比熊山城

比熊山城([高杉城  周辺城郭])

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比熊山城の口コミ情報

2024年04月30日 気分爽快豊後守


尾関山城の北側に位置し、こちらは普通に山登り(約20分)となります。
縄張り図を見ると、シュモクザメを思い浮かべてしまい、実際どんなところか気になりました。
広い本丸と本丸東の大土塁、本丸北斜面の石積みは藪のため断念し西側の畝状竪堀を見て帰陣です。
畝状竪堀は、なだらかな斜面一面に広がっていて圧巻でした。東の郭、本丸からの眺望が良好です。
①東の郭の北端。両側は土塁有り
②枡形虎口。大きくて収まらない
③触ると祟りがあるらしい
④本丸東の大土塁。東側から見上げると結構高い
⑤畝状竪堀を下から
⑥畝状竪堀を上から
⑦北の郭西端の堀切
⑧西の郭より谷越しに見た北の郭

2020年11月04日 ️_
~ 比熊山城解説板より ~

比熊山城跡

代々、畠敷町の比叡尾山城を居城としていた三吉氏ですが、戦国時代の天正年間 (1573~92)になるとこの比熊山に築城します。比叡尾山城を廃墟した理由は解りませんが、おそらく畠敷町の五日市が三次町に移ったので河川交通の発達などから将来的に三次の地を城下町として機能を整備する必要があったのでしょう。
頂上の標高331mの城域は戦時中に畑に転用されていたとはいえ、全山に郭、土塁、井戸、竪堀の構えを残しています。特に千畳敷と呼ばれ本丸に相当する郭は90x50mの広さで東端には高さ3m、幅5m、長さ30mの基壇も残り、相当な建物があったことを想像させます。現在は鳳源寺境内から山道が登っていますが 本来の大手道はさらに西の谷にあり、登り切った所には両側を土塁で囲んだ桝形と呼ばれる郭が設けられ正面玄関としての役割を果たしていました。
三吉氏は関ヶ原の合戦で豊臣方に味方した毛利氏の武将であったため、改易となリ三次の地を去ります。築城からわずかの年月でしたが、当時の築城技術を知る上で 当城は大器貴重な史跡です。

三次市
三次市教育委員会

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