尼崎城(あまがさきじょう)
尼崎城の基本情報
通称・別名
- 琴浦城、尼丘城
所在地
- 兵庫県尼崎市南城内
旧国名
- 摂津国
分類・構造
- 平城
天守構造
- 複合式層塔型[4重4階/1618年築/破却(廃城令)]、複合式層塔型[4重5階/2018年築/RC造外観復元]
築城主
- 戸田氏鉄
築城年
- 元和3年(1617)
主な改修者
- 青山氏
主な城主
- 戸田氏、青山氏、松平氏
廃城年
- 明治6年(1873)
遺構
- 石垣(埋蔵)
指定文化財
- -
再建造物
- 外観復元天守、復元石垣、復元土塀、石碑、説明板
周辺の城
-
大和田城(大阪府大阪市)[2.4km]
七松城(兵庫県尼崎市)[2.8km]
小松城(兵庫県西宮市)[3.9km]
塚口城(兵庫県尼崎市)[4.5km]
三津屋城(大阪府大阪市)[4.9km]
富松城(兵庫県尼崎市)[5.2km]
堀城(大阪府大阪市)[5.6km]
野田城(大阪府大阪市)[6.0km]
瓦林城(兵庫県西宮市)[6.1km]
天保山台場(大阪府大阪市)[6.4km]
尼崎城の解説文
[引用元:Wikipedia「尼崎城」の項目]尼崎城(あまがさきじょう)は、兵庫県尼崎市にあった日本の城である。江戸時代初期に築城された平城。
安土桃山時代の天正6年(1578)に荒木村重が織田信長に反旗を翻した際、有岡城から逃げ込んだ先である大物城は尼崎城(尼崎古城)とも呼ばれるが、現在の尼崎城趾とは位置が異なる。
【沿革】
元和3年(1617)、戸田氏鉄(うじかね)が5万石で入封し築いた。3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と3棟の三重櫓が上げられた。
城主は、築城から廃城まで3氏12代が入れ替わった。戸田氏の後は、青山氏4代、そして正徳元年(1711)桜井松平家の松平忠喬(ただたか)が4万6千石で入り、以後桜井松平家の支配が7代と続き幕末を迎えた。最後の藩主は松平忠興である。歴代城主については尼崎藩の歴代藩主の一覧に記載がある。
明治6年(1873)の廃城令により建物は一部を除き取り壊されたが、明治7年(1874)、本丸御殿の一部が菩提寺・深正院(市内大物町)の本堂として移築された。この本堂は戦前まで残っていたが、戦災に遭い焼失した。城跡の一部に尼崎城址公園が整備され、石垣および土塀が模擬復元されている。公園内には尼崎市立中央図書館がある。本丸跡は尼崎市立明城小学校の敷地として利用されている。
【縄張り】
尼崎城は、大物川と庄下川が大阪湾に注ぐデルタ地帯に築かれた城で、尼崎城に直接船が横付けできたことから、海に浮かんだような城であったと言われている。
水堀は2重、3重に巡らされ、縄張りはほぼ正方形で4重の天守・3棟の三重櫓・城門・本丸御殿を建て並べた本丸を中心に、・西部と北部を囲むように二之丸、東に松之丸、二の丸・松の丸を囲むように西部に西三之丸、東部に東三之丸、さらに南に南浜を配置した。
~本丸~
本丸は東西、南北とも約115メートルのほぼ正方形で、尼崎城の中心に位置し、政務をつかさどる場所であった。本丸の北東隅に天守、天守の付櫓として寅卯二重渡櫓と二重渡櫓、他の3隅に三重櫓が1棟ずつ建てられ、大手方面は多聞櫓を廻らせていた。その中心に御殿があり、大書院を中心として台所や居間、式台、金之間など複数の建物を繋げた構成であった。虎口は東に虎之門、南に太鼓門、西に搦手門の3つが開かれていた。
-天守-
本丸の東北隅に位置し、西側と南側に付櫓を持つ複合式層塔型4重4階の天守で「分間城図付絵図」では「四重組大櫓」とも併記されている。外観は白漆喰総塗籠で2重目から4重目に唐破風や切妻破風が付けられていた。規模は、東西(桁行)10間5尺4寸(約21メートル)、南北(梁間)8間3尺(約17メートル)、天守台上から棟までの高さは55尺3寸(約16.8メートル)あった。...[続きを見る]
尼崎城の口コミ情報
2021年01月28日 TAKUMA
残念さんの墓[尼崎城 碑・説明板]
この墓は、長州藩士山本文之助の墓です。文之助は元治元年(1864)の禁門の変に従軍しますが、長州藩が敗北し、京都からの敗走途中に大物の城下町北の口門で尼崎藩に捕らえられ、取調中に自決しました。尼崎藩の建てた墓には、当時の「長州びいき」の流行から大坂からの参詣人が押し寄せ、やがて死に際に「残念、残念」と叫んだと言うので、「残念さん」と呼ばれるようになりました。 現在の墓は長州藩と取引のあった尼崎の商人油屋喜平(長尾家)の世話で建てられたといわれています。
2021年01月27日 TAKUMA
水堂陣屋[尼崎城 周辺城郭]
水堂陣屋は、尼崎藩主青山幸成(五万四千石)が寛永二十年(1643)ごろニ男の丹後守幸通に分知させた摂津地域8ヶ所の領地三千石を、幸道が統治するために設けた地方代官の役所跡です。この領地には水堂を初め、潮江・次屋・浜の尼崎市域のほか、西宮市域の下大市・樋口新田・久右衛新田・中村など武庫川沿いの村の小部分が含まれています。この地の地方代官は青田氏が代々勤めてきました。
昔は門が残っていましたが、取り壊されて何も残っていません。
2020年10月17日 播磨屋弾正大弼
尼崎城
尼崎城の明確な遺構はないのですが、旧城域の道路がかつての縄張りに沿っていたり、お城を偲ばせる地名が残っています。
再建天守の近くにかかる開明橋の欄干は縄張図を模したデザインです。
2020年10月17日 播磨屋弾正大弼
尼崎城
2020年10月10日に本丸跡の旧校舎を利用した尼崎市立歴史博物館が開館。敷地内に「尼崎城天守閣遺跡」の碑があり、また門の脇に矢穴の入った石垣の石が展示されています。
館内にも本丸模型や天守の図面、城下の絵図が展示されていて、城の変遷が分かります。
再建天守からも近く、入場無料なので、併せて訪問することをお勧め。
2020年10月12日 ゆきょう内匠助
尼崎城
復元天守、とても整然としていました
天守内では、尼崎城の歴史、概要の紹介、子供も楽しめる衣装体験、VR等あり、老若男女楽しめるんじゃないかな、と思いました
2020年10月08日 天道加賀守早雲
大物くずれの戦跡碑[尼崎城 碑・説明板]
最初の天下人・三好長慶の実父・三好元長が軍事中心になって、細川高国の軍を破り、高国を切腹させて滅ぼした戦い。
この戦いで元長は主君・細川晴元の管領としての地位を確固たるものにし、堺に足利義維を頭領とした幕府体制を整えるが、後に晴元や一族の三好政長などにうとまれ、一向一揆に助勢要請までして元長を攻め、追い込む。元長は堺・顕本寺で切腹しハラワタを天井に投げ当てるという壮絶な最後を遂げる。
ちなみに、高国は元長の祖父・之長、父・長秀の仇で、晴元・政長は長慶にとって父の仇でそれぞれに討たれたり、権力を奪われている。
2020年10月08日 天道加賀守早雲
城の模型[尼崎城 その他]
天守閣と三重櫓・二重櫓の立派な模型。
小学校の敷地内にあるので、間近で見られないのが残念です。もしかしたら、校門のイヤホン押して事情話してお願いすれば、入らせてくれるかもしれませんが……
柵越しに校内撮影するのも、端から見るとあやしいかもしれないので、ご注意を
2020年10月08日 天道加賀守早雲
尼崎城石垣の石 展示?[尼崎城 遺構・復元物]
尼崎城本丸跡に建設された女学校をリニューアルし、2020年10月10日に開館した尼崎市立歴史博物館
その博物館の入口に展示されている、尼崎城石垣の石
看板だけで、説明板などはなく詳細はわかりませんが、発掘調査などで見つかったものかな?
2020年09月20日 JC大宰大弐VD
大物城[尼崎城 周辺城郭]
大物城(尼崎古城)は、荒木村重が有岡城から逃げ込んだ城として有名ですが、正確は位置は特定されていないそうです。ここではGoogle Mapで検索すると出てくる場所である、大物主神社にスポットを置かせていただきました。
2020年09月05日 摂津守いくpika
大物くずれの戦跡碑[尼崎城 碑・説明板]
大物くずれの戦跡碑の説明板に「尼崎城(大物城か)に逃げ込む…」との記載があります。その旧尼崎城(大物城)はこの戦跡碑の南西斜向かいの阪神電車車庫が推定地とされています。荒木村重•村次親子の尼崎城もこちらだったのでしょうか?
また戦跡碑の横の大物交番の側には廃線となった尼崎港線の踏切の柵の一部が残っています。(数年前に大物交番と戦跡碑は旧線路内に移築されました。その際に柵も撤去ではなく移築して遺してくれています)
廃線マニアの方も是非に。
2020年02月16日 蘭来(¬_¬)河内守蘭丸
尼崎城
令和2年3月28日(土)、29日(日)は尼崎城再建1周年記念日として「御登城記念証」が発売されます。
*記念証のみの販売はありません。
2019年11月11日 蘭来(¬_¬)河内守蘭丸
尼崎城
月曜日は休館日になってます。
出来るだけ事前の確認が必要ですね。
また、大阪方面から向かわれる方は、43号線の右折レーンがかなり混み合います。
ひとつ先の信号を右折される方がスムーズに行けると思いますよ。
2019年07月06日 図書頭かねつら
尼崎城
まだ新しいが精度高そうな復元天守。
回りは市街地で昔の縄張りはわからないが、天守内部の展示で往時の縄張りが見えてgood
面白そうなハイテクな展示もチラホラで外身は残念だけど尼崎城のことは良くわかった
2019年06月24日 摂津守やまびこ
尼崎城
尼崎城内の古地図に照らし合わせた地図です。左側の白色の古地図が大正9年の町並みを照らし合わせ、右側のカラーの古地図が平成31年の町並みと照らし合わせています。
2019年06月23日 青江志摩守又八郎
尼崎城
元祖外観復元天守。インターホンでご挨拶したら快く敷地に入れて頂きました。
児童と教員で作り上げたとは、熱意を感じます。堀も櫓もあって本格的でした。
2019年04月03日 小田出羽守氏治
尼崎城
尼崎城の再建天守は、当時の本丸の北西にあり、再建天守の位置が本丸という訳ではありません。
再建天守のある尼崎城址公園には、20台程度の有料駐車場があります。
桜は少しだけ咲いていました。
再建天守の入場料は大人500円、子供250円です。
最上階からは、尼崎の街を見張らすことができます。
また、東西南北にタブレットが1台置いてあり、そのタブレットで周辺の当時の様子を知ることが出来ます。
他には、甲冑などの試着体験が出来る階や槍、打刀、火縄銃、弓を持つことが出来る階があります。
1階には少しだけお土産コーナーがあります。
エレベーターが完備されており、バリアフリー対策も万全です。
阪神電車の尼崎駅からすぐと好立地のため、大阪や神戸観光のついでに是非どうぞ!
2019年03月31日 raven
尼崎城
他の城みたいに展示物はありません。
5F窓からの展望、4F全国の城の手拭展示、3Fコスプレ空間、2F戸田氏からの城の簡単な説明・VRを使った解説やら遊び、1F入場口とお土産コーナー、となってます。
お土産は少しだけで、入城料は大人500円です。
2018年12月11日 内大臣織田晃司
尼崎城
尼崎城址公園近くのコインパーキングに停車。
個人の寄付で建てられた尼崎城天守は位置も向きも本来とは異なるものの、外観及び寸法は史実通り復元されてます。
2019年3月には一般公開され、尼崎の新しいシンボルとなるでしょう。
2018年11月23日 箕谷城主
尼崎城
尼崎信用金庫記念館に、尼崎城の図面や城下町の地図が多数展示されています。工業都市のイメージですが、本当は大きな城下町だったんです。
2018年11月08日 vino-s
尼崎城
天守閣の足場とれてます11月11日まで尼信会館で尼崎城の絵図が展示中 入場無料
2018年10月19日 逢坂河内守義就
尼崎城
再建天守は2019年3月29日一般公開だそうです
2018年02月01日 アキ(´⊙ω⊙`)
尼崎城
個人の寄附で現在再建中の天守閣が2018年8月に完成予定です。
内部入場は展示品、史料などの移動で一年ほど後になるそうです。
2016年12月27日 摂津守いくpika
尼崎城
何も遺構が無い尼崎城ですが…
阪神尼崎駅の南西側に広がる寺町の中にある法園寺には佐々成政の墓碑があります(写真①②)。
法園寺の南東に尼信会館があり尼崎城の展示物があります(無料)。
尼信会館から東へ進み庄下川(尼崎城の堀跡)を渡ると右手に櫻井神社があり、社殿の前には尼崎城で使われていた棟瓦が置かれています。
橋からの道をそのまま東へ進み右手のグランドを反時計回りにグランド沿いを進むと、グランド南面に尼崎城趾の石碑があります。
そのままグランド沿いを東へ進むと明城小学校の正門があり、中に尼崎城の模型があります(写真③)。
そのまま反時計回りに進むと北面に文化財収蔵庫の正門があります。
正門の正面に尼崎城天守閣遺蹟の石碑があります(写真④)。門の左手には石垣で使用されていた石が無造作に置かれています。
なお、文化財収蔵庫内にも尼崎駅の展示物があります(無料)。
収蔵庫から北東へ進み阪神電車の高架を超えた交番の横に大物くづれ戦跡の石碑があります(写真⑤)。
東へ進むと阪神大物駅に到着します。
徒歩で一時間半位で回れると思います。
2016年08月20日 志摩守せんとくん
尼崎城
阪神尼崎駅のホームから、川越しに、模擬石垣と模擬塀が見えますが、模擬塀の中部は市立図書館になってます。
川は昔の堀でしょうか?
昔は、模擬石垣のすぐ下は、池だったのに、水がなくなってます。
尼崎城の石碑と案内板は、模擬城から南側にある明城小学校の南側の壁際に、地味にありました。
人通りが少ないのが、印象的でした。
2016年05月09日 なごなご
尼崎城
遺構はほとんどありませんが、石垣内にある図書館に資料が揃っており、また案内パンフレットもあるので、探索前にこっちへ行くことをお勧めします!
2012年03月23日 加賀美 摂津守遠光
尼崎城
阪神尼崎駅、寺町に尼信博物館が御座いましてこちに尼崎城及び、尼崎藩の資料等が展示されております。
駐車場有り、無料です。