姉小路氏城館(あねがこうじしじょうかん)
姉小路氏城館の基本情報
通称・別名
- 姉小路氏城館[向小島城・小島城・小鷹利城・古川城・野口城]
所在地
- 岐阜県飛騨市古川町沼町他(地図は向小島城を示す)
旧国名
- 飛騨国
分類・構造
- 城館遺跡群
天守構造
- -
築城主
- 姉小路氏[向小島城・小島城・小鷹利城]、古川二郎[古川城]、不明[野口城]
築城年
- 不明[向小島城・小鷹利城・野口城]、南北朝時代[小島城]、天文年間(1532〜1555)[古川城]
主な改修者
- -
主な城主
- 向氏[向小島城・小鷹利城]、小島氏[小島城]、古川氏、金森可重[古川城]、不明[野口城]
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切[すべて]、畝状竪堀群[向小島城・小鷹利城・野口城]、石垣[小島城・古川城]
指定文化財
- 国史跡(姉小路氏城跡)
再建造物
- 石碑[すべて]、説明板[すべて]
周辺の城
-
増島城(岐阜県飛騨市)[5.7km]
三木氏城館(岐阜県高山市)[16.7km]
高山城(岐阜県高山市)[17.3km]
神岡城(岐阜県飛騨市)[17.6km]
江馬氏城館(岐阜県飛騨市)[18.0km]
帰雲城(岐阜県大野郡)[22.0km]
尾畑城(富山県富山市)[29.4km]
大道城(富山県富山市)[33.2km]
猿倉城(富山県富山市)[34.9km]
上見城(富山県南砺市)[35.5km]
姉小路氏城館の解説文
姉小路氏城館の口コミ情報
2024年10月10日 RED副将軍
百足城[姉小路氏城館 周辺城郭]
馬蹄形の地形を利用した姉小路高綱の隠居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
百足城(むかでじょう)と読みます。
築城年代や築城主等の詳細不詳。
飛州志に記載があり、城の歴史は古い様ですが「古川郷高野村ニアリ、來由未詳」としか記されていません。
向小島氏の家系であり小鷹利城の城主であった姉小路高綱の居館もしくは隠居城であったと推測されていますが、姉小路高綱の生没年も曖昧であるため詳細が分かっていません。
古川城の近隣であるため古川城の支城と考えるのが自然と思います。
兎にも角にも百足城の由来が気になります。百足がいっぱいいたのでしょうか。
見所
宮川に突き出す舌状台地上に築かれています。
頂部の主郭には櫓台があり、南東には堀切で区切られた物見台がありますが、いずれも古墳を利用したものとされます。
主郭の南側側面には石垣が検出されています。
小規模ながら馬蹄形の地形を階段状に削平した縄張りです。
それにしても全国にはいろんな城名があるものです。
2024年05月10日 RED副将軍
古川城[姉小路氏城館 周辺城郭]
姉小路古川氏の本拠地🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。
応永年間(1394年~1428年)末期に藤原師言が築いたとの伝承もある様ですが、天文年間(1532~1555年)に古川二郎による築城とも云われ定かではありません。
姉小路氏は、飛騨国司として勢力を拡大しましたが、1405年頃には小島・古川・向の三氏に分かれます。
その内の古川氏が古川城を本拠とし、古川基綱・古川済継の親子は小島氏を圧倒して宗家の地位を奪いました。
姉小路氏は一族の内乱もあり弱体化した後に、三木氏が姉小路との同化を画策。事実上の家督を乗っ取り飛騨国司を継承しました。
1560年には三木良頼と子の自頼が古川氏を称して古川城を拠点としました。
その後、在地土豪である牛丸氏の属城となり、1564年には武田氏重臣の山県昌景が飛騨に侵攻し、敗れた上杉氏家臣の塩屋秋貞が古川城に退去したとされます。
塩屋秋貞は上杉謙信が没し上杉氏が家督争いにより弱体化すると織田信長に仕えるも、本能寺の変で織田信長が没すると後ろ盾を失い、1583年に城生城の斎藤信利に侵攻するも援軍に駆け付けた上杉景勝により討死しました。
その後の古川城は三木氏の勢力下にありましたが、1585年の羽柴秀吉の家臣である金森長近による飛騨平定の際には無血開城。
三木自綱が討たれ三木氏が滅亡すると古川城には金森可重が入城しましたが、直ぐに増島城を築いて居城を移し廃城となりました。
見所
宮川西岸の標高629mの山陵上に築かれています。
西から東に伸びる尾根上の最高所に主郭を置き、主郭は鋭い切岸で硬められ周囲を帯郭が巡り、北側背後は櫓台状の高台があります。
主郭北側背後には三郭を経てその先は大堀切で尾根を遮断。
主郭東側は段郭が連なり、蛤城の由縁でもある蛤石が鎮座しています。
尾根先端部の東端には桝形虎口、主郭周辺には石垣痕があり金森氏によると思われる改修も認められます。
行き方は、県道471号から城域東側にある吉城コンポという肥料製造工場を目指します。そこから西側へ山の方へ200mほど入っていくと登城口の標柱が立っています。
登城口付近には駐車スペースが無いので県道沿いの広い路側帯に駐車した方が無難です。比高は約60mで数分で城域に辿り着きます。
2023年12月13日 RED副将軍
野口城[姉小路氏城館 周辺城郭]
城史は不明ながらも畝状竪堀群が見事な姉小路氏の名城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代や築城主等の詳細不詳。
室町時代に姉小路氏により周辺の小島城、向小島城、古川城と同様に築かれたとされます。
牛丸氏の一族である吉川左衛門尉の名が城主として伝わります。
姉小路氏は、飛騨国司として勢力を拡大しましたが、1405年頃には小島・古川・向の三氏に分かれます。一族の内乱もあり弱体化した後に、三木氏が家督を乗っ取り飛騨国司を継承。野口城も三木氏の属城となりました。
1585年に羽柴秀吉の家臣である金森長近が侵攻し、三木氏の小鷹利城・小島城・古川城と共に野口城も落とされたと考えられています。
見所
宮川東岸の標高566𝙢の城山に築かれ、越中西街道と数河峠の峠道の合流地点東側に位置する交通の要衝で、古川盆地の西側を監視する極めて重要な立地です。
南に開いた谷を囲む様に馬蹄形の尾根筋に郭が連なり、主に西、中央、東の3つの郭群で構成されています。
登城口から最初に辿り着くのが西側の郭群で主郭とされます。中央に一段高い郭を配し、南北には広い削平地が広がり、東側下に三条の畝状竪堀が認められます。
中央の郭群は四方の尾根を堀切で遮断し、西側に畝状竪堀群を敷設。特に北側は二重堀切となっています。
東側の郭群は北尾根を二重堀切で断ち、更にその先にも堀切を敷設しています。北斜面には明瞭な畝状竪堀群が残り、東尾根は北側に土塁を設けた細長い削平地となっています。
歴史上ではあまり記録に残らない城郭ですが城郭遺構としては大変素晴らしい山城です。
古川城、小島城、向小島城、小鷹利城と共に姉小路氏城館跡を構成する城郭のひとつで最近、国史跡に指定もされました。
行き方は、国道41号から北側麓の野口集落に入り、集落の突き当たりまで行きます。野口城跡の標柱がありますが「通り抜けはできません」の看板も立ち、一見は行き止まりに見えますが、よく見ると右手に「ご自由に駐車してください」の小さな看板があり車一台分のスペースに駐車させて頂きました。後は案内板通り進めば辿り着きます。比高は約90𝙢で登城路も整備されているので駐車スペースから20分程で辿り着きます。
下山して車に戻ってくると、飛騨市山城マップがワイパーに挟まっています。すると向かいの家からご主人が出て来られて、聞けば野口城の元地主さまとのこと。近年、飛騨市に土地を寄付され、それまではご自身が登城路や城内を整備したり、案内板を設置していたとのこと。
かの城郭研究家の宮坂武男先生もスケッチに来たなど貴重なお話を伺いました。
ご高齢でしたが、我々の様な山城巡ラーにとって整備をして下さっている地権者さまは非常にありがたい存在です。
という訳で飛騨市の野口城推しになりました。是非とも素晴らしい城郭遺構と整備をご訪城の上、確認してくださいませ。
2023年11月10日 RED副将軍
姉小路氏城館
登録地である向小島城の口コミです。
姉小路三家のひとつである向氏の居城🏯
国指定史跡である姉小路氏城跡を構成するひとつ
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。姉小路氏によって築かれたと云われます。
姉小路氏は、公卿であった姉小路家綱が1378年に南朝より飛騨国司に任命され信包城を居城としたとされ、この信包城が向小島城であると比定されています。
その後、1405年頃に姉小路氏は、小島氏、向氏、古川氏の三家に分裂。向小島城は向氏の居城となりました。
1563年に当主の向貞煕が没すると家督を承継した向光綱は幼かったため重臣の牛丸氏が実権を握りました。しかし、1583年、飛騨に勢力を拡大していた三木自綱が攻め寄せて滅ぼされたと伝わります。
その三木自綱も1585年に豊臣秀吉の命を受けた金森長近に攻められて落城し廃城となった様です。
見所
信包集落東の標高643mの山頂に築かれています。東西に二つの郭で構成されており、東の最高所が主郭です。
主郭は鋭い切岸に周囲を腰郭と帯郭が取り巻いています。主郭の北東尾根は馬蹄形の段郭が続き先端は堀切で遮断され、南東尾根は二重の堀切で遮断、南尾根も小規模な段郭が連なり先端を堀切で遮断しています。
西の二郭群は、西尾根の先端部に土塁が付いてその下に畝状竪堀群が放射状に広がります。
南尾根は小規模な段郭が連なり先端を堀切で遮断しており更に降ると登城口に至ります。
行き方は、県道479号に面した笹ヶ洞公民館を目標に設定。東に行くと恵比寿神社があり案内板があります。そこから城域南に行くと城跡碑がありますが「関係者以外立入禁止」の看板が立ちます。
しかし、飛騨市教育委員会が発行の「飛騨市山城マップ」には登城口はここであると書かれていたため、飛騨市に確認すると山城の見学者はそこから入って下さいとのことでした。
獣害柵から直登し尾根に取り付くと南西部の堀切に到達します。
比高は約130mで20分程度で辿り着きます。
飛騨の山城はレベルが高く、ここも山城好きなら必須課程とも言うべき素晴らしい遺構です。しかし、ここもガチのクマ出没エリアです。ご注意下さい。
クマには会いませんでしたが至近距離のカモシカの親子と会いました♪
写真
①②西尾根の放射状に広がる畝状竪堀群
③④南西尾根の堀切
⑤主郭切岸
⑥南尾根の大堀切
⑦南東尾根の二重堀切
⑧北東尾根の段郭
2023年11月01日 とんかつおやじND
下北城[姉小路氏城館 周辺城郭]
詳細は 把握していません
一応調べましたが…分からず
姉小路氏城館群の小島城から 東直線距離で約1.3km の尾根続きで 小島城の背後を護る出丸的かな…と想像 城の守りは小島城とは反対の東側に堀切が三条 曲輪東端には土塁からの堀切←は土塁から堀底までは人背丈の二倍程で東尾根側には腰程の段差 から尾根を東に行くと小さなピークがありすぐ東にカワユイ堀切が二条
単郭で 東西に細長く 一周一段下がった武者走り風が巡りその下段は人背丈1.5倍程の切岸となり 削られた分は腰曲輪となってます
虎口らしきが西端にあり北側から西端を一旦回り込み 北へ折り返す構造かな❓曲輪南側は谷で北側には現在林道が通ってる
小島城大江口から登城で 徒歩約2km、比高約220m 大江口から登り尾根に出たら 林道を小島城の矢印の逆の東に1.5km程進んだ右手尾根 熊笹が切れた辺りから取り付けます
某には珍しく長文 最後まで読んで頂きありがとうございました。
①林道から見た一番東側小堀切
②堀切越に見た曲輪東端
③曲輪から堀切底を
④曲輪東端の土塁
⑤曲輪南側切岸と腰曲輪を主郭から見下ろす
⑥西端の虎口
⑦北側切岸
現在飛騨では熊警戒区域に… 某の様にボッチ巡りの方は鈴、笛、ラジオなどの用意を
追伸
ラジオは国営教育ならばなんとかはいりました。
熊鈴×3、笛、ラジオの装備にて登城
2023年10月30日 大宰少弐すけきよ堂
姉小路氏城館
古川城
シンポジウムの後、登城
道の駅から30分程度です。主郭の切岸の高低差、虎口の石垣は見応えがあります。
2021年12月04日 大和大納言
小鷹利城[姉小路氏城館 周辺城郭]
2021/11/21
車でのアプローチについて書いておきます。先人の書込みのように城手前まで林道が使えます途中、半分くらいまでは舗装されていたものの後半(時期や天候に依るのでしょうが)かなりの悪路でした
私が訪問した時は数日前?の雨水で轍部分が大きく抉られており、丁寧に轍の山部を走らないとスタックする可能性があります。また道幅も狭くUターン出来ませんし、大きめの石も沢山転がっています
駐車スペースからは一面のススキとぬかるみで城への取り付きに苦労して結局断念…早々に右手側から上へ上がった方が良かったかも
どなたかのご参考になればと思います
2021年11月22日 くっしー治部大輔尚人
古川城[姉小路氏城館 周辺城郭]
吉城コンポの看板を先に進むと、屋根だけが残る廃屋があります。その横に道があって、そこを登っていくと15分程で本丸にたどり着きます。
こじんまりとした城ですが、桝形虎口の跡が残っていますので、姉小路氏の遺構ではなく金森氏の時代の遺構ではないかと考えられています。飛騨市が説明看板を設置しています。縄張図もそこにあるので、それを参考に城内を散策すると面白いですよ!
2021年04月28日 雲龍斎隠遁守全長
姉小路氏城館
野口城、地主の方が整備されててとても見易いです。特に堀や畝状竪堀が見事です。
麓の地主さんに声を掛けて車を止めさせてもらいました。
2020年11月08日 竹下半兵衛(^^)/
小鷹利城[姉小路氏城館 周辺城郭]
小鷹利城
標高788m、比高約205m
岐阜県指定史跡
西側の林道から車で馬場跡手前まで行けた。ラクチン
ぬかるみにゴザがひかれてるおもてなしに感激ものでございます
m(_ _)m
さっそく登ると紅葉真っ盛りな赤にオレンジ、黄色に黄緑のグラデーションにニンマリ♡
(⌒‐⌒)
埋もれ気味の堀切をこえればすぐ三曲輪、土塁がよく残る♪そして畝状竪堀群は...今年もかったーいヤブに埋まってた(^o^;)登城道になってる一条だけパチリ..って..ヤブ写真の出来上がりf(^_^)
主郭に新しい令和2年10月製の説明板が縄張図付きで設置されてた。
支尾根それぞれにちゃーんと堀があるけど、ナカナカのヤブで見るのに大変
段曲輪はハッキリしてる♪
すでに紅葉全開な山城探検は飽きることなく楽しめました(^^)d
2020`11/7登城
2020年08月01日 しげぽん
姉小路氏城館
姉小路氏山城の案内マップが飛騨古川駅の観光案内所にあるのでそれを参考に各城をまわるのが良いです。ちなみに江馬氏の山城マップもあります。
マップの位置は向小島城になります。案内マップにはだいたいの登城口があるのですが、詳細は先立の方々のwebサイトの方を参考にした方が良さそうです。因みに登城口付近にあった吉城ファームはもう建物がなく更地になってるのでご注意ください
2015年09月27日 北川幸人
姉小路氏城館
小島城
県道75号沿いの寿楽寺の駐車場に、説明看板があります。
なぜ、ここに?と思いますが、そこから南に見える山の東西にのびる尾根に、小島城はあります。
寿楽寺駐車場から東へ約500mの地点に「小島城3㎞」の矢印看板があります。矢印に従って進み、途中のゲートを過ぎ、道は林道となり、安峰山と小島城の分岐点に到着。そこから先は舗装工事のため車両進入禁止。(平成27年10月30日迄) 路肩に車を停め、約1㎞徒歩で進み到着。工事終了後はスムーズに訪れる事が出来ると思います。
トイレ 駐車場 共にあります。
主郭部近くにある案内図によれば、杉崎口 沼町口 大江口の登城道があり、麓の登城口付近に目印になりそうな寺社があるようですが、時間がなく未確認です。
2011年10月03日 三河守コーキしゃん
姉小路氏城館
現在は高田神社になっています。敷地内に駐車スペース有りです。遺構はないですが、石垣があり高台にあるので雰囲気は出てました
すべての城郭が岐阜県の史跡に指定されている(野口城のみ市史跡)。
向 小 島 城
向小島城は、国司として飛騨に赴いた姉小路氏が築いて居城としたものとされる。後に姉小路氏から分かれた向氏の居城となった。金森長近の飛騨侵攻によって落城。小 島 城
小島城は、南北朝時代に国司となった姉小路氏が築いたと伝えられている。戦国時代には姉小路氏から分かれた小島氏の居城となったが、天正13年(1585)豊臣秀吉の家臣であった金森長近の飛騨侵攻によって落城した。現在は郭や土塁、石垣の一部などが残っており、岐阜県の史跡に指定されている。小 鷹 利 城
小鷹利城は、向氏の居城とも、向小島城の支城ともいわれる。古 川 城
姉小路氏から分かれた古川氏の居城。小島城・向小島城と共に落城した後、金森氏の居城となるが増島城が築かれたことで廃城となったとされる。野 口 城
野口城の築城の経緯は不明である。また、城主も分かっていないが、古川盆地への出入り口を扼する山上に位置することから姉小路氏によって築かれたと考えられる。