吹上城

吹上城([乙隈城  周辺城郭])

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吹上城の口コミ情報

2025年04月13日 龍馬備中守【】


福岡県小郡市の吹上にある【吹上城】♪やや微高地となる吹上集落の場所が、吹上城の跡地となります♪当時の吹上城は土塁や二重堀が巡る平城だった様ですが、今は歩いた感じでは何も残っていませんでした。

この吹上ですが、宝満川中流左岸に立地します♪字三十六など条里制の遺構と思われる字名が残っています♪

中世、室町期から見える地名で、吹上名、吹上村と出て来ます♪室町期の永享9年(1437年)沙弥道瑾(大友親著)寄進状(高良大社文書)に『筑後国三原西郷内吹上名』とあり、次いで大友親著の孫・親繁は文明3年(1471年)吹上を永代神領として、高良大社に安堵しています♪しかし、明応・文亀頃のものと思われる五条氏の知行坪付によれば、菊池氏が五条良邦に河北荘200町の代所として預けた三原郡135町の中に『ふきあけ』12町があり、この頃、この地は大友、菊池両氏の支配が重層していた事が伺えます♪以後菊池氏の筑後支配は漸次後退していくのですが、大友義長の代になると『吹上之村』は星野・秋月両氏の争論の地であるとの理由で、高良社に対しては御井郡野中村、白口村などが替え地として与えられています♪文禄4年(1595年)豊臣氏により、御原郡は小早川氏に加増されるが、吹上村のうち73石3斗7升が清水五郎左衛門尉の知行地の一部に当てられています(萩藩閥閲録)♪

江戸期には、はじめは柳川藩領(田中氏)でしたが、元和6年(1620年)より久留米藩領となり、寛文8年(1668年)松崎藩領、貞享元年(1684年)幕府領を経て、元禄10年(1697年)からは久留米藩領となっています♪

さて♪この吹上城ですが、菊池属性の城、大友属性の城として機能したのでしょうが、詳細は不明です。ただ、吹上城は大蔵氏系の高橋鑑直が居城したと伝わります♪

筑後将軍談には『吹上村城跡』として記載され『平城也。縦二十四間、横十六間、三方二隍アリ』とあります♪南側の堀は水濠、東側と北側の堀は空堀であるとして、高橋鑑直が城主であるとするも、時代は不詳となっています。また『ウーヤシキ(大屋敷か?)』『ウーキンド(大城戸か?)』『村囲』などの地名が残る近辺が城域と伝わり、東西方向に延びる土塁状の高まりも残されています♪が、しかしその城域の範囲は現状では不明となっています。

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