秋月城(あきづきじょう)
秋月城の基本情報
通称・別名
- 杉本城、(秋月陣屋)
所在地
- 福岡県朝倉市秋月野鳥
旧国名
- 筑前国
分類・構造
- 平城、(陣屋)
天守構造
- 不明
築城主
- 秋月種雄
築城年
- 建仁3年(1203)
主な改修者
- 黒田長興
主な城主
- 秋月氏、黒田氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、長屋門、大手門、石垣、横堀(水堀)
指定文化財
- 県史跡(秋月城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
古処山城(福岡県朝倉市)[3.5km]
益富城(福岡県嘉麻市)[10.4km]
乙隈城(福岡県小郡市)[11.3km]
麻底良城(福岡県朝倉市)[12.0km]
松尾城(福岡県朝倉郡)[12.1km]
阿志岐山城(福岡県筑紫野市)[12.1km]
宝満城(福岡県太宰府市)[14.3km]
赤司城(福岡県久留米市)[14.7km]
有智山城(福岡県太宰府市)[15.1km]
高野山城(福岡県飯塚市)[15.8km]
秋月城の解説文
[引用元:Wikipedia「秋月城」の項目]
秋月城(あきづきじょう)は、福岡県朝倉市野鳥にあった江戸時代の日本の城(平城・陣屋)である。秋月陣屋(あきづきじんや)ともいう[1]。城跡は福岡県指定史跡に指定され、本門(黒門)と長屋門が県指定有形文化財に指定されている。
概要
鎌倉時代の1203年(建仁3年)に秋月種雄が古処山に築いたと伝わる古処山城山麓にあった秋月氏宅所(杉本城)跡を利用して、1624年(寛永元年)に黒田長興により築かれた。
秋月氏宅所「杉本城」は、現在の秋月陣屋付近に戦国時代に所在したとされるが、発掘調査等で確認されておらず正確な所在地はよくわかっていない [2]。
黒田氏による秋月城築城の際には古処山城の廃材等も利用して建てられたという。
福岡藩の支藩秋月藩の藩庁であり、黒田氏が居城していた。一筋に掘られた堀と石垣を築き二重櫓や平櫓を5基建て並べていた[3]。
明治時代に廃城となり払い下げられた後、現在跡地には黒田長興を祀った垂裕神社が建てられている。堀、石垣、裏門であった長屋門、旧本門(大手門)である黒門が垂裕神社の神門として移築され現存する[4]。なお、黒門は古処山城の搦手門を移築したとの伝承もあるが、江戸時代前期の建築と考えられている。
歴史
- 1203年(建仁3年)- 秋月種雄が古処山城(秋月城)を築城。
- 戦国時代 - 秋月氏16代秋月種実の時代、大友宗麟に何度か攻められるも、毛利元就の援軍もあり撃退、秋月氏は最盛期を迎える。
- 1587年(天正15年)- 九州征伐に乗り出した豊臣秀吉に敗れ、秋月氏は日向国高鍋に移封される。これにより、古処山城(秋月城)と秋月氏宅所は廃城となる。
- 1624年(寛永元年)- 福岡藩主黒田長政の三男、黒田長興が福岡藩2代忠之より夜須・下座・嘉麻の範囲で5万石を分封され、長興は九州征伐以降に廃城となっていた秋月氏宅所を大幅に改修し、陣屋を置く。以後、黒田氏12代が明治時代まで治める。
- 1873年(明治6年)- 廃城令によって廃城となり一部を残して撤去される。
- 1961年(昭和36年)4月18日- 本門(黒門)と長屋門が県指定有形文化財に指定。
- 1980年(昭和55年)3月1日-「秋月城跡」として県の史跡に指定。
現在
現在、秋月城跡は朝倉市立秋月中学校となっており、生徒が通う現役の木造校舎の佇まいは城下町秋月のシンボルとなっている。
参考文献
- 平井聖ほか 1979「秋月陣屋」「古処山城」『日本城郭大系』第18巻(福岡・熊本・鹿児島)pp.75-76
- 福岡県教育委員会 2014『福岡県の中近世城館跡Ⅰ-筑前地域編1-(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/72561)』福岡県文化財調査報告書 第249集 pp.14-15
- 「古処山城」pp.85-89
- 「秋月陣屋」pp.144-146
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秋月城の口コミ情報
2022年05月30日 龍馬備中守【】
小鷹城[秋月城 周辺城郭]
福岡県の筑前町にある【小鷹城】♪
目配山から南へ派生した尾根の先端頂部で標高213.2mの小鷹城山に築城されました♪
城郭がある、弥永は南北朝時代に見える名となります☆安楽寺領注進状案に『弥永名』と記されていて一時、安楽寺領になっています☆安楽寺は太宰府天満宮の敷地内にあった、お寺さんです♪寺領から戦国時代には秋月氏に取り込まれる形で城郭は存在しました♪
築城年代は不明ですが戦国時代に楢原備後守高利という土豪により築城されたと伝わります♪楢原備後守はその後、秋月種実に臣従してから、ココ小鷹城は、秋月氏の出城として機能しています♪秋月24城の1つに数えられていて、城番には秋月氏の重臣・内田善兵衛、深江伯耆守が当てられていました☆
秋月氏のトレードマークである畝状竪堀群がハッキリと残っていました☆
後、岩盤堀切もありました♪
2022年05月29日 龍馬備中守【】
大涼寺[秋月城 寺社・史跡]
福岡県の朝倉市の秋月にある【大涼寺】♪城郭ではありません、お寺さんです♪秋月と言えば、中世は秋月氏、近世からは…黒田氏ですね♪
秋月山 浄仙院 大涼寺は秋月初代藩主・黒田長興が母 大涼院の菩提を弔うために建立したお寺さんです♪大涼院は信濃国衆・保科正直の娘で栄姫☆徳川家康の姪にあたります♪
大涼院様のお墓を撮り忘れました…w
いずれも秋月黒田家の大切なお寺は今も脈々と受け継がれています♪
2022年05月29日 龍馬備中守【】
古心禅寺[秋月城 寺社・史跡]
福岡県の朝倉市の秋月にある【古心禅寺】♪城郭ではありません、お寺さんです♪秋月と言えば、中世は秋月氏、近世からは…黒田氏ですね♪
古心禅寺は秋月藩・黒田家の菩提寺となります♪秋月藩初代藩主・黒田長興(黒田長政と栄姫の次男)が父の菩提を弔う為に建立しました☆廃藩置県後に黒田家の庇護を離れたために本堂を甘木の光照寺へ移し山門を弥永の浄光寺に移しています☆
『東陽院殿前甲斐太守五峰宗因大居士』
中央に置かれた秋月初代藩主・黒田長興のお墓です♪福岡藩初代藩主・黒田長政の遺言で5万石が分与され秋月藩は立藩しました♪
古心禅寺の西側の道は秋月街道の千手宿へ向かう『新八丁越』の街道の登り口になります♪この先は『八丁口』と呼ばれ番所が設けられていました〜♪
秋月黒田家の方々が安らかに眠っておられました♪
2022年05月28日 龍馬備中守【】
稲荷山城[秋月城 周辺城郭]
福岡県の朝倉市にある【稲荷山城】♪秋月氏の24城の1城は秋月氏の家臣・古賀平左衛門が居城としたと伝わります♪
秋月荒平城の谷を挟み南西に伸びた低山に城郭は築かれました☆
秋月氏は古処山城を詰めに、秋月荒平城を里城、秋月城を平時の居館としてこの付近を防衛強化♪近辺には秋月・安川・立石などに9城が所在します☆
この稲荷山城は城郭というよりは、あくまでも砦だったのだろうと感じさせる城域です♪
その規模は小さいながらも、東側の山肌斜面には畝状竪堀群を設けています☆北尾根に深い堀切を一条設け北側の防御を強化しています☆畝状竪堀群で斜面を守る☆流石秋月系の城郭といった趣です♪
山麓には日限地蔵院が残ります☆この地蔵院は江戸時代に黒田家の家臣・後藤他門が参勤交代の際に腸チフスと言う大病をわずらい、江戸の松秀寺で日限地蔵尊に祈願して一命を取り留めたと伝わっていて、帰国後に再び江戸に上りその御分身をもらい安置したのが始まりといわれています☆
もう一つ田中天満宮が残っているのですが、中世秋月氏の家臣で、稲荷山城主・古賀平左衛門の屋敷内にあったと伝わっています♪
島原の乱出陣の際、秋月藩祖・黒田長政の三男、黒田長興の武運祈願が成就された為、黒田長重の代になって島原の方向に社殿を向けて再建されていて、歴代藩主がたびたび参拝に訪れました☆また、明治9年には秋月士族(秋月党)の集合場所として幕末明治の動乱の歴史舞台となった場所でもあります☆
石垣の写真は日限地蔵院の寺院石垣です♪
景色の写真は、城郭より、お寺を挟んで後ろ側が荒平城です☆
2022年05月27日 龍馬備中守【】
荒平城[秋月城 周辺城郭]
福岡県の朝倉市にある【秋月・荒平城】の主郭♪戦国時代に入ると秋月氏は少弐氏の配下として動きましたが、少弐氏が周防国・大内義隆と争って敗れると大内氏の配下に☆大内義隆が家臣の陶晴賢に殺された後は豊後・大友氏の配下となります☆家臣・陶晴賢に下剋上を受けた大内氏☆コレにより、長らく周防を牛耳った大内氏は弱体化からの毛利氏により滅ぼされます☆次は安芸国・毛利氏の勢力が北九州にまで進出☆戦国往時、当主は秋月文種の時、大友氏から離反し毛利氏と手を結び対抗しました☆が、大友軍の猛攻に遭い秋月文種と嫡子の秋月晴種は討ち死…秋月氏は一時、滅亡しちゃいます…。。秋月文種の次男・秋月種実は毛利氏の元に落ち延び後に毛利氏の庇護の下で再興を果たし大友氏に対し反抗☆更に耳川の戦いで(大友氏🆚島津氏)大友氏が衰退すると薩摩国の島津氏と手を結んで勢力を拡大☆一時期は筑前に六郡、筑後に四郡、豊前に一郡と推定36万石にも及ぶ広大な勢力範囲を築き上げた秋月氏の最盛期を作り上げました☆国衆・秋月氏ですが、よもや、戦国大名ほどの力を持っていたという訳です☆秀吉の九州平定では島津氏に属し豊臣勢に最後まで抵抗した秋月氏☆総勢20万人という圧倒的な大軍で侵攻してきた秀吉☆秋月氏は服従していくしか、生き残る道は無かった…☆秋月種実は名器『楢柴肩衝』を献上する事で降伏し許されましたが秋月の本領安堵は成らず…日向国高鍋に移封☆関ヶ原の戦いでは秋月種実の子・秋月種長は西軍に属し大垣城を守備☆本戦では西軍が敗れると東軍に内応して大垣城にて反乱を起こしていて木村由信を殺害しています☆関ヶ原戦後に功績を認められて徳川家康から所領を安堵♪その後の秋月氏は江戸時代を通じて日向高鍋藩として存続していきました☆秋月・荒平城、主郭♪主郭で目を見張るのが鋭い切岸に主郭東側の大堀切♪荒平山を加工した土木量は素晴らしく郭II〜Ⅴを併せ持つとやっぱ只者では無い秋月氏です♪城郭は現在国道322号に分断される形になりますが、その城域は広大であり往時の秋月氏の支配地域として力強さを感じることができます♪更に秋月城を中心に、詰めに古処山城、里城にこの荒平城を持ち、秋月二十四城が周囲を堅めます♪国衆が造るエリアにしては圧巻の統治力です☆やっぱり、秋月氏には戦国大名クラスの力があったと考えます♪島津氏と組み最後まで太閤秀吉に抵抗しただけの事はあります♪
2022年05月26日 龍馬備中守【】
荒平城Ⅱ[秋月城 周辺城郭]
福岡県の朝倉市にある【秋月・荒平城】♪秋月氏は古処山城を詰城にしてココ、荒平城を退隠居城、もしくは里城とした国衆であります☆引き続き秋月・荒平城でお送りしています♪
動乱に突入して行く頃の秋月氏☆南北朝時代には北朝方の足利尊氏が新政府に謀叛を起こし京都を制圧しました☆但し北畠氏や楠木氏らに敗れた足利尊氏は京都を逃れ九州へ☆
再起を狙います☆
尊氏は九州の有力者達、少弐氏、大内氏、島津氏らを従えて宗像神社に入ります♪
これに対して、南朝方の菊池氏、阿蘇氏らを中心とする九州宮方が兵を北上させていて多々良浜に陣を張りました☆この陣所には秋月種道も参加していて南朝方として戦っています☆
双方の兵力は南朝方が3万、北朝方の尊氏軍は大将級が揃っているとはいえ1千にも満たないものだった様ですが…。尊氏はみじめな敗北を喫するよりは自刃しようとしますが、弟の足利直義に諌められ、自らが兵を指揮し
戦います☆戦況は兵力に勝る宮方の優勢に進んで行きますが、松浦党が尊氏方に転じた事で、ついに南朝方は総崩れになりました☆
菊池氏は退却…阿蘇氏は肥前小城まで逃れたところで討死しちゃいました…
秋月種道も戦線を離脱しましたが太宰府まで落ちた所で追手に囲まれ自刃…
その後足利尊氏はこの九州の地で勢力を挽回し、京都を制圧したのです☆
秋月種道は先述の戦で自刃してしまいましたが、この秋月・荒平城を中心とした秋月氏の流れは戦国時代へと続いていきます…
城郭が発展進化する理由ってやっぱ動乱なんです☆生きるか、死ぬか?になった時に城郭は鋭くなる☆
北部九州の城郭が、スンゴイの揃いなのは…後に秀吉が九州へ攻め入るタイミングに必然的にそうならざるを得なかったのでしょう♪秋月荒平城もそうなんだろうな〜☆
今日は秋月・荒平城の郭II・Ⅲ一緒に☆
やっぱり畝状竪堀群〜♪
秋月氏を象徴する遺構ですね♪
次はいよいよ主郭なり〜♪
2022年05月24日 龍馬備中守【】
荒平城Ⅳ郭[秋月城 周辺城郭]
福岡県の朝倉市にある【秋月・荒平城】♪秋月氏は古処山城を詰城にしてココ、荒平城を退隠居城、もしくは里城とした国衆であります♪
この秋月氏の歴史は古くて後漢霊帝の後裔を称する渡来系の古代氏族の大蔵氏を遠祖としています♪
源頼朝の鎌倉時代にココ、秋月荘を賜っていて地名の秋月姓を称したと云われています☆
秋月氏の始まりは秋月種雄が、古処山城を築いたと伝えられていて平時の居館は山麓の荒平城だった様です☆筑陽記には『古処山は秋月氏の本城なり、里城を荒平山に置く』と記されていて、今ありし、古処山城に、荒平城は後に攻めて来る豊臣秀吉らに備えて拡大、拡張されたものなのでしょうね☆
秋月種雄の孫・秋月三郎種家の時に『蒙古の襲来』が起こり、秋月種家は弘安の役には手勢を率いて博多に出陣して功を挙げていて、秋月氏は名声を轟かせています☆
今日は荒平城Ⅳ郭となります♪南側の山肌斜面には畝状竪堀群がビッシリと詰まっております☆南側の先端部に取り付けられた、この郭は大手なのかなぁ〜?と言う印象を受けています☆郭群には古いお地蔵様、お墓(江戸時代のお墓)が並びます☆
2022年05月23日 龍馬備中守【】
荒平城Ⅴ郭[秋月城 周辺城郭]
福岡県の朝倉市にある【秋月・荒平城】♪ 秋月氏は古処山城を詰城にしてココ、荒平城を退隠居城、もしくは里城とした国衆であります♪退隠居城にしては、防御が凄すぎる為、秋月城と周辺を守る為の里城なのでしょう☆
その、城域は果てし無くデカくて、急足でも3時間〜4時間位はかかります☆
城郭は国道322号線で分割されていて、1番高所の主郭から派生した3本の尾根を加工していて、大きく分けると5つの郭からなる
戦闘要塞です☆
秋月氏の特徴であり代表的な畝状竪堀群をこれでもか!!という位に使用しています♪
秋月荒平城は、1回の口コミでは、載せきれない為、この5つの郭(通常なら城郭レベル)と秋月氏の歴史と共に5回に分けて口コミします♪
先ずは主郭から1番西側の郭からお送り致します♪縄張り図でいう、Ⅴ郭の場所になります♪鋭い切岸に畝状竪堀群が見所です♪
2022年04月03日 yuicha左衛門尉
秋月城
満開は過ぎたようですが、城址までの桜のトンネルは健在でした。現在も中学校として使われているようです。風情のある校舎でした。週末とはいえ、多くの人出、古い街並みで車の移動は大変ですが、狭い範囲に多くの宗派のお寺があり、時間があるとゆっくり散策できるところです。17時にはほとんど閉館します。早い時間のお出掛けがおすすめです。
2022年03月31日 隆兄
秋月城
500mの桜並木が満開でした。静かな雰囲気が葉室麟さんの小説の世界です。
2021年05月09日 大蔵丞けんちん
秋月城
お寺の駐車場もありました。
食事すれば、停められます。
高菜ごはんおにぎりとくずきりは美味しい。
2021年03月21日 中務少輔はなしろちゃん
秋月城
初めて口コミします。先ほど書いた物を手違いで消してしまい申し訳ないです。
秋月城跡に秋月中学校が建っています。緑の中のしっとりした落ち着いたところです。
桜並木もあり、もみじが多かったので、時期により道も駐車場も混むそうです。
黒門が残っていました。
近くに、秋月藩5万石黒田家の菩提寺の古心寺があります。
2021年03月05日 天塩守こうちゃん播磨の守♡
秋月城
秋月城下は観光地になってますので🅿は勿論有ります。
公共交通機関利用の方なら甘木駅(甘木鉄道・西鉄共に)甘木観光バス・秋月線に乗車して「博物館前」バス停が最寄りになります。乗車時間20分程です。
2021年02月07日 ヒデタカ対馬守
荒平城[秋月城 周辺城郭]
この城跡は山城好きにはたまらん(^_^)
曲輪・竪堀・石垣・堀切・虎口・土塁・水場が山城に全て揃っています‼︎
2020年11月14日 みず
秋月城
甘木鉄道の甘木駅隣にある案内所でレンタサイクルあります。普通自転車は1日500円ロードタイプもありました。駅前から約40-50分で秋月城に到着します。県道500~322号線は自転車走行には不向きです。小石原川を挟んで側の道を走行しましょう。県道は歩道も路側帯もありません。大型トラックがバンバン走っているので。本当に危ないです!
2019年11月17日 じょーうん豊前守
荒平城[秋月城 周辺城郭]
秋月氏が里城として使用してた城。尾根を断ち切る深い堀切、主郭には一部石垣が見れる。高い切岸も見れますが整備されてないのでちゃんとした装備でいくことをおすすめします。
2018年08月13日 織田上総介晃司
秋月城
城下町に数台停めれる駐車場が多くあります(ほとんどが1回300円)
秋月城跡は秋月中学校の敷地となってます。
長屋門と垂裕神社に移築された黒門が現存してます。
落ちついた城下町で桜の頃と紅葉の頃訪れると風情があります。
ただ桜の頃は渋滞を覚悟しておいてください。
2012年02月12日 大宰少弐ためぞう
秋月城
桜の名所として有名で、春には観光客でごった返します。それでも桜のトンネルは一見の価値あり。