鳥羽城(とばじょう)

鳥羽城の基本情報

通称・別名

鳥羽の浮城、錦城、二色城

所在地

三重県鳥羽市鳥羽3

旧国名

志摩国

分類・構造

平山城、海城

天守構造

型式不明[3重/1633年築/倒壊(地震)]

築城主

九鬼嘉隆

築城年

文禄3年(1594)

主な改修者

内藤忠重

主な城主

九鬼氏、内藤氏、土井氏、稲垣氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

県史跡(鳥羽城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

坂手村砲台(三重県鳥羽市)[1.1km]
田城城(三重県鳥羽市)[3.7km]
五ヶ所城(三重県度会郡)[19.1km]
田丸城(三重県度会郡)[19.9km]
斎宮城(三重県多気郡)[21.6km]
波切城(三重県志摩市)[23.4km]
越賀城(三重県志摩市)[25.5km]
篠島城(愛知県知多郡)[26.6km]
一之瀬城(三重県度会郡)[27.4km]
松坂城(三重県松阪市)[31.1km]

鳥羽城の解説文



鳥羽城(とばじょう)は、現在の三重県鳥羽市鳥羽三丁目にあたる志摩国答志郡鳥羽にあった日本の城。鳥羽藩の藩庁が置かれた。水軍の城で、大手門が海側へ突出して築かれたため、鳥羽の浮城、また、城の海側が黒色、山側が白色に塗られていたため、二色城、錦城とも呼ばれる。三重県指定史跡。

歴史 

鳥羽城があった樋の山(志摩国答志郡鳥羽)の鳥羽湾に突出した部分には中世、橘氏の居館があった。1594年(文禄3年)当時、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆がその跡地に築城した。九鬼家3代、内藤家3代、天領、土井家1代、大給(松平)家1代、板倉家1代、戸田(松平)1代と目まぐるしく城主が代わり、1725年(享保10年)以降に稲垣家8代で漸く定着した。1854年(安政元年)に地震により城内天守以下の建物が倒壊し、修理を加えないまま、1871年(明治4年)に度会県が置県され同年に払い下げられ破却された。

現在

現在の鳥羽水族館の裏手にある低い丘が鳥羽城跡である。本丸跡は鳥羽市立鳥羽小学校[1]の運動場となっていた。山麓北側の武家屋敷跡には市役所・城山公園・旧鳥羽幼稚園[2]などが造られ、遺構は本丸と旧家老屋敷の石垣が残っている。1965年(昭和40年)12月には、三重県史跡に指定されている[3]。『極秘諸国城図』のうち鳥羽城の絵図が2018年(平成30年)に発見確認され、2019年(令和元年)に公表された[4]

天守の存在 

長らく鳥羽小学校の敷地となっていた本丸跡は2009年(平成21年)に同校が校舎の老朽化を理由に移転した事を契機に、翌年の2010年(平成22年)に天守台や本丸御殿の遺構確認を主たる理由とした発掘調査を実施した。その際に天守曲輪に関連するとみられる雨落ち溝などの遺構を確認できたものの天守台と推定される場所は削平が著しく石垣の痕跡は確認できなかった[5]。しかし2013年(平成25年)に鳥羽市立図書館で、天守の具体的な寸法が書かれた古文書が保管されていることが分かった。その古文書によると、天守の一重目と二重目は正面5間と奥行6間、三重目が3間半と3間1尺の広さを有し、四方には3尺の走りが取り付けられていた他、天守台には納戸が設けられていたという[6]

鳥羽城の口コミ情報

2024年08月13日 気分爽快豊後守
鳥羽城



今は埋め立てられてしまったが、元は周囲を海で囲まれた海城とのこと。さすが九鬼水軍の本拠地。
本丸から眺める鳥羽湾は、昔とあまり変わらないのかもしれない。
①相橋を渡ると城内
②家老屋敷の石垣
③家老屋敷の内側
④本丸石垣①
⑤本丸石垣②
⑥石垣段を上から
⑦城山公園中間の石積み
⑧城山公園

2024年04月02日 図書頭RedKing
鳥羽城



城の日週間に登城しました。義隆桜もチラホラ咲きですが4月6日(土)には満開でしょう。
立派な石垣や遺構、広大な縄張りは既に多数公開されていますから市民の憩いの場となっている城山公園の桜をご覧ください。
鳥羽駅から南に望む丘が目標の城山です。南西側、元の縄張りにはよくある市役所、神社を回って裏側からは往時のままの石垣に白壁はかつて保育所でした。その昔のご家老様の屋敷跡。公園広場からはミキモトパール始め島々が見渡せます。最寄り中之郷駅へは大手側から良く整備された散策路を通って行けます。

2024年03月22日 尾張守えりっき
鳥羽城

鳥羽の離島や伊勢湾を見渡せるお城です。清々しい気分になれますよ♪

2023年07月05日 RED副将軍
鳥羽城



九鬼水軍の頭領であった九鬼嘉隆の居城🏯⁡

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

⁡元々は橘氏の居館があった様で、永正年間(1504〜1521年)に橘宗忠は伊勢国司の北畠材親に従い取手山砦に居城を移しました。
1594年に九鬼嘉隆がその跡地に築いたのが鳥羽城とされます。
九鬼氏は、元々は北畠氏に従っていましたが、1560年には志摩の地頭のうち志摩七頭を中心とした12家が北畠具教の援助を受けて九鬼浄隆の田城城に侵攻。九鬼浄隆が戦いのなか死去すると波切城の城主であった九鬼嘉隆が家督争いを制して継承。すると九鬼嘉隆は滝川一益を介して織田信長に接近、1568年には織田信長を後ろ盾として小浜城の小浜久太郎、浦城の浦豊後守を攻め落とし、橘宗忠も娘を人質として降伏し、志摩を平定しました。そして橘宗忠の居館跡に築いたのが鳥羽城です。
その後も九鬼嘉隆は織田信長に従い、水軍を率いて各地を転戦。本能寺で織田信長が没すると豊臣秀吉に仕えて活躍しました。
1600年の関ヶ原戦いにおいては、家督を継いだ九鬼守隆は東軍に属して戦功を挙げましたが、父の九鬼嘉隆は西軍に属して鳥羽城で籠城。西軍が敗れると九鬼守隆は徳川家康に父の助命を嘆願して許されましたが結局、九鬼嘉隆は自害したとされます。
1632年に九鬼守隆が没すると家督相続争いが勃発したことにより、幕府は九鬼氏に摂津国三田へ転封させます。
1633年に代わって内藤忠重が入部し、内藤氏が三代続き、このころに現在に残る石垣造りの城郭に改修がされたようです。
その後、土井氏、大給松平氏、板倉氏、戸田松平氏と城主が目紛しく代わると、1725年に稲垣昭賢が入封すると稲垣氏が八代続き明治維新を迎えました。

⁡見所
元々は九鬼水軍の本拠地でしたが、内藤氏の時代に石垣造りの近世城郭に改修され、現在でも本丸西、南面、家老屋敷に石垣が残存しています。しかし、鳥羽小学校、鳥羽幼稚園、鳥羽市役所などの敷地となり大半が市街化により消失しています。
三の丸広場から見上げると石垣段が続いており雰囲気はありますが後世のもので遺構ではありません。

⁡現代でも鳥羽氏とキャンドル氏の合戦が激しさを増してきました⚔バチバチです✨

2023年06月07日 みその対馬守
鳥羽城



本丸西側の石垣は、野面と打込みの中間みたいで、見応えあり。本丸南側の石垣は、草が生え、わかりにくかった。鳥羽小学校も、趣きあり。相橋下の石垣も必見。

2023年01月06日 和泉石狩守
鳥羽城



城跡にLOVE❤️鳥羽 文化財の旧鳥羽小学校側にある石垣も必見

2023年01月04日 加納遠江守
鳥羽城

城内の旧鳥羽小学校は県の文化財。こちらも良いです。

2022年09月11日 国府左京大夫城介
取手山砦(鳥羽主水砦)[鳥羽城  周辺城郭]



志摩十三地頭の一つ・橘氏の居館

【歴史】
橘次郎忠宗によって、永正年間(1504~1521)に築かれたとされる。

橘(鳥羽)氏は、平安末期(保元・平治)の頃から、鳥羽城の辺りに居館を設けていたという。
戦国時代になると、橘忠宗は、伊勢守護職の北畠材親(北畠具教の祖父)に属し、志摩2郡を領し、「鳥羽殿」と呼ばれるようになり、居城を鳥羽の居館から取手山砦に移した。
永禄11年(1568)に、九鬼嘉隆の志摩平定戦において、橘主水宗忠は娘(妹?)を人質として降伏する。その後、人質となった娘は嘉隆の妻(正室)となり、後に守隆を産んでいます。橘宗忠は、九鬼氏の家臣として行動し、鳥羽の地と交換で、摂津の野田・福島七千石(第二次木津川の戦いの功により、信長から加増された土地)を領したが、まもなく鳥羽に戻り、橘祥寺を建てて隠居し、慶長10年(1587)に没した。

【遺構】
鳥羽城の北西570mにあり、日和山の南東尾根(標高60m)にあるお城です。
切岸加工された主郭と、北東尾根上にも曲輪がある。遊歩道用の橋が架かった堀切もある。

【感想】
鳥羽城をリアした後、電車までの時間に余裕があったので、アタックしました。
相橋の近くにある日和山登山道から登っていきましたが、あまり使われていないのか、少し蜘蛛の巣が張っていました。それほど急でもないので、サクサクと登れると思います。
名前に砦が付くように、あまり広くないのでサクッと見ることが出来ます。ただし、北東尾根上の曲輪は、倒木が多かったため中を確認することが出来ませんでした。

【アクセス】
①鳥羽駅の南側にある日和山登山口から徒歩で10分。
②相橋の北側にも日和山登山口があり、徒歩10分。
日和山登山口は何か所かあります。


【写真】
①説明版
②頂上部
③主郭の切岸
④主郭
⑤堀切

2022年08月17日 竹中播磨守じゅん兵衛
鳥羽城



切り返さないと曲がれない鋭角コーナーあったり、とにかく狭い急坂を対向車来ないでと祈りながら上りきると案外広い駐車スペースにたどり着きます。本丸からの眺望素晴らしいですが鳥羽水族館のアザラシ吠えまくりでした。三の丸から見上げる段々石垣はキレイです。

2022年01月23日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
鳥羽城



海側、三ノ丸より登城、積み直されていますが段上に積み上がった石垣は圧巻、二の丸を経て段積みの上より本丸切岸の野面積み算木積みも素晴らしく本丸から望む海は絶景です

時折鳥羽水族館より聞こえるアザラシ🦭の鳴き声が和みます

2021年09月12日 イオ左衛門佐
相橋[鳥羽城  遺構・復元物]



相橋は、伊勢・志摩の国境の妙慶川に架かる橋で、対岸の武家屋敷からの陸側の玄関口にあたり、相橋門が設けられていました。妙慶川は鳥羽城の堀代わりで、相橋の下には江戸期の石垣が現存しています。

2021年05月04日 青いおっさん
鳥羽城



数少ない石垣が地震による倒壊の酷さがよく分かります。

2021年04月24日 ほむら「近江守
鳥羽城



さすが九鬼嘉隆って感じです(^ω^)

海側からの守り鉄壁!眺めも良いですよ

2020年09月20日 戸沢夜叉九郎正樹
鳥羽城



18年ぶりの登城。三之丸が整備されていて、背後の段々石垣は圧巻です。

2020年09月15日 ぷれ
鳥羽城



駐車場に車が、停められなくなってます。


2019年06月30日 キラキラ光る山城守きなこ姫
鳥羽城

城山公園の北側直近に大きな海老フライや海鮮で有名な御食事処『漣』(さざなみ)鳥羽店さんがあります。駐車場も完備されていますので安心して食事後の観光が楽しめます。

2019年05月11日 国崎城一郎✨【柴田】
鳥羽城



三ノ丸広場から天守跡を見上げると、、。険しい砦が敵を威嚇します。


2019年05月08日 国崎城一郎✨【柴田】
鳥羽城



天守跡野面積みの石垣。
石材は海岸部で採取されたカンラン岩と千枚岩。桜の古木が沢山あり、廃城感と相まって寂びを感じました。

2019年05月08日 国崎城一郎✨【柴田】
鳥羽城



昔の栄華が偲ばれる天守跡に奥の本丸跡。武士の声が聞こえてくる様ですね。
鳥羽湾や市内を一望出来る天守跡からの眺めは抜群です。

2018年12月25日 玉手箱刑部卿
鳥羽城

①車は迷惑にならないよう、どっかに停めて、まずは三の丸付近のケース内にあるパンフをゲット。
②階段を登り、広〜い本丸跡と、本丸跡に残る石垣を堪能。本丸南側に残る石垣の取水口跡は、チェックを忘れずに。
③武家屋敷跡の石垣もチェック。フムフムフム。
九鬼水軍が、こんなにすごい石垣を築いた理由を考えると、夜も眠れません(笑)。
あと、二ノ丸?にある♥TOBAのオブジェは、いただけません!(八幡山城でも見たな〜)


2017年11月07日 織田上総介晃司
鳥羽城

三の丸広場・九鬼家家紋の幕の脇に2台ほど駐車可能の駐車場に停め登城。

岩村城の六段壁の上をいく七段壁は鳥羽湾を通る船から見ると巨大な高石垣に見えたそうです。

以前、小学校があり本丸跡はグラウンドとして使用してた為遺構は少なくなってますが、所々に石垣が残ってます。

若君・姫君は鳥羽水族館。奥方は真珠のほうに興味があるかも…

鳥羽から二見に進むと二見シーパラダイスと夫婦岩があり、さらに安土城模擬天守があります。

城に詳しくない人は「すげぇー!」と思うでしょうし、「なぜここに安土城が?」と思う人もいると思いますが伊勢安土桃山文化村の施設のひとつになります。

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
鳥羽城

説明の看板があります。
あまり、観光客はいませんでしたが、ちらほらと数人は散歩してたり城跡として訪れてる人はいました。
裏から登ると市役所みたいな施設がありました。
表から登ると城感のある構えで、城跡来た雰囲気味わえます。
眺めはいいです。


2016年03月02日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
鳥羽城

海賊大名、九鬼嘉隆。彼の生涯を見ると本当に興味深く面白いと思い今回はここと決めました。近鉄線鳥羽駅の4番出口から南に線路沿いに行き中京銀行を左に進むと鳥羽城入口の城山公園があります。公園を過ぎて石段を登ったら二の丸、三の丸、最深部に本丸跡です。一番の見所は三の丸の野面積の雛段状の曲輪です。三の丸入口に駐車スペース2台分あります。また城の北の泪橋からは明慶川に海水を引いた堀跡が残ってます。海城の匂いはあまり感じられませんが中之郷駅から百五銀行を周りこむと埋め立てしただろう跡が•••。堀跡と思います。戻って本丸上から見る眺望は山城から見るのと違い潮風と合わさり超気持ちいいですよ(^o^) 本丸上に模擬天守でもあればもっといいのにと思います。
九鬼一族も関ヶ原で親子が敵味方に別れて戦い、西軍の嘉隆は敗れて鳥羽沖の登志島
で切腹したとの事。子の守隆を死なせないようにとの親心かと思いました。_(._.)_



2016年01月13日 いち
鳥羽城

本丸跡というよりグラウンド跡ですねえ。
旧小学校が廃墟のまま残ってるし。
ただ、二の丸辺りまで綺麗に整備されているので
天守復活できないかなあ、景色が凄くいい場所。
十分元は取れそうだけど。

2014年07月25日 コロ助
鳥羽城

鳥羽駅から徒歩7分程。本丸は小学校の運動場として利用されていたらしく遺構は多くありませんが、鳥羽湾を見下ろせ、ロケーションは良いです。本丸西側の石垣は立派でした。

昨日訪れたのですが、ビニールテープやシートが張られている箇所があり不思議に思っていたら、今日7/25鳥羽湾花火の為の場所とりだったみたいです。城跡から眺める花火、羨ましいです。

2012年11月10日 OHMSS井村
鳥羽城

今の鳥羽城跡は綺麗に整備され、春には九鬼嘉隆祭りも開催、この秋からは松坂城址と伊賀上野城とのスタンプラリーも始まりました。

2012年02月20日 ひろり
鳥羽城

現説での写真をUP。
天守台の石垣、との事です。

2011年02月28日 シャア専用ゲルググ尾張守
鳥羽城

鳥羽城跡に建てられた、旧鳥羽小学校が廃校になったまま放置されてます。
山頂の本丸跡が運動場跡に…。廃墟な感じがドキドキします

鳥羽城の周辺観光情報

カモメの散歩道

鳥羽駅前から海岸沿いに続くウッドデッキの遊歩道。海を眺めながら、気持ちよく歩くことができる。2005年「日本グッドデザイン賞」を受賞している。

詳細はこちら

情報提供:鳥羽市観光課

鳥羽城の周辺スポット情報

 大井戸跡(雄井戸)(遺構・復元物)

 本丸跡(遺構・復元物)

 本丸御殿跡(遺構・復元物)

 天守跡(遺構・復元物)

 本丸石垣(遺構・復元物)

 家老屋敷跡(遺構・復元物)

 相橋(遺構・復元物)

 ラブリー鳥羽(碑・説明板)

 鳥羽城跡案内図(碑・説明板)

 取手山砦(鳥羽主水砦)(周辺城郭)

 九鬼嘉隆の首塚(寺社・史跡)

 大山祗神社(寺社・史跡)

 鳥羽市観光案内所(御城印)

 男女トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 家老屋敷前 駐車場(駐車場)

 城山公園(関連施設)

 夫婦岩(その他)

 安土城天守閣(再現)(その他)

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