毛馬城(けまじょう)

毛馬城の基本情報

通称・別名

飯満城

所在地

大阪府大阪市都島区毛馬町

旧国名

摂津国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

顕如?

築城年

16世紀後期?

主な改修者

主な城主

本願寺衆

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

柴島城(大阪府大阪市)[0.9km]
葱生城(大阪府大阪市)[1.4km]
榎並城(大阪府大阪市)[2.3km]
新庄城(大阪府大阪市)[2.7km]
堀城(大阪府大阪市)[3.7km]

毛馬城の解説文

※この城郭は2019年4月6日に名称と位置が変更となりました。

毛馬城(けまじょう)は大阪府大阪市都島区毛馬町にあった城である。

遺構
淀川が大川(旧淀川)と分岐する地点の西側、現在の淀川小学校北方にあったとされる。

淀川の氾濫や宅地化によりその遺構を確認することはできないが、都島区毛馬町4に所在する浄土真宗本願寺派・善福寺の前に、大阪市顕彰史跡第210号として「毛馬城跡」の史跡パネルが設置されている。

城の所在した都島一帯の地は、「島」の字が示す通り古墳時代中期以降、主に淀川の三角州の発達によって形成された(『都サ』)ことから、毛馬城は、かつて一向一揆が籠もって織田信長を苦しめた伊勢長島城のように、川の中州を利用した要塞だったのかもしれない。

歴史
『信長公記』によると、元亀元年(1570)から天正8年(1580)までおよそ10年間をかけて行われた石山本願寺と織田信長との「石山合戦」で、本願寺方が石山本願寺を中心に51に及ぶ出城を構築したとされ、その中に挙げられる「飯満(けま)」が、毛馬城のことを示すと考えられている(『顕パ』)。

また、同書によると信長に反旗を翻した荒木村重の有岡城に対する付城の中にも「毛馬村」の記述があるが、『大系』では、これについては有岡城と毛馬城の距離が離れていることから、兵庫県尼崎市の「食満(けま)の砦」のこととみられる、としている。

城郭に関する文献がほとんど残されていないことから、城主や城郭の構造などについては不明な点が多い。

交通
JRおおさか東線城北公園通駅から徒歩約15分

参考文献
『顕パ』:『大阪市顕彰史跡パネル 第210号』大阪市教育委員会、2014年3月。
『大系』:『日本城郭大系 第12巻』新人物往来社、1980年。
『都サ』:都島区役所公式サイト(http://www.city.osaka.lg.jp/miyakojima/index.html)。

毛馬城の口コミ情報

口コミがまだ投稿されていません。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。