飯田館

飯田館([赤司城  周辺城郭])

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飯田館の口コミ情報

2025年04月06日 龍馬備中守【】


福岡県久留米市の善導寺町飯田にある【飯田館と、太閤渡し(大城渡し)】♪筑後川と支流の巨瀬川が合流する地点の南岸、善導寺町の飯田集落に立地する平地城館となります♪現在は住宅地になっている為、遺構等は水路(水濠?)位しか残りません。飯田の地名由来は、井樋で灌漑する田、または結い田の意味と伝わります(久留米市史)♪

承元2年(1208年)に筑後国司の草野氏の保護の下に、聖光上人が浄土宗鎮西本山善道寺を当地に開山しています♪
中世、戦国期から見える地名で、筑後国山本郡の内です♪天正3年、草野文書の中に草野居屋敷八十町之内村付之事とあります♪

この飯田館ですが、草野永平の弟、飯田六郎永信の居館と伝わります♪草野永平は肥前高木から、筑後吉木に入国した武将です。源平合戦では源氏に味方し、勝利に貢献すると、筑後国在国司押領使職となり、この地の支配を確立する事となっています。草野氏の一族の戦国時代は、発心城を本城とした国人領主層です。

「筑後将士軍談」では飯田村舘跡として寛延記を引き、『村中ニアリ、飯田六郎永信ノ舘跡』とする。文献には『飯田館跡については史料がない為、判然としないが地形や小字名等から推定して現大場酒造場一帯の地が想像される』とあります。「善導寺町誌」より。また、その近くには館主・飯田六郎の鎧塚と伝わる場所がありますが、現在は何もありません。

ちなみに飯田館のすぐ北側に巨勢川が流れ、大城渡し(太閤渡し)と呼ばれる場所があります。善導寺と対岸の北野を渡し、島津攻めの際、秀吉もこれを渡ったと伝わります♪

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