楼ノ岸砦(ろうのきしとりで)

楼ノ岸砦の基本情報

通称・別名

楼の岸砦

所在地

大阪府大阪市中央区石町2-2(推定地)

旧国名

摂津国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

織田信長

築城年

元亀元年(1570)

主な改修者

主な城主

稲葉氏、中川氏、本願寺衆

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

大坂西町奉行所(大阪府大阪市)[0.5km]
大坂東町奉行所(大阪府大阪市)[0.6km]
石山本願寺(大阪府大阪市)[1.2km]
大坂城(大阪府大阪市)[1.2km]
真田丸出城(大阪府大阪市)[2.2km]

楼ノ岸砦の解説文

楼ノ岸砦は、織田信長と本願寺勢力が戦った石山合戦の際、織田信長が築いた砦である。

稲葉良通、中川重政が守ったが本願寺勢力の攻撃により奪取され本願寺勢力の防衛拠点となった。本願寺落城の際に廃されたと考えられるが詳細は不明である。

現在、坐摩神社となっている場所が砦跡とされるが、特に遺構などは残っていない。

楼ノ岸砦の口コミ情報

若狭守次郎吉様[2016年09月17日]
楼ノ岸砦は戦国時代、織田信長勢と本願寺衆勢の戦いの際に織田勢が築いた砦です。後に本願寺衆勢が織田勢から奪取して、本願寺衆勢の防御の要の砦となったそうです。

どこにあったかも詳しいことは分かっていませんが、坐摩神社と北大江公園の2つの説があります。どちらかと云うと坐摩神社説の方が有力だと言われています。 このアプリが地図で示しているのは坐摩神社の方です。

実際に坐摩神社に行ってみると、付近の土地より一段上になっていて、まるで砦跡と思わせるような地形でした。遺構は何もありませんでした。

摂津守@22参勤Expo様[2016年06月24日]
地下鉄もしくは京阪天満橋駅から土佐堀通を西へ進み、日刊工業新聞とエルおおさかの間の道を南(左折)すると坐摩(いかすり)神社行宮という神社があり、城めぐりではここが楼ノ岸砦として認定してます。ここまで徒歩5分前後です。

土佐堀通の道中、永田昆布店をすぎたあたり左側に石段が見え、そばにいくと急な石垣があります。石垣は打込接ぎや布積、算木積み等の複合となっているので、築かれたのは江戸初期だと思います。この辺りは以前八軒浜の船着場だったとのことで、石山本願寺があった当時は岸壁だったのではと推察させます。
こうした地形から、楼ノ岸砦は行宮より大坂城に近い北大江公園あたりではという説もあります。

近くのエルおおさか建設時に、豊臣時代の屋敷跡が見つかり、発掘された桔梗紋の瓦から加藤清正のものと推定され、建物内では瓦等が展示、発掘された石組みなどの遺構が一部保存道沿いに保存されてます。
また、坐摩神社行宮境内にはステンレスの檻に守られた「神功皇后の鎮座石」を見ることができます。

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