波切城(なきりじょう)

波切城の基本情報

通称・別名

波切砦、波切九鬼城

所在地

三重県志摩市大王町波切

旧国名

志摩国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

川面氏

築城年

南北朝時代後期

主な改修者

主な城主

川面氏、九鬼氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

越賀城(三重県志摩市)[9.9km]
田城城(三重県鳥羽市)[19.8km]
五ヶ所城(三重県度会郡)[20.0km]
鳥羽城(三重県鳥羽市)[23.4km]
坂手村砲台(三重県鳥羽市)[24.0km]
一之瀬城(三重県度会郡)[29.5km]
田丸城(三重県度会郡)[34.5km]
斎宮城(三重県多気郡)[38.8km]
三瀬砦(三重県多気郡)[45.6km]
篠島城(愛知県知多郡)[45.9km]

波切城の解説文

波切城(なきりじょう)は、三重県志摩市大王町波切にあった城。

立地 

志摩地域の最も東となる大王崎の南端に位置する。標高25mで、北に広がる現在の集落との比高は10mである。大王崎灯台に隣接する地であることから、ここが海上交通上、重要な地であることが分かる。

概要 

灯台の南西、海に面した平坦面に土塁の一部かもしれない地形が残る。公園化されているため、他の遺構は判然としない。

主郭は地形に合わせた形状で、10×20mほどの規模である。北に土塁(高さ0.5~2.5m・2.6m)と思われる高まりが残り、南に折れてコの字状になる。北東隅は方形にしようという意識がうかがえる。比高6mの北西隅に開口する。改変は大きいが、ここ以外に虎口を考えることはできず、本来のものとしてよいであろう。北下方には削平段があったようにもみえるが、改変が大きく断定できない。

交通 

大王崎灯台を目指して進む。有料駐車場から歩いて灯台に向かう途中にある。

参考文献 

・『再発見 志摩、南伊勢の城』伊藤徳也、2015年。

情報提供:志摩市歴史民俗資料館


波切城の口コミ情報

2024年04月11日 RED副将軍
波切城



岬の地形を利用した九鬼水軍の海城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。南北朝時代後期に在地土豪である川面氏により築かれたとされます。
1360年代に紀伊国より侵攻した九鬼隆良が制圧。
1363年に九鬼隆良が改修し居城としたと云われます。
四代当主の九鬼泰隆が田城城に居城を移した後も拠点として存続しました。
六代当主の九鬼嘉隆が志摩国全域を支配し、1594年に鳥羽城を築城して移るまで九鬼氏の本拠地でありましたが、その後に廃城となった様です。

見所
志摩半島東南端の大王崎から南西に突き出た海岸段丘を天然の要害として築かれています。現在は八幡さん公園として整備されています。
太平洋を見下ろす断崖上であり、熊野灘と伊勢湾を航行する廻船を監視する要衝として機能したことが分かります。
すぐ近くに大王崎灯台があり、併せて訪れることをオススメします。

2023年01月30日 やまぴぃ
波切城



昨日、志摩地方に城攻めに行き、波切城に寄りました。大王崎灯台のすぐ横にありました。記念碑しかありませんでしたが、城址からの眺めは素晴らしく、太平洋が見渡せて絶景でした。

記念碑以外に何かないかと灯台付近を歩いていたら、石垣らしきもの?を発見。岩壁一帯が石垣だとすれば、結構な規模の城だったのではないかと推察します。そんなことを想像しながら、一帯を散策するのもいいものです。城攻め三年生ですが、まだまだ知らないことが多く奥深いですね。面白くなってきました。

2023年01月01日 京極三河守景清
波切城



年末のお昼に波切城址から見た光景です。太平洋が遠くまで見えてオススメです。この場所に城を作ったことに納得しました。

2022年11月07日 ふうふう
波切城



大王崎灯台直下の漁港に駐車場があります(¥300)。海路の要衝で、古くより波切九鬼城が設置されたことが納得できる絶好の立地です。
漁港の干物屋は味もコスパも最高で、店のお母さんは心温まる丁寧な対応をしてくれます。コロナで観光客が激減しているようです。地域活性化のためにもリア攻めをお勧めします。

2022年06月06日 Yana中務大輔
波切城



城跡の石碑は本丸への階段の途中にありました。

2021年10月21日 萌魏摂政叡声
波切城



大王埼灯台の近くなので、灯台目指せば着きます。八幡さん公園に城碑があります。尚、灯台は、登頂できます。(2021年10月現在300円、ミュージアムあり)

2021年09月17日 イオ右近衛中将
仙遊寺[波切城  寺社・史跡]



仙遊寺は、波切九鬼氏三代・隆次が菩提寺として建立した寺で、境内奥には隆次、泰隆ら波切九鬼氏の五輪塔が安置されています。

2021年09月17日 イオ右近衛中将
大王埼灯台[波切城  その他]



大王埼灯台からは、海に突き出た岬の断崖絶壁の上に築かれた波切城が一望でき、視界いっぱいに広がる太平洋といい、有料(大人300円)ながらも訪れる価値は充分にあります。

時間に余裕がある方は、灯台の隣の大王埼灯台ミュージアムもどうぞ。少しだけですが波切城についても触れられています。

2021年09月16日 イオ右近衛中将
波切城



南北朝後期に九鬼隆良が居城として築いた城で、四代・泰隆が居城を田城城に移した後も拠点として存続しました。九鬼嘉隆は波切城の生まれとされ、波切城主として田城城の兄・浄隆とその子・澄隆を支えましたが、後に本拠地を鳥羽城に移したことにより波切城は廃城となりました。

志摩半島東南端の大王崎の突端に位置し、太平洋を見下ろす断崖の上に築かれています。主郭は展望公園(八幡さん公園)として整備され、北辺に土塁、北西部に虎口が設けられ、北辺の切岸にはわずかに石積みも見られました(遺構か後世のものかはよくわかりませんが)。虎口の下には城址碑(小さな説明板付き)が建てられています。

2021年04月10日 大宰大弐たろすけ
波切城



波切城 九鬼水軍が築いたらしい。大王崎沖を監視してたのか?櫓が合った曲輪なのかどうか絵描きの聖地になってます。

2016年03月02日 シバヤン左兵衛督忠肝義胆
波切城

鳥羽城の後、九鬼一族発祥の城、波切城に向かいました。鳥羽駅から賢島行きに乗車して鵜方駅で下車、御座港行きバスに乗り魚市場で降りたら大王崎灯台が見えます。波切城はその隣りに海に突き出るようにあります。土塁、僅かな石垣が垣間見えるだけでした。しかし大王崎灯台へ行き入館料200円を払い灯台最上階から外縁に出てお城を見て下さい!打ち寄せる波を物ともせずに海に向かってます。圧巻の景観です!限りなく続く海原に一匹狼のような波切城にこの城の当主の男意気を感じました。
ここは海を航海する者にとっては難所であり九鬼一族の志摩国近くを通る船を見張るには必要だったのでしょう。
見張り櫓のような建造物があったと思われます。
この城の下の魚市場では干物作りが盛んで
たくさんの猫を見ました。鵜方に戻るバスは1時間に一本位なので注意が必要です。また無料駐車スペースはありません。一時間300円位の有料駐車があります。港近くに九鬼一族の墓がある仙遊寺があります。そちらも合わせて三カ所一緒に見学されてはどうでしょうか?
灯台最上階からの360度見える眺望は時間を忘れるほど素晴らしいですよ(^o^)


2016年01月16日 永眠武蔵守釋 葱進
波切城

波切城のある大王崎灯台へは近鉄鵜方駅からバス利用となります(御座港ゆき、灯台バス停まで約20分470円。1~2時間に一本運転)
バス停からは魚屋(牡蠣や伊勢えびなど焼いてくれますよ)の前を通り灯台へ向かう途中に「八幡さま公園」があり、そこが城跡となります。公園にはお社と(城や九鬼家に関係ない)銅像が建っています。
ここまで来たら、灯台まで足を伸ばし昇ってみて下さい(入場料200円)。断崖絶壁に造られた波切城の様子をよく見ることができます。

2015年05月09日 【隠者】史学会帰新参
波切城

城跡は大王埼灯台に行く途中にあります。灯台の南西に位置します。城跡から大王崎灯台は歩いてすぐ着きます。

現在は公園になっていて、城跡の公園から見晴らしはいいです。城跡を示す石碑があり簡単な説明文があります。城跡を利用して公園になっていますが、城跡は改変されていてどの程度遺構が残るか不明です。曲輪の雰囲気は残っていると思います。岬の突端の地形は今でもよく残ります。

大王崎周辺の駐車場は300円で有料でした。無料の駐車場はないみたいです。駐車場から灯台周辺はトイレ水道が何ヶ所かあります。
わざわざ城跡の為だけに行くのではなく、大王崎灯台に行くついでに城跡を見るのがいいかと思います。

波切城の周辺スポット情報

 波切九鬼城跡の石碑(碑・説明板)

 国府城(周辺城郭)

 仙遊寺(寺社・史跡)

 大王埼灯台(その他)

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