熊谷氏城館(くまがいしじょうかん)
熊谷氏城館の基本情報
通称・別名
- 熊谷氏城館[三入高松城・伊勢が坪城・土居屋敷]
所在地
- 広島県広島市安佐北区可部町他(地図は三入高松城を示す)
旧国名
- 安芸国
分類・構造
- 城館遺跡群
天守構造
- -
築城主
- 熊谷直経[三入高松城]、熊谷直時[伊勢が坪城]、熊谷高直[土居屋敷]
築城年
- 応永年間(1394〜1428)?[三入高松城]、13世紀後期[伊勢が坪城]、永禄・元亀年間(1558〜1572)[土居屋敷]
主な改修者
- -
主な城主
- 熊谷氏[すべて]
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、井戸跡[三入高松城・伊勢が坪城]、堀切[伊勢が坪城]、石垣[土居屋敷]
指定文化財
- 県史跡(熊谷氏の遺跡)
再建造物
- 石碑[すべて]、説明板[すべて]
周辺の城
-
恵下山城(広島県広島市)[5.0km]
八木城(広島県広島市)[5.1km]
二ヶ城(広島県広島市)[8.7km]
七郎城(広島県広島市)[9.4km]
佐東銀山城(広島県広島市)[10.2km]
牛頭山城(広島県広島市)[10.3km]
阿賀城(広島県安芸高田市)[10.7km]
永町山城(広島県広島市)[11.9km]
府中出張城(広島県安芸郡)[14.6km]
広島城(広島県広島市)[14.8km]
熊谷氏城館の解説文
熊谷氏城館の口コミ情報
2024年08月19日 自転車制覇【お祭り】
熊谷氏城館
先達のカズさんのルートで登城&登山しました。途中シダや松の若い青がマサツチの土壌に映え、きつい登山も楽しくいけました。はっきりとした登山道が示されてはいませんが、何となくの足跡🐾を辿る登山です。比較的明るく光が差す道も多く、他の登山者もおり、怖さは感じませんでした。いつも感じますが、甲冑を着て武器を携え、何が城攻めのモチベーションだったのでしょう?戦人の体力と気力に脱帽です。
写真は登山口の看板です。駐車場もゆったりです。私はもちろん自転車です😄
2024年05月04日 織田上総介晃司
伊勢が坪城[熊谷氏城館 周辺城郭]
国道54号からバイパスではなく国道183号(旧54号)に入り進むと案内板があり、大林小学校を越え大林八幡宮を目指します。
登城口の約50m先の路側帯に駐車できますが、当て逃げに不安を感じるかたは大林八幡宮の駐車場に停めるほうが無難です。
伊勢が坪城を本城とし、馬蹄形に取り囲むように支城が造られ伊勢が坪城の守備を固めてたけど、手狭になったのと、支城が落城すると一気に攻め込まれるので本城を三入高松城に移し、伊勢が坪城は隠居先の城となった。
2023年11月29日 カズ
熊谷氏城館
今回は、三入高松城に登城しました。
根谷川沿いの土手に、駐車スペースと看板があります。
墓地を抜けて鳥居をくぐり、登城開始です。
鳥居から少し進むと、旧街道で見受けられるような、石組みの側溝がある石畳?の緩やかな登り坂となり、進行方向の右手には、石積みのある削平地が何段か見られます。
石積みは古い時代のもののようにも見えますが、「日本城郭体系」に、この削平地に関する記述が
無いことと、この削平地に面した道が先述のようにやや立派に見えることから、城とは無関係の後世のものと考える方が自然かも知れません。
(やや想像を逞しくすれば、安土城の大手道のように見えなくもないかも?)
その先で道は緩やかな尾根道とやや険しい谷筋に分かれますが、私は看板のおすすめに従って尾根道を登りました。
主要な郭を見て、上り下りを含めて1時間半の行程でした。
おすすめポイントはいろいろとありますが、広大な本丸とそこからの眺望、所々に見られる石積みの痕跡、本丸と鐘の段を隔てる空堀状の郭?、与助丸の手前にある大土塁(往時はおそらく石積み)と、その背後の巨大な空堀でしょうか。
行きには大きな雉と雌鹿が、帰りには雌鹿と子鹿?にも出会えました。
初めてこの城の存在を知ってから約40年経過しての初の登城でしたが、大満足でした。
2023年11月04日 左衛門督たいぞう
熊谷氏城館
上りはスイスイと順調に行きましたが、下りで別ルートを探したところが運の尽き、崖の途中でイノシシに出くわすわ、砂防ダムまで落ちそうになるわで大変でした。皆様の口コミを見てたのに不甲斐ない思いをしました。
2023年08月04日 織田上総介晃司
土居屋敷[熊谷氏城館 周辺城郭]
アパートの裏。会社の近くに石垣のみ残る。
三入高松城(高松山)に砂防ダムが多くあるように安佐北区三入や安佐南区八木は昔から豪雨災害が頻発に発生している。2021年の長雨や2018年の西日本豪雨などが記憶に新しい。防災の意識は常に持つほうがいい。
2023年08月04日 織田上総介晃司
熊谷氏城館
三入高松城:可部ゴルフパーク奥の桐原登城口に2台停めれる駐車場有り。今回はここより登城。途中、石垣と堀を堪能しながら主郭へ。
三入高松城のある高松山では5月末の土日に大文字焼きが行われる。京都の大文字焼きを模したとされる。
2022年05月03日 安芸守 あきら
桐原登城口駐車場[熊谷氏城館 駐車場]
駐車スペースは2台分、お行儀良く駐車すればあと2~3台は駐車できそうです。チェーンの所は通路になっているので、通行の邪魔にならないよう駐車して登城しましょう。この登城口から主郭まで、健脚なら30分程度で登城できます。ピンクのリボンを見失わないように気をつけて登城してください。道を外れると落ち葉で滑りまくる切岸を登る羽目になります。
2022年01月15日 がんこ紀伊守
熊谷氏城館
健脚の方なら登山道はたくさんあります。可部駅側からの登山道には駐車場もあります。
2020年08月09日 KAZ左大臣正勝
三入高松城[熊谷氏城館 周辺城郭]
登る途中も眺望の良い場所がありましたが本丸からも広島市内方向が開けて小さく瀬戸内海も見えます(^-^)しかし、真夏の300メートル登山はしんどいっす(≧∇≦)
2020年08月09日 KAZ左大臣正勝
本丸下の井戸[熊谷氏城館 遺構・復元物]
綺麗にまーるく、石組みが残ってます(^-^)ここから東側は、西日本豪雨の爪痕が残ってて危ないっす!
2020年08月09日 KAZ左大臣正勝
觀音寺跡[熊谷氏城館 寺社・史跡]
新庄局のおじいさま、元直公と奥方(おばあさま)のお話しです。その頃は毛利家と敵対関係で熊谷家は、安芸武田氏に属してました。元就公初陣の『有田合戦』(中国道の千代田IC付近)で元直公は首を討ち取られてしまいました(>_<)てか、武田氏の総大将も戦死だから大変な負け戦だったと思います。熊谷家の家臣が、遺体を放置して帰って来た事に、奥方は激怒!(◎_◎;)その日の夜に馬で出発し、20〜30キロ先の戦場に向かったとの事。当時の道がどこを通っていたか判りませんが大変な山道だと思います。落武者狩りの殺気だった農民も怖かった事でしょう(>_<)朝方に着いて遺体を探したとの事ですがもちろん、首は無いし鎧なんかは盗られてるだろうし、めちゃくちゃ大変だったと思います。右手に腫瘍がある事を思い出してやっとの思いで探し当てたのですが重くて、女1人ではどうしようも無く泣く泣く腕を切り落として懐にいれて持ち帰られたとの事です。その時、持ち帰った腕を洗ったとされる所が觀音寺裏手の井戸で、今でも水が枯れてません(T-T)
2020年08月09日 KAZ左大臣正勝
土居屋敷[熊谷氏城館 周辺城郭]
奥様のご実家家庭訪問シリーズ第二段は、高松山城と土居屋敷跡!吉川元春公の奥方、新庄局のご実家です(^-^)美人じゃないとか…今では、散々な言われ方ですが過去にとらわれず、吉川家と熊谷家を結びつけて、盛り立てた功績は凄いと思います。しかし、五龍姉さんとは仲が悪かったらしく小早川隆景公が『仲裁するよ!』って手紙を送っても既読スルーだったらしいっすσ(^_^;)
次は、菩提寺の觀音寺でおばあさまのお話しです(^-^)
2018年09月29日 梅鉢近江守Silvine
熊谷氏城館
国道183号、可部郵便局(北)を東へ1km弱、左手に可部パークゴルフクラブの看板があるのでそれに従って進みます。パークゴルフを越えて少し行くと左手に水道施設があり、その脇に登山口の看板が出ています。道の向かい側に2〜3台は駐車可能。
登山道はわかりやすいですが、登りはなかなか大変です。15分程で最初の曲輪群に、30分程で主郭に着きます。
堀切や石積など、山城の魅力の詰まった良いお城でした。
2017年08月02日 カーネル
熊谷氏城館
三入高松城へ
可部線可部駅から北上し、根谷川沿いの土手を歩くと、正面に鷹松山が見えてきます
高畑祇園神社のすぐ北の橋を東へ渡り、すぐに左折して、土手沿いに北上し3分ほどで高松山登山口と案内の看板があります
石碑には頂上まで1.1kmと書いてます。鳥居をくぐると、右側に屋敷跡っぽい石垣と削平地があり、いい雰囲気
登り続けるとガレ場が続きますが、案内が多数なので迷いません
三の丸の高松神社にお参りし、さらに進むと二ノ丸を経由して本丸です。眺めがよい
反対側に降りると、こちらのほうが開けていて空堀もあります。鐘の段の先で引き返して下山
可部駅に戻って1時間45分くらいでした
この後、己斐城に行ってからスーツに着替えて、お客さんのところに行きました。城跡でみた鹿の話で盛り上がった
2011年06月05日 安芸坊右衛門佐健三
熊谷氏城館
写真一番のりですってあんまりいい写真じゃありません
近くのホームセンターの駐車場から撮りました。