篠島城(しのじまじょう)
篠島城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県知多郡南知多町篠島字東山
旧国名
- 尾張国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 室賀秋季
築城年
- 南北朝時代前期
主な改修者
- 義良親王(後村上天皇)
主な城主
- 室賀氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
東条城(愛知県西尾市)[19.0km]
富貴城(愛知県知多郡)[19.0km]
形原城(愛知県蒲郡市)[20.5km]
西尾城(愛知県西尾市)[21.3km]
羽城(愛知県碧南市)[22.3km]
深溝城(愛知県額田郡)[23.7km]
田原城(愛知県田原市)[23.9km]
坂手村砲台(三重県鳥羽市)[25.6km]
本證寺(愛知県安城市)[25.7km]
鳥羽城(三重県鳥羽市)[26.6km]
篠島城の解説文
篠島城の口コミ情報
2024年08月10日 気分爽快豊後守
篠島城
篠島に渡ったついでに立ち寄りました。三河湾入口の監視所ぐらいにはなりそうですが、南北朝時代に廃城とのことで、城らしき遺構はないようです。
①海から城のある小山を眺める
②削平地への登り道
③削平地手前
④⑤⑥⑦削平地を色々な方向から
2024年04月01日 陸奥守たろす
名古屋城築城時の石切場[篠島城 寺社・史跡]
【名古屋城築城時の石切場】
◆愛知県知多郡南知多町篠島
◆概要
・名古屋城は、慶長15年(1610)に石垣の工事が始まりました。 加藤清正は、自ら申し出て天守閣と小天守の石垣を築城しました。清正は、幕府より依頼され、名古屋城の築城普請をしました。 また、20名の惣大将をつとめました。
・篠島で太陽暦の4月~6月に採石され、7月には天守閣の石垣の基礎となる隅石が置かれています。篠島の海岸線のいたるところや、まわりの島まで採石跡地が見つかりました。石は船により海上輸送され、熱田神宮の南側から西側の海岸、熱田の宮の浜へ陸揚げされたと考え られています。
・採石されたが、何かの理由で運ばれず残された石が、現在全島の中に32箇所、197個の矢穴(慶長時代)のついた石が確認されています。
・矢穴とは、石を切り出すために開ける長細い穴で、石を割った跡に残る、鬼の歯形のように思える穴のことです。慶長の矢穴は10~12㎝の長さです。
・赤色に表示された海岸線から、慶長期時代の採石地跡が確認されています。(8枚目の写真の地図参照)
〈篠島港に展示されている石材説明板より引用(篠島まちづくり会)〉
◆感想
写真の石は全て「清正の枕石」のある島の南西の出っ張り部分周辺の石です。
ガッツリ矢穴残る石もあれば、波に洗われて僅かに矢穴の面影が残る石もあれば、矢穴に貝がビッシリの石まで、様々な石が残ります。
それらの石をワクワクしながら探し回るのも楽しみの一つですね♪
※ただし、海岸沿いの岩場ですので、潮の干満によっては水没する場所もあります。矢穴探しに没頭して戻れなくなるかもしれませんので、潮位表で干潮時間を確認しておくと良いと思います。
何よりも足元は非常に滑りやすいので、決して無理はしない事!お仲間がいれば良いですが、単独で滑ったり落水してケガしてもこんな所に助けてくれる人はいませんよ〜
2024年03月31日 陸奥守たろす
清正の枕石[篠島城 寺社・史跡]
【清正の枕石】
◆愛知県知多郡南知多町篠島
◆「徳川家康が名古屋城を築く際、加藤清正が篠島の西南端に石垣にちょうどよい石を発見し、枕を入れて運び出そうとしたが、あまりの大きさにどうしても船に積み出すことが出来ずこれを断念したと伝えられています。この篠島花崗岩の大割石は今でも篠島に現存しており、今では「清正の枕石」と呼ばれています。石のサイズは5.2m×2m、厚さは1.8mにもおよび歴史ファンの撮影スポットとしても親しまれています。」
〈「篠島観光ガイドぐるっと篠島」篠島まちづくり会制作サイトより〉
http://shinojima-matsuri.jp/sp/detail/spot06.html
◆感想
スマホ片手にGoogleMAPに登録された地点を目指し海岸沿いの岩場に歩を進め※、途中矢穴を見つけてはニヤニヤしながらさらに登録地点を目指す…
が、事前勉強が足りなくて「どれが清正の枕石やねん?」と探し回る。
このアプリで「清正の枕石」と紹介された矢穴残る大岩?でも地点違うし?
で、現場で色々ググって「これか〜」と答え合わせ。
感想もそのまま「これか〜」って感じです^_^;)
でも周りに残る矢穴達を探す楽しみも含め散策してはいかがでしょうか?
※GoogleMAPを頼りに5枚目写真の左側の道で早々に海岸に出てしまったので足場の悪い岩場を歩きましたが(満潮時は多分海中?)、5枚目写真の右側を進み小学校の敷地内?をしばらく進み6枚目写真のバックネット横くらいから山中に伸びる遊歩道を行くと潮の干満に関係なく安全に辿り着くことができます
※ポイントは先人が設定したものですが、ここよりもほんの少し北になるかな?
2024年02月18日 松平長七郎大学頭長頼
正衆寺[篠島城 寺社・史跡]
曹洞宗のお寺で、源氏の御家人・須細為基公の保護を受け、1191年(建久2年)には源頼朝公から寺領を寄進され、隆盛をきわめた。
また、尾張藩船奉行の千賀重親公が自家の菩提寺とする。
2024年02月18日 松平長七郎大学頭長頼
岩屋寺[篠島城 寺社・史跡]
尾張高野山宗の総本山のお寺で、1804年~1818年(文化年間)に尾張藩10代藩主・徳川斉朝公の依頼により、天台宗の密教僧である豪潮律師によって再興されたとの事。(Wikipedia参照)
2024年02月18日 松平長七郎大学頭長頼
性慶院[篠島城 寺社・史跡]
真言宗豊山派のお寺で、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、高木清秀公の次男一吉公がこの地の地頭となり、以降高木家の庇護を受けることになった。境内には高木家11代の墓がある。(Wikipedia参照)
2024年02月18日 松平長七郎大学頭長頼
正法寺[篠島城 寺社・史跡]
天台宗のお寺で、1233年(天福元年)に比叡山の徹円阿闍梨が、源義朝公の家臣で野間で義朝公とともに舅である長田忠致公に殺害された鎌田政清公を供養するため建立したとの事。また、寺がある場所は鎌田政清の居城跡であり、本尊の毘沙門天像は政清の念持物と伝わる。(Wikipedia参照)
2024年02月18日 松平長七郎大学頭長頼
医徳院[篠島城 寺社・史跡]
真言宗豊山派のお寺で、1582年(天正10年)、本能寺の変により徳川家康公が岡崎へ戻る途中、ここで一泊して武運長久を祈願しているという。(Wikipedia参照)
2024年02月18日 松平長七郎大学頭長頼
正法禅寺[篠島城 寺社・史跡]
曹洞宗のお寺で、中興の仙鱗等膳が駿河国の駿府で修行していた際、今川義元公の人質だった徳川家康公を闇に紛れて連れ出し、篠島で70日間世話したという伝承が残っているとの事。(Wikipedia参照)
2022年11月06日 松平長七郎大学頭長頼
蜂屋城[篠島城 周辺城郭]
構造・丘城
築城主・蜂屋光経
築城年・1360年 (正平5年)
廃城年・不明
主な城主・蜂屋光経
遺構・無し
住所・愛知県知多郡南知多町師崎西新町32
2022年03月21日 くろちゃん右大臣
羽豆崎城[篠島城 周辺城郭]
SKE48 3rdシングルカップリング曲羽豆岬のpvロケ地として訪れました。同地は、島へ渡る港もありぜひ訪れてくださいね。
2021年06月06日 みの山城神虎大権現
篠島城
知多半島の先端にある師崎から高速船🛥️で約10分程で ここ篠島に到着します。
降りてから南へ10分も歩けば 旧篠島小学校の東の小山に 城址 があります。
墓地の横手から登り 山上の削平地が城跡とされ いろいろな神様が祭られており 篠島城の石碑もあります。
遺構は僅かに残る土塁跡?位しか確認出来ませんでした。
今度は 清正の枕石を目指します。
義良親王(後の後村上天皇)が漂着された伊勢ヶ浜 を左手に見ながら20分程歩きます。
現在の中学校と小学校の左手の丘を越えると 加藤清正公が 名古屋城築城時に採石地として選んだとされる岩場に着きます。
満潮時や波が荒れているときは 危険なので 干潮時の波が穏やかな時に しっかりとした靴や運動靴で来られたほうが 良いかと思います。
清正の枕石は 見ての通り 楔の跡がしっかりと残っていて 近くの岩にも ちらほら 楔の跡が見られます。
直ぐ近くの森の中にも石切り場があり そこにも楔跡が残る大きな岩があるので 時間が許される方は そちらも見てください。
が くれぐれも 波が高く 潮位が高い時には海岸線沿いでの移動は止めてくださいね。
私はついでに 知多四国88箇所(弘法さん)参り🙏も兼ねて訪れていたので(篠島には3ヶ所あります)残りの離島 日間賀島(1ヶ所)に移動してから師崎に戻ります。
篠島 日間賀島 では 🐙タコ 🐡フグ が有名で 食べて行きたい所ですが 時間がある時にゆっくりとまた来てみたい所でした。
2019年04月30日 内蔵助ポチコ
篠島城
主曲輪だったと思われる山頂は地元のパワースポットになっていました。島の周囲に全88体置かれている地蔵の第1番がここにあります。
2019年01月09日 征夷大将軍クララ姫
篠島城
【犬連れ宿泊情報】
城下の篠島なら『南風』さん、日間賀島なら『たかせ』さんなど。師崎港のパーキングに車を駐車しジェット船に乗って行けば旅行気分も↑↑です。島ならではの時間の流れ方を是非!
篠島城の周辺スポット情報
羽豆崎城(周辺城郭)
和名城(周辺城郭)
日出台場(周辺城郭)
幡豆崎天神山城(周辺城郭)
蜂屋城(周辺城郭)
天神山城(周辺城郭)
尾張藩大井烽火台(周辺城郭)
千賀屋敷(周辺城郭)
山海城山城(周辺城郭)
豊浜大城(周辺城郭)
道城山城(周辺城郭)
須佐城(周辺城郭)
城ノ山砦(周辺城郭)
鎌田屋敷(周辺城郭)
豊丘大城(周辺城郭)
城洲城(周辺城郭)
高木屋敷(周辺城郭)
師崎砲台・師崎烽火台(周辺城郭)
清正の枕石(寺社・史跡)
加藤清正 名古屋城築城の石(寺社・史跡)
天神山遺跡(寺社・史跡)
佐久島古代製塩遺跡(寺社・史跡)
羽豆神社(寺社・史跡)
塩屋遺跡(寺社・史跡)
正法禅寺(寺社・史跡)
医徳院(寺社・史跡)
正法寺(寺社・史跡)
性慶院(寺社・史跡)
岩屋寺(寺社・史跡)
正衆寺(寺社・史跡)
延命寺(寺社・史跡)
宗真寺(寺社・史跡)
西方寺(寺社・史跡)
名古屋城築城時の石切場(寺社・史跡)
師崎港駐車場 (平面駐車場)(駐車場)
師崎港立体駐車場(駐車場)
その後、南北朝自体に南朝の義良親王がこの地に漂着し宿舎とした。親王がこの地を出た後、廃城となった。
現在、石碑はあるものの、明確な遺構を確認することはできない。