堀城(ほりじょう)

堀城の基本情報

通称・別名

中嶋城

所在地

大阪府大阪市淀川区十三本町(伝承地)

旧国名

摂津国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

細川藤賢

築城年

永禄9年(1566)

主な改修者

不明

主な城主

細川氏、足利義昭

廃城年

天正元年(1573)?

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

三津屋城(大阪府大阪市)[1.0km]
柴島城(大阪府大阪市)[3.1km]
大和田城(大阪府大阪市)[3.7km]
野田城(大阪府大阪市)[3.8km]
今西家土居屋敷(大阪府豊中市)[4.4km]

堀城の解説文

堀城(ほりじょう)は、大阪市淀川区にあった日本の城で、別名は中嶋城(なかじまじょう)とも言われている。

概要
堀城もしくは中嶋城は古文献に多く記述されているが、大阪市の中心部にあり遺構や城の場所が明記された石碑は存在せず、城郭、推定地については不明な点が多い。『日本城郭大系』によると、「永禄9年(1566年)に細川藤賢が築城」との記載が見受けられるが、深井の合戦(永正8年(1511年))や桂川原の戦い(大永7年(1527年))が記載されている『細川両家記』等には既に堀城、中嶋城と記述されており、砦のような城が築城されていたと思われ、その後に細川藤賢が本格的な城郭を築いたのではないかと考えられている。

中嶋の地は、細川澄元と細川高国の細川氏の内紛で、阿波、堺、京都の中間地点にあり、防御する側、攻め込む側双方にとって重要な地点ではなかったかと思われる。築城に関しては不明な点が多いが細川氏(細川藤賢の父・細川尹賢ではないかという説もある)の誰かが築城したと考えられている。

天文4年(1535年)、享禄・天文の乱で戦っていた石山本願寺法主・証如と細川晴元の間で和睦が成立したが、翌天文5年(1536年)に中嶋城に籠もった一部の一揆衆が細川軍と戦った(かつて本願寺の坊官だった下間頼盛も参加していた)。晴元の部将・木沢長政に攻められて一揆衆は敗走、下間頼盛は後に暗殺された。近郊の大和田城もこの時築城されたと推定される。天文18年(1549年)の江口の戦いでは三好長慶が同族の三好政勝が籠城する榎並城に対する前線基地として活用していた。

石山合戦で城主・細川昭元は三好三人衆が擁する野田城及び福島城の対抗基地として織田信長方につき(野田城福島城の戦い)、元亀元年(1570年)9月3日に将軍・足利義昭が中嶋城に着陣するとの記載が見受けられる。3年後の天正元年(1573年)、今度は義昭が信長と対立、義昭についた堀城は織田軍と戦い(高屋城の戦い)、敗北し開城した。おそらくこの時に廃城になったものと思われている。

このように様々な歴史がある堀城であるが場所については諸説ある。堀城は川のほとりに築城されていたと思われるが、この川は明治43年(1910年)に廃川となった中津川で、近代の淀川改修事業でつけ変わり、城の名残も完全に消滅し推定地が明確にできない。またこの地域は地名が度々変更され、文献によっては現在の地名と違う地区が記載され複雑にしている。また、堀城、中嶋城は、同じ城なのか、同地域の別の城だったのか、詳細については明確にはなっていない。

東摂城址図誌
東摂城址図誌に堀城絵図が記載されている。この東摂城址図誌は明治時代初旬に作成したと思われており、この時代には跡地のみで半分は既に宅地化されている。

東摂城址図誌が堀城の正確な規模を示しているかは不明だが、南北約140m×東西約160mの規模で、北側はすでに中津川堤防が築かれている。明治時代の地図によると、この周辺には堀村、今里村という記載が見受けられ、更にこの堀村より少しのぼった上流に、現在と違う十三橋がかかっており、この周辺は交通の要所の可能性もある。

昭和49年(1974年)空中写真と比較してみても、当時と地形が大きく変化している。

城跡へのアクセス...

堀城の口コミ情報

若狭守次郎吉様[2017年06月17日]
《堀城跡(中嶋城跡)関連地を巡る》
①説明パネル 大阪市淀川区十三本町3-9-12
「武田製薬会社東門横の壁に設置。東門は阪急電車線路沿いにあり。」

②十三公園 大阪市淀川区十三元今里1-1
「十三公園の巨木はかつて城が存在していた頃からの木々と伝わる。木々は廃城後『堀の森』と呼ばれ、十三公園のはその一部。」

③平和地蔵尊 大阪市淀川区十三本町1-14-15
「地蔵自体は堀城とは関係ないが、由来書に堀城の名が登場する。東横インの敷地一角にある。」

若狭守次郎吉様[2016年07月02日]
又の名を〝中嶋城〟という。遺構が殆ど存在しておらず正確な場所は分かっていないが、大体十三公園~武田製薬会社辺りだと云われている。武田製薬会社の門(阪急電鉄の線路側)の横に堀城案内パネルが設置されている。
伝によれば、堀城廃城後も周辺の樹木は残り「堀の森」と言われていたという。十三公園に今もある巨木がそれの一部だとも云われている。
お城の機能としては戦の際の最前線の城であったと考えられる。

十三公園及び案内パネルのある製薬会社の門に行くには
阪急電鉄十三駅の西口
から出ると便利です。

伯耆守せんとくん様[2016年05月27日]
阪急十三駅の神戸線の線路沿いの某T薬品会社の門(正門ではない)横の壁に説明板が貼りつけられてます。

少し離れた十三公園が堀城跡の説がありますが、専門家でも正確な位置はわからないようです。

水瀬筑後守名雪様[2016年01月17日]
十三駅西口付近を散策してみた。
十三公園まで行ってみたけど、付近に遺構などはなさそうでした。
そして、せっかくだから十三公園を写真に撮ろうと思ったけど、
人がいるため、まともに写真も撮れず。
写真や口コミがが少ない理由が良く分かりました。

ブイシカ太政大臣様[2011年06月19日]
阪急十三駅を出て歓楽街を北野高校方面に歩くと、「城めぐ」地図上では堀城跡と表示される交差点に行き着く、またそれっぽい公園として「十三公園」が最寄りにあるが、中津第三尋常小学校の跡地で本当の城域内に位置しているかはよく分からない。大規模な普請をされた城では無く、短い期間に砦的な役割を果たした城の様なので、この辺りにあったと偲ぶのが良いと思われる。因みに十三公園では、昼から酒盛りをしている方も散見され、あまりお薦めできる環境では無い

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