熊谷氏城館(くまがいしじょうかん)

熊谷氏城館の基本情報

通称・別名

熊谷氏城館[三入高松城・伊勢ヶ坪城・土居屋敷]

所在地

広島県広島市安佐北区可部町他(地図は三入高松城を示す)

旧国名

安芸国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

熊谷直経[三入高松城]、熊谷直時[伊勢ヶ坪城]、熊谷高直[土居屋敷]

築城年

応永年間(1394〜1428)?[三入高松城]、13世紀後半[伊勢ヶ坪城]、永禄・元亀年間(1558〜1572)[土居屋敷]

主な改修者

主な城主

熊谷氏[すべて]

廃城年

遺構

曲輪、井戸跡[三入高松城・伊勢ヶ坪城]、堀切[伊勢ヶ坪城]、石垣[土居屋敷]

指定文化財

県史跡(熊谷氏の遺跡)

再建造物

石碑[すべて]、説明板[すべて]

周辺の城

恵下山城(広島県広島市)[5.1km]
八木城(広島県広島市)[5.2km]
二ヶ城(広島県広島市)[8.8km]
七郎城(広島県広島市)[9.3km]
佐東銀山城(広島県広島市)[10.3km]

熊谷氏城館の解説文

三入高松城
三入高松城(みいりたかまつじょう)は、広島県広島市安佐北区可部にある山城。

安芸国三入荘を領地とした熊谷氏の居城である。「承久の乱」の戦功により安芸に入った当時の熊谷氏は当初三入荘北端に伊勢ヶ坪城を構え、居城とした。しかし戦乱の世になるにつれ、平坦な岡にある伊勢ヶ坪城の防備に不安を感じ、当主の熊谷直経は急峻な高松山に居城を構えた。これが三入高松城の始まりである。
しかし、応永年間(1394年〜1428年)に築城されたとする説などもあり、正確な築城年月は不明である。

戦国時代当初は熊谷氏は安芸武田氏に臣従していたが、熊谷信直の代になり領土問題などの争議が起こったため武田氏から離反した。天文2年(1533年)信直は毛利元就と和議を結び、以後毛利氏の重臣となっていった。同年、熊谷氏の旧主・安芸武田氏の武田光和による攻撃を受けたが落城せず、その防御能力の高さを見せ付けた。
1591年に広島城が完成すると、熊谷氏も城下に移住したが、慶長5年(1600年)「関ヶ原の戦い」の後に熊谷氏が毛利氏の防長移封に従い安芸国を離れるまで、三入高松城は熊谷氏の居城であった。城の北麓に熊谷高直が築いたとされる熊谷氏居館の「土居屋敷」跡がある。

1615年の一国一城令で破却され、多くの遺構が消滅した。

城山は、紡錘形をした、急峻で高さのある山である。高松山の標高は339メートル。頂上からは、南方に安芸香川氏の八木城、玖村氏の恵下山城、はるかに安芸武田氏の佐東銀山城を望む事ができる。城跡には井戸跡や馬場跡、石垣がわずかに残っており、本丸の土塁跡などが確認できる。前方には川が外堀として流れており、山自体もかなり急峻な典型的な山城である。城跡は昭和26年(1951年)4月6日、広島県の史跡に指定された。

現在の高松山では、毎年5月末の土日に山腹に大文字を点火、献灯する行事が行われている。これは、山頂にある愛宕神社の春祭りの一端として行われている。この可部の地は京都のように山と川に囲まれた盆地のようであり、この可部の大文字焼きは京都の「大文字」(五山の送り火)を真似たものと言われている。

伊勢ヶ坪城
伊勢ヶ坪城(いせがつぼじょう)は、広島県広島市安佐北区大林にある山城。

安芸国三入荘を領地とした熊谷氏の居城である。「承久の乱」の戦功により安芸国に入った当時の熊谷氏当主熊谷直時は三入荘北端である大林の地に伊勢ヶ坪城を構え、居城とした。

その後、戦乱の時代になると熊谷直経は山城とはいえ、比高も低く、防御力の高くない伊勢ヶ坪城から、要害堅固な三入高松城に居城を移している。しかし繋ぎの城としての役目もあり伊勢ヶ坪城は廃城となることなく存続し、隠居城としての役目も持っていたと言われている。その後毛利氏の防長移封に従い、伊勢ヶ坪城も他の熊谷氏の城や屋敷同様廃され、熊谷元直は三入の地を離れ、萩へと移っていった。

城は根ノ谷川の東岸に築かれ、1郭から南西に延びる尾根に沿って、4つの郭と北側に1つの郭を備えている。西側には3本の堀切を配置して防御線とし、1郭東側は東から延びてくる尾根を2本の堀切で遮断し、根ノ谷川を天然の堀としている。1郭の東北端には井戸の痕跡があり、1郭南西下の郭には全長20メートル高さ1.1メートル~1.5メートル程度の石垣も備えていた。

土居屋敷
土居屋敷(どいやしき)は、広島県広島市安佐北区可部にある、戦国時代の熊谷氏の居館。

安芸熊谷氏当主・熊谷高直によって、高直自らの居城である三入高松城の城地であった高松山の麓に建てたと言われている。三入高松城は詰の城としての役割を担い、熊谷氏の日常生活はこの土居屋敷で営まれていたと考えられている。

熊谷高直の頃の安芸国は、熊谷氏の従う毛利氏の勢力拡大により国内は安定した状態に入っていた為、生活に不便の無い山麓に住居を構えたものと推測される。

しかし、土居屋敷も守りを考えた居館であり、約60m²の四角形の敷地には石垣がめぐらされ、居館の西方には根谷川、北には堀を備え、近世的な城郭としての機能もあったものと思われる。その土居屋敷の後方には、詰の城の役割を持つ三入高松城のある高松山がそびえている。

1591年、広島城の完成により、当時の当主・熊谷元直もこの住み慣れた三入庄を離れ、広島に住した。そして1600年、関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏の防長移封に従い、当時の当主・熊谷元直も萩に移住し、およそ350年に渡る熊谷氏の三入庄支配は終焉を迎えるのである。この時に土居屋敷も破却されたものと思われる。

現在は県史跡に指定されながらも周辺地域は畑や駐車場となり、アパートや変電所が建てられ、往時の雰囲気を感じる事はできない。わずかに残る巨石を使った石垣だけが、熊谷氏の栄華を偲ばせる。反対側に熊谷氏の菩提寺であった観音寺跡がある。

熊谷氏城館の口コミ情報

カーネル様[2017年08月02日]
三入高松城へ

可部線可部駅から北上し、根谷川沿いの土手を歩くと、正面に鷹松山が見えてきます

高畑祇園神社のすぐ北の橋を東へ渡り、すぐに左折して、土手沿いに北上し3分ほどで高松山登山口と案内の看板があります

石碑には頂上まで1.1kmと書いてます。鳥居をくぐると、右側に屋敷跡っぽい石垣と削平地があり、いい雰囲気

登り続けるとガレ場が続きますが、案内が多数なので迷いません
三の丸の高松神社にお参りし、さらに進むと二ノ丸を経由して本丸です。眺めがよい

反対側に降りると、こちらのほうが開けていて空堀もあります。鐘の段の先で引き返して下山
可部駅に戻って1時間45分くらいでした

この後、己斐城に行ってからスーツに着替えて、お客さんのところに行きました。城跡でみた鹿の話で盛り上がった

安芸坊掃部頭健三様[2011年06月05日]
写真一番のりですってあんまりいい写真じゃありません

近くのホームセンターの駐車場から撮りました。

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