池田城(いけだじょう)
池田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 大阪府池田市城山町3-46
旧国名
- 摂津国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 池田教依
築城年
- 建武元年(1334)頃
主な改修者
- 不明
主な城主
- 池田氏、荒木氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀、井戸
指定文化財
- -
再建造物
- 模擬櫓台、模擬大手門
周辺の城
-
麻田陣屋(大阪府豊中市)[4.1km]
新田城(兵庫県川西市)[4.4km]
有岡城(兵庫県伊丹市)[5.1km]
小浜城(兵庫県宝塚市)[6.2km]
原田城(大阪府豊中市)[6.8km]
善福寺原城(大阪府箕面市)[7.2km]
塚口城(兵庫県尼崎市)[8.1km]
富松城(兵庫県尼崎市)[8.2km]
山下城(兵庫県川西市)[8.4km]
今西家土居屋敷(大阪府豊中市)[8.7km]
池田城の解説文
[引用元:Wikipedia「池田城」の項目]
池田城(いけだじょう)は、大阪府池田市にあった日本の城。建武元年(1334年)前後に現在の池田市にある五月山南麓の丘陵地に、豊島の土着豪族池田教依が築き、代々池田氏が城主を務めた。現在は「城跡の歴史を感じられる憩いの場」として池田城跡公園が整備されている。
概要
池田城は、大阪府池田市城山町周辺の標高50mの高台に位置し、五月山の南麓の東西に延びる尾根を利用し、西側には崖、北側には杉ヶ谷川を取り入れ、東、南には堀(最大幅で25.7m、深さ6.5mという大規模なもの)と土塁を配置し防御効果を高めた、畿内でも屈指の規模を誇った城郭として知られている。
沿革
池田城は室町時代から戦国時代にかけて、豊島郡(現在の池田市、豊中市、箕面市周辺)を治めていた国人領主・池田氏の居城だった。
池田城の拡張
築城当初は、主郭部分(本丸に相当する部分)と小さな曲輪が取り付けた小規模な城であった。主郭の中には、枯山水風の庭園が築かれており、戦闘防御施設の中に文化施設が設けられ、この時代から城は生活の場所でもあったとうかがわせる。その後、池田城は何度か落城をしており、その都度防御機能や縄張りを強化していく。
池田城が最初に落城したのは、応仁の乱で東軍について、文明元年(1469年)に西軍の大内政弘の軍に攻められた時である。この時はすぐに奪回したので被害も少なく大規模な改修はなかったと思われる。
次いで永正の錯乱に端を発した細川氏の内紛で細川澄元派に属していた池田貞正は、永正5年(1508年)に反対勢力であった細川高国の攻撃を受けて落城、貞正は自殺して子の信正は逃亡した。発掘調査で炭層、焼土が厚く堆積していることが確認されており、池田城は被害をうけたと見受けられている。その後、享禄4年(1531年)の大物崩れでも高国の攻撃を受け、この戦いの後に城の復興で主郭の堀を広げ周りに土塁を設け、南側にも連郭状の曲輪を設け防御陣地を広げていった。天文2年(1533年)、享禄・天文の乱で2月に一向一揆に敗れて堺から淡路へ逃れていた細川晴元が4月にこの城に入城、畿内へ戻った。
永禄11年(1568年)、池田勝正は織田信長に抵抗したが織田軍の攻撃を受け落城した。しかし勝正は抵抗したお咎めを受けなかった上に逆に評価され、信長から6万石を賜って家臣となった。池田城は信長の持つ「虎口」などの城郭の技術を取り入れてより拡張した。池田城の虎口は城内に二度曲げ、それ以外に東側に横堀を二条掘削し、大規模な曲輪を設け城域を拡張した。
勝正は信長に摂津三守護の1人に任命され、金ヶ崎の退き口では殿を務めるなど活躍したが、三好三人衆についた一族の池田知正や荒木村重に池田城から追放された。
荒木村重の台頭
荒木村重は重臣「池田21人衆」の1人として頭角を現し、池田勝正を追放した池田氏内部のクーデターで城内をまとめ、残る摂津三守護の和田惟政、伊丹親興を討ち取って茨木城と高槻城を手中に収め、元亀4年(1573年)3月29日に足利義昭と対立した信長と京都知恩院で対面し信長に忠誠を誓う。この時信長は高槻城攻略に激賞し、村重に摂津の単独守護職を認めた。池田知正は義昭に就いたため没落、池田家を乗っ取った村重の家臣になった(下克上)。摂津は南北朝時代以降分郡支配体制だったが、村重より一国一大名体制になった。
その後伊丹城を手に入れた村重は有岡城と改名し、居城を有岡城に移した。池田城の城主は知正になったという話もある。
天正6年(1578年)に村重は石山合戦の最中に石山本願寺に内通しているという噂が流れ、信長も噂が大きくなるにつれ、真意を探るべく自分の前で申し開きをするように命じた。当初村重は母親を人質に入れ、申し開きをすることを承諾したが、明智光秀や羽柴秀吉などの説得も受け入れず信長のいる安土城には出仕しなかった。ここに至り謀反を明確にした村重は本拠地に有岡城を定め、高槻城、茨木城、尼崎城(近世尼崎城でなく大物城でないかと思われる)、花隈城に兵を配置し織田軍の進攻に備えた。こうして有岡城の戦いが始まる。村重は池田城に軍を配置しておらず、池田城の池田氏は村重に対して協力的でなかった可能性がある。
これに対して信長は11月9日に出陣、高槻城、茨木城を無血開城に成功、同年11月27日に「古池田」、池田城に織田軍は陣を張った。その後有岡城の四方を囲み始め12月8日に攻撃を開始する。まず鉄砲隊が一斉射撃し弓隊の火矢でかく乱し、酉の刻有岡城に突入を開始したが、攻め切ることが出来ず、逆に多くの家臣を失うことになる。
信長は戦術を持久戦に変更、周りに兵を配置しつつ12月11日に池田城に陣を戻し、12月25日に自身は安土城に戻っていた。その後、信長は安土城から池田城、池田城から京都など、池田城に陣を構えたまま各所に出かけ、持久戦の効果が出るのを待ち続けた。村重は翌年9月2日の深夜、家来5、6名をつれて尼崎城へ移り、毛利氏に援軍を要請しに出向いたと思われる。信長はこの時を好機ととらえ再び攻撃を命じ、天正7年(1579年)11月に有岡城は落城した。生き残った妻子や家来は尼崎七松で刑にかけられ命を落とした。村重はその後生き残り、秀吉の茶人となったと言われている。池田知正も妻子を尼崎七松で処刑されたが秀吉の家臣になった。
廃城
荒木村重の謀反から始まった戦で池田城は村重に捨てられ信長側が利用した。当時の城主が誰だったかはわからない。ある資料には「天正の間に時の城主、池田三左衛門輝國は攝津尼崎城主荒木攝津守と不和を生じついに戦になり、三左衛門は戦死した」とある。荒木攝津守は村重の縁者とされる。池田城は有岡城が落城した翌天正8年(1580年)、信長の命により廃城となった。池田城にいたとされる池田氏もどうなったかはわからない。
『信長公記』によると「古池田に至って御陣を居させられ」とある。建武元年(1334年)前後に建築されたのだから天正8年であれば245年ほども経っていたことになり古い城であったといえる。
4年に亘る発掘調査
平成元年(1989年)から4年に亘る大規模な発掘調査が実施され、多くの遺構、遺物が発見され、遺構は公園整備に伴い復元されている。
池田城跡公園としての演出
発掘調査から遺構を復元した以外に、城跡としてイメージを演出させる模擬施設がいくつかある。池田城跡公園は平成11年度に完成した。
城跡へのアクセス
- 鉄道アクセス
- 池田駅(阪急宝塚本線)から徒歩15分
参考文献
- 『日本城郭大系』第12巻 大阪・兵庫、新人物往来社、1981年3月。
- 『町を放火候なり』池田市立歴史民俗資料館、2000年10月。
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池田城の口コミ情報
2024年08月05日 血圧高い系男子RED副将軍
池田城
室町時代から戦国時代にかけて支配していた池田氏と荒木村重の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。1334年頃に池田教依により築かれたと考えられています。
池田氏の歴史は古く、景行天皇の後裔が和泉の旧池田村に居住したことが始まりとされます。その末裔が美濃の荘官として赴任。美濃池田荘と呼ばれます。
池田奉貞の妹は源頼政の弟である源仲光に嫁いでおり、その四男泰政を養子として迎えたことから清和源氏池田氏ともなりました。
池田泰政は美濃池田と摂津豊島の地頭職を兼ねており、この摂津豊島の系譜が摂津池田氏です。
代々池田氏の居城として続きましたが、1469年には応仁の乱で東軍に属しましたが、西軍の大内政弘の軍に攻められ落城。しかしすぐに奪回したとされます。
1508年、池田貞正は細川氏の内紛で細川澄元に属していたため細川高国と戦うも落城。嫡子の池田久宗が奪還したとされます。
1568年、織田信長に池田勝正は抵抗するも降伏。池田勝正は織田信長に摂津三守護のひとりに任命され活躍するも、三好三人衆についた池田知正や荒木村重により池田城から追放。その後は荒木村重が入城。荒木村重は勢力を拡大し伊丹城を手に入れると有岡城に改称して居城を移したため、池田城は廃城となったとされます。
見所
五月山南麓に築かれた平山城。
主郭部は池田城跡公園として整備されており、模擬天守や城門が復元されています。
公園化により相当な改変を受けていますが、東側の空堀など城郭遺構を感じることが出来ます。
2023年11月28日 装鉄城大膳大夫乱怒
池田城
注意!池田公園は火曜日が休園日になります!注意して下さい!
2023年07月03日 明石家船上
池田城
本丸(主郭)の上は、公園に整備されており、南側に土塁が少し、排水溝は復元?西側の切岸、東側の空堀、南側の出丸との間の空堀は、遺構が残っている。池田駅から、登っていく途中の道は湾曲しており、水路に沿った道であることがわかる。当時からの水田の遺構かもしれない
2023年06月20日 近江守フロクニ
コインパーキング[池田城 駐車場]
車4台分のみなのでタイミングが合えば利用可能
2023年03月10日 康希路右近衛中将巳兎神
池田城
地元シンボルという感じのとても良いお城でした。
2022年12月05日 弾正少弼ますまきょ
池田城
桜と紅葉が楽しめる公園です。ガイドの方が詳しく池田城や池田市について説明して頂けます。庭に見える場所は有岡城の荒木村重に対するため織田信長が石山本願寺から駆けつけ陣を張った場所だそうです。てるてる家族のモチーフもあります
2022年07月18日 ビーンズマン左兵衛督
池田城
駐車場はありません。近くの大きな公園の駐車場に停めました。
2022年05月29日 タケナカ侍従
池田城
きつめの坂道があり、池田城跡公園と五月山動物園が隣接しているので間違えないように池田城跡公園案内板を探したらいいです。あと、池田城跡を型どった?御城印入れが売っておりびっくりした!
今なら季節限定御城印が発売中です。通常版は2種類あります。スタンプがありますが、続100、100名城スタンプと関係ないので、ご注意を!
2021年12月06日 グッサン
池田城
周辺自治体の小学校の遠足先として、また、池田市民の憩いの場として愛されている城郭です。復元櫓からは、大阪平野が一望できます。
2021年11月04日 勘解由長官ピッコ丸
池田城
公園として整備されており、きれいです。要所に説明看板がありました。
2021年08月17日 フク伯耆守
池田城
池田駅の観光案内所で周辺地図をもらえ、歩き方等詳しく教えてくれます。
2021年07月23日 大八
池田城
少ししか見てませんが入口に売店もあり公園を楽しむ感じです。小さいのでゆっくりできます。入口付近にもコインパーキングあり。
2021年04月23日 天道式部卿早雲
コインパーキング [池田城 駐車場]
少し離れていますが、付近では一番安いパーキングだと思います。
城跡まで20分ほど
2021年04月23日 天道式部卿早雲
コインパーキング[池田城 駐車場]
30分200円 2021年4月現在
城跡・大手門まで徒歩10ほどです。
2021年03月20日 副島摂津守信之
池田城
ここは時々来たくなるお城 綺麗に管理されていてとても気持ちいい 小さな展望天守から西側の眺めがとてもいい
2021年01月14日 あつし
池田城
入場料が無料で小さなお城ですがお庭も綺麗で景色も素晴らしいです。御城印もいただけます。
2020年12月29日 和泉守UNSET
池田城
阪急学園池田文庫側から行くと、急な階段を登らず楽に行けます。
2020年11月29日 ラッキーマン筑前守
池田城
管理の届いた綺麗な公園です。夜は公園に入れません。また、ペット同伴も禁止です。
2020年09月21日 Wolfen
池田城
今月から新しい御城印(左)が発売されました。
2019年11月26日 おおさかなおみ
池田城
池田城にも御城印あります。売店で1枚100円にて販売中です。今なら季節外れの寒桜見ることが出来ます♪
2018年02月12日 織田上総介晃司
池田城
駐車場は模擬大手門に近いコインパーキングを利用。ただ5台分のみで他は契約者の駐車場なので注意。
トイレは池田城公園売店にあります。
枯山水、井戸、虎口、土塁が復元されてます。
こじんまりとした広さなので閉園20分前の到着ですがそこそこ見ることができました。
2016年06月20日 橘若狭守次郎吉
池田城
池田城は現在池田城跡公園として整備されている。現在様々な遺構が復元されている。展望台の役目をする城風建物の模擬天守からの眺めは最高である。模擬天守内には池田城の概要パネルが設置されている。自販機もある。
池田城について詳しく書かれたパンフレットは管理棟のお土産販売コーナーに置かれているので要チェック!管理棟にはトイレもあるから安心
だ。自販機もある。
公園内には日本庭園、茶室がある。遺構としては門・木橋・城壁・虎口門・井戸・模擬天守・曲輪・土塁・堀などがある(*一部復元)
開園時間は9時~19時(11月~3月は9時~17時)
休園日は火曜日(祝日の場合は翌日)と12月29日~1月1日
池田城跡公園から東へ徒歩約12分のところに池田市立民俗資料館(池田市立図書館)があり、池田城跡からの出土品が展示されている。近所には伝荒木村重の塚があ。この2つも要チェック!
2016年02月15日 まるき〜陸中守
池田城
先ずはアクセス、府道9号線 五月山公園の第3駐車場から五月山体育館の横を抜けて行くと5分程で池田城址公園に、パンフは公園内の管理棟にて入手できます。ぶっちゃけ遺構は埋められて その上に公園が整備され模擬天守が建てられています。土塁、排水溝、枯山水、礎石が復元され当時のイメージを残している。井戸は明治に丸形から外装を四角形に直されている。模擬天守は丸岡城をイメージして建てられていて理由は同じ年代に存在、築城されただろうと言う事でそうなったらしい。五月山体育館内には本来の池田城の様子を再現したジオラマ模型と資料パネルが少々あるので寄ってみると新たな発見があるかも…第3駐車場から徒歩10分くらいの所に池田城主菩提寺、大広寺があり城主切腹時の血天井があり、国道423号線を車で10分程北に走ると秀吉が月見をしたという久安寺がある、五月山公園内には無料の動物園もあるので小さいお子様でも楽しめるかと…実は少し道がわかりにくいのですが池田市教育センター前、城址公園東側のパーキングが一番近くて料金も安いです。30分100円ですが駐車スペースは5台のみ←空いていればラッキー(^o^)/
2016年01月24日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
池田城
登城攻略しなくても池田駅で攻略可能です、ですが近いですから行くことにしました。池田市役所前、同警察署前を通過緩やかですが登り坂。突き当たりの展示館を回り込むように(ここから急坂道)5分も歩き登りますと到着。門をくぐり案内所内の壁に整備前の池田城の写真あり。中の芝生に本丸殿跡柱の礎石あります。縦横10メートル位。この上に今ある展望台のような感じの館があったのか?池にある展望台ですが管理員から丸岡城を真似て建てられたとのお話聞かせていただきました。6月には百合が綺麗に咲き誇るそうです。この日は10月桜が咲いてました(´▽`)ノ
2015年08月17日 柴崎権大納言幸助
池田城
城跡公園は9時開園で、火曜日は休園です。
2014年05月23日 178ックス永遠の副将軍
池田城
天守に上る階段は
そんなに急ではありませんが、手すりに昇降機が
設置されていますので
安心して天守からの景色を見ることができます。
2014年03月03日 瀧乃道大蔵卿ユズル
池田城
東側の門は、猪対策で閉まっていますので城の北側、西側からがオススメ。鯉の餌やりがありますが、夕方に行った為、満腹なのか全く反応無しで、無駄になるので注意!
2013年02月24日 尾張守ひろっちぃ
池田城
五月山の南にある小高い山の上に池田城はあり、城跡公園として整備されています。
山頂には模擬天守があり、門や礎石跡があります。
夕方になると猪が出没するらしく入口の門は閉じてしまうそうです
池田城の周辺スポット情報
土塁(遺構・復元物)
礎石(遺構・復元物)
北門(遺構・復元物)
井戸(遺構・復元物)
切岸(遺構・復元物)
南門(遺構・復元物)
西門(遺構・復元物)
虎口(遺構・復元物)
枡形虎口(遺構・復元物)
空堀(遺構・復元物)
二の丸(遺構・復元物)
三の丸(遺構・復元物)
東惣構跡(遺構・復元物)
南惣構跡(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
東惣濠橋跡(遺構・復元物)
大手門(遺構・復元物)
日本庭園(遺構・復元物)
木橋(遺構・復元物)
石碑(碑・説明板)
高法寺(寺社・史跡)
呉服神社(寺社・史跡)
茶臼山古墳(寺社・史跡)
大広寺(寺社・史跡)
稲荷山古墳(寺社・史跡)
稻束家住宅(寺社・史跡)
勝尾寺(寺社・史跡)
久安寺(寺社・史跡)
瀧安寺(寺社・史跡)
呉春(寺社・史跡)
西光寺(寺社・史跡)
寿命寺(寺社・史跡)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
コインパーキング(駐車場)
コインパーキング (駐車場)
コインパーキング(駐車場)
駐車場(駐車場)
コインパーキング(駐車場)
城山第2公園(関連施設)
城山第1公園(関連施設)
茶室(関連施設)
池田城跡公園(関連施設)
やぐら風展望休憩舍(関連施設)
池田市立歴史民俗資料館(関連施設)
池田城跡公園管理事務所(関連施設)
五月山公園(その他)
逸翁美術館(その他)
池田文庫(その他)