五龍城(ごりゅうじょう)

五龍城の基本情報

通称・別名

所在地

広島県安芸高田市甲田町上甲立

旧国名

安芸国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

なし

築城主

宍戸朝家

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

宍戸氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

県史跡(五龍城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

吉田郡山城(広島県安芸高田市)[4.5km]
猿掛城(広島県安芸高田市)[7.9km]
仁後城(広島県安芸高田市)[10.0km]
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五龍城の解説文

五龍城(ごりゅうじょう)は広島県安芸高田市甲立にある山城。

概要
五龍城は可愛川と本村川の合流地点に突き出したような半島状の丘陵に築かれた城で、尾根を堀切で断ち切った連郭式の山城である。本の丸は石垣が現存しており、搦手となる西には大きく深い堀切を設け、背後を固めている。現在でも石垣や井戸、土塁等が存在しており、標高も高くない為、中世の山城としては探索しやすい場所である。現在は宍戸神社が建っており、その五龍城の真下を国道54号線が通過している。

沿革
五龍城を築城した宍戸氏は源頼朝の御家人である八田知家の子孫である。八田知家は鎌倉幕府で要職を務め、常陸国や下野国、安芸国に所領を得た。その八田知家の4男・八田家政が常陸国宍戸を本拠とした為、宍戸を姓とする。

統治初期は代官による安芸国支配を行っていたが、宍戸朝家は鎌倉時代末期に安芸国甲立荘に下向して土着し、ここに安芸宍戸氏が始まる。安芸に下向した直後は柳ヶ城を居城としていたが、南北朝時代に五龍城に移った。この時水が不足した為、五龍王を勧請して祈願したところ井戸水が湧きだした。これを大いに喜んだ宍戸朝家は城を五龍城と名付け、五龍城は宍戸氏の居城となる。

戦国時代になると近隣との勢力争いが起こり、宍戸氏はこの城を中心に勢力を拡大していった。やがて毛利氏とも争うようになったが、1533年(天文2年)時の当主宍戸隆家は毛利元就と和睦し、元就の長女(五龍局)と結婚した。これ以後、宍戸氏は毛利氏の重臣として活躍し、毛利氏の勢力拡大に一助をなした。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、宍戸氏の当主・宍戸元続も毛利氏の防長移封に従い、萩へと去った。そして五龍城は廃城となり、安芸宍戸氏と五龍城の歴史は終わりを迎えた。

五龍城の口コミ情報

2019年11月17日 大納言織田晃司
五龍城

県道52号の五龍橋付近の可愛川(江の川)に大きな駐車場、本村川に小さな駐車場があり、簡易トイレがあります。

宍戸神社の表参道と裏参道が登城口となります。裏参道側に五龍城の縄張り図がありますので写真に撮って登城してください。
でないと特に本丸より先はわけわからなくなります。

各曲輪を高土塁で隔てており、まさに土の城で力攻めでは容易に落とせない城です。
毛利元就は力攻めを止め、宍戸隆家に長女(五龍姫)を嫁がせて一門衆とし、勢力下に治めてます。

安芸高田市甲田町はハンドボール湧永製薬の本拠地です。

安芸高田市には毛利家臣の桂氏の桂城。福原氏の鈴尾城(福原城)と名付けられてるのに宍戸氏の五龍城は宍戸城とは言いません。何故…?

シシドジョー…俳優さんで聞いたような名前が…

2013年04月28日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
五龍城

宍戸神社の北東側の橋のたもとに駐車場と案内看板があります。本丸の奥まで城の領域ですが、余りにも奥に行くと山中に迷い込む恐れあり。

2013年04月28日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
五龍城

二度書きしてしまった。 城を訪れた際には、近くに名水が沸いてますので、喉を潤してお帰り下さい。


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