田城城(たじょうじょう)

田城城の基本情報

通称・別名

所在地

三重県鳥羽市岩倉町

旧国名

志摩国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

九鬼泰隆

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

主な城主

九鬼氏

廃城年

天正10年(1582)

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

市史跡(田城々跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

鳥羽城(三重県鳥羽市)[3.7km]
坂手村砲台(三重県鳥羽市)[4.6km]
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田城城の解説文

波切の九鬼氏が鳥羽に進出するにあたり、天文年間(1532~1553)に4代目の泰隆が居城をこの地に築いたとされる。泰隆の子定隆を経て淨隆は戦中に病死した。

その後、幼少の澄隆を城主として叔父である嘉隆が支えこの城を守った。

その後、嘉隆は澄隆を暗殺し城主となるが、鳥羽城に移り住んでからは廃城となった。現在は、当時を偲ぶものは殆ど残っておらず、土塁の一部とみられる高まりが残存するのみで、澄隆の冥福を祈って九鬼岩倉神社が祀られている。

情報提供:鳥羽市教育委員会生涯学習課

田城城の口コミ情報

2021年09月13日 イオ紀伊守
田城城



戦国後期に波切城主・九鬼泰隆が鳥羽進出のために築いた城で、その孫・浄隆の代に北畠氏の支援を受けた志摩七党と呼ばれる地頭たちに攻められ、戦の最中に浄隆が病死(討死とも)し、まだ幼い澄隆が家督を継いで叔父・嘉隆の補佐を受けるも落城。澄隆と嘉隆は朝熊山に落ち延びました。その後、織田信長に仕えた嘉隆が北畠氏を破ったことで、澄隆は田城城を回復しましたが、九鬼氏の実権を嘉隆に握られたまま病死(嘉隆による毒殺とも)し、嘉隆が本拠を鳥羽城に移したことで廃城となりました。

加茂川と河内川に三方を囲まれた丘陵地に築かれた城で、かつては周囲は湿地帯だったようです。国道の九鬼岩倉神社前交差点近くに石鳥居があり、その脇に田城城跡の標柱と説明板があります。鳥居をくぐり階段を上って行くと神社の境内に至ります。ここが主郭のようです。東西に細長く広がる主郭の北辺と南辺には土塁(状の土盛り)が見られ、東奥に九鬼岩倉神社の社殿が建てられています。

九鬼岩倉神社は嘉隆の子・守隆が澄隆を祭神として祀ったとされますが、そうせずにいられないあたりが毒殺説を裏付けているようにも思えます。ともあれ、訪れた日(2021/08/01)も氏子の方々が境内の整備をしておられました。今なお大切にされているようです。

2017年05月14日 越後の鹿✨せんとくん
田城城

近鉄加茂駅を降りてすぐ、畑仕事をしているオジサンに、田城城の行き方を尋ねたら、「この辺に城はありません! 城なら鳥羽にあります!」との返答が!
地元の認識でもこんなものなのかと思いました。
地元の人でもわからないから自力でと更に歩いたら、丘が見えたから近づいたら、田城城の説明板がありました。

2015年07月19日 たけお尾張守
田城城

一見ただの小さな丘に見えとても城とは思えませんが、実は結構歴史的に重要な場所です。志摩国の大名だった九鬼嘉隆が甥の九鬼澄隆を暗殺し、領主としての地位を確立した場所とされています。現在は神社となっており、神聖な雰囲気を漂わせています。みなさんにも是非その雰囲気を味わってもらいたいものです。

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