田屋城(向原)
田屋城(向原)([日下津城 周辺城郭])
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田屋城(向原)の口コミ情報
2024年11月09日 織田上総介晃司
国道や県道に案内板がないのでリア攻めマップを参照に進みます。
田屋城の説明板のある場所が登城口となります。
車はかたくりの里(どう見ても民家)横の空き地に停めます。
民家の横(もしかすると敷地内?)の柵を越え矢印通り進むと防獣柵があり、さらに矢印通り進むと城域となります。
4つの曲輪、石積、土塁、竪堀と二重堀切が見どころです。
安芸高田市には田屋城はここ、旧・向原町の他にもう一つありますが、もう一つの田屋城(旧・八千代町)は距離も離れているので、まあ有りかと…
それよりお隣さんで茶臼城(世羅町と三次市三和町)のほうがややこしい…
2022年06月14日 つか征夷大将軍ぽ
安芸高田市には田屋城が2つあります。城跡は小ぶりですが、石垣井戸や石積み、山の最高部を残して削った土塁、2重堀切等の遺構があります。井戸跡の柵が壊れているので注意しましょう。
以下説明板より
比高約100mに築かれた田屋城は四つの郭で構成されている。 一郭(主郭)は最高所の東側に削り残した櫓台状の土塁を配し、さらにその背後は巨大な堀切で尾根を断ち切っている。郭の内部は、建物の基壇と考えられる石積みによる区画がよく残り、出入口も確認できる。続く二郭は主郭の北西下約10mにあり、中央に深さ約9mの石垣井戸がある。さらに10m下には四郭があり、かつて祀られていた荒神社の礎石が残る。
城主と伝わる内藤氏は、厳島神社神主家佐伯氏の一族で、鎌倉 時代より長田郷の地頭として土着し、戦国時代には毛利氏の配下 となった。永禄七(一五六六)年、毛利氏に降伏した尼子義久ら三 兄弟は長田・円明寺に幽閉され、内藤元泰が二十三年間その監視役を務めた。
築城時期は不明だが、現在の遺構は石積みの状況などから十六世紀後半のものと考えられる。