下高橋城
下高橋城([赤司城 周辺城郭])
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下高橋城の口コミ情報
2021年07月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県の太刀洗町にある下高橋城♪中世の豪族【高橋氏】の居住跡で現在の竈門神社境内を中心とした一帯が城郭跡で「木戸」「構口」「屋敷」などの地名と北・西・南を巡る堀が残っていました☆
この高橋氏の祖は大蔵春実で藤原純友の乱の平定の手柄により上高橋・今・鵜木・下高橋のエリアを領地としました☆
「筑後国史」には『平城なり、縦53間、横25間、東に広さ3間の堀あり。西にまた2つあり。一つは広さ3間半、一つは2間の堀あり。二の丸は縦43間、横20間、東西に広さ3間、南に2間の堀がある。高橋三河守鑑種先祖より続きたる采地の城なり。鑑種、大友の賞によって筑前岩屋の城を賜りこれに移る。』と残っていて高橋氏が生きた証拠が残ります♪
この地名をとって【高橋氏】と名乗って行く訳ですが室町時代の高橋長種には跡継ぎが無くて豊後の戦国大名・大友宗麟は名家の絶える事を惜しみ一族の一万田右馬助に高橋家の家名を継がせ高橋三河守鑑種と名乗らせました☆その後の高橋氏は居城を上高橋からこの下高橋の地に移し筑前・岩屋城に身を移すまでココを居城としていました☆境内に残る宝篋印塔は「高橋様」と呼ばれ、高橋氏ゆかりのモノと伝わります♪
因みに高橋紹運は筑後・岩屋城と宝満城の2城とこの高橋家を継ぎます☆
最後は…筑後・岩屋城で島津軍と戦い…玉砕しました☆
今は城郭は宅地開発により遺構は消失☆ただ、堀の名残は残しています☆
そんな高橋城と高橋氏の話でした☆