七郎城(しちろうじょう)

七郎城の基本情報

通称・別名

七郎古城、古川城

所在地

広島県広島市安佐北区白木町三田

旧国名

安芸国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

三田氏

廃城年

遺構

曲輪、帯曲輪、石垣、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

寺山城(広島県東広島市)[7.4km]
阿賀城(広島県安芸高田市)[9.0km]
熊谷氏城館(広島県広島市)[9.4km]
恵下山城(広島県広島市)[11.1km]
八木城(広島県広島市)[11.8km]
二ヶ城(広島県広島市)[12.4km]
鈴尾城(広島県安芸高田市)[13.4km]
日下津城(広島県安芸高田市)[13.5km]
槌山城(広島県東広島市)[13.7km]
永町山城(広島県広島市)[15.1km]

七郎城の解説文

七郎城は、毛利氏家臣であった三田氏の居城とされている。

現在でも、石垣や土塁、堀切などの遺構を確認する事が出来る。

七郎城の口コミ情報

2025年05月05日 尼崎城安芸守一口城主
七郎城



[公共機関🛤️進軍編]
5/2、芸備線中三田(なかみた)駅より出陣。中三田駅を出て安芸三田郵便局🏣方面へ進み、芸備線と並行する白木街道(県道37号)を三次方面へのんびり歩きながら、三篠(みささ)川越しに七郎(古川)城の遠望を撮影(写真①)※城跡(本丸)は写真①右側の高い山でなくその手前の中腹でした。
中三田駅から約1.5㌔の所に<古川城址登り口>の道標(写真②③)があり矢印に従い進み三篠川に架かる安駄(あんだ)橋を渡り左折(写真④※左手の家を過ぎた辺りに古川城址の説明板が見えています)
説明板の前に立ち全体(写真⑤)、説明板(写真⑥)、説明板右奥の道の脇にあった<←FURUKAWAJOSHI>の道標(写真⑦)を撮影。※登城前、私は写真⑦の道標を見落としてしまい😢説明板左側にあるお墓の脇から入城。下山後に道標に気付いたので登り口だけ確認に行きました。道標に沿って進むと獣害フェンス(写真⑧)があり、「古川城址見学者様 鹿・猪防護柵が山道にあります。ここの柵を開いて登って下さい。〜」との注意書きが掲示されていました。
私は道標を見落として入城してしまい本丸へ辿り着くのに苦戦してしまいましたが、正規の参道から進めば苦戦せずに本丸へ辿り着けたのかもしれません😅

2025年05月05日 尼崎城安芸守一口城主
七郎城



[城址散策前編]
七郎(古川)城説明板横のお墓の左側から進み、まず草木に少々隠れているものの石垣(写真①)を発見したのでテンションが上がってきました。獣害フェンスを越えて入城していくとかつては石畳だったような痕跡(写真②)や石垣に使用されていたのではないかと思われる面が平面状の石群(写真③)が見られました。散策中、アールを描いた石積(写真④)も見られ、その石積から少し上に進んだ所で<古川城跡➡︎>の道標(写真⑤)を目にして目指すベクトルは間違っていないなと一安心🍵
山中には土塁に挟まれた広い道(写真⑥)もありました。連続堀切(写真⑦⑧)を散策中、アプリの城郭マーク地点を確認すると写真⑦右上の高台にありそうだったので堀切を乗り越え乗り越え敵の行動制限の役目の堀切効果を体感しながら高台に登りました。

2025年05月05日 尼崎城安芸守一口城主
七郎城



[城址散策後編]
城址散策中、城郭マークを目指して山中の高台を登るというよりかは這い上がって行くと目出たく城跡碑の元へ辿り着けました。城跡碑付近に少しだけ椿が咲いていたので彩を添えて撮影(写真①)辿り着けた安堵感で思わず城跡碑前で大の字になると新緑と気持ちの良い青空(写真②)が広がっていました。
一休みして下山しようとするとガイドロープが設けている所(写真③)が目につき、ここから登りたかったなぁと思いましたが探検🧭も楽しかったので考えても仕方のないことは考えずに麓を目指しました。下山時は行き止まりかと思える斜面(写真④⑤)に突き当たってしまいましたが引き返す気力が残っていなかったのでジグザグしながら木を手すり代わりにしながらゆっくりと下りました。堀切での敵の行動制限や迷路のようにして敵の行軍を遅らせる等の縄張り効果を体感出来たのでプラスに考えます✨
城跡では所々石積の遺構(写真⑥⑦⑧)も見られ、何の用途だろうかと考える楽しみもありました🤔写真⑧は私の見立てでは、かまどか食料の貯蔵穴かなというところです。
石積遺構や堀切、切岸など随所に見られ、探検が楽しめる山城でした⛰️

2025年03月01日 織田上総介晃司
長者山城[七郎城  周辺城郭]

2024年1月に発見された古代山城。榎峠登城口より登城。車は路肩スペースに停める。

東広島市奥屋・安芸区瀬野・安佐北区狩留家にまたがる広範囲な城。

雪が多かったので深追いせず。相当歩くので夏以外に再登城。

2024年11月09日 織田上総介晃司
七郎城

城の西側の墓所に説明板が有ります。
車は墓所に墓参りと称して駐車。

登城口は少し分かりにくいですが墓所の右、民家との間となります。小さく「FURUKAWAJOATO」とローマ字で書かれた案内板があります。

城までの道は緩やかですが、城域は急で備え付けのロープが必要。心してそれなりの装備で…

七郎城より北の志和口駅に「りょうま駅長記念館」があります。
2010年に志和口駅にふらっとやって来た野良猫りょうま(’19年死去)が猫駅長として活躍した功績としてパネルや写真が飾られてあります。(在任期間2012〜2019)

現在、二代目駅長として「やまと」と副駅長の「ちどり」の兄弟猫がデビューに向けてりょうま駅長記念館に滞在してます。

開館日は日・火・金なので土曜日に行っても残念ながら会えません。

2024年11月05日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
七郎城

レポートを見て、ぜひ行きたいと思い、行きました。しかし、難易度はかなり高いですね。見どころの空堀群は確かにすごいけど、昼なお暗く、本丸はロープを伝って登る事になります。

2021年10月21日 ʀᴇᴅ副将軍
七郎城



長大な四重空堀、巨大堀切、高石垣と見所が多数詰まってます✨

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。毛利氏家臣の三田氏の居城。三田氏は藤原姓で永井庄七郎が祖と伝えられ、家督承継者の多くの名に七郎が入っているため七郎城の由来と思われます。毛利氏家臣として厳島合戦や朝鮮の役にも参陣。関ケ原合戦の後に毛利氏の長門、周防への転封に従っていき廃城。

見所
城域東部は4重の横堀で防衛線を張り、うち2条は主郭背後に回り込み長大なものとなっている。主郭西部は石垣、石段が配されており、崩落は激しいが高石垣が確認できる。
主郭から北側に尾根が続き段曲輪が連なる。
主郭と二郭は深い堀切で隔てられ、東西往来の切り通し道として利用されていたと推測。
所々に石積みで補強された土塁も点在。

行き方は、登城口に近い三篠川に架かる橋が豪雨により流され、復旧工事中で北側から回り込むことになります。
城域西側に案内板があり駐車スペースもあります。分かりにくいですが、案内板の右側が登城口となります。藪を掻き分け少し進むと獣害柵があり、そこから入ります。10分程度登れば右手に城域が広がります。

写真
①②③長大な主郭東から背後の横堀
④主郭と二郭を隔てる堀切
⑤主郭西側の高石垣
⑥主郭西側の石垣群
⑦石積みで補強された土塁
⑧主郭東側の横堀

2014年04月06日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
七郎城

東城と西城の2つの尾根から構成されています。過去にGPSを頼りに南側の林道から攻めこみましたが、崖を滑り降りる(落ちる)ので、大変危険です。麓から正攻法で!但し、入口については不明です。本丸には、地元の方が昔に設置された石碑があります。石碑には、別名の古川城と記されています。堀切や郭跡が残り、薮漕ぎ攻城の醍醐味を味わえます。

七郎城の周辺スポット情報

 長者山城(周辺城郭)

 登城口(その他)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore