塚口城(つかぐちじょう)
塚口城の基本情報
通称・別名
- 塚口御坊、塚口寺内
所在地
- 兵庫県尼崎市塚口本町1
旧国名
- 摂津国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 一向一揆勢
築城年
- 室町時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 一向一揆勢、荒木氏
廃城年
- -
遺構
- 堀、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
富松城(兵庫県尼崎市)[2.0km]
七松城(兵庫県尼崎市)[2.7km]
有岡城(兵庫県伊丹市)[3.0km]
原田城(大阪府豊中市)[4.4km]
尼崎城(兵庫県尼崎市)[4.5km]
瓦林城(兵庫県西宮市)[4.7km]
麻田陣屋(大阪府豊中市)[5.1km]
小松城(兵庫県西宮市)[5.2km]
三津屋城(大阪府大阪市)[5.5km]
今西家土居屋敷(大阪府豊中市)[5.6km]
塚口城の口コミ情報
2026年02月12日 トロ吉式部卿
塚口城
住宅街の細い道を進みます。ゆっくり見学は出来ない…🏘️
2026年02月11日 尼崎城安芸守一口城主
武田勝親の墓[塚口城 寺社・史跡]
2月7日、尼崎市の園田地区を訪れていた際にGマップ上で武田勝親公のお墓を発見🪦猪名川公園内にに昭和46年撮影の上空写真があったのでGマップと照らし合わせて木の枝でお墓の辺りを指し示してみました(写真①)
お墓の北側の猪名川公園からアプローチして、新南園橋を園田方面に下った利倉西町交差点🚥からお墓方面を眺めてみました(写真②)写真②で見えている鉄塔の左(東)側のドラッグストアの隣の建物の角を南に曲がった所に墓地(写真③の塀の内側※鉄塔との位置関係が分かればと鉄塔も映るように撮ってみました)はありました。扉を開けて墓地に入り説明板(写真④)や墓地全体(写真⑤)を見学。花が生けているのが印象的で🪻今も地元の方々に大切にされている様子が伝わってきました🪷勝親公のお墓(写真⑥)をお参りすると、お墓の後方に武田菱の瓦があったのでもしかしたらかつてはお堂が建っていたのかもしれません🤔勝親公のお墓の側面に勝親公の生涯について刻まれたと思われる墓碑がありました。※断片的には読める漢字はあったものの全体的な意味は不勉強で分かりませんでした😢以前、『尼崎百物語』という本を購入していたことを思い出し📕めくってみるとこのお墓のことが取り上げられ、墓碑の解説があったので下記に紹介。「・・・武田勝親は甲斐の後主(勝頼)の季子なり。状を按ずるに、天目敗績の日、公生まれて三歳なり。其の臣栗原左衛門某といふもの、公を負ひて城州(山城国)に奔り、これを醍醐の密教院に託す。院主は後主の姻なり。既にして梢々長ず。たまたま斎藤氏嗣無し。公に請ひて嗣と為し、姓斎藤を冒す。戸田侯に尼崎城に仕ふ。遂に之二臣たるを恥じ、乃ち致仕し、摂州椋橋荘富田村に入り、以て浮屠(僧侶)に隠し、名を変じて善悦と曰ふ。状の戴する所、是れに止まる。天和壬戌六月十九日、廃して富田に死す。年百三なり。宅の北に葬る。」天和壬戌を確認してみると天和2年/1682の徳川綱吉公の治世でした。天目山の戦いの年が天正10年/1582なので3歳の時に逃れてきた後100年もの長寿を全うされた人物であることが分かりました。尼崎市内で武田氏関連の史跡に出会うのも驚きで、戦国騒乱期から江戸時代五代将軍徳川綱吉公の時代までの生涯を送られた方がいらっしゃったのも驚きでした‼️
2026年01月16日 誰田
塚口城
阪急塚口駅からは北東へJR塚口駅からは北西へそれぞれ徒歩10分ほどのところにあります。写真の場所は正玄寺前の道路に沿って東に行った所で、東門にあたります。暗くなってからの訪問でしたので、土塁等の遺構の確認は行いませんでした。この道路は狭いにもかかわらず、抜け道として利用されているのか自動車が結構な速度で走り抜けます。ご注意ください。
2026年01月05日 伊豆守隠岐守
塚口城
兵庫県道13号線、通称「産業道路」の塚口本町7の交差点を西に入ってすぐにあります。
2025年07月07日 丹波守炒飯蛍烏賊大盛
塚口城
阪急の塚口駅北東の正玄寺というお寺辺りが、城跡だったそうです。そこから少し歩いたところに、東門の跡と説明看板があります。
2024年10月13日 鈴木剛
食満城[塚口城 周辺城郭]
1578年の有岡城の戦い時の織田方が築いた陣城の一つで織田信雄が入城したそうです。付近には城ノ内や城田などの地名が残っているそうです。
2024年10月13日 鈴木剛
田能城[塚口城 周辺城郭]
細川氏被官、田能村氏の居城、築城時期は不明だそうですが室町時代から田能村荘を領した一族で1461年田能村大和守が原田庄久米井との領界の杭を除いた事で原田庄を領する興国寺が幕府に訴訟、大和守の処刑と領地の没収を求めるが細川勝元は当人の逃亡を理由に跡地を守護領とし、代替地を興国寺に渡す事で妥協し興国寺は田能村氏の出城を放火した。城は田能5丁目付近にあったというが詳しくは不明で、現在の田能春日神社は興国寺が放火した出城跡と考えられているそうです。
2023年01月04日 兵庫のピーちゃん
塚口城
阪急塚口駅を北出口から、東へ約15分程歩くと、住宅街の中に石垣の上に祠がありました。
2022年04月18日 尼崎城安芸守一口城主
塚口城
4月16日、川西、伊丹方面から県道13号を南下し尼崎に帰宅の道中に登城。写真の塚口本町7の交差点を右に入って(西進)行くとすぐに塚口城の説明板がある祠に辿り着きました。土塁や堀跡があると説明板の地図に書かれていたのですが残念ながら発見出来ませんでした🥲後日、再チャレンジしようと思います✊
2022年02月26日 播磨屋兵部卿
塚口城
寺内町の土塁はほぼ消滅していますが、東側〜北側の濠の名残の水路は残っています。また西側は環濠のラインが路地として残っています。東門跡に案内板があります。
2022年01月10日 ファン掃部助トム治郎
塚口城
塚口駅から徒歩10分程度です。土塁と外堀の跡があり碑がたっています。
2021年08月27日 萌魏副将軍叡声
塚口城
阪急JRの両塚口駅から徒歩踏破可能。小路に面しているので少し見つけにくい。
2021年08月23日 ゆきお征夷大将軍
塚口城
Googleマップで塚口城跡を探すと正玄寺と言うお寺が出てきますが、城めぐでの塚口城跡は東町門跡の祠付近のことで、JR福知山線に並行して走る産業道路(玉江橋線)沿いのファミマ尼崎塚口本町店前の交差点を西(阪急)側に入って、30mぐらいのところにあります。
2017年02月23日 橘若狭守次郎吉
塚口城
塚口城はかつて東町門、清水門、北町門、南町門の4ヶ所に城門があったと云われている。それぞれの門と門の間には土塁が設けられていた。しかし、江戸時代に衛生上の問題などから町民によって土塁は破壊された。
現在、4ヶ所の門跡付近にはそれぞれ祠がある。そのうち、東町門跡と清水門跡には土塁が少しだけ残っていて、その上に祠が建っている。また、東町門跡には説明板もある。コンクリートで固められた用水路が堀跡である。
塚口城跡へは阪急神戸線「塚口」駅が最寄りの駅である。
塚口城の周辺スポット情報
土塁(遺構・復元物)
堀跡(遺構・復元物)
南町門跡(遺構・復元物)
清水町門跡(遺構・復元物)
北町門跡(遺構・復元物)
東門跡(遺構・復元物)
堀跡(清水町門前)(遺構・復元物)
近松門左衛門墓(碑・説明板)
近松断章(碑・説明板)
説明板(碑・説明板)
皇暦二千六百年記念碑(碑・説明板)
従是南尼崎領 石碑(碑・説明板)
猪名寺砦(周辺城郭)
久々知城(周辺城郭)
食満城(周辺城郭)
下坂部環濠(周辺城郭)
田能城(周辺城郭)
願生寺(寺社・史跡)
塚口神社(寺社・史跡)
正玄寺(寺社・史跡)
御願塚古墳(寺社・史跡)
御園古墳(寺社・史跡)
岡院の石棺(寺社・史跡)
報徳寺(寺社・史跡)
伊居太神社(寺社・史跡)
大塚山古墳(寺社・史跡)
田能遺跡(寺社・史跡)
㨋名寺廃寺跡(寺社・史跡)
若王寺遺跡(寺社・史跡)
東園田遺跡(寺社・史跡)
武田勝親の墓(寺社・史跡)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
西ノ口公園(関連施設)
塚口長溝公園(関連施設)









