法園寺

法園寺([尼崎城  寺社・史跡])

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法園寺の口コミ情報

2025年06月15日 尼崎城近江守一口城主


今、お城アプリファンの中で注目を集めているかもしれない佐々成政公のお墓参り🪦
阪神尼崎駅から南西に約400mの寺町エリア(写真①)の案内マップ(写真②)の現在地表記の地点から西(右(写真③))に向かって二つ目のお寺が成政公のお墓のある法園寺(ほうおんじ)です。山門の右側に<佐々成政公墳墓之地>の石碑(写真④)が建っています。
山門をくぐってすぐ左に成政公のお墓🪦があります。墓地入口の説明板(写真⑤)には成政公の切腹の時の様子が記されていました。
墓地に入ると五輪塔と成政公の生涯が記された石碑(写真⑥:全体、写真⑦:五輪塔、写真⑧:成政公生涯)がありました。写真⑧は正面からだと私の影が反射して映り込むので斜めから撮りました📷角度的に読みにくいかもしれないので中盤から終盤にかけての今アプリファンの注目を集めているかもしれない年代の銘文を書き起こします🖊️「一五八四年(天正十二年)、小牧・長久手の戦いが始まると三月頃の書状では秀吉につく素振りを見せていたものの、夏頃になって徳川家康・織田信雄方につき秀吉方に立った利家と敵対して末森城の合戦が起こった。この時期は越後の上杉景勝とも敵対していたため二正面作戦をしいられ、苦戦が続いた。秀吉・家康らとの間で和議が成立し、進退窮まると、家康に再挙を促すため、厳冬の飛騨山脈(北アルプス)・立山山系を越えて浜松へと踏破するという壮挙を成し遂げた。世にいう「さらさら越え」である。しかし結局説得は功を奏せず織田信雄や滝川一益にも説得を行ったが快い返事は得られなかった。」
成政公のさらさら越え🏔️❄️のガッツ溢れる逸話は知っていたのですが、当時の成政公の置かれた状況は知らなかったので勉強になりました。
※口コミを書くにあたって寺院名を確認した際の検索サイトで写真⑦の五輪塔は複製で本物は本堂内に保管とのことでした。

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