い場所以外は、は厳しく、登山道入口は圏外。また、蝮?短い蛇とは2回遭遇。

登山道入口→東南角石塁→三ノ城戸→ビングシ山→二ノ城戸→一ノ城戸→大吉戸神社のルートで50分程。 でも、登山道入口迄の交通手段が難儀で、県道24号線の城山入口を通るフリー乗降バスは、スクールバス対応?で運行時間及び便数共に難しく、厳原〜鶏知宮前間はバス(20分\570)、鶏知宮前〜登山道入口間はタクシー(15分\2000弱)の移動でした。(若干有無)

2014年03月26日 Dr.K佐渡守
金田城

なお、駐車場はほんの数台分でしたが、雨天のため空き状態。駐車場から三、二、一の城戸経由頂上をぐるっと回って約2時間、しかもかなりの山道なので装備は確実に。
わたしは出張ついでに寄ったためスーツと革靴で難渋しました。

2014年03月26日 Dr.K佐渡守
金田城

車道が狭く、一部落石がありました。
帰りになんとタイヤがパンク!痛恨!!!

金田城の周辺スポット情報

 東南角石塁(遺構・復元物)

 三ノ城戸(遺構・復元物)

 ビングシ山(遺構・復元物)

 ビングシ土塁・門跡(遺構・復元物)

 ニノ城戸(遺構・復元物)

 一ノ城戸(遺構・復元物)

 掘立柱建物跡(遺構・復元物)

 城壁石垣(遺構・復元物)

 南門(遺構・復元物)

 城山砲台(遺構・復元物)

 国指定特別史跡 金田城跡(碑・説明板)

 大吉戸神社(寺社・史跡)

 説明板(駐車場)

 東屋(関連施設)

 最初の曲がり角(その他)

 野生生物調査カメラ(その他)

 城山山頂(その他)

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