高天神城(たかてんじんじょう)

高天神城の基本情報

通称・別名

鶴舞城

所在地

静岡県掛川市上土方、下土方

旧国名

遠江国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

今川了俊

築城年

16世紀前期

主な改修者

武田勝頼

主な城主

福島氏?、小笠原氏、岡部氏

廃城年

天正9年(1581)

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

国史跡(高天神城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

黒田代官屋敷(静岡県菊川市)[4.4km]
横須賀城(静岡県掛川市)[6.1km]
菊川城館(静岡県菊川市)[8.2km]
掛川城(静岡県掛川市)[8.8km]
馬伏塚城(静岡県袋井市)[9.4km]
朝比奈城(静岡県御前崎市)[11.1km]
久野城(静岡県袋井市)[12.3km]
勝間田城(静岡県牧之原市)[14.2km]
相良城(静岡県牧之原市)[14.9km]
諏訪原城(静岡県島田市)[15.3km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)147 高天神城

設置場所

大東北公民館[地図
掛川観光協会ビジターセンター「旅のスイッチ」(大東北公民館休館日のみ)[地図
掛川南部観光案内処(大東北公民館休館日のみ)[地図

高天神城の解説文



高天神城(たかてんじんじょう)は、遠江国城東郡土方(ひじかた)、現在の静岡県掛川市上土方・下土方にあった日本の城。小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた。優美な山の形から鶴舞城の別称を持つ。国の史跡に指定されている。また2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(147番)に選定された。

立地 

高天神城は菊川下流域の平地部からやや離れた北西部に位置する。北の小笠山を中心とした標高200メートル前後の低い山地帯を抜けると掛川(現掛川市中心部)を中心とした盆地に出る。遠州灘に面した河口には浜野浦という港があり、中世には水軍の拠点として知られていた。

城郭のあらまし 

山の高さは海抜132メートル、周囲との比高は100メートル程度と、それほど大きな山ではなく、城郭全体の面積もそれほど多くない。しかし、山自体が急斜面かつ、効果的な曲輪の配置が施されたことで、堅固な中世城郭となっていた。石垣はなく、多くの土塁が曲輪の周囲を取り囲み、掘割も設けられていた。非常に実践的で、乱世ならではの城と云える。また、先述の通り急斜面の山であるために通路以外からよじ登ることはまことに困難である。南側の大手門から東側の段丘面に武家屋敷があった。北側は搦手であるが、同時に高天神社の参拝道でもある。

現在では曲輪の構造や、土塁・掘割をうかがい知ることができる。現在は、地元の掛川市(合併以前の大東町)が史跡としてよく整備しており、登山は比較的容易となっている。また、本丸にはふもとの土方(ひじかた)村(現在の掛川市下土方・上土方)の住民が兵隊として西南戦争・日清戦争等に出征した記念碑がいくつもあり、明治以降に地元民にとってこの山がどんなものだったかうかがい知ることができる。また明治維新の元勲の一人である土方久元(土佐-高知県出身)の祖先が姓の通り土方村の出であり、その縁からか碑の一つは彼の揮毫となっている。また、太平洋戦争前の時期に模擬天守が建造されたこともあった(戦国時代に天守が建造されたことはない)が落雷で焼失した。現在はコンクリートの土台のみが残っている。

歴史 

鶴翁山 高天神城略年表

  • 913年 藤原鶴翁山頂に宮柱を建つ
  • 1180年 謂伊隼人直孝山砦を築く
  • 1191年 土方(ひじかた)次郎義政城砦を築く
  • 1446年 福島佐渡介基正城主となる
  • 1467年 戦国乱世、城飼郡内大いに乱る
  • 1471年 福島上総介正成城主となる
  • 1536年 小笠原右京進春儀城主となる
  • 1542年 小笠原彈正忠氏清城主となる
  • 1560年 城兵、桶狭間に出陣す
  • 1564年 小笠原与八郎長忠城主となる
  • 1568年 当城徳川氏に従属す
  • 1569年 城兵掛川に出陣す
  • 1570年 城兵姉川に出陣す
  • 1571年 3月武田信玄兵二万五千騎来攻包囲す。城兵二千騎籠城す
  • 1572年 城兵三方原に出陣す
  • 1573年 城兵諏訪原に出陣す
  • 1574年 5月武田勝頼兵二万騎来攻包囲す。6月18日大手門の戦。6月28日二の丸陥落す。7月2日休戦・小笠原長忠が武田家に降伏す。
  • 1580年 9月徳川家康兵五千騎来攻包囲す。
  • 1581年 3月落城・城代岡部元信討死。

築城

高天神城には治承・寿永の乱(源平合戦)の際に築城されたとの伝承があるが、それと確認できる文献も考古学的発見もなされていない。確実な文献としては16世紀初頭に今川氏の家臣であった福島助春が城代として土方の城(土方は高天神城のある地域の地名)に駐屯したとの記述が初見である。ただし、発掘調査によると15世紀後半から16世紀初頭と推定できる陶器などの出土があり、今川氏進出以前に菊川下流域の在地勢力が「詰めの城」とした可能性が指摘されている。

今川氏の支城として

福島氏は天文5年(1536年)の花倉の乱により没落し、その後は、今川氏に服属した国衆・小笠原氏が城代となった。今川氏は義元のときに大きく領土を広げるものの、永禄3年(1560年)5月の桶狭間の戦いで敗れ、義元自身も討死する。

永禄12年(1569年)、今川氏は甲斐国の武田氏との同盟が手切となり、武田信玄は三河の徳川家康と同盟して駿河侵攻を開始し、これにより今川氏は滅亡する。小笠原氏の当時の当主・小笠原氏興、小笠原氏助父子は徳川氏の家臣となった。しかし、まもなく武田・徳川両氏は敵対関係に入り、駿河・遠江の国境近くにある高天神城もその角逐の舞台となる。

武田・徳川氏の戦い

元亀2年(1571年)3月から5月にかけて、武田信玄は高天神城や東三河の足助城野田城吉田城を攻略したとされる。一方、これは関係文書の年次比定の再考から天正3年(1575年)の出来事であったとの説も存在する[1][2]

信玄の死後、その子勝頼も天正2年(1574年)に高天神城を攻撃、猛攻を加えて結果二ノ丸が落城した。城主小笠原氏助は織田・徳川の援軍を期待したが、徳川単独で援軍を出す力はなく、織田軍は各地の一向一揆の対処のために援軍が送れずにいた。こうした状況に絶望した氏助はついに降伏、高天神城は開城した。氏助(信興)は武田方に臣従を誓い、ともに籠城していた大須賀康高などは逃がされて浜松まで落ち延びた。信玄でも陥とせなかった高天神城を落城させたことは、当時の武田勝頼の武名を大きく上げることとなった(第一次高天神城の戦い)。

天正3年(1575年)5月、武田氏は長篠の戦いで大きな損害を受ける。さらに上杉謙信没後に発生した御館の乱において、上杉景勝の和睦要請に応じる。勝頼は北条方の上杉景虎との間に和睦を成立させるが、勝頼の撤兵中に景勝・景虎間の和睦が破綻し、景虎は滅亡する。これにより武田氏と北条氏の甲相同盟が破綻し、勝頼は景勝との同盟を強化して甲越同盟を結ぶ。

こうした外交関係の変化により、武田氏は駿河方面において西の織田氏・東の北条氏を同時に対応することとなる。この間、勝頼は高天神城の拡張を行って縄張りを西側の峰・現在の高天神社の範囲まで広げ、城代として今川氏の旧臣である岡部元信(真幸)を任命している。

一方、徳川家康は光明・犬居・二俣といった城を奪取攻略し、殊に諏訪原城を奪取したことで大井川沿いの補給路を封じた。さらに付城として横須賀城のほか、6箇所の拠点(高天神六砦)を築いて締め付けを強化し[3]、高天神城は利点の裏で維持のための補給線が長く負担も大きなものとなっていった。そして天正8年(1580年)9月、徳川軍は満を持して高天神城を攻撃した(第二次高天神城の戦い)。岡部は千程度の軍を率いて激しく抗戦するものの、兵糧攻めにあって兵の士気が大きく衰えた。勝頼も援軍を送ろうとするが、東西に敵を抱える状況でそれがかなわない状況が続いた。ついに翌天正9年(1581年)3月下旬、岡部以下の将兵が突撃を敢行し討死して高天神城は陥落した。わずかに生き残った城兵はおよそ助命されたが、脱出したが捕縛された武者奉行孕石元泰のみが翌日に切腹させられた。これは、徳川家康が今川氏の人質であった時代に隣家住民であった孕石との諍いを、迷惑をかけた側の家康が遺恨に思っていたためであったと伝わる。また、西側の尾根を伝って軍監の横田尹松が脱出に成功し、甲斐(山梨県)の勝頼に落城の事実を報告した(この脱出道は現在も残っている)。

File:高天神城からの眺望.JPG|thumb|眺望なお、この高天神城の攻防戦に最後まで援軍が送れなかった武田勝頼の声望が致命的に低下し、翌年に木曾氏・保科氏など豪族が寝返っていく理由となったといわれ、『信長公記』でもことさらにそのあたりを強調する記述となっている。織田信長が籠城側の降伏を拒否するよう、家康に指示した書簡が現在残っている。このことから、籠城側が既に早い時点で降伏の意思を家康に伝えていたにもかかわらず、籠城戦を長期化・劇的なものとすることで、援軍の出せない勝頼の声望を意図的に下げようとした信長の策略だったのではないかとの指摘がある。

落城後、高天神城は廃城となり、その後も城郭として整備されることはなかった。城の山頂に高天神社があったために、山自体は地元のシンボル的存在としての役割を継続することとなった。

高天神城の口コミ情報

2024年02月25日 笑門来猫
三井山砦[高天神城  周辺城郭]



三井山砦。家康が築いた六砦の1つで、高天神城の南側を抑える砦とされます。
城跡碑の周辺に帯曲輪や堀切的なものがあるのですが...だいぶモヤモヤする感じ。ここは山頂に陣旗を掲げて精神的な圧力をかけるくらいで、普請はしてない気がしました。

2024年02月24日 笑門来猫
中村城山砦[高天神城  周辺城郭]



中村砦。高天神城を包囲するため家康が造った六砦の1つで、高天神城の南東側にあります。平野にポツンとある丘を利用し、物見台と曲輪がいくつか並んでいたようです。

感想。訪問前は「武田軍が包囲網を突破するなら、ここでは?」と思っていました。現地訪問してみると、やはり高低差がなく簡単に落とせそうな小さな砦という印象。

でも往時は、この砦辺りまで海岸線が迫り、湿地帯が多く足場も悪かったようです。さらに現地案内板を見ると、ぐるっと一周 堀が巡っていたことも判明。六砦の中で唯一「城山」と名前が付くだけあって、しっかり防備を固めた砦だったのかなと思います。

さすが家康の周到な包囲網、手強い。包囲網の突破は容易ではないなと実感。

2024年02月22日 笑門来猫
獅子ヶ鼻砦[高天神城  周辺城郭]



獅子ヶ鼻砦。徳川家康が高天神城を包囲するため築いた六砦の1つ。高天神城の籠城軍としては、頼みとする吉田城(小山城)との経路を塞ぐ、かなり厄介な砦。

現在は公園になっており、階段を登れば楽々主郭に到達。残存する防御遺構は少ないですが、周囲には曲輪が展開し、そこそこの人数が入れるしっかりした造りになっています。

公園整備されてるおかげで眺望良く、主郭から西方を見れば高天神城の木々が間近に見えます。そばに解説板もあるので、当時の緊迫感を妄想しつつボッーとするにはオススメの場所です。蓮池公園に駐車場あります。

2024年02月20日 笑門来猫
火ヶ峰砦[高天神城  周辺城郭]



火ヶ峰砦。徳川家康 六砦の1つで、高天神城の東側を 南北2km近くに渡り封鎖した大規模な砦と云われています。
この砦の完成を目にした高天神城の軍監 横田尹松は「もはや高天神城を救うのは絶望的。援軍を寄こせば長篠同様の大惨敗になるので、高天神城は見捨てるように」的な書状を、武田勝頼に出したと伝わります。

感想。六砦の中で精神的に1番キツかった😵
整備済みのルートはないので、東側から適当な崖に取り付き城域へ。しかし平場は藪がキツい上に足元が泥濘、切岸の土壌はボロボロ、掴んだ木や竹はバキバキ折れていく。

というわけでピンポイントで主郭を目指す作戦がいいと思います。主郭(物見台?)周辺には堀切、竪堀、土塁、S字土橋などがコンパクトに集まり、広めの帯曲輪(こちらが主郭?)も連結しています。主郭周辺は藪も少ないです。

その後、南側の城域にも足を進めたのですが、執拗な藪とボロボロ崩れる切岸に気力が尽き撤退。いつの日か再チャレンジ?

2024年02月20日 笑門来猫
能ヶ坂砦[高天神城  周辺城郭]



能ヶ坂砦。武田軍が籠る高天神城を包囲するために築かれた徳川家康 六砦の1つで、高天神城の北東にあります。整備されたルートはないですが、南西側の尾根筋にピンクテープありそれを頼りに小さな主郭へ登れます。

周囲に小さな帯曲輪、腰曲輪があるくらいで、堀切はなく突貫工事の砦という雰囲気。東側へ進むと、城域が道路で分断されてしまった状況がよくわかります。
帯曲輪に沿って謎の溝があり、単なる排水路に見えるけど、実は突貫工事だったために風化が激しい横堀?と勝手な妄想に浸りつつ下山。

2024年02月19日 笑門来猫
小笠山砦[高天神城  周辺城郭]



小笠山砦は家康が2回 本陣として利用したとも云われる城跡で、しかもそのどちらもが 超巨大なライバルを滅亡へと導くことになった大戦でした。
(1回目: vs今川氏 掛川城攻防戦)
(2回目: vs武田氏 高天神城攻防戦)

まさに家康の運命を変えた戦いの舞台。の割には全然メジャーではない気がするのですが、それはこの城の最大の特徴が「狂気!」とも思える痩せ尾根群だから なのかもしれません(=危なくて観光客を誘致できない)。

現在、城跡をハイキングコースが通っていますが、それを外れると一気に牙を剥いてきますので厳重注意です。
各所に展開する痩せ尾根上を歩いてみると、尾根を分断する堀切らしき地形も度々登場します。その他、大地の割れ目の中に入れる六枚屏風など、地形的にも歴史的にも大変興味深いお城跡。
小笠神社に駐車場あります。

2024年02月16日 笑門来猫
甚五郎抜け道(犬戻り猿戻り)[高天神城  遺構・復元物]



高天神城攻防戦のクライマックス。岡部元信を先頭に武田軍が突撃・玉砕する中、甲斐へ生還する道を選んだ横田尹松。その脱出ルートとされるのが、犬戻り猿戻りと称される西側の痩せ尾根。

・山麓の池には岡部討死の碑がある(=激戦地)
・尾根道を1kmほど駆け抜けた
・火ヶ峰砦に絶望感を示す書状を出している
という情報から、楞厳寺山を超えるルートが濃厚だよな〜と妄想しつつ、歩いてみました。

感想。数km西側まで山深く見つかりにくいし、且つ徳川領内に逃げ込めば逆に落武者狩にも遭いにくいだろうから、この脱出ルートはアリだなと思いました。

ルート後半にはロープや高低差のある痩せ尾根も登場しますが、楞厳寺山の山頂を越えれば一安心。林道を歩いて搦め手側に帰ってこれます。所々にベンチもありました。

2024年02月14日 笑門来猫
大堀切[高天神城  遺構・復元物]



高天神城で最大の大堀切。観光ルートからは外れた場所なので、足元しっかりした装備でどうぞ。
高天神城は西側(堂の尾曲輪側)が弱点と言われて色々解説されているけど、地形的には南尾根も同じくらい登りやすいように見える。ということで現地調査。
行ってみると、どどーんと強烈な大堀切が登場。しかも連続堀切((;゚Д゚)) 攻防戦があった当時、南尾根から攻めるのを諦めた理由はコレか〜と大いに納得しました。400年経った今でも、正面突破は不可能。

2023年12月30日 エスエム☆飛騨守スナイバー
高天神城

バスでいく場合、土方バス停が最寄りだが、少し南側にあり戻る形になるので注意が必要です。あと本数は少ないです。平日は一時間に二本、土日祝の場合は一時間に一本

2023年11月06日 唯一無二
高天神城



山頂まではかなりの登り道ですが、山頂からは茶畑や海など、眺めの良い景色が広がっています

2023年06月22日 和泉石狩守
高天神城



標高は低いですが急な坂道の先に二つの峯。スズメバチに注意して行きましょう。

2023年06月11日 千葉相模守早雲
高天神城



「高天神を制する者は遠州を制する」と謳われた難攻不落の要衝。

本丸のある山城と西の丸を本丸とする山城が、井戸曲輪のある尾根で繋がった格好をしています。それぞれ山城から伸びる尾伝いに曲輪を設け、横矢を掛けられる造りになっていて、堅固な理由が分かります。

本丸側には的場曲輪、御前曲輪、三の丸が配置され、大手となっています。後に武田勝頼が西の丸側を改修し、徳川に備えたため、こちらの方が防御が厚い気が。

西の丸側は北に二の丸、堂の尾曲輪、井楼曲輪があり、南側にも段曲輪、西側に馬場平と甚五郎の抜け道があります。各曲輪を堀切でぶった斬るだけでなく、曲輪下に長い横堀を備えています。

傾斜のある斜面を登った先にこれだけの防御が施されていると、落とせる気がしません。武田勝頼は如何にして落城させたのでしょうか?

1.西の丸(手前)と馬場平間の堀切。
2.甚五郎の抜け道。
3.二の丸虎口。
4.二の丸(手前)と堂の尾曲輪との間には深い堀切がある。
5.浅くなってるが横堀と土塁が二の丸から井楼曲輪まで続く。
6.本丸虎口。
7.御前曲輪虎口。
8.的場曲輪。

2023年04月01日 杉玉左近衛中将
高天神城



適度なアップダウン。ウォーキングコースとしても最高です

2023年03月05日 よしどん上野介
高天神城



搦手門から登城。かなりの急勾配を上がるが、入口に竹の杖(無料)もあり助かった。坂の途中の地層の境から水が染み出し、飲み水には困らなかった推測。井戸曲輪から東西の曲輪に上がれるが、曲輪以外は断崖で守りの強さを感じる。

2023年02月20日 上田図書頭雪娘
高天神城

西峰の堀切は素晴らしいです。また、見張り台の堀切も立派です。

2023年02月12日 奥山左衛門佐朝清
高天神城



主なポイントには、QRコード付きの案内があります。リンクして予想図付きの説明が出るので参考になりますよ。階段が整備されている所とない所があるので、足元にはご注意を。

2023年02月11日 奥山左衛門佐朝清
堂の尾曲輪[高天神城  遺構・復元物]



堀切から登るので足元に相当注意を。削平されているけど、尾根なので幅が狭い。下の空堀の様子を良く見ることができます。

2023年02月11日 奥山左衛門佐朝清
井戸曲輪[高天神城  遺構・復元物]



井戸の跡があります。規制の枠があって深さがわからないのが残念。近くには、お稲荷さんと慰霊碑があります。

2023年02月11日 奥山左衛門佐朝清
馬場平[高天神城  遺構・復元物]



ここから、是非遠州灘や菊川の景色を見てください。因みに、菊川は、当時河口から城の東側辺りまで入り江でしたから、イメージを膨らませて。

2023年02月11日 奥山左衛門佐朝清
渡辺金太夫 屋敷址[高天神城  碑・説明板]



城から少し離れるけど、説明板あり。溜め池(人工?)にも名前が付いている。搦め手での戦いで活躍した武将のようです。ここからお城を見ると大きさを感じる。

2023年02月11日 奥山左衛門佐朝清
井楼曲輪[高天神城  遺構・復元物]



堀切(2つ目)から登るので足元に相当注意を。登ると結構広く削平されている。景色は…。木々の隙間から少し。

2022年09月30日 きむねこ
高天神城

案内看板を横にまっすぐ進むと登り口近くに駐車場があります。比較的整備もされているので思ったよりは苦労せずに登れました。自然の山城の良さがつまったお城でした。雨が降った後に行ったので足元が多少ゆるかったので晴れていても多少しっかりした靴で出かけたほうがいいと思います。この前に横須賀城に寄って来ましたが、ぜひともセットで回るとカラーがそれぞれ違うちのでより楽しめると思います。

2022年06月05日 葛城善衛門
高天神城



すぐそばまでクルマで行けるので、楽ちんです。とても見応えのあるお城です。山城好きの方はぜひ!

2022年04月23日 ペスカトーレ
高天神城



武田の山城です、駐車場有り。案内図が簡略化され過ぎて一寸分かりにくいです。道が一本通行止めになっているので、若干遠回りする必要があります。それほど大きな規模では無いのですが、結構勾配が有り、全部回るには最低1時間は掛かります。

2022年04月03日 いし♪
三井山砦駐車場[高天神城  駐車場]

駐車場とは書いてありません。貞永寺、大浜公園の駐車場を兼ねていると思われます

貞永寺の階段が正面に見える所まで来たら右へ曲がって一本道を行くとあります
左へ曲がると行き止まりです(三井山砦への徒歩での入り口)道路には案内がないので間違えやすく何台も左折してUターンして来る車がありますのでご注意を

駐車場から貞永寺の方へ歩くとすぐに案内板があります

2022年03月24日 M氏
高天神城

小説読んで何度も出てきた高天神城の攻防からとんでもない山城と敬遠してたが先人の口コミ見て今回挑戦した、口コミ通り割と攻めやすかった

搦手門側から入ったので本丸跡まで登って追手門まで降りてまた高天神社や馬場平まで登ってと高低差にヘロヘロになった。これなら追手門側から入った方が良かったかと後悔もしたが楽しめた。女性でもそんなに敷居は高くないと思います
ただテンション上げ過ぎずゆっくり回ること

2022年02月22日 薩摩相模守義弘維新斎
高天神城



北口に駐車場が整備され、搦手口から急峻な坂道を登ると一気に本丸や馬場平等へ到着。割合と登りやすい山城。馬場平の展望台からは、周辺を一望でき気持ちが良いです。

城内では、いろいろな曲輪や堀切等が確認できて、嘗て武田VS徳川の戦いがあったことを実感。一度は訪れることをオススメしたい城跡の一つ。

2021年12月26日 絢八幡淡路守ルーミア
高天神城

追手口 搦手口に大きな駐車場があった 三の丸カラ富士山がよく見えた。

2021年12月22日 お〜さ加賀守
高天神城



本丸までそれほど時間が掛からず行けました。三の丸から富士山がきれいに見えましたので写真を撮りましたが、写真に撮ると見た感じより薄いですね。

2021年12月05日 小豆のおこわ右兵衛尉
高天神城



甚五郎の抜け道。その道のりは険しく、こんな尾根を(しかも馬で)掛けたと言うことに驚かされます。このまま進み続けると楞厳寺山(りょうごんじやま)に辿り着けるそうですが、時間が押してたので断念しました。身を持って体験する為に走ってみました…勇気のある方は是非走ってみて下さい。如何に大変だったかが分かります。

2021年11月29日 RED副将軍
小笠山砦[高天神城  周辺城郭]



今川氏、武田氏との二度の高天神城攻めに際して徳川家康が布陣した砦🏯
⚠️断崖絶壁の即死系砦です✨

オススメ度 ★★★★★

1568年に、徳川家康が掛川城と高天神城を攻略するために築いた砦。今川義元が討死し、今川領を浸食するため、掛川城と高天神城の連携を遮断するために中間地点に築いたもの。

やがて、高天神城の今川重臣の小笠原氏興は徳川氏に降り、掛川城の包囲に加わる。掛川城の今川氏真も降伏。しかし、1574年には武田勝頼の猛攻により、高天神城の小笠原氏興は降伏し、武田氏の遠江侵攻の拠点となります。

1575年に長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田軍に大勝。1576年に奪われた高天神城を奪還するため、徳川家康は再び小笠山砦に布陣し高天神城の戦いが勃発。このとき構えた六砦の中で最大規模でした。高天神城を包囲し、兵糧攻めを開始。武田軍は周囲を六つの砦に囲まれ援軍を出せず、1581年に高天神城は陥落。

見所
標高264.8mの小笠山山頂に主郭を配し、多聞神社を起点に北西、南西、南東に延びた尾根筋に要所を堀切で分断、馬出しを配して郭を展開しています。特筆すべきは細尾根の直ぐ下が断崖絶壁となっている箇所が幾つかあり、特に多聞神社から南西尾根筋の東側は数十mの断崖絶壁に簡単に行けてしまうため注意が必要です。
落ちたら即死で見つけてすらもらえないと思います。もちろん柵も無いのでご注意願います🙇‍♂️

主郭から北側に降った先にある六枚屏風は大規模なチムニー沢でこちらもオススメです。

小笠神社の駐車場を利用。神社は城域です。主郭までは20分くらいですが、広い城域に見所多いので1時間以上は要します。六枚屏風に行くのならプラス1時間必要です。

写真
①多聞神社から北東尾根の土橋。断崖絶壁でまあまあ危険です。
②多聞神社北側の巨大な竪堀。
③主郭西側の横堀。
④多聞神社から南西尾根。東側(左)は断崖絶壁でかなり危険。
⑤南西尾根筋の堀切
⑥主郭
⑦六枚屏風
⑧案内図

2021年11月12日 おりべ織部正
高天神城

痩せた尾根⌈犬戻り猿戻り⌋に切れ込む堀切が小規模ながら見事です。岡部丹波守元信が戦死した谷近くに富士山を遠見した慰霊碑がありました。

2021年09月19日 syusyu
高天神城

令和3年9月27日〜10月8日は倒木除去作業があるので追手門側からは登れません。搦手門側から登ってください。

2021年06月16日 千閑斎
小笠山砦[高天神城  周辺城郭]



小笠山砦の奥に六枚屏風と呼ばれる場所があります。古大井川の砂礫層の断崖をぶった斬るチムニー沢です。

六枚屏風に行くには小笠山山頂から北に向かうコースの途中で右折し沢に降りて行きます。道標の看板があるので迷う事は無いと思いますが、脇道みたいな感じで崩落している所もあります。崩落している所にはロープが張ってありますが充分注意して通行して下さい。因みに看板の下には「六枚屏風方面転落事故発生しています。落石、スズメバチ、マムシ等注意」の注意書があります。

六枚屏風の前に立つと空気が全く違う、険しい裂け目に吸い込まれてしまう…

小笠山の標高は僅か264mですが、充分な準備をして下さい。ご安全に!

2021年06月16日 愛甲太閤【相模の狂人】
小笠山砦[高天神城  周辺城郭]



砦と呼ぶには高度に土木工事された跡がふんだんにあり、もはや城塞です。
峻険な地形を巧みに利用した要害堅固っぷりは攻撃対象となった高天神城を凌ぐのではないかと思われ、ハードアタッカー垂涎の名城と言えるでしょう。ただし城郭の周囲には切り立った崖があちこちにあり、興味本位で尾根の末端等に入り込むのは極めて危険です。

小笠神社の駐車場が利用出来ます。鳥居をくぐって尾根道を歩くと崖を穿った立派な階段にぶつかり、登り切ると小笠神社です。城郭はその奥から始まります。

見どころは大きく分けて3箇所、笹ヶ峰御殿跡周辺、多聞天神社周辺、そして小笠山山頂周辺でしょう。大きな堀切や二重空堀などかなりスケールの大きい土木遺構が随所に見られ、これが城攻めのための砦かと呆気に取られるでしょう。山頂も曲輪として使われていたらしく、立派な坂虎口を持ち北側が大きな堀切で仕切られています。

この城の真の有様を知ることができる危険箇所が2箇所あります。一つは多聞天神社から山頂に向かう途中のヤセ尾根上の道、もう一つは多聞天神社の南に伸びる尾根上の曲輪を繋ぐヤセ尾根です。特に後者は攻撃の対象であった高天神城方面の眺望が絶景ですが、尾根の幅が肩幅より狭い上に掴まる木が殆ど無く、東側が数十メートルほどもバッサリ切れ落ちた崖になっていて高度感がハンパないです。万一滑落したら発見不可能なのではないかと思われる第一級の危険箇所です。曲輪に入る道はありませんが、むやみな進入は厳に慎むべきです。

単独登城は避けて力量の揃ったメンバーでパーティを組んで登城するべきです。

2021年05月04日 千閑斎
獅子ヶ鼻砦[高天神城  周辺城郭]



高天神六砦の一つ、大須賀康高が管轄していました。

菊川市営の小菊荘の前に登城口が有ります。
主郭は公園です。以前、訪れた時は木製の遊具が有りましたが撤去された様です。

2021年05月02日 がっくん
中村城山砦[高天神城  周辺城郭]



高天神6砦の1つ。
住宅街の中、開発の手が入らず良く保全されている。
駐屯地、物見台が残り、堀切が大きい。

2021年05月02日 がっくん
小笠山砦[高天神城  周辺城郭]



高天神六砦の1つ。
見所は横堀、堀切とそこから伸びる竪堀か。
小笠神社からの展望も素晴らしい。

2021年05月02日 がっくん
獅子ヶ鼻砦[高天神城  周辺城郭]



高天神六砦の1つ。
蓮池公園の裏手を5分弱登ると芝生広場に整備された主郭部に着く。
公園の高天神城側入口は虎口チックな地形加工があるが、当時のものかは不明。

2021年04月29日 みんはお
高天神城

整備されていて歩きやすくいい城でした。土方のバス停がいくつもあり分かりにくいので、帰りのバス停にはご注意を

2021年04月25日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
小笠山砦[高天神城  周辺城郭]



砦という名称ですが。これはもはや砦ではありません。要塞です。急峻な山上に築かれ、壮大な土木工事がなされています。さすがは家康です。見ると足がすくむ場所も多々あります。高所恐怖症の方はくれぐれもご無理なさらずに。

2021年04月25日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
中村城山砦[高天神城  周辺城郭]



見所は二つの堀切かと思います。特に二つ目の堀切は岩盤をえぐっています。

2021年04月25日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
三井山砦[高天神城  周辺城郭]



見所は写真にもある大堀切。とにかくでかい!

2021年04月09日 宇都宮和泉守広綱
高天神城



ちゃんとした装備で上るといいかもです。搦手口からはかなり急な階段です。眺望は最高です

2021年01月26日 彦右衛門
高天神城



城郭の遺構も素晴らしいが、追手門駐車場のトイレの短歌もgood です!

2020年11月28日 コナン遠江守
岡部、板倉の石碑[高天神城  碑・説明板]



天正9年の戦いで討死したといれている板倉定重と城方の岡部真幸の石碑です

2020年10月04日 千閑斎
高天神城



諏訪原城は割と平面的で圧倒的な土木量、高天神城は立体的でテクニカルな感じでしょうか?どちらも良い城です。小笠山砦も良いんだけどな…



2020年10月03日 風林火山甲斐守ホノルル
高天神城

さすが堅牢な城です。攻城感を味わうなら大手からの方が良いですね。搦めての方が石段的で登り易いですが神社詣で感が強いです。
私は搦め手から攻城して大手に降りました。近くの横須賀も必見です‼️

2020年07月28日 織田上総介晃司
高天神城

先人様の情報で追手門(南側)から登ると比較的楽だというので南から登城。駐車場・トイレもあります。
駐車場は北側の方が広いそうです。

そんなに離れてない場所に横須賀城・掛川城があります。合わせてリア攻めしてみては。

2020年06月16日 大隅守
小笠山砦[高天神城  周辺城郭]



今川氏の掛川城へ攻める時に
家康が置いた陣です。
ここから、高天神城、掛川城が見えます。

2020年03月31日 北条大宰少弐氏光
高天神城



非常に遺構が綺麗にそしてダイナミックに残っている素晴らしい城郭でした。高天神城の戦いでなかなか落城しなかった理由も分かる気がします。

2019年12月21日 大納言Z武蔵守369
大河内石窟[高天神城  遺構・復元物]



天正2年の開城時に、最後まで武田勝頼に降伏しなかった大河内源三郎政局が7年に渡って幽閉されていた石窟。

2019年12月21日 大納言Z武蔵守369
的場曲輪跡[高天神城  遺構・復元物]



弓矢等の練習をしていた場所。鉄砲の弾薬も置かれていた。

2019年12月21日 大納言Z武蔵守369
三日月井戸[高天神城  その他]



ハイキングマップには、城の守りに欠かせない貴重な飲料水と書かれているが、実際は飲料用ではなく、別の井戸を飲料用に使用していたようです。

2019年10月06日 まさある甲斐守
南駐車場 大手口[高天神城  駐車場]



無料
10台くらい駐車出来ます。

2019年10月06日 まさある甲斐守
トイレ[高天神城  トイレ]



南口駐車場トイレ
汚く無く、綺麗でも無く、臭くも無し。
和式、トイレットペーパー多数有り。


2019年09月08日 於ちか武蔵守
大東北公民館[高天神城  スタンプ]

スタンプの向きに注意してください。矢印どおりに押すと逆さまになってしまいます。

2019年06月25日 ago玄蕃頭
旅のスイッチ(大東北公民館休館日のみ)[高天神城  スタンプ]

掛川駅東側の南北を結ぶ地下通路にあります。

2019年06月15日 ago玄蕃頭
プラザ大須賀内(大東北公民館休館日のみ)[高天神城  スタンプ]



月曜日はこちらか、掛川駅南北連絡地下通路の掛川観光センター「旅のスイッチ」でスタンプが押せます。



2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
高天神城



甚五郎抜け道。左右は崖で、一歩一歩慎重に歩かないと、小石混じりの道は、とても危険です…途中で断念しました…

2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
高天神城



井戸曲輪の、かな井戸。武田軍が城攻めの際に、井戸の水脈を切ったとも言われ、今は水が出ないそうです。

2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
高天神城



搦手門(北口駐車場)を登る途中、ふと上を見上げると、綺麗な新緑です。高天神社への参道となっているようです。焦らず、ゆっくり行きましょう

2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
高天神城



搦手門(北口駐車場)を登って来ると、三日月井戸があります。金魚が十二匹、のんびり泳いでおります。キツい登り階段、金魚を眺めながら、水分補給でも如何でしょうか?

2019年05月29日 野舘宮内少輔サラマンダー
高天神城



2019年5月13日1400時(150分)、南口駐車場より攻城。この石碑があった北口駐車場から攻めるとかなり心折れます…途中、休み休み攻めましょう!

2019年05月19日 富安兵庫頭大竜
御前曲輪跡[高天神城  遺構・復元物]



昭和20年まで、模擬天守があったとか。

2019年05月19日 富安兵庫頭大竜
三の丸跡[高天神城  遺構・復元物]



ぐるりと土塁に囲まれています
トイレもありました

2019年05月19日 富安兵庫頭大竜
南駐車場 大手口[高天神城  駐車場]



想像図の右下のポストにA4のマップが置いてあります。

2019年05月11日 ずんだ雅楽助ばさし
高天神城



この先、本丸の下に石窟がありました。大河内さん8年捕らえられていたそうです。狭いところに8年…。ムリです…

2019年05月11日 ずんだ雅楽助ばさし
高天神城



甚五郎抜け道 足元狭いのでお気をつけ下さい。

2019年05月04日 ago玄蕃頭
大東北公民館[高天神城  スタンプ]



開館時間9:00〜17:00 月曜日休館日
月曜日のみ掛川駅前の掛川観光協会ビジターセンター「旅のスイッチ」と掛川南部観光案内処で押せます。


2019年01月08日 墨塗られた!
高天神城

バスで行かれる方は、土方バス停で降りるとスタンプのある公民館は城と反対方向になるそうなので、駅近くの観光案内所でスタンプを押してパンフレットもらって現地に行くといいと思います。

2019年01月08日 墨塗られた!
高天神城

掛川駅新幹線出口そばの観光案内所で続100名城のスタンプとパンフレット、バス停から城までの地図をいただきました。バスで行かれる方は掛川駅北口バス停3番乗り場です。

2018年08月14日 こうひろ☽
高天神城

高天神城の北4km にある小笠山砦の紹介です。県道入口に小さな表示があり、車で小笠神社入口駐車場まで行けます。徳川方が築いた6砦最大規模で武田方の物資補給を監視した砦です。神社裏側虎口を抜けると巨大な堀切と笹ヶ峰御殿(曲輪)。そして多聞神社北側の展望台(物見跡)からは掛川市内が見渡せます。横堀に馬出、曲輪と装備規模は砦ではなく山城です。家康公も滞在した砦は高天神を奪回する為の包囲網凄みを体験出来ます。高天神から10分程度なのでセットで訪れてみれば籠城側と攻城側の両側から戦国時代を堪能出来ますよ。南には中村砦(若宮神社)があり、水運利用の砦で次回訪れてみたいと思います。

2018年07月11日 みやび姫
高天神城

パンフレットやスタンプのある大東北公民館から追手門までの道のりは3分程。看板は出てるけど公民館の方に聞いた方がいいかも。追手門駐車場には自販機が無いので要注意。トレッキング靴は必須です。

2018年05月22日 陸奥守たろす
高天神城

続100名城に選出され、新たにパンフレットも作成されてますので、スタンプラリーされていない方も登城の際は是非スタンプ設置場所である「大東北公民館」にお立ち寄りください。
登城は北口(搦手門)・南口(追手門)とありますが、車の場合は北口の方が駐車台数が多いです。
北口は距離は短いがやや急坂、南口は逆で距離は長く緩やかな感じです。

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
高天神城

駐車場があります。
麓には杖があるので、使った方がいいです。
階段があり他の山城に比べたら登りやすいです。


2017年03月26日 仙石権兵衛駿河守秀久
高天神城

本日の例祭で御朱印を頂きました。臨時駐車場から高天神社までひたすら登ったところに社務所があるのでそこで。
御渡りが終了するまで社務所には誰かしらいらっしゃるそうです。

2017年02月11日 本多左近将監忠政公
高天神城

3月26日、年一度の例祭が行われ時間限定で御朱印を頂ける様ですので興味がある方はぜひお越し下さい。

2017年01月18日 カーネル
高天神城

東海道線掛川駅北口からしずてつジャストラインで土方バス停で下車

振り返ってY字の交差点には搦手門入口の看板があり、城の北側が搦手門になります

搦手門がわかりやすいのですが、2回目なので南の追手門から登ってみました
雨天の夕方に行ったら、登山口の駐車場で地元(?)のおじさんに、これから登るの?はっはっは。って笑われた

南追手門のほうが、搦手側から登るより、傾斜が緩い気がします。5分くらい登って本丸と三の丸の分岐では三の丸へ往復してから本丸へ
三の丸は眺めがいいです

本丸の奥は二ノ丸で堀があって、ここが一番好きです
馬場平に行ってから本丸方面に戻り、北の搦手経由でバス停へ戻りました

歩行時間は1時間半でした

2017年01月09日 ドラガン尾張守店長
高天神城

搦手門(北口)駐車場から登城。
山城の長い階段を抜けると、三日月井戸。
三叉路を左手に登り、本丸跡から富士山を望む。
ぐるりと廻って石窟跡。
三叉路のもう一方を上がると高天神神社。
脇を抜けると馬場平へ。
途中、切り深い堀割を通る。
展望台からは太平洋と御前崎が見える。
更に先には甚五郎(横田)の抜け道。
高天神城落城の際、尾根伝いに本国の勝頼公に伝えたそうだ。
程良く整備された山城でした(^^)


2016年12月30日 まー刑部卿
高天神城

追手門から登城。登城口は看板も有りわかりやすかったです。登城はちょっとキツかった。御前曲輪に戦前二層の模擬天守があったらしいが落雷で焼失、観てみたかったです。追手口からしばらく進むと左手に『土砂崩れのため立入禁止』が。一通り見終わって井戸曲輪から立入禁止柵を越えてみた(自己責任で)。土砂崩れはしてはいたが通れないことはなくそのまま追手口へ戻る。危険と感じたのは高天神社のある西の丸から社務所裏を通って尾根伝いに進んだところにある堀切。幅も狭く滑って堀切に落ちてしまうのではないかと慎重に進む。搦手口に移動してみたが搦手門からは階段があって歩きやすいようなのでこちらから登城することをオススメします。追手口・搦手口とも登城口への案内板、駐車場、トイレが有りました。

2016年05月23日 永久楽武蔵守マクシミリアン
高天神城

搦め手から登城。長い坂を登るが、階段があるので犬連れでもOK!距離が短いので岩櫃城より楽チンでした。

2015年09月22日 ともっち♪丹波守
高天神城

ど素人見立てなので参考程度にどうぞ♪

今回北側搦め手側から
高天神神社の表口
階段キツイ!
搦め手説明板後ろに貸し杖あり!
途中三日月井戸
今も山水が滴ります
金魚に癒されつつ
がんばりましょう♪

東側、的場曲輪→石窟→本丸→御前曲輪→三の丸→分かれ道まで戻り
西側、井戸曲輪→堂の尾曲輪戻り→西の丸→神社お参りしてね♪→馬場平→甚五郎抜け道→林の谷池→駐車場
と体力ある方はぐるぐるまわれる…はず。
体力ない方は抜け道覗いて戻りましょう!
今回は
林の谷池の看板で引き返し
美味しい堂の尾曲輪に行かなかった…。
次回大手より登り報告いたします
<(_ _*)>

トイレ
駐車場もしくは最寄りコンビニで
すませたほうが良いかな

小さな山登り装備推奨
階段、岩場が苔むしてるすべる

甚五郎抜け道
馬で走った!?(゜ロ゜ノ)ノ
両サイド崖の尾根

毒キノコわんさか!お城御守り中!

↑それぞれ
気をつけてくださいませ~☆

高天神最中
中島屋、鈴木商店にて販売中
今回は買えんかった…です(T-T)

2015年05月26日 
高天神城

公共交通機関利用の方は掛川駅前からしずてつジャストラインバスの土方バス停降車15分程。トイレは城内各所にありますが、先達も書かれている通り自販機が見当たらないので夏場は飲み物を用意していた方が無難だと思います。

南側の登城口が大手、北側の登城口が搦め手にあたり、両方に駐車場があります。

東側の城域と西側の城域を井戸曲輪がH字形に連結する形状です。
東側の尾根に築かれた城域は要害を利用した単純な構造ですが、西側の城域は堂の尾曲輪〜井楼曲輪に至る長大な横堀や各曲輪を分断する堀切が残っており、武田氏による改修が施されたことがはっきりわかります。

古典的な東側城域と戦国期の築城方を用いた西側城域の両方を一つの城で楽しめるお得な山城と言えます。


2015年02月27日 野呂利左衛門督休三
高天神城

大手口、搦手口ともに駐車場とトイレはありますが、自販機はありません。

2013年03月27日 森田大宰大弐一義
高天神城

3/17 初登城。搦手門側から登りましたが、石段を登って鹿ヶ谷側を覗くと、遊歩道崩落の文字が。高天神社側の鳥居も外されておりました。災害でも発生したのでしょうか?

2013年01月23日 ぽえぞお弾正少弼黄金旅程
高天神城

車で登城。50台くらい停めれる駐車場有り
(*^∇^*)
駐車場から搦め手経由で登れますが、大手口から攻略開始!
駐車場から道沿いに300mくらい歩くと畑に囲まれたセメントの登り道が現れここから主郭部に、曲輪や土塁、堀など遺構が十分に残り堅城だった事を今でも思う事が出来ます(^O^)
少し足を伸ばすと御前崎市内に学校給食を出す『学校へ行こう』というバー&レストランが有ります!

2012年02月29日 大膳大夫マイリバ
高天神城

「高天神を制する者は遠州を制する」と謳われた堅城凸です
貴重な雨水を蓄えるべく作られた三日月井戸には金魚が泳ぎ、今でも岩壁から絶えず水が染み出ていることを証明しています
徳川方の大河内政局が幽閉された石窟は出入り口が閉ざされていますが、他の城では見られないレアな遺構です

2012年02月12日 桑名中務大輔はまぐり〜
高天神城

武田、徳川の激戦の地です。曲輪、土塁、空堀、堀切などよく残っていて、かつては堅固な城だった事が伺えます。是非じっくり散策してみて下さい。

高天神城の周辺スポット情報

 三の丸跡(遺構・復元物)

 御前曲輪跡(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 甚五郎抜け道(犬戻り猿戻り)(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 袖曲輪跡(遺構・復元物)

 二の丸跡(遺構・復元物)

 馬場平(遺構・復元物)

 搦手門跡(遺構・復元物)

 的場曲輪跡(遺構・復元物)

 大河内石窟(遺構・復元物)

 着到櫓跡・土塁(遺構・復元物)

 追手門跡(遺構・復元物)

 堀切跡(遺構・復元物)

 空堀跡(遺構・復元物)

 井楼曲輪(遺構・復元物)

 井戸曲輪(遺構・復元物)

 堂の尾曲輪(遺構・復元物)

 曲輪(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 高天神城跡碑(碑・説明板)

 案内図(碑・説明板)

 説明図(碑・説明板)

 「高天神城址追手門入口」看板(碑・説明板)

 岡部、板倉の石碑(碑・説明板)

 高天神城説明板(碑・説明板)

 渡辺金太夫 屋敷址(碑・説明板)

 笹ヶ峰御殿(家康本陣)(碑・説明板)

 小笠山砦(周辺城郭)

 中村城山砦(周辺城郭)

 獅子ヶ鼻砦(周辺城郭)

 火ヶ峰砦(周辺城郭)

 能ヶ坂砦(周辺城郭)

 三井山砦(周辺城郭)

 岩井寺砦(周辺城郭)

 風吹砦(周辺城郭)

 宇峠砦(周辺城郭)

 元天神社(寺社・史跡)

 高天神社(寺社・史跡)

 惣勢山本陣(寺社・史跡)

 大東北公民館(スタンプ)

 プラザ大須賀内(大東北公民館休館日のみ)(スタンプ)

 旅のスイッチ(大東北公民館休館日のみ)(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 三ノ丸トイレ(トイレ)

 公民館トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 南駐車場 大手口(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 三井山砦駐車場(駐車場)

 城址南口入り口案内板(その他)

 登城口(その他)

 三日月井戸(その他)

 高天神さくらの丘(その他)

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