平賀氏城館(ひらがしじょうかん)

平賀氏城館の基本情報

通称・別名

平賀氏城館[御薗宇城・白山城・頭崎城]

所在地

広島県東広島市高屋町他(地図は御薗宇城を示す)

旧国名

安芸国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

平賀惟長[御薗宇城]、平賀弘保[白山城・頭崎城]

築城年

弘安年間(1278〜1288)[御薗宇城]、文亀3年(1503)[白山城]、大永3年(1523)[頭崎城]

主な改修者

主な城主

平賀氏[すべて]

廃城年

慶長5年(1600)?[御薗宇城]、不明[白山城]、慶長5年(1600)[頭崎城]

遺構

曲輪[すべて]、土塁[御薗宇城]、帯曲輪[白山城]、屋敷跡[頭崎城]

指定文化財

県史跡(平賀氏の遺跡)

再建造物

説明板(平賀氏の遺跡)

周辺の城

松嶽城(広島県東広島市)[6.7km]
寺山城(広島県東広島市)[9.7km]
鏡山城(広島県東広島市)[10.1km]
木村城(広島県竹原市)[13.1km]
松尾城(広島県東広島市)[14.4km]
槌山城(広島県東広島市)[15.6km]
相良城(広島県三原市)[15.8km]
日下津城(広島県安芸高田市)[16.2km]
新高山城(広島県三原市)[17.1km]
七郎城(広島県広島市)[17.1km]

平賀氏城館の解説文

平賀氏城館は、現在の広島県東広島市東北部を中心に、安芸南部で活動した国人領主・平賀氏に関係する城館群である。

御薗宇城跡、白山城跡、頭崎城跡、平賀氏の墓地が、「平賀氏の遺跡」として広島県の史跡に指定されている。

御 薗 宇 城 

御薗宇城(みそのうじょう)は、安芸国高屋保、現在の広島県東広島市高屋町に築かれた日本の城(山城)。

沿革・歴史

鎌倉時代末期に、出羽国平鹿郡を本領としていた平鹿氏(平賀氏)の一族が、元寇に備えて西国に下り、御薗宇城を築いて拠点とした。南北朝時代に家督相続問題で家内に争いが起きたが、平鹿郡を所領としていた惣領の平賀直宗がこの高屋保に移り住んで、安芸国の有力国人領主として成長していった。

室町時代には安芸国の守護となった山名満氏(氏清の子)と対立し、応永10年(1403年)、満氏は平賀弘章が籠る御薗宇城を包囲して攻撃した。この合戦は平賀氏が他の安芸国人衆の支援を受けて3年に及ぶ長期戦となった。この戦いで弘章の子、平賀共益、平賀惟益、平賀惟元らは討死を遂げたが、最終的には山名満氏を撃退した。

時代は下り、戦国時代になると当主の平賀弘保は、文亀3年(1503年)に白山城を築いて新たな居城とした。しかし、御薗宇城は維持されたようで、廃城年は慶長5年(1600年)前後ではないかと推測される。

城跡の概要

御薗宇城の規模は、東西120メートル、南北170メートルに及ぶ。山城ではあるが比高も低く、平山城の形式に近い。防御拠点の機能も重視されていたが、城内には居館も併設してあり、鎌倉時代の御家人の居館様式を色濃く残している。

城郭は比高の低い丘陵を堀切で遮断し、3段の平坦な曲輪と、居館の場所を三方から馬蹄状に取り囲む土塁状の曲輪で防御している。

平賀氏の墓地

平賀氏の墓地はこの御薗宇城から北西500メートルにあり、平賀氏の菩提寺であった明道寺(廃寺)の跡にある。

この墓地には平賀弘保の墓、平賀隆宗やその妻の墓と伝えられる宝篋印塔や五輪塔、石仏等、約40基が現存している。

昭和44年(1969年)4月28日、平賀氏の墓地は、御薗宇城、白山城、頭崎城と共に「平賀氏の遺跡」の1つとして県指定史跡となった。

参考資料

・広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

頭 崎 城 

頭崎城(かしらざきじょう)は、安芸国高屋保、現在の広島県東広島市高屋町貞重に築かれた日本の城(山城)。

歴史・沿革

戦国時代後半、この安芸国西条の地にも大内氏と尼子氏の勢力が伸び、両者の争いが激化していった。大永3年(1523年)6月、大内方の鏡山城が落城した。平賀氏当主平賀弘保は居城であった白山城の防備に不安を感じ、近隣の頭崎山に築城。嫡男の平賀興貞を城主とした。ところが、興貞は父の意向を無視して尼子氏に属し、大内方に味方した弘保と孫の隆宗・広相で争いを繰り広げることとなった。

天文9年(1540年)、大内義隆の命を受けた毛利元就がこの高屋保へと進出、頭崎城を攻略した。敗れた興貞は出家して、平賀氏の家督は興貞の嫡子である隆宗が相続した。平賀隆宗は大内方として活躍するが、天文18年(1549年)に備後国神辺城を攻撃中に死去した。祖父の平賀弘保は家督を平賀広相に継がせようと考えたが、大内義隆の策謀によって平賀氏の家督は小早川氏庶流の義隆の寵童が改名して相続し、平賀隆保と名乗った。

天文20年(1551年)に大寧寺の変で大内義隆が陶隆房(陶晴賢)によって殺害されると、陶方に味方していた毛利元就は、大内方であった頭崎城の平賀隆保を攻めて落城させ、家督を平賀広相に継がせた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、毛利氏が防長移封となると、平賀氏もそれに随行し、頭崎城も廃城となった。

昭和44年(1969年)4月28日、御薗宇城、白山城、平賀氏の墓地と共に「平賀氏の遺跡」として県指定史跡に指定された。

城跡の概要

標高504メートル、比高200メートルの頭崎山に築かれた城郭で、吉田郡山城に次ぐ規模を誇る広島県内最大級の城郭。城域は東西900メートル、南北600メートルの広大な範囲に及び、本丸に相当する甲の丸、西の丸、太鼓の段、煙硝の段、稽古場、大将陣等の曲輪群が残っている。

参考資料

・高屋町史
・県史跡頭崎城跡案内板

白 山 城 

白山城(しろやまじょう)は、安芸国白市、現在の広島県東広島市白市に築かれた戦国時代の日本の城(山城)。

歴史・沿革

文亀3年(1503年)に平賀氏当主の平賀弘保は、居城であった御薗宇城の防備に不安を感じ、白山城を築いて居城とした。しかし、この城も堅城とまではいかず、白市を眼下に望み経済的には有利な城であったが、近隣に滝山城、新開城等の支城を整備して、最終的には頭崎城を築くまでに至った。

平賀弘保の息子、平賀興貞は頭崎城に入ったが、後に大内氏と尼子氏との対応で意見が異なり、親子で度々争った。後に毛利氏の介入によって親子の争いに終止符を打ち、家督を平賀隆宗に継承させた。

城は頭崎城が完成後も維持された。廃城年は不明。

概要

白市の街を見下ろす標高314メートル(比高130メートル)の城山に築かれた山城で、最高所の曲輪は三段に分かれており、その周囲を帯郭が取り囲んでいる。この曲輪群から北西・南の尾根上には中小の曲輪が配置されて防備を固めていた。

また、城内には松尾芭蕉の門人志太野坡の高弟で、俳人多賀庵風律が寛政5年(1793年)に建てた「鶯塚」の石碑が残る。

城下町白市

城下には平賀弘保が永正2年(1505年)に建立した光政寺があり、一族の木原家の歴代墓所が残る。その木原家は平賀弘保の弟、木原保成を祖とする一族で、初代の保成は慶長5年(1600年)に平賀元相が長門国萩に移住すると、毛利氏を離れて紀伊国和歌山を領した浅野氏に仕えた。その後、この故地に戻って商売を始め、江戸時代初期から酒造業や塩田業を営み、安芸国有数の商家として栄えた。現在でも白市に残る寛文5年(1665年)に建てられた「木原家住宅」は、昭和41年(1966年)6月11日に国の重要文化財に指定されている。

白市は江戸時代に入ると、交通の要衝として栄え、元和3年(1617年)に牛馬市が開かれるようになると、その発展を加速させた。この白市の牛馬市は中国地方の三大市と呼ばれ、伯耆国大山、備後国久井とともに、明治から昭和の戦前にかけて大いに賑わった。

参考資料

・広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

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平賀氏城館の口コミ情報

2025年04月27日 揖保乃糸
平賀氏城館

東広島市の中心街から北東方面に位置する事、車で約30分程(少し迷いました)、県道351号線少し東に外れた場所にあります。麓には、城への看板があり、少し登ると平らな場所に出ます。奥の外縁沿いには綺麗なタケノコが何本も生えており、初めてとは思えない程、親近感が湧いた場所でした。

2025年03月02日 織田上総介晃司
高塚城[平賀氏城館  周辺城郭]

駐車場まで行く道は少し狭いですが、公園と化しているため広い駐車場があります。

桜の木が多く植えてあり、花見として利用されている。石材店が出資してるのか駐車場には広島なのに虎が…(虎の口いわゆる虎口にタイガーマスクが立っていそう…)他にも恵比寿さんや布袋さん大黒さんや猫娘や砂かけババアやドラえもんなどあり、「なんだここは…」と思わせる…

主郭を取り巻くように竪堀で区切られた17もの小郭が存在してあたかも菊の花のように見えたので別名「菊ヶ城」とも呼ばれる。

2025年03月02日 織田上総介晃司
堀城[平賀氏城館  周辺城郭]

車は上戸野交流センターの駐車場に停めると安心です。国道375号沿いにあり、立派な説明板も設置されてます。
「堀城跡登り口→」と大きく書かれてましたが、登城口がわからず…日暮れ近かったので今回登城は断念。
よく見れば縄張図に書いてあったのでまた来ます。
(登城口といってもほぼ直上コースかと…)

2025年03月02日 織田上総介晃司
福原城[平賀氏城館  周辺城郭]

道の駅「湖畔の里福富」から眺めることができます。

福富ダムの建設で城の大半が沈んでしまい、主郭がダム湖の上に見えるだけ…本来は相当な山城だったと思われる。
現代の水攻めといったところか…

道の駅で売ってる牛乳が美味しいらしい。

2023年05月05日 カズ
平賀氏城館

平賀氏城館のうち、御薗宇城跡と白山城跡を訪れましたが、白山城跡は登城口が分からず、倒木などに苦労しつつ適当に登りました。山頂付近に、城の遺構らしき削平地や堀切と思われる場所はありましたが、事前に見ていた縄張り図とはどうも様子が異なります。隣接した城は無かったと思いますので、あれは一体何だったのか、詳しい方はご教示をお願いします。目印のない道を歩いていたので、帰路は勘を頼りに下り、偶然に同じ道に出ましたが、行き当たりばったりは駄目だと痛感しました。次に、御薗宇城跡に向かいました。説明板付近に車を停めるスペースはあります。低い丘に築かれていますが、周辺地との高低差はそれなりにあり、高い土塁が見どころです。次回は白山城跡の再チャレンジと、頭崎城の登城に行くつもりです。

2022年04月30日 織田上総介晃司
平賀氏城館

御薗宇城
登城口に縄張り図と説明文があり、少し広いスペースがあるのでそこに駐車しました。御薗宇城は広くないので短時間駐車して見てまわれます。今回は御薗宇城だけでしたがのこり2城もいずれ行こうと思います。

2022年01月20日 サユンバ
平賀氏城館



この平賀氏城館には近くに用事で来ていてたまたま平賀氏の墓地を見つけて近くに城跡も有ってラッキーでした。御薗宇城跡は大変綺麗に整備されていて気持良く見学出来る...誰でも気軽に立ち寄れる場所!です。こじんまりしていますが人を寄せ付ける感じがしました。城跡を歩きながらここに当時どんな建物があったのか自分なりに考え想像するのがとても楽しかったです。

2021年04月26日 九曜紋東市正
平賀氏城館



平賀氏城館(御薗宇, 平賀氏の墓地)を訪れました。御薗宇城は、10m程度の丘の上に、馬蹄形(航空写真では緑のドーナツの様に)で、南側に侵入口があります。緑のドーナツの中は、目測で20m四方くらいの平地となっており、その周囲を2〜3m程度の高さの土塁(或いは、山を切り拓く際に、土塁状に残した?)で三方向が囲われています。
御薗宇城から北西に500m程度、一本道を進むと、平賀氏の墓地が県史跡として整備されています。

2021年01月17日 KAZ左大臣正勝
頭崎城[平賀氏城館  周辺城郭]



平賀氏の山城になります(^-^)広島県で二番目に広い山城で小さな曲輪まで入れると…数え切れない程、いっぱいあります。鏡山合戦の時には尼子方に属してましたがその後、一族は尼子方と大内方に分かれてしまいました。まさに、鏡山城とここのお城が勢力境界線です。大きなお城ですが、毛利家には二度落とされてます(>_<)

西の丸下まで、軽や小型車であれば上がれますが坂がキツいのと、最低地上高に注意が必要です。メインの曲輪は大変良く整備されてて、桜や紅葉の木が多いのでぜひ再訪してみたいお城です。少し山に入る必要がありますが、竪堀も多くありました。街が見える遠景写真は、鏡山城方向で、山ばかりの遠景写真は吉田郡山城方向です。

硝煙の段には写真の巨石、北東方向には写真の大堀切がありました。道もきちんと整備されてて訪問しやすいと思います(^-^)

2020年07月02日 ヒロシゲ安芸守
平賀氏の墓地[平賀氏城館  寺社・史跡]



平賀氏一族の墓が綺麗に整備されてます。五輪塔等が造立されてます。

2020年07月02日 ヒロシゲ安芸守
梵字岩[平賀氏城館  寺社・史跡]

平賀氏の重臣である名井氏に関する史跡があります。

2017年05月22日 東照大権現周防守カズピー
平賀氏城館

城館の中の頭崎城は標高も400メートルくらいあり装備もそれなりにしないといけないと思います。トイレはないので済ませておいてください。駐車場はふもとに停めました。お気をつけて

平賀氏城館の周辺スポット情報

 説明板(碑・説明板)

 頭崎城(周辺城郭)

 白山城(周辺城郭)

 御薗宇城(周辺城郭)

 下高城(周辺城郭)

 障子獄城(周辺城郭)

 鷹城(周辺城郭)

 福原城(周辺城郭)

 高塚城(周辺城郭)

 堀城(周辺城郭)

 杉風呂城(周辺城郭)

 常友城(周辺城郭)

 笠城(周辺城郭)

 田屋城(周辺城郭)

 下堀土居屋敷(周辺城郭)

 鷹巣城(大久保の城)(周辺城郭)

 桧山氏居館(周辺城郭)

 薬師丸土居屋敷(周辺城郭)

 古慈喜城(周辺城郭)

 南氏館(周辺城郭)

 恋文字館(周辺城郭)

 下山根館(周辺城郭)

 多屋城(周辺城郭)

 比佐解城(周辺城郭)

 外宮山城(周辺城郭)

 行武城(周辺城郭)

 梵字岩(寺社・史跡)

 平賀氏の墓地(寺社・史跡)

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