松崎城

松崎城([赤司城  周辺城郭])

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松崎城の口コミ情報

2022年04月13日 龍馬備中守【】


福岡県の小郡市にある【松崎城】♪街中に溶け込んだ城郭の本丸は現在高校の敷地内にあたります☆

宝満川の中流と太刀洗川に挟まれる形で山隈原の台地に立地する松崎町の地名の由来としては古来より筑紫平野が有明海に連なる入海だった時に海中に突き出した岬に松が生い茂っていた事と伝わります☆

近世になって築かれた、この城郭は寛文11年(1671年)有馬豊祐が築城します♪
初めは、柳川藩領(田中氏)に属しましたが、その後に久留米藩領から松崎藩領へ♪
幕府天領に属しながら再び久留米藩領へと松崎藩は、あっちこちの藩領を転々としました☆

久留米2代藩主・有馬忠頼は子がいなかった為に妹の嫁ぎ先である但馬国は出石藩の小出吉重の子・豊範を養子に貰い受けます☆が、その後に有馬頼利等の子が出来た為、有馬豊祐は松崎に1万石を分与され、この松崎藩を立藩(横隈、津古、三沢、力武、大保、大板井、大崎、寺福童、山隈、乙隈、干潟、吹上、井上、上岩田、下岩田、稲吉、鵜木、高樋村の19か村)しています♪

後に松崎藩・有馬氏は改易(有馬豊祐は実姉の夫である陸奥窪田藩主・土方雄隆のお家騒動を親族として仲裁しなかった事を咎められた)になり、松崎藩は江戸幕府に没収され天領へとなっていますが、再び本藩である久留米藩へ返還されました☆

陣屋町としては短い期間の機能ではありましたが、松崎往還の重要な宿駅として栄え御茶屋(本陣)も置かれました☆

残る遺構としては北溝口(北枡形)、南溝口に石垣遺構を残します♪桜馬場と呼ばれる長い直線道に出丸、濠の名残など街中ハントには、うってつけの城郭です☆
城内には倉稲魂神社が建立されていますが、コレは藩主・有馬豊祐が京都の伏見より分霊しています♪

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