今西家土居屋敷(いまにしけどいやしき)
今西家土居屋敷の基本情報
通称・別名
- 今西家屋敷、土居城、御土居屋敷
所在地
- 大阪府豊中市浜1-8-23
旧国名
- 摂津国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 今西氏
築城年
- 鎌倉時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 今西氏
廃城年
- -
遺構
- 堀、母屋、表門、土塀
指定文化財
- 国史跡(春日大社南郷目代今西氏屋敷)
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
原田城(大阪府豊中市)[2.1km]
吹田城(大阪府吹田市)[3.3km]
三津屋城(大阪府大阪市)[3.9km]
新庄城(大阪府大阪市)[4.1km]
堀城(大阪府大阪市)[4.4km]
柴島城(大阪府大阪市)[4.7km]
麻田陣屋(大阪府豊中市)[4.7km]
毛馬城(大阪府大阪市)[5.6km]
塚口城(兵庫県尼崎市)[5.6km]
山田城(大阪府吹田市)[5.8km]
今西家土居屋敷の解説文
[引用元:Wikipedia「今西家土居屋敷」の項目]
今西家屋敷(いまにしけやしき)は、大阪府豊中市浜にある屋敷である。屋敷自体は江戸時代中期に建設されたもので、「春日大社南郷目代今西氏屋敷」として、2009年(平成21年)2月12日に国の史跡に指定された。
概要
今西氏は奈良春日社領の荘園である摂津国垂水西牧の榎坂郷に下向し、現地において荘園経営を行った荘官である。その出自は奈良の南郷にあった春日社の社家出身であったため、室町時代には今西氏は「南郷目代」と称された。16世紀末に目代の地位を失うが、その後も現地にとどまり近世以降は医師・神主などとして活動してきた。今西氏屋敷の周辺は、かつての条里地割が明瞭に残る水田地帯であり、現屋敷は南北約1町、東西約半町の規模で、これを囲み込むように2町四方の明瞭な地割がみられる[1]。屋敷内には、近世に建築された主屋、春日社から移築した南郷春日神社があり、主屋背後に土塁状のたかまりをなす築山がある。屋敷の西側には水堀の痕跡をとどめる湿地があり、全体に歴史を感じさせる佇まいである。屋敷地を囲む堀は発掘調査によって15世紀後半に掘削されたことが知られ、外側の2町四方の部分では13世紀後半に掘削された堀が確認されている。また、今西氏屋敷の西南にある松林寺境内には中世以来の今西家の墓所がある。今西氏屋敷は、中世以降近世・近代にいたるまで数百年にわたり継続してきたものであり、中世以降の豊富な文書を合わせて、中世の荘官屋敷の実態を知るうえで欠くことができない遺跡である。
所在地
- 大阪府豊中市浜1-8-23
- ※現在も今西家の住宅として使用されており、内部の一般公開はされておらず、見学は出来ない。
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今西家土居屋敷の口コミ情報
2022年06月04日 尼崎城駿河守一口城主
今西家土居屋敷
5月29日、尼崎から自転車(ママチャリ)で登城🚲登城してみると城郭名の通り風格のあるお屋敷に辿り着きました。先人方の口コミを読んでみると現在もお住まいの方がいるお屋敷だということなので石碑だけ撮って下城。登城前にお参りした服部天神宮(豊中えびす)の写真をあげておきます。足の神様🦶ということで、今日のママチャリお城巡りにピッタリのスタートになりました。下城後は吹田城を目指しました。
2021年01月04日 Shige弾正大弼
今西家土居屋敷
屋敷の板塀、石碑以外 見学できるものは何もない感じです。
2016年07月09日 橘若狭守次郎吉
今西家土居屋敷
阪急電鉄「服部天神」駅より徒歩15分くらいのところにあります。住宅街にあり、路地が結構狭い。周りには田んぼもある。
現在は表門や裏門、塀、堀、木橋が遺構として残っている。現在も屋敷には今西氏が住まわれているので内部見学はできない。但し、年に一回で秋くらいに敷地内を見学できることもある。
表門を正面にして、左方向に少し進むと右手の屋敷と一般住宅の狭い隙間に堀と裏門、木橋を確認することができる。あまりにも分かりづらいので、通り過ぎに要注意だ。