下高橋官衙遺跡

下高橋官衙遺跡([赤司城  寺社・史跡])

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下高橋官衙遺跡の口コミ情報

2025年04月12日 龍馬備中守【】


福岡県三井郡の大刀洗町にある【下高橋官衙遺跡】筑後平野の北部にある8世紀の郡衙で、いわゆる、奈良時代の郡役所となっています♪
全国に600ほどあるとされる郡衙の中でも、全体像のわかる数少ない例であります♪

大刀洗という町の名は、南北朝時代の菊池武光が、『大原合戦』の後に血で染まった刀を洗ったという事に由来すると言われています♪

下高橋官衙遺跡は大刀洗川右岸の低位段丘にあり、見通しの効く場所となります♪近くには古代官道を通して、交通の要衝地ともなっています♪古代官道ですが、筑紫横道に接続するための道とされ、古代官道の特徴である直線で結ばれています♪(下高橋官衙遺跡北側や松崎六本松遺跡を結ぶ官道は、部分的に発見されている)

さて♪下高橋官衙遺跡ですが、奈良時代の郡役所です♪東西で大きく2つの方形区画で分けられています♪東側は郡庁・曹司院(政庁、館、厨を含んだ)と考えられていて、西側は大溝で囲んだ正倉院(当時の税である『米』を収納)と考えられています♪方形区画で築かれた官衙は、中央に十字に道路を持ち、区画に溝を掘り方形を造ります♪

小郡市から大刀洗町にかけての一帯では、飛鳥時代から奈良時代にかけて、官衙が3度移転したと考えられています♪この官衙ですが、『上岩田遺跡』『小郡官衙遺跡』と『下高橋官衙遺跡』のいずれも、国指定となります♪上岩田遺跡は、天武7年(678年)に起きた筑紫大地震で多くの建物に被害が出た事から、役所機能を小郡官衙遺跡へ。小郡官衙遺跡は、後に軍事的要素のある様相に変化する中で、郡衙機能を下高橋官衙遺跡へ移転したと推測されています♪

官衙ある所に、官道あり♪官道結ぶ先に官衙あり♪律令国家の地方統治が進んでいた事がよく分かります♪

因みに、だだっ広い広大な土地に、全て埋め戻されている為、説明板や、方形区画の線などしか残っていませんが、目を閉じると歴史を感じる事が出来ますw道路区間の十字に萌えました

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