田城城(たじょうじょう)
田城城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 三重県鳥羽市岩倉町字城山
旧国名
- 志摩国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 九鬼泰隆
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 九鬼氏
廃城年
- 天正10年(1582)
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- 市史跡(田城々跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
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田城城の解説文
田城城の口コミ情報
2022年09月08日 RED副将軍
田城城
鳥羽侵攻を狙った九鬼氏の本拠地🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
始まりは在地土豪の田城左馬之助による築城とも伝えられていますが、1541年に九鬼嘉隆の祖父である九鬼泰隆により築城されたとも云われています。
四代当主の九鬼泰隆は伊勢国司の北畠氏に臣従して神官と争い、その功績によって二見七郷と加茂五郷を与えられました。そして波切城から田城城へ本拠地を移し、鳥羽侵攻を目指しました。
九鬼泰隆が没すると、五代定隆、六代浄隆が家督を継承し勢力を拡大していきます。
九鬼氏の勢力拡大を恐れた在地土豪の相差・和具・小鹿・安楽島・甲賀・国府・浜島の七党が北畠氏の支援を受けて田城城を攻め込みましたが、一度は追い払います。
しかし、九鬼浄隆が急逝し、その子である九鬼澄隆が家督を継ぐと再び七党が攻め寄せて落城しました。
一時は九鬼氏は没落しますが、浄隆の弟で波切城主九鬼嘉隆は、甥である澄隆を補佐し、織田信長の家臣で伊勢侵攻を命じられた滝川一益に接し臣従。織田水軍の将として活躍しました。
織田信長が北畠氏を滅ぼすと、九鬼嘉隆は志摩七党に攻撃し、追放または自害に追い込み志摩を平定。田城城も取り戻して城主となりました。
これにとどまらず、1582年には九鬼嘉隆は鳥羽主水に当主の九鬼澄隆を暗殺させ自らが当主となりました。織田信長が九鬼嘉隆に九鬼家の家督を継ぐように命じたことによる暗殺劇とも云われています。
1585年から九鬼嘉隆は鳥羽城の築城を始め、完成すると鳥羽城に移り、田城城は廃城となった様です。
1600年の関ケ原の戦いにおいては、九鬼嘉隆は西軍に付き田城城に入り、東軍に付いた嫡男の九鬼守隆のと一戦を交えたとも伝わります。
見所
主郭には九鬼岩倉神社が鎮座。
九鬼嘉隆が兄の子である澄隆を暗殺したため、その怨霊を鎮めるため九鬼惣領権現が祀られています。
加茂川と河内川が合流する丘陵に築かれていましたが、採土により丘陵は削られており遺構はほぼ消失。小高い地形が往時を偲ばせます。
2021年09月13日 イオ左衛門佐
田城城
戦国後期に波切城主・九鬼泰隆が鳥羽進出のために築いた城で、その孫・浄隆の代に北畠氏の支援を受けた志摩七党と呼ばれる地頭たちに攻められ、戦の最中に浄隆が病死(討死とも)し、まだ幼い澄隆が家督を継いで叔父・嘉隆の補佐を受けるも落城。澄隆と嘉隆は朝熊山に落ち延びました。その後、織田信長に仕えた嘉隆が北畠氏を破ったことで、澄隆は田城城を回復しましたが、九鬼氏の実権を嘉隆に握られたまま病死(嘉隆による毒殺とも)し、嘉隆が本拠を鳥羽城に移したことで廃城となりました。
加茂川と河内川に三方を囲まれた丘陵地に築かれた城で、かつては周囲は湿地帯だったようです。国道の九鬼岩倉神社前交差点近くに石鳥居があり、その脇に田城城跡の標柱と説明板があります。鳥居をくぐり階段を上って行くと神社の境内に至ります。ここが主郭のようです。東西に細長く広がる主郭の北辺と南辺には土塁(状の土盛り)が見られ、東奥に九鬼岩倉神社の社殿が建てられています。
九鬼岩倉神社は嘉隆の子・守隆が澄隆を祭神として祀ったとされますが、そうせずにいられないあたりが毒殺説を裏付けているようにも思えます。ともあれ、訪れた日(2021/08/01)も氏子の方々が境内の整備をしておられました。今なお大切にされているようです。
2017年05月14日 伊勢守せんとくん
田城城
近鉄加茂駅を降りてすぐ、畑仕事をしているオジサンに、田城城の行き方を尋ねたら、「この辺に城はありません! 城なら鳥羽にあります!」との返答が!
地元の認識でもこんなものなのかと思いました。
地元の人でもわからないから自力でと更に歩いたら、丘が見えたから近づいたら、田城城の説明板がありました。
2015年07月19日 たけお美濃守
田城城
一見ただの小さな丘に見えとても城とは思えませんが、実は結構歴史的に重要な場所です。志摩国の大名だった九鬼嘉隆が甥の九鬼澄隆を暗殺し、領主としての地位を確立した場所とされています。現在は神社となっており、神聖な雰囲気を漂わせています。みなさんにも是非その雰囲気を味わってもらいたいものです。
田城城の周辺スポット情報
田城城址解説看板&碑(碑・説明板)
崎山城(周辺城郭)
九鬼岩倉神社(寺社・史跡)
贄遺跡(寺社・史跡)
その後、幼少の澄隆を城主として叔父である嘉隆が支えこの城を守った。
その後、嘉隆は澄隆を暗殺し城主となるが、鳥羽城に移り住んでからは廃城となった。現在は、当時を偲ぶものは殆ど残っておらず、土塁の一部とみられる高まりが残存するのみで、澄隆の冥福を祈って九鬼岩倉神社が祀られている。