乙隈城(おとぐまじょう)

乙隈城の基本情報

通称・別名

所在地

福岡県小郡市乙隈

旧国名

筑後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

北条光時

築城年

正安2年(1300)

主な改修者

主な城主

北条氏?、龍造寺氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

基肄城(佐賀県三養基郡)[6.7km]
阿志岐山城(福岡県筑紫野市)[6.7km]
西鯵坂城(福岡県小郡市)[7.8km]
赤司城(福岡県久留米市)[8.8km]
大宰府(福岡県太宰府市)[10.9km]
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勝尾城筑紫氏城館(佐賀県鳥栖市)[11.3km]
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有智山城(福岡県太宰府市)[11.8km]
岩屋城(福岡県太宰府市)[11.8km]

乙隈城の口コミ情報

2021年06月23日 龍馬太閤【備中の麒麟】
山隈城[乙隈城  周辺城郭]



福岡県の小郡市にある【山隈城】☆筑紫平野の中で一際目立つ山上に城郭は形成されました☆筑前と筑後の要衝に築かれた山隈城は所謂、境目の城にあたります♪

主郭は筑前、二の丸は筑前と筑後、三の丸が筑後と入り組んでいます☆結局は小早川隆景が筑前一国と筑後二郡を領して行く訳ですが…☆
元々、山隈城は南北朝時代に小弐頼尚が陣を築いたのが始まりとして伝わります☆大友家・家臣の立花道雪、国人領主・秋月氏が城郭として使用して行きますが九州征伐の功で小早川隆景が本格的な城郭に改修しています☆

立花道雪、秋月氏の時の山隈城は砦程度の監視城の役目を果たしたのでしょう☆
んで小早川隆景時代に入り筑紫平野を抑える城郭へ♪流れとしてはそんな感じだったんじゃないか??と思われます☆

現在城郭は城山公園として整備されていて本丸跡に日方神社、二の丸跡に駐車場があります☆南側の尾根には連続堀切☆見所の一つです☆個人的には肥前国側(西側)に向けられた段郭が素晴らしくて是非是非見て欲しい遺構になります☆

2021年06月22日 龍馬太閤【備中の麒麟】
乙隈城



福岡県の小郡市にある【乙隈城】♪歴史詳細が無い為、口コミに入れます♪

筑紫平野の平城は少し高まりを見せます☆

乙隈村城跡 平城也縦二十間 横十七間周リノ 土手高一間半 深一間半 同堀広二間半 時代未ダ詳ナラズ集 今按二北条九代記伝 正安二年(1300年)七月北条越後守光時ヲ似テ鎮西探題トシ三原郡乙隈村ニ居ラシムト…と残っていて正安2年(1300年)北条光時は鎮西探題に任ぜられ九州へ下向した際に乙隈村に居城を構えたと伝わります☆居館跡だったと思われるこの地は、南に草場川とその支流の川が流れ西は宝満川流域平野が広がり、東は低地となっていて要害の地を占めています☆北は馬市川と境石堤があり、この場所が平野の中で高台だった事が分かります☆

始まりは低丘陵の居館跡♪戦耐えない戦国時代には乙隈城へと変化していったものと思います♪龍造寺隆信の家臣達の墓が村内には残っている為、戦国時代には龍造寺氏の支城であったと思われます☆

200mほど南東側には薩摩街道が走っていて300mほど北方は筑前・筑後の国境でした☆境目に接する城郭だった訳です♪

2021年06月22日 龍馬太閤【備中の麒麟】
薩摩街道干潟野越堤[乙隈城  遺構・復元物]



福岡県の小郡市にある【薩摩街道・干潟野越堤】♪

薩摩街道の全長約90メートルにわたって石垣・石敷が残されています☆

使用された石材は花崗岩になっていて石質・色味からも近隣にある花立山古墳群の石室に使用されていた石を再利用した可能性が考えられています☆

この野越堤は、参勤交代道である薩摩街道を北側の草場川の氾濫を守る為に築かれた堤です♪洪水で水がオーバーフローした際に流水で街道が壊されることを防ぐ為に石垣・石敷によって野越しの機能を持たせました☆

往時の水利土木を知る上で大変貴重な遺跡ですね〜♪この薩摩街道を各大名が闊歩していたと想像するだけで…萌える♡

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