秋月城(あきづきじょう)

秋月城の基本情報

通称・別名

杉本城、(秋月陣屋)

所在地

福岡県朝倉市秋月野鳥

旧国名

筑前国

分類・構造

平城、(陣屋)

天守構造

不明

築城主

秋月種雄

築城年

建仁3年(1203)

主な改修者

黒田長興

主な城主

秋月氏、黒田氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、長屋門、大手門、石垣、横堀(水堀)

指定文化財

県史跡(秋月城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

古処山城(福岡県朝倉市)[3.5km]
益富城(福岡県嘉麻市)[10.4km]
乙隈城(福岡県小郡市)[11.3km]
麻底良城(福岡県朝倉市)[12.0km]
松尾城(福岡県朝倉郡)[12.1km]
阿志岐山城(福岡県筑紫野市)[12.2km]
宝満城(福岡県太宰府市)[14.3km]
赤司城(福岡県久留米市)[14.7km]
有智山城(福岡県太宰府市)[15.1km]
高野山城(福岡県飯塚市)[15.8km]

秋月城の解説文



秋月城(あきづきじょう)は、福岡県朝倉市野鳥にあった江戸時代の日本の城(平山城・陣屋)。秋月陣屋(あきづきじんや)ともいう[1]。城跡は福岡県指定史跡に指定され、本門(黒門)と長屋門が県指定有形文化財に指定されている。

概要 

鎌倉時代の1203年(建仁3年)に秋月種雄が古処山に築いたと伝わる古処山城山麓にあった秋月氏宅所(杉本城)跡を利用して、1624年(寛永元年)に黒田長興により築かれた。

秋月氏宅所「杉本城」は、現在の秋月陣屋付近に戦国時代に所在したとされるが、発掘調査等で確認されておらず正確な所在地はよくわかっていない [2]

黒田氏による秋月城築城の際には古処山城の廃材等も利用して建てられたという。

福岡藩の支藩秋月藩の藩庁であり、黒田氏が居城していた。一筋に掘られた堀と石垣を築き二重櫓や平櫓を5基建て並べていた[3]

明治時代に廃城となり払い下げられた後、現在跡地には黒田長興を祀った垂裕神社が建てられている。堀、石垣、裏門であった長屋門、旧本門(大手門)である黒門が垂裕神社の神門として移築され現存する[4]。なお、黒門は古処山城の搦手門を移築したとの伝承もあるが、江戸時代前期の建築と考えられている。

歴史 

  • 1203年(建仁3年)- 秋月種雄が古処山城(秋月城)を築城。
  • 戦国時代 - 秋月氏16代秋月種実の時代、大友宗麟に何度か攻められるも、毛利元就の援軍もあり撃退、秋月氏は最盛期を迎える。
  • 1587年(天正15年)- 九州征伐に乗り出した豊臣秀吉に敗れ、秋月氏は日向国高鍋に移封される。これにより、古処山城(秋月城)と秋月氏宅所は廃城となる。
  • 1624年(寛永元年)- 福岡藩主黒田長政の三男、黒田長興が福岡藩2代忠之より夜須・下座・嘉麻の範囲で5万石を分封され、長興は九州征伐以降に廃城となっていた秋月氏宅所を大幅に改修し、陣屋を置く。以後、黒田氏12代が明治時代まで治める。
  • 1873年(明治6年)- 廃城令によって廃城となり一部を残して撤去される。
  • 1961年(昭和36年)4月18日- 本門(黒門)と長屋門が県指定有形文化財に指定。
  • 1980年(昭和55年)3月1日-「秋月城跡」として県の史跡に指定。

現在 

現在、秋月城跡は朝倉市立秋月中学校となっており、生徒が通う現役の木造校舎の佇まいは城下町秋月のシンボルとなっている。

交通アクセス 

  • 甘木鉄道甘木線・西鉄甘木線甘木駅より甘木観光バス秋月線に乗車し、「博物館前」下車徒歩6分(500m)。
  • マイカーの場合、大分自動車道甘木インターチェンジから約10㎞。
  • 周辺に有料駐車場あり

参考文献 

  • 平井聖ほか 1979「秋月陣屋」「古処山城」『日本城郭大系』第18巻(福岡・熊本・鹿児島)pp.75-76
  • 福岡県教育委員会 2014『福岡県の中近世城館跡Ⅰ-筑前地域編1-(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/72561)』福岡県文化財調査報告書 第249集 pp.14-15

秋月城の口コミ情報

2023年07月25日 龍造寺筑後守シュン
秋月城



秋月城周辺には有料駐車場がいくつかありますが、どこも大きくないです。周辺の街並みも情緒があり、散策しても楽しめます。リア攻めポイントは秋月中学校隣の広場です。

2023年07月03日 RED副将軍
上秋月城[秋月城  周辺城郭]



秋月二十四城のひとつに数えられる秋月氏家老の坂田氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代等の詳細は不詳。
秋月城の支城であり、秋月二十四城の一つに数えられます。秋月氏の家老であった坂田氏の居城であったと云われます。

見所
秋月城から約200m南にある丘陵上に築かれていたとされ、現在の秋月八幡宮一帯が城跡とされます。
主郭部の遺構はほとんど残っていませんが、北側の池を回り込んだ尾根先端部が出丸とされ、茶畑となっていますが、東側の茶月橋が架かっている部分に大堀切が残り、南側に土塁が残っています。

2023年06月13日 RED副将軍
福嶽城[秋月城  周辺城郭]



秋月二十四城のひとつに数えられる秋月城の支城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。秋月氏によって築かれた秋月城の支城で秋月二十四城のひとつに数えられます。秋月氏の重臣である福武美濃守の居城であったと伝わります。1615年の一国一城令により廃城となりましたが、時櫓が城跡に置かれ、秋月城下に時を知らせる鐘が吊されていました。

見所
秋月城から西側にある標高175mの山から東へ伸びる尾根の先端に築かれています。現在は、宮地嶽神社が鎮座しNTTドコモの基地局ともなっています。城跡らしい削平地が広がりますが、どこまでが城域なのかは分からなかったです。

駐車場は近くに見当たらなかったので秋月城のついでに歩いて訪城するのがオススメです。

2023年03月18日 RED副将軍
休松城(安見ヶ城)[秋月城  周辺城郭]



秋月氏と大友氏との激戦があった休松合戦の舞台の城跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。大友氏、秋月氏に利用された所謂境目の拠点。1557年、秋月氏の本拠地であった古処山城に大友宗麟が攻め寄せ、古処山城は落城。秋月文種は自刃、秋月種実は毛利氏を頼って落ち延びました。永禄年間(1558年~1570年)に秋月種実は毛利氏の支援を受けて本拠地の古処山城を奪還します。

秋月氏は勢力を取り戻し、1567年に大友氏重臣であった高橋鑑種は大友宗麟に反旗を翻した際に、秋月種実は高橋鑑種に味方して挙兵。これを受けて大友宗麟は秋月討伐のため大軍を古処山城に差し向けます。大友勢は、先陣として道場山に吉弘鑑理、福嶽城に臼杵鑑速、後陣としてこの休松城に戸次鑑連が布陣しました。

秋月氏は、吉弘鑑理、臼杵鑑速の陣に夜襲をかけます。敗走する兵を追って休松城に攻め込み大友勢を撃退しました。これが休松合戦と呼ばれる激戦です。秋月氏は、休松の戦いで勝利しましたが大友氏の勢力には敵わず、1569年には再び大友氏に従いました。休松城は秋月城の支城となり、秋月二十四城のひとつに数えられます。

見所
標高300mの安見ヶ城山に築かれています。山頂に主郭を置き、主郭から北側尾根に二郭、東に伸びた尾根に三郭が連なる連郭式。主郭と二郭は土塁で区切られ中央に平虎口が開口。二郭北側は堀切と竪堀で防御線が張られています。

三郭南側には桝形虎口、その先には畝状竪堀が配されています。遺構は薄めですが、動線を考えると結構凝った造りとなっておりマニア向けの城郭です。写真は心眼でお願いします。

行き方は、北側の国道322号から林道が通っているため簡単に辿り着くことができます。

写真
①②主郭と二郭を隔てる土塁、虎口
③二郭北側の堀切
④主郭
⑤主郭部の鋭い切岸
⑥三郭の虎口
⑦三郭南側の畝状竪堀
⑧登城口

2023年01月15日 じょーうん出雲守
腹切岩(恵利暢堯殉節の地)[秋月城  寺社・史跡]

九州征伐の際、先に豊臣軍を見た秋月家臣恵利暢堯は秋月種実に豊臣軍に和睦するように言ったが聞き入れられず、この岩の上で妻と子供を刺しその後切腹したと伝えられてます。

2022年11月16日 大内周防守毛利
休松城(安見ヶ城)[秋月城  周辺城郭]



休松城(やすみまつじょう)と読みます。休松城は秋月氏の本拠地のある盆地南側の通り道の東側に位置する。

『筑前国続風土記』によると永禄10年(1567)に大友勢が秋月種実を攻めた際に戸次鑑連(立花道雪)が入城し、秋月勢が夜襲を仕掛け、大友勢との間で激戦となった「休松合戦」の舞台となりました。戦いは夜襲を受けたのちに鑑連は古処山城の城下まで反撃し、その後山隈城まで撤退しました。この大友勢の敗北が筑前国の情勢を不安定なものにした要因の一つと考えられます。

休松城の縄張り図は「福岡県の中近世城館跡」などに記載されている片安氏の縄張り図がありますが、実際に休松城に行き、縄張り図と比較してみると曲輪の構造や土塁、堀の数の見落としが多く見られます。

主郭北側の土塁囲みの曲輪は保存状態が良く、さらに土塁囲みの曲輪の北に接する曲輪は馬出しのような機能を持っていたことが考えられます。主郭東側の曲輪の東端には竪堀とそれから変化した虎口があり、また縄張り図にはありませんが真ん中あたりにも枡形状の虎口があります。枡形状虎口と東端虎口の間には畝状空堀が4条ほど見受けられました。

かなり技術的に優れた城郭で縄張り図で見た以上に素晴らしいお城ですのでおすすめします。

写真
 ①主郭虎口
 ②土塁囲みの曲輪
 ③主郭東側の枡形状の虎口
 ④土塁囲みの曲輪と出曲輪の間の虎口

2022年11月03日 カツ
秋月城



駐車場がないので近くのパーキングを利用する必要があります。

2022年09月02日 龍馬備中守【】
福嶽城[秋月城  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【福嶽城】♪別名・観音嶽城と呼びます♪秋月城の西側の標高175mの山から東へ伸びる尾根の先端に城郭は築かれています♪
現在は宮地嶽神社が祀られています⛩

築城年代は不明ですが、秋月氏によって築城されたと伝わります♪秋月二十四城の1城で家臣・福武美濃守の居城となります☆

江戸時代の一国一城令の際に廃城になり、秋月の城下町に時を知らせる鐘が吊された時櫓が置かれ、秋月城や城下町に時を知らせていました☆

福嶽城からの展望の写真は眼下に城下町、奥の山は秋月氏の詰城の古処山城、麓に秋月城は居館が見えます♪

2022年09月01日 龍馬備中守【】
秋月藩南御殿[秋月城  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【秋月藩南御殿】♪上秋月城の南麓に築かれた御殿となります♪周囲には石垣が残っています☆

文久3年の(1863年)に秋月黒田藩の当主・黒田長徳が築城を始め、明治初年(1868年)頃に完成したと伝わります♪その後は明治29年(1896年)の秋月藩南御殿の跡に上秋月・尋常小学校が建てられています☆昭和47年(1972年)に観音山の秋月小学校に移転するまで77年間余り小学校があったという歴史を残しています☆
御殿跡が小学校♪羨ましい限りですね😋

往時、黒船来航以来、揺れ動いた日ノ本☆
国内は攘夷派、佐幕派、開国派と別れ幕末から明治維新に移行する時期☆秋月藩南御殿はどっちに揺れ動いたのか❓また追々調べてみようと思います♪
比較的、新しい遺構となりますが、石垣は明瞭に残っていました♪

あとあと、同場所には疱瘡塔が残ります☆
コレは江戸時代に天然痘で亡くなった方々を供養していると云われています☆
実は寛政2年(1790年)この国で初めて天然痘の予防接種が成功しています♪秋月藩医、緒方春朔は上秋月大庄屋である天野甚左衛門の子に種痘を行っています☆藩主・黒田長舒は秋月藩医、緒方春朔をバックアップ♪此れにより種痘は全国へと広がっています☆凄い事ですね〜☆

2022年08月31日 龍馬備中守【】
上秋月城[秋月城  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【上秋月城】♪🏯別名を坂田城と呼びます♪
現在、秋月八幡宮を含む一帯が城域と云われています☆主君・秋月氏の秋月城の南西側に位置し秋月城を守る様に城郭は存在しました♪築城年代は不明ではありますが、秋月氏の家臣・坂田越後守の居城と伝わります♪この上秋月城は秋月二十四城の1城にもなっています♪荒平城、福獄城、稲荷山城と共に秋月城の南側、西側の要になっていたのでしょうね♪

秋月氏の本姓は大蔵氏です♪大蔵氏は後漢の霊帝の玄孫高貴王が日本に帰化したのに始まると伝承される程の名族であります♪
その末裔の大蔵春実が平安時代に伊予で反乱を起こした藤原純友の討伐に功績をあげていて、その恩賞で筑前国御笠郡原田を所領として与えられています♪此れにより九州に土着♪当初は『原田氏』と称しました♪秋月氏の祖と云われるのが原田氏です☆原田氏は平家の家人でした☆
他にも九州に土着しているのが、松浦氏や蒲池氏などもですが、逞しくこの地に根を張り生き抜いた国衆であります☆

戦国時代には薩摩国・島津氏と共に豊臣秀吉に最後まで抵抗を続けましたが…多勢に無勢☆大軍で押し寄せた秀吉軍に敗戦しています☆往時の当主・秋月種実は名器『楢柴肩衝』を献上する事で降伏は許されていますが、本領安堵とはならず…日向国高鍋に移封されています☆

大堀切に土塁など残っています♪城域とされる秋月八幡宮には石垣が残っていますが、コレは神社のものだと思われます☆が、古いタイプの石垣でした☆

因みに秋月八幡宮は946年の創建と伝わる歴史のある神社です♪940年に朝廷に謀反を起こした藤原純友の追捕使として、この地に来た大蔵春実が、神功皇后の旧地とされる宮の丘で戦運を祈願したところ、たちまち純友の乱を平定する事ができた事から、この地に武人の守護神として神社を建立したことが起源と云われています♪この秋月八幡宮は一時は衰退しちゃいますが江戸時代の秋月藩の初代藩主・黒田長興の時代に本殿や拝殿の改修が行われていて再び多くの崇敬を集める神社となりました♪

2022年08月22日 横山日向守忠篤
秋月城



お盆が過ぎた時期に来たせいか凄く人が少なく、何故か当日凄くノンビリ見て回りました。
秋月城の周辺には駐車場も多く整備されており、有料とはいえ時間でなく1回入庫300円なので一度入れてればほぼ一日ゆっくり回れますよ。
秋や春は多分多いんだろなぁwww

2022年07月30日 薩摩相模守義弘維新斎
秋月城



福岡藩の支藩である秋月藩5万石の秋月城址。
城跡は、甘木鉄道甘木線の甘木駅から甘木観光バス・秋月線で行けます。
ここは、現在秋月中学校となっていますが、外から堀、石垣、長屋門、黒門を見ることができます。
景観としては、桜のシーズンや紅葉のシーズンが冴えるでしょう。
石垣が苔生して時代を感じること間違いないと思います。

2022年05月30日 龍馬備中守【】
小鷹城[秋月城  周辺城郭]



福岡県の筑前町にある【小鷹城】♪
目配山から南へ派生した尾根の先端頂部で標高213.2mの小鷹城山に築城されました♪

城郭がある、弥永は南北朝時代に見える名となります☆安楽寺領注進状案に『弥永名』と記されていて一時、安楽寺領になっています☆安楽寺は太宰府天満宮の敷地内にあった、お寺さんです♪寺領から戦国時代には秋月氏に取り込まれる形で城郭は存在しました♪

築城年代は不明ですが戦国時代に楢原備後守高利という土豪により築城されたと伝わります♪楢原備後守はその後、秋月種実に臣従してから、ココ小鷹城は、秋月氏の出城として機能しています♪秋月24城の1つに数えられていて、城番には秋月氏の重臣・内田善兵衛、深江伯耆守が当てられていました☆

秋月氏のトレードマークである畝状竪堀群がハッキリと残っていました☆
後、岩盤堀切もありました♪

2022年05月29日 龍馬備中守【】
大涼寺[秋月城  寺社・史跡]



福岡県の朝倉市の秋月にある【大涼寺】♪城郭ではありません、お寺さんです♪秋月と言えば、中世は秋月氏、近世からは…黒田氏ですね♪
秋月山 浄仙院 大涼寺は秋月初代藩主・黒田長興が母 大涼院の菩提を弔うために建立したお寺さんです♪大涼院は信濃国衆・保科正直の娘で栄姫☆徳川家康の姪にあたります♪
大涼院様のお墓を撮り忘れました…w

いずれも秋月黒田家の大切なお寺は今も脈々と受け継がれています♪

2022年05月29日 龍馬備中守【】
古心禅寺[秋月城  寺社・史跡]



福岡県の朝倉市の秋月にある【古心禅寺】♪城郭ではありません、お寺さんです♪秋月と言えば、中世は秋月氏、近世からは…黒田氏ですね♪

古心禅寺は秋月藩・黒田家の菩提寺となります♪秋月藩初代藩主・黒田長興(黒田長政と栄姫の次男)が父の菩提を弔う為に建立しました☆廃藩置県後に黒田家の庇護を離れたために本堂を甘木の光照寺へ移し山門を弥永の浄光寺に移しています☆

『東陽院殿前甲斐太守五峰宗因大居士』
中央に置かれた秋月初代藩主・黒田長興のお墓です♪福岡藩初代藩主・黒田長政の遺言で5万石が分与され秋月藩は立藩しました♪

古心禅寺の西側の道は秋月街道の千手宿へ向かう『新八丁越』の街道の登り口になります♪この先は『八丁口』と呼ばれ番所が設けられていました〜♪
秋月黒田家の方々が安らかに眠っておられました♪

2022年05月28日 龍馬備中守【】
稲荷山城[秋月城  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【稲荷山城】♪秋月氏の24城の1城は秋月氏の家臣・古賀平左衛門が居城としたと伝わります♪

秋月荒平城の谷を挟み南西に伸びた低山に城郭は築かれました☆
秋月氏は古処山城を詰めに、秋月荒平城を里城、秋月城を平時の居館としてこの付近を防衛強化♪近辺には秋月・安川・立石などに9城が所在します☆

この稲荷山城は城郭というよりは、あくまでも砦だったのだろうと感じさせる城域です♪
その規模は小さいながらも、東側の山肌斜面には畝状竪堀群を設けています☆北尾根に深い堀切を一条設け北側の防御を強化しています☆畝状竪堀群で斜面を守る☆流石秋月系の城郭といった趣です♪

山麓には日限地蔵院が残ります☆この地蔵院は江戸時代に黒田家の家臣・後藤他門が参勤交代の際に腸チフスと言う大病をわずらい、江戸の松秀寺で日限地蔵尊に祈願して一命を取り留めたと伝わっていて、帰国後に再び江戸に上りその御分身をもらい安置したのが始まりといわれています☆

もう一つ田中天満宮が残っているのですが、中世秋月氏の家臣で、稲荷山城主・古賀平左衛門の屋敷内にあったと伝わっています♪
島原の乱出陣の際、秋月藩祖・黒田長政の三男、黒田長興の武運祈願が成就された為、黒田長重の代になって島原の方向に社殿を向けて再建されていて、歴代藩主がたびたび参拝に訪れました☆また、明治9年には秋月士族(秋月党)の集合場所として幕末明治の動乱の歴史舞台となった場所でもあります☆

石垣の写真は日限地蔵院の寺院石垣です♪
景色の写真は、城郭より、お寺を挟んで後ろ側が荒平城です☆

2022年05月27日 龍馬備中守【】
荒平城[秋月城  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【秋月・荒平城】の主郭♪戦国時代に入ると秋月氏は少弐氏の配下として動きましたが、少弐氏が周防国・大内義隆と争って敗れると大内氏の配下に☆大内義隆が家臣の陶晴賢に殺された後は豊後・大友氏の配下となります☆家臣・陶晴賢に下剋上を受けた大内氏☆コレにより、長らく周防を牛耳った大内氏は弱体化からの毛利氏により滅ぼされます☆次は安芸国・毛利氏の勢力が北九州にまで進出☆戦国往時、当主は秋月文種の時、大友氏から離反し毛利氏と手を結び対抗しました☆が、大友軍の猛攻に遭い秋月文種と嫡子の秋月晴種は討ち死…秋月氏は一時、滅亡しちゃいます…。。秋月文種の次男・秋月種実は毛利氏の元に落ち延び後に毛利氏の庇護の下で再興を果たし大友氏に対し反抗☆更に耳川の戦いで(大友氏🆚島津氏)大友氏が衰退すると薩摩国の島津氏と手を結んで勢力を拡大☆一時期は筑前に六郡、筑後に四郡、豊前に一郡と推定36万石にも及ぶ広大な勢力範囲を築き上げた秋月氏の最盛期を作り上げました☆国衆・秋月氏ですが、よもや、戦国大名ほどの力を持っていたという訳です☆秀吉の九州平定では島津氏に属し豊臣勢に最後まで抵抗した秋月氏☆総勢20万人という圧倒的な大軍で侵攻してきた秀吉☆秋月氏は服従していくしか、生き残る道は無かった…☆秋月種実は名器『楢柴肩衝』を献上する事で降伏し許されましたが秋月の本領安堵は成らず…日向国高鍋に移封☆関ヶ原の戦いでは秋月種実の子・秋月種長は西軍に属し大垣城を守備☆本戦では西軍が敗れると東軍に内応して大垣城にて反乱を起こしていて木村由信を殺害しています☆関ヶ原戦後に功績を認められて徳川家康から所領を安堵♪その後の秋月氏は江戸時代を通じて日向高鍋藩として存続していきました☆秋月・荒平城、主郭♪主郭で目を見張るのが鋭い切岸に主郭東側の大堀切♪荒平山を加工した土木量は素晴らしく郭II〜Ⅴを併せ持つとやっぱ只者では無い秋月氏です♪城郭は現在国道322号に分断される形になりますが、その城域は広大であり往時の秋月氏の支配地域として力強さを感じることができます♪更に秋月城を中心に、詰めに古処山城、里城にこの荒平城を持ち、秋月二十四城が周囲を堅めます♪国衆が造るエリアにしては圧巻の統治力です☆やっぱり、秋月氏には戦国大名クラスの力があったと考えます♪島津氏と組み最後まで太閤秀吉に抵抗しただけの事はあります♪

2022年05月26日 龍馬備中守【】
荒平城Ⅱ[秋月城  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【秋月・荒平城】♪秋月氏は古処山城を詰城にしてココ、荒平城を退隠居城、もしくは里城とした国衆であります☆引き続き秋月・荒平城でお送りしています♪

動乱に突入して行く頃の秋月氏☆南北朝時代には北朝方の足利尊氏が新政府に謀叛を起こし京都を制圧しました☆但し北畠氏や楠木氏らに敗れた足利尊氏は京都を逃れ九州へ☆
再起を狙います☆
尊氏は九州の有力者達、少弐氏、大内氏、島津氏らを従えて宗像神社に入ります♪

これに対して、南朝方の菊池氏、阿蘇氏らを中心とする九州宮方が兵を北上させていて多々良浜に陣を張りました☆この陣所には秋月種道も参加していて南朝方として戦っています☆

双方の兵力は南朝方が3万、北朝方の尊氏軍は大将級が揃っているとはいえ1千にも満たないものだった様ですが…。尊氏はみじめな敗北を喫するよりは自刃しようとしますが、弟の足利直義に諌められ、自らが兵を指揮し
戦います☆戦況は兵力に勝る宮方の優勢に進んで行きますが、松浦党が尊氏方に転じた事で、ついに南朝方は総崩れになりました☆

菊池氏は退却…阿蘇氏は肥前小城まで逃れたところで討死しちゃいました…

秋月種道も戦線を離脱しましたが太宰府まで落ちた所で追手に囲まれ自刃…
その後足利尊氏はこの九州の地で勢力を挽回し、京都を制圧したのです☆

秋月種道は先述の戦で自刃してしまいましたが、この秋月・荒平城を中心とした秋月氏の流れは戦国時代へと続いていきます…

城郭が発展進化する理由ってやっぱ動乱なんです☆生きるか、死ぬか?になった時に城郭は鋭くなる☆
北部九州の城郭が、スンゴイの揃いなのは…後に秀吉が九州へ攻め入るタイミングに必然的にそうならざるを得なかったのでしょう♪秋月荒平城もそうなんだろうな〜☆
今日は秋月・荒平城の郭II・Ⅲ一緒に☆
やっぱり畝状竪堀群〜♪
秋月氏を象徴する遺構ですね♪
次はいよいよ主郭なり〜♪

2022年05月24日 龍馬備中守【】
荒平城Ⅳ郭[秋月城  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【秋月・荒平城】♪秋月氏は古処山城を詰城にしてココ、荒平城を退隠居城、もしくは里城とした国衆であります♪

この秋月氏の歴史は古くて後漢霊帝の後裔を称する渡来系の古代氏族の大蔵氏を遠祖としています♪
源頼朝の鎌倉時代にココ、秋月荘を賜っていて地名の秋月姓を称したと云われています☆
秋月氏の始まりは秋月種雄が、古処山城を築いたと伝えられていて平時の居館は山麓の荒平城だった様です☆筑陽記には『古処山は秋月氏の本城なり、里城を荒平山に置く』と記されていて、今ありし、古処山城に、荒平城は後に攻めて来る豊臣秀吉らに備えて拡大、拡張されたものなのでしょうね☆

秋月種雄の孫・秋月三郎種家の時に『蒙古の襲来』が起こり、秋月種家は弘安の役には手勢を率いて博多に出陣して功を挙げていて、秋月氏は名声を轟かせています☆

今日は荒平城Ⅳ郭となります♪南側の山肌斜面には畝状竪堀群がビッシリと詰まっております☆南側の先端部に取り付けられた、この郭は大手なのかなぁ〜?と言う印象を受けています☆郭群には古いお地蔵様、お墓(江戸時代のお墓)が並びます☆

2022年05月23日 龍馬備中守【】
荒平城Ⅴ郭[秋月城  周辺城郭]



福岡県の朝倉市にある【秋月・荒平城】♪ 秋月氏は古処山城を詰城にしてココ、荒平城を退隠居城、もしくは里城とした国衆であります♪退隠居城にしては、防御が凄すぎる為、秋月城と周辺を守る為の里城なのでしょう☆
その、城域は果てし無くデカくて、急足でも3時間〜4時間位はかかります☆
城郭は国道322号線で分割されていて、1番高所の主郭から派生した3本の尾根を加工していて、大きく分けると5つの郭からなる
戦闘要塞です☆

秋月氏の特徴であり代表的な畝状竪堀群をこれでもか!!という位に使用しています♪
秋月荒平城は、1回の口コミでは、載せきれない為、この5つの郭(通常なら城郭レベル)と秋月氏の歴史と共に5回に分けて口コミします♪

先ずは主郭から1番西側の郭からお送り致します♪縄張り図でいう、Ⅴ郭の場所になります♪鋭い切岸に畝状竪堀群が見所です♪

2022年04月03日 yuicha弾正忠
秋月城

満開は過ぎたようですが、城址までの桜のトンネルは健在でした。現在も中学校として使われているようです。風情のある校舎でした。週末とはいえ、多くの人出、古い街並みで車の移動は大変ですが、狭い範囲に多くの宗派のお寺があり、時間があるとゆっくり散策できるところです。17時にはほとんど閉館します。早い時間のお出掛けがおすすめです。

2022年03月31日 隆兄
秋月城



500mの桜並木が満開でした。静かな雰囲気が葉室麟さんの小説の世界です。

2021年05月09日 左兵衛佐けんちん
秋月城

お寺の駐車場もありました。
食事すれば、停められます。
高菜ごはんおにぎりとくずきりは美味しい。

2021年03月21日 中務少輔はなしろちゃん
秋月城



初めて口コミします。先ほど書いた物を手違いで消してしまい申し訳ないです。
秋月城跡に秋月中学校が建っています。緑の中のしっとりした落ち着いたところです。
桜並木もあり、もみじが多かったので、時期により道も駐車場も混むそうです。
黒門が残っていました。
近くに、秋月藩5万石黒田家の菩提寺の古心寺があります。

2021年03月05日 副将軍こうちゃん播守
秋月城



秋月城下は観光地になってますので🅿は勿論有ります。
公共交通機関利用の方なら甘木駅(甘木鉄道・西鉄共に)甘木観光バス・秋月線に乗車して「博物館前」バス停が最寄りになります。乗車時間20分程です。

2021年02月07日 ヒデタカ筑前守
荒平城[秋月城  周辺城郭]

この城跡は山城好きにはたまらん(^_^)
曲輪・竪堀・石垣・堀切・虎口・土塁・水場が山城に全て揃っています‼︎

2020年11月14日 みず
秋月城

甘木鉄道の甘木駅隣にある案内所でレンタサイクルあります。普通自転車は1日500円ロードタイプもありました。駅前から約40-50分で秋月城に到着します。県道500~322号線は自転車走行には不向きです。小石原川を挟んで側の道を走行しましょう。県道は歩道も路側帯もありません。大型トラックがバンバン走っているので。本当に危ないです!

2019年11月17日 じょーうん出雲守
荒平城[秋月城  周辺城郭]



秋月氏が里城として使用してた城。尾根を断ち切る深い堀切、主郭には一部石垣が見れる。高い切岸も見れますが整備されてないのでちゃんとした装備でいくことをおすすめします。

2018年08月13日 織田上総介晃司
秋月城

城下町に数台停めれる駐車場が多くあります(ほとんどが1回300円)

秋月城跡は秋月中学校の敷地となってます。
長屋門と垂裕神社に移築された黒門が現存してます。

落ちついた城下町で桜の頃と紅葉の頃訪れると風情があります。
ただ桜の頃は渋滞を覚悟しておいてください。

2012年02月12日 大宰少弐ためぞう
秋月城

桜の名所として有名で、春には観光客でごった返します。それでも桜のトンネルは一見の価値あり。

秋月城の周辺スポット情報

 武家屋敷-久野邸(遺構・復元物)

 黒門(遺構・復元物)

 長屋門(遺構・復元物)

 荒平城(周辺城郭)

 休松城(安見ヶ城)(周辺城郭)

 秋月藩南御殿(周辺城郭)

 福嶽城(周辺城郭)

 平家城(周辺城郭)

 稲荷山城(周辺城郭)

 荒平城Ⅳ郭(周辺城郭)

 荒平城Ⅲ郭(周辺城郭)

 荒平城Ⅱ(周辺城郭)

 上秋月城(周辺城郭)

 小鷹城(周辺城郭)

 荒平城Ⅴ郭(周辺城郭)

 秋月八幡宮(寺社・史跡)

 古心禅寺(寺社・史跡)

 大涼寺(寺社・史跡)

 腹切岩(恵利暢堯殉節の地)(寺社・史跡)

 朝倉市立秋月博物館(御城印)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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