増島城(ますじまじょう)
増島城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岐阜県飛騨市古川町片原町
旧国名
- 飛騨国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 金森長近
築城年
- 天正14年(1586)
主な改修者
- -
主な城主
- 金森氏
廃城年
- 元禄8年(1695)
遺構
- 曲輪、石垣、天守台、横堀(水堀)、移築門(林昌寺・円光寺)
指定文化財
- 県史跡(増島城跡)
再建造物
- 説明板
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-
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増島城の解説文
[引用元:Wikipedia「増島城」の項目]
増島城(ますしまじょう)は、岐阜県飛騨市古川町片原町にあった日本の城。北飛騨唯一の平城。古川国府盆地の中央、荒城川沿いに位置する。岐阜県指定史跡[1]。
歴史
金森長近は1585年(天正13年)に三木氏の治めていた飛騨国を攻略して領国とし、本城の高山城および支城の萩原諏訪城、増島城を築いた。増島城の建設は1586年(天正14年)であり、完成すると長近の養子・金森可重が古川城から移って城主となった。
長近が1608年(慶長12年)に没して後継者の可重が高山城に入ると、その長子・金森重近が増島城主となった。可重の死後はその三男である金森重頼が跡を継ぎ、重近は出家して京都に去った。その後は家臣が入ったと思われるが、1619年(元和元年)の一国一城令にともない廃城となって古川旅館と改称し、萩原諏訪城跡の萩原旅館や下原旅館と同様に金森氏の陣屋となった。1692年(元禄5年)に金森氏は出羽国上山藩へ移封され、1695年(元禄8年)に高山城とともに破却された。
遺構
城が破却された後は書院は本光寺、城門は林昌寺、円光寺、本光寺などに与えられたとされる。火災にあった本光寺以外の林昌寺、円光寺には山門として現存する。現在本丸跡には飛騨市立古川小学校と増島天満神社があり、神社の境内には本丸櫓台の石塁と、小学校建設当時にそのほとんどが埋め立てられた堀の一部が残り、それらが増島城跡として1959年(昭和34年)11月16日に県の史跡に指定されている。
アクセス
- JR東海高山本線飛騨古川駅から徒歩5分
参考文献
- 『日本歴史地名大系』(オンライン版)小学館
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増島城の口コミ情報
2024年11月13日 ラペルーズ十勝守
堀・石垣[増島城 遺構・復元物]
増島城跡の天神池では、冬になると多くの鯉を見ることができます。夏の間、白壁土蔵群沿いの瀬戸川を泳いでいた鯉です。冬の瀬戸川は除雪した雪を入れて流す場所となるため、鯉の引越し場所となるのです。
2024年09月03日 佐渡守:ダークスカル
増島城
学校と野球場の間に鎮座している神社でした。遺構はよく分かりませんでした。
2023年10月26日 RED副将軍
増島城
本丸櫓台の石垣と内堀の一部が残存する金森可重の居城跡🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1586年に飛騨国の三木氏を滅ぼした金森長近によって築城。飛騨に入封した金森長近は高山城に入城し、増島城には養子である#金森可重 を城主としました。
1608年に金森長近が没すると、金森可重が家督を継いで高山城へ入城し、増島城には嫡男の金森重近を置きました。しかし1615年に金森可重が没すると、家督を継いだのは金森重近ではなく四男の金森重頼が継承。大坂の陣で徳川方についた父の金森可重を批判したことによるとされます。金森重近は出家して「宗和」と号し、京都で茶道に生きました。
1619年の一国一城令によって廃城となりましたが、その後も古川旅館として金森氏の別邸として存続しました。
見所
現在は遺構の大半が市街化により消失していますが、古川小学校の南東側に櫓台と内堀の一部が残存しています。
櫓台の上には増島天満宮が祀られています。
2023年08月10日 内灘守
増島城
飛騨古川にある、堀と石垣がある、意外とちゃんとした城。古川駅の近くにあるので、町廻りのひとつに。もう少し、町が本腰を入れてくれたらいいのにな。もったいないよね。
2022年11月13日 こんちゃん三河守コロン
増島城
見事な石垣とお堀です。小学校の一角にあるのはなんか違和感がありますが。
2022年05月12日 583系備前守きたぐに
増島城
飛騨古川駅下車徒歩5分。陽当たり良好、商業施設、銀行、市役所に近しと不動産業者が喜ぶ好条件に城は立地していますが、それも当然で、安土桃山から江戸初期にかけてこの地を支配した金森氏が平地に築城するとともに、城下町を整備したため、それが現代までつながっています。金森氏のあとは飛騨は天領となりましたが、いまも町名に金森町、殿町と金森氏に由来する地名が残っています。
高山も金森氏が城下町として整備した街ですが、高山ほどの規模はないにしろ、古川も古い街並みが残り観光客が訪れる街となっています。
現地の案内板によると、城は山国飛騨唯一の平城で総石垣だったそうで、荒城川を背後に水堀で囲った城ですが、一国一城令で廃城となったあとは、古川旅館と改称して残ったものの、飛騨が天領となると破却され、今では、本丸の左右が学校になり、堀が残っているのは城の前面だけとなっています。
2021年08月09日 みのみの美濃守@流浪人
増島城
先人の方々にもありますが、小学校と特別支援学校の敷地内にあります。車で行く場合、正門の辺りに数台置ける場所はありますが、学校のある平日に置けるか…は分かりません。休日の場合には7~8台は置けると思います。
2021年07月25日 戸沢夜叉九郎正樹
増島城
飛騨古川駅から徒歩約5分で着きます。本丸だけが残っていて稲荷神社が鎮座しております。僅かですが水堀もあり、飛騨地方唯一の平城跡としていい雰囲気があり満足でした。
2021年07月25日 ジョウ陸奥守
増島城
小学校の敷地内にある為、少し判りにくいかも!
2021年06月30日 播磨守狂鬼人間
増島城
城跡神社に有るカードをまつり会館に持参すると登城記念のハンコを押して貰える御城印が購入出来ます。
2021年06月29日 陸奥守たろす
飛騨古川まつり会館[増島城 御城印]
◆神社の軒下に置かれている訪問カードを飛騨古川まつり会館へ持っていくと御城印に登城記念印を押印してくれますので、御城印購入される方は先に散策されてからまつり会館へ行かれることをお薦めします。
※日付を入れるとあったが入ってない…(TT)
◆御城印購入された方は岐阜の戦国武将カード09金森可重が頂けます。(枚数限定?)
◆黒い御城印は築城430年記念の限定御城印で1,000円/枚とお高いです(^^;
2021年05月04日 ばらく~だ
増島城
自分は鉄道で行きました。飛騨古川駅から徒歩で5~10分ぐらいで着けます。
遺構は石垣と水堀で、石垣の上の神社へ登る石段の両側の石は大きな物が使われていて、迫力がありました。
その神社に置かれている訪問カードを飛騨古川まつり会館へ持っていくと御城印が購入できます。
(飛騨古川駅の駅舎内に散策ガイドマップがあるので、それを参考にするといいと思います。)
2020年09月22日 織田上総介晃司
増島城
車は休校日と短時間なので、となりの古川小学校の駐車場に停めました。
増島天満神社が城跡で石垣と水堀があります。
移築門は今回行ってません。
飛騨地方の民芸品に「さるぼぼ」があり、以前合掌造りで有名な世界遺産の白川郷でブランコに乗るさるぼぼを買ったけど行方不明に…
まだ売ってるのかな?
飛騨古川駅がアニメ映画「君の名は」に登場したそうでファンの間で聖地となってます。
2020年08月14日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
増島城
古川小学校の敷地内に有ります。直ぐ横の小学校駐車場に止め、写真撮り。夏休みで子供が居ないので何も言われなかったのかな?普段だと不審者と思われる?かもしれませんが。
堀と石垣の一部が残ってます。長い時間見て回る遺構はありませんが、堀に石垣見応え十分。飛騨唯一の平城であり金森氏繁栄の象徴ですね。
2020年03月20日 課長大和守Ver.B
増島城
増島城には3ヶ所移築門があり、円光寺・林昌寺は城跡からは徒歩圏内で訪問可能で簡素な説明板も建っています。
残る浄徳寺は城跡から北西3㎞強(このためリア攻めマップ掲載ならず…orz)離れておりクルマで訪問されるのが良さそうです。
こちらには説明板は無くホンマに移築門?という感じでしたが…(笑)
余談ですが円光寺から徒歩5分程のまちなか観光案内所では縄張図のある飛騨市内の山城ガイドブックが頂けますので是非☆
2015年05月01日 まー刑部卿
増島城
駐車場は小学校の中に停める勇気なく路駐しました。また市内2つの移築門も路駐しました。
2011年10月03日 三河守コーキしゃん
増島城
天守台と水掘の一部、移築門が残ります。
小学校は解体中でした。白壁土倉などがあり町並みが綺麗で周辺を散策すると楽しいと思います
2011年04月29日 中務卿一之介
増島城
隣の広い古川小学校に比べて、かなりこじんまりとしていますが、逆にそれが存在感を増している感じです。
2011年04月10日 うさチ左衛門尉
増島城
お堀がちんまりとしていて可愛いかったです(o^v^o)