日下津城(ひげつじょう)
日下津城の基本情報
通称・別名
- 坂城
所在地
- 広島県安芸高田市向原町坂
旧国名
- 安芸国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 毛利親衡
築城年
- 正平5年〔南朝〕/観応元年〔北朝〕(1350)
主な改修者
- -
主な城主
- 坂氏(毛利氏)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、井戸
指定文化財
- 市史跡(日下津城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
鈴尾城(広島県安芸高田市)[6.7km]
吉田郡山城(広島県安芸高田市)[8.0km]
猿掛城(広島県安芸高田市)[10.3km]
五龍城(広島県安芸高田市)[10.6km]
阿賀城(広島県安芸高田市)[11.9km]
寺山城(広島県東広島市)[12.1km]
七郎城(広島県広島市)[13.5km]
黒川城(広島県世羅郡)[15.3km]
松尾城(広島県安芸高田市)[15.9km]
平賀氏城館(広島県東広島市)[16.2km]
日下津城の解説文
日下津城の口コミ情報
2024年11月09日 織田上総介晃司
北田城[日下津城 周辺城郭]
井原市駅や井原小学校近くの井原大橋に見落としそうな案内板が有ります。
井原大橋を渡りマップを頼りに林道を進むと柵があり、その手前に広い路肩があるので駐車。
竪堀を突っ切り林道の大堀切へショートカット。
先人さんのお手軽山城ということでリア攻めしました(笑)ですが、牛の蹄状の城域に曲輪、土塁、石積、大堀切(林道)、弓形二重堀切と見応えありました。
ちなみに車で柵を越えて林道を進む事ができますが、この先行き止まりとなってるそうです。
2024年11月09日 織田上総介晃司
田屋城(向原)[日下津城 周辺城郭]
国道や県道に案内板がないのでリア攻めマップを参照に進みます。
田屋城の説明板のある場所が登城口となります。
車はかたくりの里(どう見ても民家)横の空き地に停めます。
民家の横(もしかすると敷地内?)の柵を越え矢印通り進むと防獣柵があり、さらに矢印通り進むと城域となります。
4つの曲輪、石積、土塁、竪堀と二重堀切が見どころです。
安芸高田市には田屋城はここ、旧・向原町の他にもう一つありますが、もう一つの田屋城(旧・八千代町)は距離も離れているので、まあ有りかと…
それよりお隣さんで茶臼城(世羅町と三次市三和町)のほうがややこしい…
2022年06月14日 つか征夷大将軍ぽ
田屋城(向原)[日下津城 周辺城郭]
安芸高田市には田屋城が2つあります。城跡は小ぶりですが、石垣井戸や石積み、山の最高部を残して削った土塁、2重堀切等の遺構があります。井戸跡の柵が壊れているので注意しましょう。
以下説明板より
比高約100mに築かれた田屋城は四つの郭で構成されている。 一郭(主郭)は最高所の東側に削り残した櫓台状の土塁を配し、さらにその背後は巨大な堀切で尾根を断ち切っている。郭の内部は、建物の基壇と考えられる石積みによる区画がよく残り、出入口も確認できる。続く二郭は主郭の北西下約10mにあり、中央に深さ約9mの石垣井戸がある。さらに10m下には四郭があり、かつて祀られていた荒神社の礎石が残る。
城主と伝わる内藤氏は、厳島神社神主家佐伯氏の一族で、鎌倉 時代より長田郷の地頭として土着し、戦国時代には毛利氏の配下 となった。永禄七(一五六六)年、毛利氏に降伏した尼子義久ら三 兄弟は長田・円明寺に幽閉され、内藤元泰が二十三年間その監視役を務めた。
築城時期は不明だが、現在の遺構は石積みの状況などから十六世紀後半のものと考えられる。
2022年06月14日 つか征夷大将軍ぽ
田屋城(向原)の案内板[日下津城 碑・説明板]
こちらの案内板から南側への道を進むと登城口が有ります。途中柵が2つあり、民家の敷地も少しだけ通過します。
2020年09月27日 桐生一馬乃亮
日下津城
駐車場は無いので、広い歩道に乗り上げて駐車する方法しか有りません。
獣除けの柵は有りますが、入れます。
本丸までの道はほぼ無く、案内板が少し有るだけですが、物見の段方向に行けば本丸にも行けます。
2020年05月30日 【G6】OROKA参議
北田城[日下津城 周辺城郭]
北田城は日下津城から南西にある城で、築城者はハッキリしないが井原氏ではないかとの事です。
井原市駅から東に進み、川を渡りマップ地点を目指すと林道になります。で、その林道が実は北田城の本丸背後の大堀切を突っ切る形に作られています(笑)
確か、案内板がその大堀切のあたりにあって、駐車スペースも1台分くらい確保されているので、車はそこに停めましょう。
城は全体としては主郭から尾根が2本延びたY字型をしてます。背後の大堀切は林道になってますが、主郭の土塁というか櫓台の高まりはなかなかグッと来ます。郭もキレイに削平されてます。
また、段郭になっている副郭も切岸がシャープかつ土塁や空堀のようになっていて、二つ返事の尾根で谷から攻めてくる攻め手を挟み込むような構図に見え、なかなかの防御力を感じます(*´-`)
車から労せず楽しめる、お手軽でオススメの城です。
なお、現地の案内板には周辺に日詰城、戸石城といった城も紹介されており、セットで回るのも良いかと。(遺構は北田城に比べると控え目ですが)
2018年11月05日 安那備後守はるか
日下津城
南北朝のお城跡ということもあり登城してみると屋敷跡まで来ましたが獣避けの柵扉には豪雨の為土砂で半分埋もれており扉の開閉が出来る状態では、ありませんでした。看板がある北側からのルートからは当分はあがれそうにないです。写真投稿してある屋敷跡からは藪こぎ覚悟なら…です。
2014年11月03日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
日下津城
主郭の奥側に土橋があったので、尾根伝いに後方標高400mまで登って見ました。山頂部分に郭状の地形があり、人工的に並べた様な石積みもありました。ここからならかなりの広範囲が見渡せるので遠見番所があったとしても良いのでは!?(素人の勝手な判断です。)
2014年11月03日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
日下津城
看板の所から狭い舗装路があります。軽自動車程度なら入れます。その奥の墓地の手前に駐車可能です。
そこからは、地元の方が立てた案内板に従って、沢筋の踏み跡を辿れば到着です。
途中に獣避けの柵を開けて入りますが、開けたら必ず閉めて下さい。
遺構も良く残っており、楽しめます。
南北朝の合戦では北朝方の大軍を迎えて半年間も籠城、遂には勝利を掴んだ。
大永2年(1522)に当時の城主・坂広時が親大内派であったため、毛利元就に攻撃され、落城した。