高杉城(たかすぎじょう)

高杉城の基本情報

通称・別名

所在地

広島県三次市高杉町383他

旧国名

備後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

祝氏正

築城年

不明

主な改修者

主な城主

祝氏

廃城年

遺構

堀、土塁

指定文化財

県史跡(高杉城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

甲山城(広島県庄原市)[10.0km]
仁後城(広島県安芸高田市)[14.7km]
五龍城(広島県安芸高田市)[16.3km]
黒川城(広島県世羅郡)[16.7km]
福原城(広島県三次市)[18.5km]

高杉城の解説文

髙杉城(たかすぎじょう)は、備後国三谿郡(現・広島県三次市高杉町)にあった城郭。現在は知波夜比古神社となっている。

構造
馬洗川と美波羅川の合流する河岸段丘上にあり、東西70m南北80mの方形で居館型の城郭であった。落城後に廃城となり、神社の神域として保護されたため、城の北側東側の周囲には堀が残り、郭内部には土塁が残っている。南側の部分にも虎口を意識した作りの郭内部に土塁が残存し、こちらが大手だったと推測される。

現在、西側には道路が通っているが、この部分にも堀が存在したことが、平成24年(2012)の調査で確認されている。

建築物の詳細については不明だが、当時から知波夜比古神社の社殿が存在していたと推測される。

当時の城域は不明であるが、現在の境内を本丸部とし、周囲の丘陵まで城域であったという説もある。戦後まもなく撮られた昭和22年(1947)の空撮写真では周囲にまで城域があった痕跡は見られない。

概要
備後国国人江田氏の家臣、祝氏の居城であった。天文20年(1551)に陶隆房の反乱(大寧寺の変)で大内義隆が弑逆されると、江田氏は天文22年(1553)に大内氏を見限り尼子氏に寝返る。翌年、陶晴賢の指示を受けた毛利元就の攻撃によって陥落して廃城となった。

城は廃城となったが、当時から知波夜比古神社が城内にあり、社殿の再建が行われている。また、祝氏一族で生き残った者もおり、祝広縄は知波夜比古神社の神職を務め、高杉小太郎は厳島の戦いにも参戦し、軍功を挙げている。

参考資料
・広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
・『萩藩閥閲録』
・平成26年『広島県文化財保護審議会史跡・埋蔵文化財合同部会 現地調査・会議記録』

高杉城の口コミ情報

サクラガイ様[2017年08月17日]
のどかな田園風景の中にあります。すぐ隣がきれいな駐車場でした。徒歩0分で行けます。平地で、しかも浅く幅の狭い堀しかなかったこの城は、戦国時代に入ると防備が手薄で攻められやすかっただろうなと思います。神社を守る人々のおかげで城跡も残ったのでしょうね。

兵部丞ビックリショイン様[2017年05月20日]
今は神社になってるので駐車場ありました。トイレもあったので安心だと思います。高杉晋作のルーツでもあるみたいです!登ることもないので体力的には余裕だと思います。

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