姉小路氏城館(あねがこうじしじょうかん)
姉小路氏城館の基本情報
通称・別名
- 姉小路氏城館[向小島城・小島城・小鷹利城・古川城・傘松城]
所在地
- 岐阜県飛騨市古川町沼町他(地図は向小島城を示す)
旧国名
- 飛騨国
分類・構造
- 城館遺跡群
天守構造
- -
築城主
- 姉小路氏[向小島城・小島城・小鷹利城]、古川二郎[古川城]、吉田国家[傘松城]
築城年
- 不明[向小島城・小鷹利城]、南北朝時代[小島城]、天文年間(1532〜1555)[古川城]、鎌倉時代[傘松城]
主な改修者
- -
主な城主
- 向氏[向小島城・小鷹利城]、小島氏[小島城]、古川氏、金森可重[古川城]、吉田氏[傘松城]
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切[すべて]、畝状竪堀群[向小島城・小鷹利城]、石垣[小島城・古川城]
指定文化財
- 県史跡[すべて]
再建造物
- 碑[すべて]、説明板[小島城・小鷹利城・傘松城]
周辺の城
-
増島城(岐阜県飛騨市)[5.7km]
三木氏城館(岐阜県高山市)[16.7km]
高山城(岐阜県高山市)[17.3km]
神岡城(岐阜県飛騨市)[17.6km]
江馬氏城館(岐阜県飛騨市)[18.0km]
帰雲城(岐阜県大野郡)[22.0km]
金森宗貞邸(岐阜県飛騨市)[24.2km]
尾畑城(富山県富山市)[29.4km]
大道城(富山県富山市)[33.2km]
猿倉城(富山県富山市)[34.9km]
姉小路氏城館の解説文
姉小路氏城館の口コミ情報
2021年12月04日 大和大納言
小鷹利城[姉小路氏城館 周辺城郭]
2021/11/21
車でのアプローチについて書いておきます。先人の書込みのように城手前まで林道が使えます途中、半分くらいまでは舗装されていたものの後半(時期や天候に依るのでしょうが)かなりの悪路でした
私が訪問した時は数日前?の雨水で轍部分が大きく抉られており、丁寧に轍の山部を走らないとスタックする可能性があります。また道幅も狭くUターン出来ませんし、大きめの石も沢山転がっています
駐車スペースからは一面のススキとぬかるみで城への取り付きに苦労して結局断念…早々に右手側から上へ上がった方が良かったかも
どなたかのご参考になればと思います
2021年11月22日 くっしー雅楽頭尚人
古川城[姉小路氏城館 周辺城郭]
吉城コンポの看板を先に進むと、屋根だけが残る廃屋があります。その横に道があって、そこを登っていくと15分程で本丸にたどり着きます。
こじんまりとした城ですが、桝形虎口の跡が残っていますので、姉小路氏の遺構ではなく金森氏の時代の遺構ではないかと考えられています。飛騨市が説明看板を設置しています。縄張図もそこにあるので、それを参考に城内を散策すると面白いですよ!
2021年11月07日 国府左京大夫城介
傘松城[姉小路氏城館 周辺城郭]
高原諏訪城に比肩する江馬氏の山城
【歴史】
築城者は不明だが、永仁7年(1299)に築城と伝わる。
江馬氏の城郭であったという資料は残っていないが、近年の研究では江馬氏の城である可能性が極めて高くなっているとのこと。
別名:吉田城
【遺構】
傘松(からかさまつ)城は、江馬氏下館より南西2kmにある観音山(標高803m/比高363m)山頂に築かれた山城。
山頂に主郭があり、土塁や虎口があり、その周囲を横堀が北・西・南に張り巡らされていた。特に南側の横堀は令和2年の発掘調査で新たに発見されたものです。北尾根には段曲輪や堀切、南尾根には両竪堀、西尾根にはこの城で最大の堀切がある。
【感想】
当初の予定には全くない城攻めで、江馬氏館の方が「傘松城もいいお城ですよ」の一言で登城を決めました。だけど、登り始めるとかなり後悔するレベルでキツく高原諏訪城が楽勝に思えるレベルでした。また、日没や終バスの時間もあったので、かなりギリギリの城攻めでした。
しかし、山頂の遺構を見始めると「ここまで頑張って登ってよかった」と思えるくらい素晴らしいお城でした。しかも、飛騨市が発掘調査をして新たな横堀を発見しているなど、まだまだ隠された遺構があるような気がします。また、山頂からは江馬氏館や高原諏訪城を容易に視認でき、樹木がなければ、他の江馬氏城館(洞城、石神城、寺林城、政元城)をも見渡すことができる重要な拠点であることが分かります。そう考えると、この城が江馬氏の城であることは明白だと思います。
もし、神岡に来ることがあれば、是非リア攻めすることをお奨めします。公共交通機関の場合は、時間配分には気を付けてください。
【アクセス】
江馬氏館より不動院登城口まで徒歩10分。主郭まで徒歩で40~50分。
登城口は複数あります。
山頂近く(標高700m)まで林道が通っており、数台停車するスペースはある。
【写真】
1:遠景(江馬氏館より)
2:標柱
3:説明版
4:主郭から江馬氏館を望む
5:堀切(北尾根)
6:主郭北側の土橋と堀切
7:主郭の西側の横堀
8:堀切(西尾根)
2021年04月28日 阿賀北副将軍雲龍斎全長
姉小路氏城館
野口城、地主の方が整備されててとても見易いです。特に堀や畝状竪堀が見事です。
麓の地主さんに声を掛けて車を止めさせてもらいました。
2020年11月08日 竹下半兵衛(^^)/
小鷹利城[姉小路氏城館 周辺城郭]
小鷹利城
標高788m、比高約205m
岐阜県指定史跡
西側の林道から車で馬場跡手前まで行けた。ラクチン
ぬかるみにゴザがひかれてるおもてなしに感激ものでございます
m(_ _)m
さっそく登ると紅葉真っ盛りな赤にオレンジ、黄色に黄緑のグラデーションにニンマリ♡
(⌒‐⌒)
埋もれ気味の堀切をこえればすぐ三曲輪、土塁がよく残る♪そして畝状竪堀群は...今年もかったーいヤブに埋まってた(^o^;)登城道になってる一条だけパチリ..って..ヤブ写真の出来上がりf(^_^)
主郭に新しい令和2年10月製の説明板が縄張図付きで設置されてた。
支尾根それぞれにちゃーんと堀があるけど、ナカナカのヤブで見るのに大変
段曲輪はハッキリしてる♪
すでに紅葉全開な山城探検は飽きることなく楽しめました(^^)d
2020`11/7登城
2020年08月01日 しげぽん
姉小路氏城館
姉小路氏山城の案内マップが飛騨古川駅の観光案内所にあるのでそれを参考に各城をまわるのが良いです。ちなみに江馬氏の山城マップもあります。
マップの位置は向小島城になります。案内マップにはだいたいの登城口があるのですが、詳細は先立の方々のwebサイトの方を参考にした方が良さそうです。因みに登城口付近にあった吉城ファームはもう建物がなく更地になってるのでご注意ください
2015年09月27日 北川幸人
姉小路氏城館
小島城
県道75号沿いの寿楽寺の駐車場に、説明看板があります。
なぜ、ここに?と思いますが、そこから南に見える山の東西にのびる尾根に、小島城はあります。
寿楽寺駐車場から東へ約500mの地点に「小島城3㎞」の矢印看板があります。矢印に従って進み、途中のゲートを過ぎ、道は林道となり、安峰山と小島城の分岐点に到着。そこから先は舗装工事のため車両進入禁止。(平成27年10月30日迄) 路肩に車を停め、約1㎞徒歩で進み到着。工事終了後はスムーズに訪れる事が出来ると思います。
トイレ 駐車場 共にあります。
主郭部近くにある案内図によれば、杉崎口 沼町口 大江口の登城道があり、麓の登城口付近に目印になりそうな寺社があるようですが、時間がなく未確認です。
2011年10月03日 三河守コーキしゃん
姉小路氏城館
現在は高田神社になっています。敷地内に駐車スペース有りです。遺構はないですが、石垣があり高台にあるので雰囲気は出てました
すべての城郭が岐阜県の史跡に指定されている。
向 小 島 城
向小島城は、国司として飛騨に赴いた姉小路氏が築いて居城としたものとされる。後に姉小路氏から分かれた向氏の居城となった。金森長近の飛騨侵攻によって落城。小 島 城
小島城は、南北朝時代に国司となった姉小路氏が築いたと伝えられている。戦国時代には姉小路氏から分かれた小島氏の居城となったが、天正13年(1585)豊臣秀吉の家臣であった金森長近の飛騨侵攻によって落城した。現在は郭や土塁、石垣の一部などが残っており、岐阜県の史跡に指定されている。小 鷹 利 城
小鷹利城は、向氏の居城とも、向小島城の支城ともいわれる。傘 松 城
傘松城は、古くからあった城郭を、姉小路氏と同じく飛騨の国人であった江馬氏が居城としたものとされる。この傘松城に関しては記録が少なく詳細は分かっていない。古 川 城
姉小路氏から分かれた古川氏の居城。小島城・向小島城と共に落城した後、金森氏の居城となるが増島城が築かれたことで廃城となったとされる。