尼崎城(あまがさきじょう)

尼崎城の基本情報

通称・別名

琴浦城、尼丘城

所在地

兵庫県尼崎市南城内

旧国名

摂津国

分類・構造

平城

天守構造

複合式層塔型[4重4階/1618年築/破却(廃城令)]、複合式層塔型[4重5階/2018年築/RC造外観復元]

築城主

戸田氏鉄

築城年

元和3年(1617)

主な改修者

青山氏

主な城主

戸田氏、青山氏、松平氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

石垣(埋蔵)

指定文化財

再建造物

外観復元天守、復元石垣、復元土塀、石碑、説明板

周辺の城

大和田城(大阪府大阪市)[2.4km]
七松城(兵庫県尼崎市)[2.8km]
小松城(兵庫県西宮市)[3.9km]
塚口城(兵庫県尼崎市)[4.5km]
三津屋城(大阪府大阪市)[4.9km]
富松城(兵庫県尼崎市)[5.2km]
堀城(大阪府大阪市)[5.6km]
野田城(大阪府大阪市)[6.0km]
瓦林城(兵庫県西宮市)[6.1km]
天保山台場(大阪府大阪市)[6.4km]

尼崎城の解説文



尼崎城(あまがさきじょう)は、兵庫県尼崎市にあった日本の城である。江戸時代初期に築城された平城。

安土桃山時代の天正6年(1578年)に荒木村重が織田信長に反旗を翻した際、有岡城から逃げ込んだ先である大物城は尼崎城(尼崎古城)とも呼ばれるが、現在の尼崎城趾とは位置が異なる。

沿革 

元和3年(1617年)、戸田氏鉄(うじかね)が5万石で入封し築いた。3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と3棟の三重櫓が上げられた。

城主は、築城から廃城まで3氏12代が入れ替わった。戸田氏の後は、青山氏4代、そして正徳元年(1711年)桜井松平家の松平忠喬(ただたか)が4万6千石で入り、以後桜井松平家の支配が7代と続き幕末を迎えた。最後の藩主は松平忠興である。歴代城主については尼崎藩の歴代藩主の一覧に記載がある。

弘化3年(1846年1月28日、本丸の女中部屋付近より出火。本丸御殿が即日全焼した。再建の速度は領民の協力もあって甚だ早く、その年の7月には着工、翌年の1月28日には上棟式、そして6月28日に完成したという(「尼崎城本丸平面図」)[1]

明治6年(1873年)の廃城令により建物は一部を除き取り壊されたが[2]、明治7年(1874年)、本丸御殿の一部である金之間が、菩提寺・深正院(市内大物町)の本堂として移築された。この本堂は戦前まで残っていたが、戦災に遭い焼失した。「金之間」は、「牡丹之間」と「菊之間」を合わせた名称であり、「菊之間」と「牡丹之間」は4面とも全て金箔張りであったことから「金之間」と呼ばれた。本丸御殿で最も高い格式を持った来客専用貴賓室であった。

現在は本丸が尼崎市立明城小学校の敷地として利用されている他、他の曲輪および埋め立てられた内外の堀跡の大半も市関連施設の敷地や宅地などで占められており、西三之丸の北半が尼崎城址公園として整備されているにとどまる。しかしながら、城址公園には石垣および土塀が模擬復元され、平成30年(2018年)には資産家の寄贈による外観復元天守が完成した。

縄張り 

尼崎城は大物川(現在は埋立)と庄下川が大阪湾に注ぐデルタ地帯に築かれた城で、尼崎城に直接船が横付けできたことから、海に浮かんだような城であったと言われている。

水堀は2重、3重に巡らされ、縄張りはほぼ正方形で4重の天守・3棟の三重櫓・城門・本丸御殿を建て並べた本丸の周囲に、西から北にかけて二之丸、東に松之丸、南に南浜、さらに東西の外郭として東三之丸、西三之丸を配した。

東三之丸・南浜・西三之丸を取り囲むように東本町・築地・西本町といった城下町が形成され、大坂と西宮を結ぶ中国街道(現・国道43号)を取り込んだ。東本町の北側に大物村の比較的規模の大きい集落が隣接し、西本町の北側の別所村領内には寺町が形成され、東西の守りをより堅固にした。

本丸

本丸は東西、南北とも約115メートルのほぼ正方形で、尼崎城の中心に位置し、藩の政務をつかさどる場所であった。本丸の北東隅に天守、天守の付櫓として寅卯二重渡櫓と二重渡櫓、他の3隅に三重櫓が1棟ずつ建てられ、大手方面は多聞櫓を廻らせていた。その中心に御殿があり、大書院を中心として台所や居間、式台、金之間など複数の建物を繋げた構成であった。虎口は東に虎之門、南に太鼓門、西に搦手門の3つが開かれていた。「尼崎城惣郭楼石垣間数幷城下町家数」(『尼崎市史』5)には「御本丸 東西六拾三間半南北六拾三間半」とあり、正方形をなしていた。天守と三つの隅櫓の間は長い渡櫓で連結されていた[3]

天守
本丸の東北隅に位置し、西側と南側に付櫓を持つ複合式層塔型4重4階の天守で「分間城図付絵図」では「四重組大櫓」とも併記されている。外観は白漆喰総塗籠で2重目から4重目に唐破風や切妻破風が付けられていた。規模は、東西(桁行)10間5尺4寸(約21メートル)、南北(梁間)8間3尺(約17メートル)、天守台上から棟までの高さは55尺3寸(約16.8メートル)あった。
隅櫓
隅櫓は天守以下の4隅に建てられ、いずれも3重で2重目屋根に唐破風、切妻破風、千鳥破風を付けていた。
東南隅:武具櫓、西南隅:角櫓(伏見櫓)、西北隅:塩嘈櫓

尼崎城

尼崎へ入封した戸田氏鉄が元和3年(1617年)に築城。本丸の位置は、中世の絵図を参考にすれば、本興寺の故地に当たる。この「近世尼崎城」は、現在の尼崎市北城内・南城内に位置する。
尼崎市史(昭和40年代発行)によると、大物城を取り壊しその上に規模を拡大して近世尼崎城築城と判断していた。これが同一の城という根拠になり、他の尼崎城の文献にもそのような記載が見かけられる。しかし、戦国期大物城はむしろ近世尼崎城の北東、大物の西側付近にあったものとの考え方も示されている[4]。『尼崎城下絵図』によると、池のような場所の南に「古城」という場所が記載されており、これが大物城のことではないかと推察されている。現在の阪神電車車庫東端からその東側辺りで、近世尼崎城でいうと城下町にあたる。

外観復元天守 

家電量販店・旧ミドリ電化(現エディオン傘下)創業者の安保詮は、創業の地に恩返しがしたいと考え、10億円以上の私財を投じて天守を再建した上で尼崎市に寄贈したいとして、2015年(平成27年)11月25日付で、市有地の利用などについて市と「尼崎城の建築及び寄附に関する協定」を締結した[5][6][7]。大きさや外観は当時の建物を再現するが、近世天守跡地は周辺施設が既に様々にあって問題の発生が予想されるため、これを避け、北西約300メートルずれた地点にある西三之丸跡地、すなわち、尼崎城址公園内に築かれることとなった。

尼崎市は、「一口城主」や記名される「一枚瓦」による寄付とサポーターの募集、イベントなどを行っている[8]

基本情報

  • 所在地 - 尼崎市北城内27番地、ほか。
  • 施設構成と規模
敷地面積 13,479.1m、建築面積 641.96m、延床面積 1,408.99m。全高(石垣を含む垂直高)24.399m。
四重天守、二重附櫓。鉄筋コンクリート造。地上5階建て。エレベーター1基あり。[9]

年表

  • 2016年(平成28年)12月20日 - 関連工事の着工/仮囲いの設置と建築地の整備が始まる[10][11]
  • 2017年(平成29年)4月 - 天守建築の着工。尼崎城基金の設置。
  • 2018年(平成30年)
    • 3月31日 - 「尼崎城一枚瓦寄附」の受付を終了[12]
    • 8月 - 外構工事。
    • 8月17日 - この時点で、市内外の個人・団体からの寄付額は約1億4463万円(うち約459万円はふるさと納税)。
    • 10月某日 - 天守の落成/その後、展示施設が着工され、竣工する。
    • 11月30日 - 「尼崎城一口城主寄附」の受付を終了(※尼崎城基金は継続)。一連の施設を尼崎市に寄贈。
  • 2019年(平成31年)
    • 1月7日~25日 - 「尼崎城桜植樹寄附」の公募。
    • 3月中旬 - 抽選当選者の新天守内覧会(3日間)[13]
    • 3月29日 - グランドオープン/新天守内部の一般初公開[14][15]

尼崎城の遺構・遺物 

廃城令による競売のため、尼崎城郭図(尼崎市指定文化財)が作成されており、本丸御殿内の藩主の私邸部分や城郭内にあった武家屋敷は描かれておらず、競売で売却する建物に番号を振り上段にはそのリストが表示されていることから、城内の武家屋敷以外は競売により売却されたと思われる。藩主の菩提寺である深正院が買収し移築した「金之間」以外の建物は行方が分かっていないが、父が尼崎藩士であった福田松蔵が明治7年(1874)に描いた「尼崎城之画」に儒学者の中谷雲漢が加えた賛に、前年に廃城となった尼崎城が朝廷のものとなり、大阪の商人により解体され、船で持ち出される情景が記されていることから、尼崎市以外に移築されたと考えられる。深正院に移築された「金之間」は、第二次世界大戦で焼失している。

現在、尼崎城の地上の遺構としては、確認できるものは少ないが、尼崎市教育委員会は20回以上の発掘調査を実施しており、本丸御殿跡等建物遺構や、外堀として利用されていた庄下川の堤防下より石垣の一部の遺構や、その他多数の遺物が出土している。中央図書館に近い庄下川の川底からは、一列に並んだ石の列が発見され、橋脚を固定する石であろうとされている。また尼崎城址公園の模擬城郭に利用されている石の中にも、矢穴石という石切の際の矢跡が残る石が幾つも見ることができる。公園の石垣に関しては、公園の建設時に使い道がなくなって保管された石を再利用したものと想像される。

発掘調査に関しては、尼崎市立地域研究史料館で調査報告書を見ることができ、出土した遺物に関しては尼崎市立歴史博物館にて閲覧することができる。

参考文献 

  • 『尼崎城築城(http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E5%B0%BC%E5%B4%8E%E5%9F%8E%E7%AF%89%E5%9F%8E&go=%E8%A1%A8%E7%A4%BA)』(Web版尼崎地域史事典『apedia』)
  • 【書籍】「江戸時代前期の尼崎城下絵図について(1)」
  • 【書籍】「江戸時代前期の尼崎城下絵図について(2)」
  • 尼崎市立地域研究史料館『尼崎城ミニ事典』

尼崎城の口コミ情報

2022年04月10日 ガッツ
尼崎城

駅から近くとても行きやすい場所にあります。城内もキレイでスタッフも感じ良くて良いお城でした。

2022年04月01日 尼崎城淡路守一口城主
尼崎城



3月30日に大阪城、尼崎城、岸和田城🏯の参城巡りで登城。一口城主証💳を展示も割引にならず残念🥲開城した年以来の登城となりましたが、展示コーナー、衣装コーナー、体験コーナー🗡、桂米團治さん語りの映像コーナーと楽しめました🌸最後に三周年記念の御城印を買って下城。岸和田に向かいました🚃

2022年02月15日 尼崎城淡路守一口城主
尼崎城

自宅から自転車🚲で登城。尼崎城一口城主なのにまだリア攻めしていませんでした😅平成最後の築城になった尼崎城、更地の時から完成までいつも図書館から進捗状況を見守っていました。

図書館の階段を上がったところからお城を眺めるとお城🏯、阪神電車のレンガ倉庫🧱、マンションと見え建築の歴史の雰囲気も感じることが出来ます。
お城の中も展示や体験コーナー、米團治さんの声のナビゲーションなど充実していて子供から大人まで楽しめると思います😄

尼崎城は、私にとってのパワースポットで、眺めているだけで落ち着くし力を貰っています。私事ですが資格試験に挑戦中、尼崎図書館の自習室でいつもお城の見える席で勉強してお城パワーのおかげで合格出来ました✊

2022年01月09日 ファン掃部助トム治郎
尼崎城



JR尼崎駅から徒歩で30分。大物駅を越すと緑地公園あり。これが旧大物川で、在りし日の尼崎城の外堀です。寺町まで歩くと大きな城下だったことがよくわかります。阪神尼崎までゆっくり1時間半くらいです。

2021年11月17日 高森内蔵頭権平
尼崎城



2013年3月に旧家電量販店の創業者が12億円を投じて再建し、ビル街にかっての4層の天守が出現した。電車から見受ける勇姿が気にはなりながら、今回初めて訪れた。姿は往時のままだが、中は現代風で、各階の展示が「見て・体験して、学べる」ように工夫されている。各階にスタッフがいて案内してくれるのもうれしい。

2021年07月24日 大宰少弐かじくん
尼崎城



ミドリ電化創業者の安保氏が尼崎市に私財を寄付された事で平成最後に復元された城🏯✨天守が立派で見応えありますよ(^^)

2021年06月23日 シバヤン近江守雲外蒼天
尼崎城



公私共によく来る阪神電車尼崎駅前。
ホームからも望める姿。
途中下車できる方は一度お寄り下さい。
記念品販売、当時の着付もできます。
しかし、私のお勧めは城下東側にある寺町通りです。
一番は佐々成政の墓碑のある法園寺。
二番に法園寺向かいのたこ焼き屋「岡」
です(笑)
笑うしかない、販売価格です。
200円14個
300円 21個
400円 28個
500円 35個

500円で35個のたこ焼きを買うて帰る私です。

2021年04月24日 藤原淡路守けんじろー
尼崎城

平成31年に模擬天守を作っているので綺麗なお城です。阪神尼崎駅からすぐなのでアクセスも良いです!

2021年01月28日 TAKUMA
残念さんの墓[尼崎城  碑・説明板]

この墓は、長州藩士山本文之助の墓です。文之助は元治元年(1864)の禁門の変に従軍しますが、長州藩が敗北し、京都からの敗走途中に大物の城下町北の口門で尼崎藩に捕らえられ、取調中に自決しました。尼崎藩の建てた墓には、当時の「長州びいき」の流行から大坂からの参詣人が押し寄せ、やがて死に際に「残念、残念」と叫んだと言うので、「残念さん」と呼ばれるようになりました。 現在の墓は長州藩と取引のあった尼崎の商人油屋喜平(長尾家)の世話で建てられたといわれています。

2021年01月27日 TAKUMA
水堂陣屋[尼崎城  周辺城郭]



水堂陣屋は、尼崎藩主青山幸成(五万四千石)が寛永二十年(1643)ごろニ男の丹後守幸通に分知させた摂津地域8ヶ所の領地三千石を、幸道が統治するために設けた地方代官の役所跡です。この領地には水堂を初め、潮江・次屋・浜の尼崎市域のほか、西宮市域の下大市・樋口新田・久右衛新田・中村など武庫川沿いの村の小部分が含まれています。この地の地方代官は青田氏が代々勤めてきました。
昔は門が残っていましたが、取り壊されて何も残っていません。


2020年10月17日 播磨屋弾正大弼
尼崎城



尼崎城の明確な遺構はないのですが、旧城域の道路がかつての縄張りに沿っていたり、お城を偲ばせる地名が残っています。
再建天守の近くにかかる開明橋の欄干は縄張図を模したデザインです。

2020年10月17日 播磨屋弾正大弼
尼崎城



2020年10月10日に本丸跡の旧校舎を利用した尼崎市立歴史博物館が開館。敷地内に「尼崎城天守閣遺跡」の碑があり、また門の脇に矢穴の入った石垣の石が展示されています。
館内にも本丸模型や天守の図面、城下の絵図が展示されていて、城の変遷が分かります。
再建天守からも近く、入場無料なので、併せて訪問することをお勧め。

2020年10月12日 ゆきょう兵庫頭
尼崎城



復元天守、とても整然としていました
天守内では、尼崎城の歴史、概要の紹介、子供も楽しめる衣装体験、VR等あり、老若男女楽しめるんじゃないかな、と思いました

2020年10月08日 天道民部卿早雲
大物くずれの戦跡碑[尼崎城  碑・説明板]



最初の天下人・三好長慶の実父・三好元長が軍事中心になって、細川高国の軍を破り、高国を切腹させて滅ぼした戦い。

この戦いで元長は主君・細川晴元の管領としての地位を確固たるものにし、堺に足利義維を頭領とした幕府体制を整える。 しかし、晴元や一族の三好政長などは勢力が増す元長を疎むようになり、敵対勢力だった一向一揆に助勢要請までして元長を攻め、追い込む。元長は堺・顕本寺で切腹しハラワタを天井に投げ当てるという壮絶な最後を遂げる。

ちなみに、高国は元長の祖父・之長、父・長秀の仇で、晴元・政長は長慶にとって父の仇でそれぞれに討たれたり、権力を奪われている。

2020年10月08日 天道民部卿早雲
城の模型[尼崎城  その他]



天守閣と三重櫓・二重櫓の立派な模型。
小学校の敷地内にあるので、間近で見られないのが残念です。もしかしたら、校門のイヤホン押して事情を話してお願いすれば、入らせてくれるかもしれませんが……
柵越しに校内撮影するのも、端から見るとあやしいかもしれないので、ご注意を

2020年10月08日 天道民部卿早雲
尼崎城石垣の石 展示?[尼崎城  遺構・復元物]



尼崎城本丸跡に建設された女学校をリニューアルし、2020年10月10日に開館した尼崎市立歴史博物館
その博物館の入口に展示されている、尼崎城石垣の石
看板だけで、説明板などはなく詳細はわかりませんが、発掘調査などで見つかったものかな?

2020年09月20日 JC大宰大弐VD
大物城[尼崎城  周辺城郭]



大物城(尼崎古城)は、荒木村重が有岡城から逃げ込んだ城として有名ですが、正確は位置は特定されていないそうです。ここではGoogle Mapで検索すると出てくる場所である、大物主神社にスポットを置かせていただきました。

2020年09月05日 摂津守いくpika
大物くずれの戦跡碑[尼崎城  碑・説明板]



大物くずれの戦跡碑の説明板に「尼崎城(大物城か)に逃げ込む…」との記載があります。その旧尼崎城(大物城)はこの戦跡碑の南西斜向かいの阪神電車車庫が推定地とされています。荒木村重•村次親子の尼崎城もこちらだったのでしょうか?

また戦跡碑の横の大物交番の側には廃線となった尼崎港線の踏切の柵の一部が残っています。(数年前に大物交番と戦跡碑は旧線路内に移築されました。その際に柵も撤去ではなく移築して遺してくれています)
廃線マニアの方も是非に。

2020年02月16日 蘭来(¬_¬)陸奥守蘭丸
尼崎城

令和2年3月28日(土)、29日(日)は尼崎城再建1周年記念日として「御登城記念証」が発売されます。
*記念証のみの販売はありません。

2019年11月11日 蘭来(¬_¬)陸奥守蘭丸
尼崎城

月曜日は休館日になってます。
出来るだけ事前の確認が必要ですね。
また、大阪方面から向かわれる方は、43号線の右折レーンがかなり混み合います。
ひとつ先の信号を右折される方がスムーズに行けると思いますよ。

2019年07月06日 図書頭かねつら
尼崎城



まだ新しいが精度高そうな復元天守。
回りは市街地で昔の縄張りはわからないが、天守内部の展示で往時の縄張りが見えてgood
面白そうなハイテクな展示もチラホラで外身は残念だけど尼崎城のことは良くわかった

2019年06月24日 中務卿やまびこ
尼崎城



尼崎城内の古地図に照らし合わせた地図です。左側の白色の古地図が大正9年の町並みを照らし合わせ、右側のカラーの古地図が平成31年の町並みと照らし合わせています。

2019年06月23日 青江志摩守又八郎
尼崎城



元祖外観復元天守。インターホンでご挨拶したら快く敷地に入れて頂きました。
児童と教員で作り上げたとは、熱意を感じます。堀も櫓もあって本格的でした。

2019年04月03日 GAGA大納言百万石
尼崎城

尼崎城の再建天守は、当時の本丸の北西にあり、再建天守の位置が本丸という訳ではありません。

再建天守のある尼崎城址公園には、20台程度の有料駐車場があります。

桜は少しだけ咲いていました。

再建天守の入場料は大人500円、子供250円です。

最上階からは、尼崎の街を見張らすことができます。
また、東西南北にタブレットが1台置いてあり、そのタブレットで周辺の当時の様子を知ることが出来ます。

他には、甲冑などの試着体験が出来る階や槍、打刀、火縄銃、弓を持つことが出来る階があります。

1階には少しだけお土産コーナーがあります。

エレベーターが完備されており、バリアフリー対策も万全です。

阪神電車の尼崎駅からすぐと好立地のため、大阪や神戸観光のついでに是非どうぞ!

2019年03月31日 raven
尼崎城

他の城みたいに展示物はありません。
5F窓からの展望、4F全国の城の手拭展示、3Fコスプレ空間、2F戸田氏からの城の簡単な説明・VRを使った解説やら遊び、1F入場口とお土産コーナー、となってます。
お土産は少しだけで、入城料は大人500円です。

2018年12月11日 織田上総介晃司
尼崎城

尼崎城址公園近くのコインパーキングに停車。

個人の寄付で建てられた尼崎城天守は位置も向きも本来とは異なるものの、外観及び寸法は史実通り復元されてます。

2019年3月には一般公開され、尼崎の新しいシンボルとなるでしょう。

2018年11月23日 箕谷城主
尼崎城

尼崎信用金庫記念館に、尼崎城の図面や城下町の地図が多数展示されています。工業都市のイメージですが、本当は大きな城下町だったんです。

2018年11月08日 vino-s
尼崎城

天守閣の足場とれてます11月11日まで尼信会館で尼崎城の絵図が展示中 入場無料

2018年10月19日 逢坂河内守義就
尼崎城

再建天守は2019年3月29日一般公開だそうです

2018年02月01日 アキ(´⊙ω⊙`)
尼崎城

個人の寄附で現在再建中の天守閣が2018年8月に完成予定です。
内部入場は展示品、史料などの移動で一年ほど後になるそうです。

2016年12月27日 摂津守いくpika
尼崎城

何も遺構が無い尼崎城ですが…

阪神尼崎駅の南西側に広がる寺町の中にある法園寺には佐々成政の墓碑があります(写真①②)。
法園寺の南東に尼信会館があり尼崎城の展示物があります(無料)。
尼信会館から東へ進み庄下川(尼崎城の堀跡)を渡ると右手に櫻井神社があり、社殿の前には尼崎城で使われていた棟瓦が置かれています。
橋からの道をそのまま東へ進み右手のグランドを反時計回りにグランド沿いを進むと、グランド南面に尼崎城趾の石碑があります。
そのままグランド沿いを東へ進むと明城小学校の正門があり、中に尼崎城の模型があります(写真③)。
そのまま反時計回りに進むと北面に文化財収蔵庫の正門があります。
正門の正面に尼崎城天守閣遺蹟の石碑があります(写真④)。門の左手には石垣で使用されていた石が無造作に置かれています。
なお、文化財収蔵庫内にも尼崎駅の展示物があります(無料)。
収蔵庫から北東へ進み阪神電車の高架を超えた交番の横に大物くづれ戦跡の石碑があります(写真⑤)。
東へ進むと阪神大物駅に到着します。

徒歩で一時間半位で回れると思います。

2016年08月20日 美作守せんとくん
尼崎城

阪神尼崎駅のホームから、川越しに、模擬石垣と模擬塀が見えますが、模擬塀の中部は市立図書館になってます。
川は昔の堀でしょうか?
昔は、模擬石垣のすぐ下は、池だったのに、水がなくなってます。

尼崎城の石碑と案内板は、模擬城から南側にある明城小学校の南側の壁際に、地味にありました。
人通りが少ないのが、印象的でした。

2016年05月09日 なごなご
尼崎城

遺構はほとんどありませんが、石垣内にある図書館に資料が揃っており、また案内パンフレットもあるので、探索前にこっちへ行くことをお勧めします!

2012年03月23日 加賀美 摂津守遠光
尼崎城

阪神尼崎駅、寺町に尼信博物館が御座いましてこちに尼崎城及び、尼崎藩の資料等が展示されております。
駐車場有り、無料です。

尼崎城の周辺スポット情報

 天守(遺構・復元物)

 尼崎城石垣の石 展示?(遺構・復元物)

 二の丸跡(遺構・復元物)

 外堀(遺構・復元物)

 外堀(南側)(遺構・復元物)

 天守閣跡(遺構・復元物)

 開明橋(遺構・復元物)

 模擬石垣(遺構・復元物)

 模擬土塀(遺構・復元物)

 (遺構・復元物)

 模擬土塁(遺構・復元物)

 模擬天守閣(遺構・復元物)

 堀跡(遺構・復元物)

 棟瓦(遺構・復元物)

 西三の丸跡(遺構・復元物)

 本丸跡(遺構・復元物)

 模擬水堀(遺構・復元物)

 堀跡(東側)(遺構・復元物)

 城址碑(碑・説明板)

 大物くずれの戦跡碑(碑・説明板)

 残念さんの墓(碑・説明板)

 城址碑(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 城址碑(碑・説明板)

 大物城(周辺城郭)

 大覚寺城(周辺城郭)

 水堂陣屋(周辺城郭)

 大高洲新田台場(周辺城郭)

 櫻井神社(寺社・史跡)

 寺町(寺社・史跡)

 深正院(寺社・史跡)

 松島神社(寺社・史跡)

 正恩寺(寺社・史跡)

 初島神社(寺社・史跡)

 尼崎えびす神社(寺社・史跡)

 阪神電鉄旧尼崎発電所(寺社・史跡)

 大物主神社(寺社・史跡)

 貴布神社(寺社・史跡)

 常念寺(寺社・史跡)

 西教寺(寺社・史跡)

 西栄寺(寺社・史跡)

 金昌寺(寺社・史跡)

 大本山 本願寺(寺社・史跡)

 常楽寺(寺社・史跡)

 善通寺(寺社・史跡)

 甘露寺(寺社・史跡)

 法園寺(寺社・史跡)

 大覚寺(寺社・史跡)

 長遠寺(寺社・史跡)

 奴来院(寺社・史跡)

 専念寺(寺社・史跡)

 下坂部遺跡(寺社・史跡)

 辰巳橋遺跡(寺社・史跡)

 城下中在家町(寺社・史跡)

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