赤司城(あかじじょう)

赤司城の基本情報

通称・別名

所在地

福岡県久留米市北野町赤司

旧国名

筑後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

赤司永直?

築城年

鎌倉時代

主な改修者

田中清政

主な城主

赤司氏、秋月氏、田中氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

西鯵坂城(福岡県小郡市)[4.6km]
高良山神籠石(福岡県久留米市)[7.6km]
発心城(福岡県八女市)[7.6km]
乙隈城(福岡県小郡市)[8.8km]
久留米城(福岡県久留米市)[9.7km]
朝日山城(佐賀県鳥栖市)[11.1km]
鷹取城(福岡県八女市)[12.3km]
基肄城(佐賀県三養基郡)[13.3km]
勝尾城筑紫氏城館(佐賀県鳥栖市)[14.1km]
秋月城(福岡県朝倉市)[14.7km]

赤司城の口コミ情報

2021年07月07日 龍馬備中守【】
赤司城



福岡県の久留米市にある【赤司城】☆歴史詳細が載っていなかったので口コミにアップします☆

今は閑静な住宅地になっています☆

築城年代は不明ですが赤司城は赤司八幡宮一帯に築かれた平城です☆赤司永直によって築かれたとされています☆
この城郭の主要部にある赤司八幡宮の前身は平安時代以前からと云われていて、雰囲気を醸し出しています☆
北は福岡、太宰府方面に向かう街道が走り、東は20キロも行けば豊後国への入り口、更には西は肥前国と交通の要衝地として勢力争いが繰り広げられ度々戦火によって焼失しています☆これを防ぐ為に八重の堀と七重の築地を巡らした城郭が形成されていました☆
残っていたらワクワクしますね♪
が、今は宅地により消失していますが名残を残しています☆
江戸時代になると久留米城主・田中吉政の家臣・田中左馬尉清政が城主になりましたが一国一城令で廃城となってしまいました☆

南の納骨堂辺りが本丸で一段高くなっています☆道路は堀の名残りとして、赤司八幡宮と段差を付けます☆陣屋川の支流の池田川が緩くS字を描く場所の北側が城郭となります☆
治水地図で確認すると今と川の形が変わっているのが判ります☆見れる方は見てみて下さいね♪昔の方がやっぱり堅固な印象です☆

2021年07月02日 龍馬備中守【】
下高橋城[赤司城  周辺城郭]



福岡県の太刀洗町にある下高橋城♪中世の豪族【高橋氏】の居住跡で現在の竈門神社境内を中心とした一帯が城郭跡で「木戸」「構口」「屋敷」などの地名と北・西・南を巡る堀が残っていました☆

この高橋氏の祖は大蔵春実で藤原純友の乱の平定の手柄により上高橋・今・鵜木・下高橋のエリアを領地としました☆
「筑後国史」には『平城なり、縦53間、横25間、東に広さ3間の堀あり。西にまた2つあり。一つは広さ3間半、一つは2間の堀あり。二の丸は縦43間、横20間、東西に広さ3間、南に2間の堀がある。高橋三河守鑑種先祖より続きたる采地の城なり。鑑種、大友の賞によって筑前岩屋の城を賜りこれに移る。』と残っていて高橋氏が生きた証拠が残ります♪
この地名をとって【高橋氏】と名乗って行く訳ですが室町時代の高橋長種には跡継ぎが無くて豊後の戦国大名・大友宗麟は名家の絶える事を惜しみ一族の一万田右馬助に高橋家の家名を継がせ高橋三河守鑑種と名乗らせました☆その後の高橋氏は居城を上高橋からこの下高橋の地に移し筑前・岩屋城に身を移すまでココを居城としていました☆境内に残る宝篋印塔は「高橋様」と呼ばれ、高橋氏ゆかりのモノと伝わります♪
因みに高橋紹運は筑後・岩屋城と宝満城の2城とこの高橋家を継ぎます☆
最後は…筑後・岩屋城で島津軍と戦い…玉砕しました☆

今は城郭は宅地開発により遺構は消失☆ただ、堀の名残は残しています☆
そんな高橋城と高橋氏の話でした☆

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