撃方山城

撃方山城([金田城  周辺城郭])

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撃方山城の口コミ情報

2024年10月16日 陸奥守たろす


【撃方山城(うちかたやま)】

【所在地】
◆長崎県対馬市上村馬場町

【概要】
◆対馬国の最北端、大浦湾東側の山頂(標高174m)に築かれた城で、『津島記事』には文禄慶長の役に際し毛利高政により築城されたとある。
 ※毛利高政:角牟礼城の築城で知られる武将
◆朝鮮出兵の折、豊臣秀吉は本営を名護屋城に定め、壱岐勝本浦(勝本城)、対馬国府内(清水山城)、そして対馬大浦湾(撃方山城、結石山城、内方山城)を経て、対馬海峡を渡り朝鮮釜山へと繋がる海上交通路を整備した。
◆実際、文禄元年4月12日早朝に日本軍一番隊の宗義智と小西行長が700艘の大小軍船で大浦を出発し午後には釜山に上陸した。
◆城の防御力はあまり高くないことから、撃方山城や結石山城など大浦湾沿岸に築かれた山城の最大の使命は、大浦湾の彼方先に広がる対馬海峡の監視にあったと考えられる。

【縄張り・遺構】
◆城の最頂部は円形の平坦面で主曲輪と呼ぶべきだが、直径10m程で物見櫓程度しか置けぬ狭さ。〔写真①②〕
◆主曲輪周囲を帯曲輪が巡る。〔写真③〕
◆最頂部から北・南東・南西の三方向に延びた尾根にそれぞれ方形を呈する腰曲輪を備える。〔写真④〕
◆南東尾根腰曲輪の先には尾根頂部を平坦化した比較的面積の広い二段曲輪があり、兵員の収用に使用されたと考えられる。〔写真⑤〕
◆この城の最大の見処は、東腰曲輪の北東側塁線に築かれた石垣。
 動線も折れを伴う技巧的な構造であり織豊系城郭の片鱗を伺わせる。
 ただし、清水山城などが港からの景観を意識して石垣を築いているのに対し、この城の石垣は極めて限定的でありその意図は計りしれぬ…。〔写真⑥⑦⑧〕

【総評】
◆とても小さなお城…というか物見台の様相で、堀切などの山城防御の遺構もなく、さらには登城も非常に困難を要するお城ですが、腰曲輪石垣はその苦労を労ってくれます。(多分…)
 何よりも文禄慶長の役の最前線の城と思えば感慨深い。

【引用元】
◆『九州の名城を歩く 佐賀・長崎編』吉川弘文館
 同書に縄張り図も掲載されております。

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