高山城(たかやまじょう)
高山城の基本情報
通称・別名
- 天神山城、臥牛山城、白雲山城、青山城、[高山陣屋(宮川を挟んだ対岸)]
所在地
- 岐阜県高山市空町
旧国名
- 飛騨国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- 望楼型[2重3階/1600年頃築/破却]
築城主
- 金森長近[高山城]、伊奈忠篤[高山陣屋]
築城年
- 天正16年(1588)[高山城]、元禄5年(1692)[高山陣屋]
主な改修者
- -
主な城主
- 金森氏、前田氏[高山城]、伊奈氏[高山陣屋]
廃城年
- 元禄8年(1695)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀
指定文化財
- 県史跡(高山城跡)、国史跡(高山陣屋跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
三木氏城館(岐阜県高山市)[3.0km]
増島城(岐阜県飛騨市)[12.5km]
姉小路氏城館(岐阜県飛騨市)[17.3km]
江馬氏城館(岐阜県飛騨市)[21.4km]
神岡城(岐阜県飛騨市)[21.6km]
桜洞城(岐阜県下呂市)[29.0km]
萩原諏訪城(岐阜県下呂市)[29.7km]
帰雲城(岐阜県大野郡)[34.3km]
尾畑城(富山県富山市)[44.4km]
二日町城(岐阜県郡上市)[46.2km]
高山城の解説文
[引用元:Wikipedia「高山城」の項目]
File:高山城.JPG|thumb|150px|高山城石碑 高山城(たかやまじょう)は、飛騨国大野郡高山[1](岐阜県高山市)にあった戦国時代から江戸時代前期の日本の城。岐阜県指定史跡。
構造
標高686.6mの城山(臥牛山、巴山ともいう)に築城された平山城で、曲輪、堀、石垣、土塁などの遺構が残る。望楼型2重3階の非実戦的な天守を持つ御殿風の古い城郭形式は、織田信長が築城した安土城の影響を受けたものと見られている。
歴史
- 室町時代、文安年間
- :飛騨守護・京極氏の被官、多賀出雲守徳言が天神山城(多賀山城)を築城。
- 永正年間
- :高山外記が山頂部に天神山城を築城。付近を高山と呼ぶようになったというが異説もある。
- 戦国時代
- :三木自綱が高山へ進出、飛騨を平定、松倉城を築城した。越中の佐々成政と同盟し、豊臣秀吉に対抗したことから、1585年(天正13年)豊臣秀吉の命を受けた越前大野城主金森長近が三木氏を攻め、飛騨を制圧し、飛騨3万3千石の領主となる。当初、長近は鍋山城を居城としたが、1588年(天正16年)天神山城跡を利用して高山城を築城。1600年(慶長5年)までに本丸・二の丸を完成させ、その3年後までには三の丸が整備された。築城と同時に城下町の整備も進められ、高台に家臣屋敷を建設し、下段の三町を町人の町とした。そして京都に倣って東山に寺院を集めた。
- 1692年(元禄5年)
- :金森頼旹の出羽国上山藩への国替えにより、高山城は加賀藩主前田綱紀が預かった。
- 1695年(元禄8年)
- :幕府領となったため、幕命により高山城は前田綱紀により破却される。
現在は、岐阜県高山市空町城山公園。城跡は県指定史跡であるとともに、野鳥生息地(「高山城跡及びその周辺の野鳥生息地」)として天然記念物にも指定されている[2]。 高山市天性寺町62 法華寺本堂(県重文)は高山城の一郭を移築したものといわれている。
歴代城主
金森家 1.金森長近 2.金森可重 3.金森重頼 4.金森頼直 5.金森頼業 6.金森頼旹
アクセス
鉄道
- 東海旅客鉄道(JR東海)
- 高山本線:高山駅下車、徒歩約15分
参考文献
- 高山市教育委員会編『高山市歴史文化基本構想 文化財保存活用計画』高山市、2010年
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高山城の口コミ情報
2025年03月27日 尼崎城山城守一口城主
高山陣屋[高山城 周辺城郭]
[前編]
高山の限定巡りで高山の街を散策中、高山陣屋が気になったので立ち寄ってきました。高山陣屋は写真①の案内にあるように『日本で唯一現存する』江戸時代の郡代代官所とのことでした。陣屋入口の説明板(写真②)に元禄五年(1692)、徳川幕府は飛騨を幕府直轄領としたこと、明治維新後は昭和から平成にかけて復元処理を行ったことなどが書かれていました。
玄関の出入口で目についたのが入口の砂州や玄関の間の青海波🌊でした。ガイドさんの解説から永遠に続く波のように徳川の代も続きますようにとの願いが込められているようです。当地出身の山岡鉄舟の書と砂州の青海波を撮ってみました(写真③)
高山陣屋は陣屋外壁にあった画(写真④)と順路案内(写真⑤)より、御役所・郡代役宅の部屋紹介ゾーンと御倉(写真④左側)でパネル中心に高山や飛騨地方の歴史文化を紹介するゾーンに分かれていました。
嵐山の間という書院造りの部屋(写真⑥)は将棋の名人戦の対局も行われた場でもあるとのことでした。庭園(写真⑦、⑧)を眺めて心が和む空間になっていました🍵
2025年03月27日 尼崎城山城守一口城主
高山陣屋[高山城 周辺城郭]
[後編]
前編に引き続き陣屋内を見学していくと、訪れたのが3月だったためか昭和初期の土雛の雛人形🎎(写真①)が展示されていました。さらに見学経路に沿って進むと、儀式・会議・講釈等が行われたでかい広間(写真②)がありました。この広間には座ってみたいところですが、絶対に座りたくない御白洲(写真③)もありました。写真③の説明板、文字が見えにくいかも知れないので角材部分のところを書いてみます。<「責台と抱石」拷問の道具、三角形の角材の上に抱石をのせ取り調べた>とあり恐怖の間でした🥶
続いて御蔵(パネル中心の資料館)に入ると金森時代の城下町(写真④)と幕領時代後期の城下町(写真⑤)の絵図がありました。高山城が破却され城山から宮川を渡った陣屋周りが発展してきたような様子が見られます。また、大日本物産相撲という各地の特産品の番付表があり、飛騨は番付表のほぼ中心にマーカーで示されている頭取のところに銀あかがね(銅)とありました。(※飛騨の3行右隣に佐渡-金銀でした。)江戸時代になり平和な世の中になってきたことから行政の中心を城山から麓に移し、飛騨地方の資源に幕府が注目して幕府直轄領(天領)としたんだという印象でした🤔
御蔵内には甲冑(写真⑦)も展示されており、海外のお客さん達がソークール✨と感激していました🌏
高山陣屋を出た際、奇跡的に人がいないタイミングで高山陣屋(写真⑧)を撮れました。入門の際は、海外の方をはじめ数多くの人が陣屋前で記念撮影されていたので口コミ用の写真は無理かなと思っていましたが撮れて良かったです📷
2025年03月25日 尼崎城山城守一口城主
素玄寺[高山城 寺社・史跡]
高山の限定巡りでお参りしてきました。高山城三之丸(現在、高山護国神社が鎮座)の堀を見学後、寺町の雰囲気を感じならのんびり向かい徒歩6分で素玄寺の山門(写真①)に到着。山門前まで進むと門の右側に<初代高山城主金森長近公菩提所>の看板(写真②)がありました。
本堂(写真③)を外からお参り後、説明板(写真④)を読んでみると、高山城三之丸にあった評議場が移築されたことや大名の屋形を物語るにふさわしい書院作りの遺構であることが書かれていました。
本堂に向かって左手(写真③左奥)に金森家墓の跡の案内(写真⑤)があったので本堂裏手の墓地に進み、何ヶ所かあった案内(写真⑥)に沿っていくと金森家墓地(写真⑦)に辿り着きました。説明板(写真⑧)によると金森家の墓地跡に立つ供養碑の左右に主君に殉死した家臣の墓石が集められており、金森家のお殿様が家臣団に慕われていたことが伺えるようでしたが切なさも感じました。
お参り後、納経所にお邪魔したところ、お寺の方の厚意で本堂内を見学させて頂きました。武家の建物を移築していることから建屋内に柱が多いことや左右非対称になっていることなどを教えて頂きました。(寺院は法要することがあるので柱は少なく、左右対称の造り、配置になっているところが多いとのことでした。)
2025年03月23日 尼崎城山城守一口城主
高山城
[登城編]
3/15登城。前日、高山入りしていたので前夜登城を試みましたが城址碑(写真①)から上は暗く、個人的に5ヶ月前に人生初遭難した記憶が蘇ったので城下町の夜景(写真②)を眺めて一旦下山。
翌日、城址碑(写真③)・本丸へ470m(二之丸210m)地点(写真④)から仕切り直しで登城。写真③④地点から進み始めるとすぐに中佐平という『坂の上の雲』に登場の廣瀬武夫中佐の像(写真⑤)がある曲輪がありました。本丸へ120m地点が南之出丸(写真⑥)でさらに進むと破城の痕跡が見られる斜面(写真⑦)がありその上が本丸でした。
皆様の一筆で高山に海外の方が多いことが書かれていましたが、本丸到着前後3組の海外の方がハイキングで立ち寄っていてビックリしました😳
高山城の麓の城下町では数多くの海外の方をお見かけしていたのですが海外の方が山城跡にも興味を持って下さり、お城ファンの1人として感激しました‼️
2025年03月23日 尼崎城山城守一口城主
高山城
[本丸→二之丸→三之丸]
本丸到着後、本丸周辺を散策。本丸入口の石垣(写真①)がいい感じの古城感を醸し出していました🌱本丸中央部に碑(写真②)があり、落ち葉🍂で下部の文字が隠れていましたが付近の説明板より<本丸屋形>と刻まれていると思われます。本丸東側からは飛騨山脈(北アルプス)が展望できるとのことでしたが生憎の曇り空☁️で登城日は写真③の通りでした。往時は東北曲輪の外側には水手門(写真④)があったようです。
本丸の城山エリアを下っていくと中腹の二之丸に到着(写真⑤)雪が舞う中、凛々しい姿の金森長近公像(写真⑥)と対面🙇🏻♂️続100名城の福井県の越前大野城🏯の長近公像は柔和な表情で好好爺のような雰囲気の像だったことが思い出されました。同じ武将でもどの年代の姿を像の対象にするかで全く見え方が変わってくるのもお城巡りの楽しみの一つだなと感じられました🤔
最後に三之丸跡に鎮座する飛騨護国神社をお参りし、三之丸の堀(写真⑦、⑧)を見学。堀周辺にはお城関連の説明板🪧はありませんでしたが、飛騨唯一のパワースポット『鯉結びの池』の説明板がありました。猪目紋(ハートマーク)の鯉が遊泳しているようです🎏
2025年03月10日 西倉木工助孝秀
高山城
大手側は比較的雪も溶けていて登れなくはないというか登った💃帰りはそのまま行けるだろうと搦め手側に降りたら踏み固められてて滑って転んでしまいサコッシュが壊れたぁ😭
2024年12月09日 氷室能登守新太郎
高山城
階段の高さが高めです。足元注意⚠️二の丸にトイレがあります。本丸を攻める前に攻略してください。
2024年12月08日 副将軍ナンバー7【7】
高山城
リアの2024年12月7日(土)時点。高山市内は雪無し。岐阜から高山方面への東海北陸自動車道は、白鳥〜五箇山間で冬タイヤ規制でした。
2024年12月03日 tower428磐城守
高山城
オフィシャルツアー最初の応募がいっぱいになって締め切られてしまい、次の抽選応募で当選できて高山城を訪れる事ができました。皆さまと登山しながら解説も聞けて良い思い出になりました。ありがとうございました。
2024年12月03日 竹に雀騎馬隊サンゴ摂政
高山城
オフィシャルツアーで沢山の参加者と登りました。いや〜良い思い出になりました。
2023年09月07日 ʀᴇᴅ副将軍
高山城
金森長近が改修した金森氏六代の飛騨統治の拠点🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
文安年間(1444年〜1449年)に飛騨国守護である京極氏の重臣で守護代をつとめた多賀出雲守により築かれた天神山城が始まりとされます。
永正年間(1504〜1521年)には多賀氏一族の高山外記が在城していました。
1558年に桜洞城の三木自綱が高山に侵攻し、飛騨を平定。高山氏は滅亡し、三木自綱の叔父である三木久綱が天神山城に入城。1575年には松倉城を築いて居城を移しました。
1585年、三木自綱は佐々成政と共に羽柴秀吉と対立すると、羽柴秀吉の家臣である金森長近が飛騨へ侵攻。三木氏の高堂城、広瀬城、松倉城が相次いで落城し、三木氏は没落しました。
その後、金森長近が飛騨に入部し、当初は鍋山城を居城としましたが、1588年に天神山城を改修し居城を移し、城名も高山城と改称しました。
1692年に金森頼時は出羽国上山へ転封となるまで金森氏の統治が六代続いた後、江戸幕府直轄領として高山陣屋が麓に置かれ、高山城は廃城となりました。
見所
標高686mの城山頂部に築かれ、現在は城山公園として整備されています。
山頂に本丸、北側中腹の照蓮寺境内が二ノ丸、北麓の護国神社および幼稚園敷地が三ノ丸でした。
かつては連立式天守群があったとされますが、徹底的な破城により規模の割に遺構は少なく、石垣の痕跡が山中に点在しています。
本丸虎口や南西麓の巨大な大手門が復元されていました。
2023年05月08日 ルカ中納言
高山城
飛騨高山の古い町並みの東南側標高差100mほど登る城山山頂に本丸跡。木々に囲まれ眺望は僅かに東側を覗くだけ。公園入口に熊注意の看板。冗談かと思ったら、本丸下にはリアルに熊除けの鐘が。実際はわからないが、それなりの山なので歩きやすい靴で。
2023年03月17日 播磨屋刑部卿
高山城
本丸周囲の石垣は綿密に破却されて、周囲に残欠の石積みが残るのみです。近世城郭ですが、中世の山城を歩くつもりでの見学をおすすめ。3月上旬でも日陰は残雪がありました。
2023年03月15日
高山城
二之丸に無料駐車場があり、本丸には二之丸から500mほど徒歩で登ります。本丸は金森氏時代は石垣の上に建物が連なっていましたが、現在は建物は無く、石垣もごく一部のみです。
2022年11月13日 こんちゃん三河守コロン
高山城
二の丸の金森長近の像を見て帰ってはいけません。是非そこから本丸に登ってください。道は滑るのでちゃんとした靴で。本丸には高さはないですが素晴らしい石垣が待ってます。
あと、途中にはところどころに石積みもみることができます。
2022年10月17日 山田左京大夫元久
高山城
秋空の下名古屋から特急ひだで高山に行きました。駅より城山公園まで歩き、本丸まで息も絶え絶え登りました❗️途中、でっかい青大将にあいびっくり‼️公園から本丸までは15分くらいでしょうか。案内板があるので迷わず行けました。
2022年05月10日 583系備前守きたぐに
高山城
三の丸と水堀は古い街並みが残っている地区のはずれの護国神社に、二の丸は坂を少し登った城山公園の広場になっており、本丸は城山の山頂にあります。
熊鈴を持って出るのを忘れ、高山市内のスポーツ用品店で買えばいいかと思ったのですが、あまりの観光客の多さと市街地に近いこともあり、大丈夫だろうと勝手に思い、買わずに登城しました。
ですが、人が多かったのは二の丸まで。本丸への登城路には誰もおらず、熊の多発を各国語で警告する張り紙に、炊飯器のお釜で作った鐘までありました。
登城路では誰とも会わず、動物が枯れ葉を踏む音に怯えながら、命が一番と、こともあろうか、森のクマさんを歌いながら歩いてました。
二の丸から本丸にかけての遺構も、見ごたえのあるものがたくさんあったのですが、熊に怯えて写真を撮るのが精一杯。早々に下山しましたが、道中、誰にも会いませんでした。山城はちゃんと装備しないと楽しめないですね。
二の丸には、透視と念写を研究した東大の福来友吉(映画リングのモチーフになった)の記念館があったのですが、残念ながら移転していました。
2022年03月02日 ʀᴇᴅ副将軍
高山陣屋[高山城 周辺城郭]
国内で唯一現存する陣屋です✨
オススメ度 ★★★★⭐︎
元々は飛騨高山藩主であった金森氏の所有する下屋敷。
1692年に幕府が飛騨を直轄領として以降、伊奈忠篤らによって整備。代官所として機能しました。
明治維新後も筑摩県高山出張所庁舎、岐阜県高山支庁舎、岐阜県事務所として利用され続けました。
現在は文化財として保存され、蔵番長屋、郡代役宅、奥座敷などが復元されています。
見所
陣屋建物の中にはうさぎの釘隠しがあります。
「真向兎(まっこううさぎ)」と呼ばれ、うざきの耳は長いことから、民の声をよく聞き取るようにという意味があるそうです。
2021年10月05日 しげしげ主税頭信繁
高山城
高山城址公園の駐車場(無料)が二の丸跡にあり早朝でしたので停められました。広範囲に遊歩道が張り巡らされてました。案内板は有りますが少なめですので、案内図(駐車場にありました)を持っていった方がいいと思います。結構登り下りありますので履き慣れた靴が良いですね。
2021年09月06日 くっしー式部大輔尚人
高山城
二の丸が公園になっており、駐車場が隣にあります。そこから本丸までは15分ぐらいで登れます。
石垣がちょこちょこ残っていますが、廃城となった時に壊されてるんでょうね、全体像はよく分かりませんでした。
立派な舛形虎口の大手門石垣が南の方にあるのですが、昭和期に作られた模擬石垣だそうです。
三の丸が二の丸の北にあるのですが、現在は護国神社になっています。そこの水堀は城の遺構としてとらえていいみたいです。
曲輪は結構残っているので、城の構造はなんとなく分かりました。っていうか、道が多くて迷路みたいに迷ってしまいましたよ。
2021年08月03日 野良犬しろチロ丸
高山城
二の丸の駐車場から、本丸跡まで約10分程の登山になります。道はそれなりに整備されていますので、普段着で大丈夫です。
2021年08月02日 青コアラ美濃守
飛騨高山まちの博物館[高山城 関連施設]
高山城下にある無料の博物館です。高山城に関する展示もあり、VR展示のコーナーでは復元された高山城の姿をあらゆる角度から観察でき、築城家としては変態的(いい意味で)として知られる金森長近による特異な天守の姿を堪能する事が出来ます。
2021年07月24日 駿河守かわ
高山城
高山城、高山陣屋付近は古い街並みもあり食べ歩き、お土産と楽しめるエリアが近くて良かったです
2021年07月24日 いのちゃん吉法師
高山城
飛騨高山の陣屋は見どころ満載です。是非とも行ってください。江戸時代を体感出来ます。
2021年07月24日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
高山城
本丸周辺以外の遺構の少なさ、少々残念ですが、城全体の規模感、縄張りからすれは最強クラス。破城されたのも頷けます。
2021年07月18日 陸奥守たろす
高山陣屋[高山城 周辺城郭]
【高山陣屋】
◆全国に唯一現存する徳川幕府郡代・代官所
◆元禄5年(1692)飛騨を幕府直轄領として以来、明治維新にいたるまでの176年間に25代の代官・郡代が江戸から派遣され政務を行った
◆現存遺構
表門、門番所、御役所、御蔵、勝手土蔵、書物蔵
◆駐車場
街中に有料駐車場がありますが、高山城二の丸跡の「城山公園駐車場」ならば無料です。坂はありますが高山城散策も兼ね利用してはいかがでしょう
※地域限定イベのQRコード及び、岐阜の戦国武将カード「金森長近」は受付横の休憩所にあります♪
2021年07月11日 中村民部卿素牛
金森長近公之像[高山城 その他]
無料の駐車場と、小さい遊具広場と、軽食の売店が有ります。
2021年07月08日 橘勘解由長官頼綱
高山城
このエリアは街並みが素敵で散策しながら楽しんでリア攻めができます。
2021年06月28日 ガンジー大兄はな姫
高山城
お車でお越しの場合、道幅が大変狭くなってます。運転にはご注意を
2020年09月22日 織田上総介晃司
高山城
城山公園(二の丸)に駐車場があります。
高山城最大の石垣は大手門石垣ですが、これは昭和に積み上げたもので史実とは異なります。
でも周りの雰囲気とマッチしており、紅葉の頃には得も言われぬ情景です。
廃城となった後幕府直轄領として建てられたのが高山陣屋です。
陣屋前では朝市が開かれ、高山名物・朴葉味噌を買いました。
春と秋、勇壮な祭屋台が市内を練り歩く高山祭ですが2020年はコロナのため祭屋台は無しで神事のみ行われるそうです。
2020年01月24日 越中守松宙右衛門
高山城
熊出没の入城禁止は解除になってます。
場所によっては、ぬかるんだ道があります。
所々に、熊対策のドラム缶が置いてありました。
2019年07月21日 みかわのひで
高山城
熊出没の為に入城禁止になってます。(2019年7月21日現在)
2019年05月11日 ago玄蕃頭
高山城
グーグルマップの口コミによると、熊が出るらしいです。
熊除け鈴と複数人でのリア攻めお勧めします。
外周の道は散歩してる人が多数いますが、登って行くと山城です。
階段の踏面に勾配があったり、細かい石で滑りやすいのでご注意下さい。
2019年05月10日 ago玄蕃頭
駐車場等[高山城 駐車場]
二の丸公園の駐車場です。
トイレ、売店、金森長近公の像があります。
逆光になってしまったので、裏からも1枚。
2016年12月28日 源山城守@ポンコ2…
高山城
高山駅乗鞍口の観光案内所で散策マップをもらい、左手にある酒屋でレンタサイクル(300円/一時間)しました。
国分寺通りを東に行き、鍛冶橋を越え二筋目を右(南)に曲がり昔の街並を見ながら高山市政記念館まで自転車で5分くらいです。
そこで左折(東)し道なりに進み、信号を越えたとこから坂道にあたり、T字路を右折(南)して坂道をかけ上がると「城山公園」の立派な石碑があります。
側の案内に沿い二ノ丸公園まで上がるも、自転車はここまで。
記念館から公園まで自転車で5分ちょいですが、かなり急な坂でしかもうっすら雪化粧で路面凍結で滑りました。
二ノ丸から本丸へは徒歩で向うも、スーツ革靴の出で立ちのため、雪で滑り転けそうになりながら案内に沿って上り、本丸まで10分弱くらいだったと思います。
景色は二ノ丸公園でも十分よい眺めです。
公園から陣屋に向かう時は自転車ブレーキをかけながらいきましたが、いつ滑り落ちるかドキドキでした。
体力に自信のない方にサイクリングはお勧めできません。
また、私はコート忘れ高山で買いましたが、冬の来訪は防寒着用をお勧めします。
2015年04月19日 ぐっさん^。^)y-参議
高山城
城山公園は只今大木伐採整備中で…登城出来ますけど…足元をしっかり見ないと…滑ってしまいます。所所、大木が道を塞いでいますので気をつけての登城をして下さい。
2011年07月11日 古楽侍従広家
高山城
この城を舞台にした池宮彰一郎さんの短編『受城異聞記』は一読の価値あります。あまりにも救われない話でもありますがね。
2010年09月02日 傾奇揚げ仙兵衛
高山城
高山駅近くのラーメン屋ちとせに入ったらほとんどの客が焼そばを食べていたのでつられて焼そばを注文した。安くて旨い。
高山城の周辺スポット情報
大手門(遺構・復元物)
石垣(遺構・復元物)
高山陣屋-表門(遺構・復元物)
高山陣屋-門番所(遺構・復元物)
高山陣屋-蔵番長屋(遺構・復元物)
高山陣屋-書物蔵(遺構・復元物)
高山陣屋-御蔵(遺構・復元物)
高山陣屋-御三階(遺構・復元物)
太鼓櫓(遺構・復元物)
史蹟 高山城址(碑・説明板)
もみの木平(南之出丸)(碑・説明板)
中段屋形(碑・説明板)
号砲平(塩蔵)(碑・説明板)
水手門(碑・説明板)
搦手之門(碑・説明板)
鮎崎城(周辺城郭)
高山陣屋(周辺城郭)
高山別院照蓮寺(寺社・史跡)
素玄寺(寺社・史跡)
公衆便所(トイレ)
公衆便所(トイレ)
公衆便所(トイレ)
駐車場等(駐車場)
飛騨高山まちの博物館(関連施設)
東北曲輪周辺の図(その他)
本丸屋形の図(その他)
金森長近公之像(その他)
南之出丸周辺(その他)
中佐平(その他)