千賀屋敷
千賀屋敷([篠島城 周辺城郭])
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千賀屋敷の口コミ情報
2026年08月16日 尾張守たまきち
慶長7年(1602年)千賀氏によって、廃城となっていた幡豆崎城の古材を利用して築かれた、別称∶千賀城とも呼ばれる城館跡。
千賀氏は伊予国河野氏の支流であり、南北朝時代以降、紀伊南岸沿いを東進し、志摩国千賀村に土着した水軍。越智氏を名乗っていたが、地名から千賀氏と改め、伊勢国司の北畠氏に従属した。千賀氏が知多へ来住した時期は定かではないが、1562年、千賀重親が家康より三河湾の固め及び御船奉行を命ぜられて幡豆崎城へ入った。1590年、小田原征伐の後、家康の関東移封に伴い、重親も相州三崎へ移住。1600年、関ヶ原の戦いの際、九鬼の軍船を知多より追い払うなどの働きにより、師崎・篠島・日間賀島・須佐村・片名村・乙方村内で1500石を得て、師崎に帰還。1602年、幡豆崎城を破却し、その古材を用いて字的場に千賀屋敷を築いた。1605年、知多郡は松平忠吉領になり、信親は忠吉に仕えて船奉行として清須へ勤め、重親は駿府へ勤めた。1614年、大坂冬の陣で大功をたて、三代貞信は尾張藩の船奉行として、納屋橋近くの堀川東岸に屋敷を構え、一族は明治まで続いた。
現地を訪問したところ、現在は宅地に変わり、遺構はありませんでした。住宅横に千賀家之碑が立っています。









