三木氏城館(みつきしじょうかん)

三木氏城館の基本情報

通称・別名

三木氏城館[松倉城・広瀬城(田中城)・鍋山城・三佛寺城・高堂城]

所在地

岐阜県高山市松倉町城山他(地図は松倉城を示す)

旧国名

飛騨国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

三木自綱[松倉城]、広瀬氏[広瀬城]、平野安室[鍋山城]、平時輔[三佛寺城]、広瀬利治[高堂城]

築城年

天正7年(1579)頃[松倉城]、不明[広瀬城・鍋山城]、平安時代後期[三佛寺城]、天文年間(1532〜1555)[高堂城]

主な改修者

主な城主

三木氏[すべて]、広瀬氏[広瀬城・高堂城]、鍋山(平野)氏[鍋山城]、金森氏[鍋山城]、平氏[三仏寺城]、畑氏[三仏寺城]

廃城年

遺構

曲輪[すべて]、石垣[松倉城・広瀬城・鍋山城]、堀切[松倉城・広瀬城・鍋山城・三仏寺城・高堂城]、畝状竪堀群[広瀬城・三仏寺城]、土塁[鍋山城]

指定文化財

県史跡[すべて]

再建造物

石碑[すべて]、説明板[すべて]

周辺の城

高山城(岐阜県高山市)[3.0km]
増島城(岐阜県飛騨市)[12.6km]
姉小路氏城館(岐阜県飛騨市)[16.7km]
江馬氏城館(岐阜県飛騨市)[23.3km]
神岡城(岐阜県飛騨市)[23.5km]
桜洞城(岐阜県下呂市)[27.4km]
萩原諏訪城(岐阜県下呂市)[28.1km]
帰雲城(岐阜県大野郡)[32.1km]
二日町城(岐阜県郡上市)[43.3km]
尾畑城(富山県富山市)[44.9km]

三木氏城館の解説文

三木氏城館は飛騨南部に勢力を持っていた豪族・三木氏に関する城館群の総称である。

以下の各城郭がこれに含まれ、すべてが岐阜県の史跡に指定されている。

松 倉 城 

松倉城(まつくらじょう)は、戦国時代、現在の岐阜県高山市にあった山城である。

高山市街の西南、標高856.7メートル(比高360メートル)の松倉山を活用して築かれ、本丸・二の丸・三の丸・出丸が配置された。石垣で固められた曲輪の遺構が残り、1956年(昭和31年)に岐阜県の県指定史跡となった。

1579年(天正7年)、飛騨の国人姉小路頼綱が築城し、居城を桜洞城から移した。

自綱は羽柴秀吉に対抗すべく越中富山城主佐々成政と手を組んだが、そのため1585年(天正13年)に、秀吉から三木討伐の命を受けた越前大野城主金森長近が飛騨に侵攻しこれを制圧した。この戦いで難攻不落を誇った松倉城は味方の裏切りで落城し、その後金森氏の管理下に置かれ改修が行われたが、1588年(天正16年)、高山城築城により廃城となった。

広 瀬 城(田 中 城) 

広瀬城(ひろせじょう)は岐阜県高山市国府町の城。城跡は1970年(昭和45年)8月11日付けにて岐阜県史跡に指定されている。

室町時代に広瀬利治が築城したとされ、広瀬氏の本拠地であった。『飛州志』では、藤原利仁将軍の末裔、広瀬左近将監利治が、広瀬山崎の城から当城を築いて移り、その後さらに高堂城を築いて移った、と記している。

特徴的な遺構としては、主郭西側の大堀切、西の郭の周辺の見られる畝状空堀がある。 特に畝状空堀は明瞭な形で現存しており、観察しやすい。また、この畝状空堀は、城の北側と尾根の西面とにだけ掘られており、防御すべき正面を意識した配置となっている。なお、当城の大手道の傍らには、田中筑前守の墓碑が残る。

鍋 山 城 

信濃から飛騨へ入った平野氏が築城したとされる。天文年間に城主であった平野安室は三木氏から三木自綱の弟・顕綱を養子に迎えたが、顕綱は安室を毒殺し、安室の実子・左近太夫も追放した。左近太夫はのちに金森長近と共に三木氏を攻め復帰するが再度滅ぼされている。

三 佛 寺 城 

元は平氏の城館であったとされるが、戦国期には三木氏が入った。武田信玄の飛騨進攻の際に廃城となった。

高 堂 城 

戦国期に広瀬氏によって築かれたとされる。その後、広瀬氏代々の居城であったが、のちに三木氏によって攻められ落城、三木氏が入る。だが金森長近の飛騨侵攻の際に落城した。

三木氏城館の口コミ情報

2024年07月11日 RED副将軍
三木氏城館



登録地である松倉城の口コミです。

高石垣が見事な総石垣の要塞

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。永禄年間(1558年〜1570年 )または1579年頃に姉小路頼綱(三木自綱)により築かれたと云われますが定かではありません。桜洞城を冬城、松倉城を夏城と称し、北進に伴い桜洞城から本拠を移したとされます。
1585年、三木氏は豊臣秀吉と対立する越中の佐々成政と結んだことから、豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨に侵攻。松倉城は三木秀綱が籠城するも内応者により落城。
三木氏に代わって金森長近が飛騨に入封すると高山城を築いて居城としたため松倉城は廃城となったと云われます。しかし現在も残る石垣遺構は金森氏による改修とも考えられており廃城時期ははっきりとしません。

見所
標高856mの松倉山の山頂に築かれています。
山頂に本丸を置き、西から南下に外曲輪が敷設。南に虎口が開口し、外曲輪からは東下の二ノ丸へ繋がります。更に南西下に三ノ丸があり、本丸、ニノ丸、三ノ丸の主要部が総石垣造りとなっています。
石垣は三木氏が当初から築いたとも、三木氏が基礎を築き金森氏が増築したとも、土の城を金森氏が石垣造りに改修したなどの諸説があり、石垣は誰が築いたのかは謎に包まれています。

2024年06月17日 コロラド大蔵卿ロッキー
三木氏城館



飛騨の里の駐車場から登城。シンボル広場まで14分、石垣が視界に入るまで3分、三の丸埋門跡までさらに2分、本丸までさらに1分。埋門はシートで覆われています。

2023年03月17日 しぇるふぁ加賀守
久々野城[三木氏城館  周辺城郭]



登城口は久々野中学校を東側から取り囲むような道に行き、中学校北西部に出入り自由の獣避け柵があります。中に入ると木にマーキングテープがしてある場所があるのでそれを頼りに登城します。

一部急斜面で滑りやすく、危険な箇所があったので充分注意して下さい。なお、登山靴や軍手、ステッキなどの登山装備は着用を「要」推奨します。主郭部には標石柱が設置されていました。遺構も良好に残っています。

2022年05月11日 583系備前守きたぐに
三木氏城館



松倉城攻めです。高山駅近くでママチャリをレンタサイクルをし、行きは1時間、帰りは15分足らず。高山駅と本丸との標高差は350メートルほどあります。

車の場合、リア攻めマップのPの松倉シンボル広場まで上がればすぐそばです。バスは地図上の行程の3分2ほどの飛騨の里まで高山駅含め観光名所を通るループバスが1時間に2本ほどでています。ですが、飛騨の里から先の傾斜がキツいので、あまり楽をしたことにならないです(私も飛騨の里からはママチャリを押して歩きました。)。

徒歩だとガッツリした山歩きになりますが、しんどい思いをした先に見える石垣や北アルプスの山々はそれを忘れさせてくれること間違いなしです。もちろん、クマ対策や登山靴、ウエアでという条件つきですが、ぜひご自身の足で攻略していただきたい城です。

2021年11月14日 国府左京大夫城介
尾崎城[三木氏城館  周辺城郭]



埋蔵金伝説がある塩屋秋貞の居城

【歴史】
築城者は不明、築城年代は15世紀前半頃か。
出土品の陶磁器の中には15世紀半ば以降に強い火力を受けた形跡が残っており、この地域(小八賀)も応仁・文明の乱による戦乱に巻き込まれたという古文書も残されている。
15世紀中頃になると、塩屋秋貞(地元の伝承では築城した人物)が居城にしたようで、その際に現在のように改修したと思われる。永禄7年(1564)に武田氏の飛騨侵攻において、山県昌景に攻められ落城した。

【遺構】
松倉城から北東8.2kmにある丘陵(標高700m/比高70m)の西端に築かれており、現在は尾崎城址公園となっている。
一部破壊されているが、遺構は良好に残されている。主郭と二の丸を囲うように土塁と帯曲輪があり、帯曲輪には畝状の竪堀がある。また、主郭と二の丸の間には二重堀切がある。主郭の北西から林道の北側に掛けて、フェンスが張られており、その中には大きな空堀や北側の曲輪の竪堀を確認することが出来る。

【感想】
城址公園のため、かなり綺麗に整備されており、遺構自体はかなり見やすい。主郭と二の丸をグルっと囲むように帯曲輪があり、その高低差は中々のものです。他の飛騨の城郭に比べると若干大人しい印象はありますが、それでも飛騨の城っぽさは随所に見ることが出来ます。また、三木氏系列の城郭の特徴でもある畝状空堀がやや見難いですが、帯曲輪に確認することができます。一部遺構がフェンスの中にあり、近くに行けないのが残念ですが…

さて、この尾崎城には金鶏伝説いわゆる埋蔵金伝説が残っています。城主であった塩屋秋貞は武将兼商人(特に塩を扱っていた)であり、当時飛騨を席巻していた三木自綱も借金をしていたという文書が残っています。そんな人物だからこそ、埋蔵金伝説が生まれたのでしょう。しかも、実際に45kg近い中国銭(現在の価値にして約75万円)が実際に出土しています。もしかすると、まだまだ塩屋秋貞の埋蔵金が埋まっているかも!

【アクセス】
高山駅から「平湯温泉」方面へのバスに乗り、「桜小路」で下車し、登城口まで徒歩4分。登城口から城内までは徒歩8分。
城内に駐車場はあり。(登城口は北側)

【写真】
1:登城口(西側)
2:説明版
3:縄張り図
4:二重堀切
5:帯曲輪
6:帯曲輪の畝状空堀
7:Ⅳ郭の竪堀
8:尾崎城から小八賀郷を望む

2021年11月08日 とんかつおやじND
畑佐城[三木氏城館  周辺城郭]



室町時代末期に郡上長滝寺の代官山田紀伊守が築城と言われる。永禄元年 三木自綱に攻められ落城。別名を縦壁城とも言われる

手軽に登れる 山城 2本の堀切が楽しめました☺️

2021年11月06日 国府左京大夫城介
三仏寺城[三木氏城館  周辺城郭]



飛騨では最も古い城

【歴史】
永治元年(1141)の頃には、飛騨守であった平時輔が在城していた。治承5年(1181)に、城主であった景家が不在の時に、木曽義仲の攻められ、落城し、景家の妻らが生死不明となった。
その後、藤原朝高、畑六郎左衛門(新田義貞の家臣の末裔)、畑(藤原?)安高らが城主になっている。
戦国時代になると、大永元年(1521)に三木直頼が在城することで三木氏の城となった。天文16年(1547)に家臣の平野右衛門尉が入城し、後に直頼の子直弘が城主となっている。しかし、永禄7年(1564)に武田氏による飛騨侵攻において、山県昌景に攻められ、直弘は城に火を放ち遁走し、そのまま廃城となった。

【遺構】
松倉城から北東に4.3kmに位置する標高672m(比高100m)の山に築かれた典型的な連郭式山城です。4つの曲輪で構成され、一番南端にある南の丸(出丸)から三の丸、二の丸と続き、北端が主郭となっている。堀切や切岸などがあり、二の丸の西側斜面には畝状竪堀を確認することが出来る。

【感想】
大手口から登城したが、ほぼ直登に近い登り口で、帰りに利用した歓喜寺口と比べるとかなりキツイです。搦手口は利用していないので分かりませんが…。
城自体の造りは比較的シンプルな造りですが、三木直頼が居城にしただけのことはあり、各曲輪は十分な広さを備えています。また、主郭の北側には堀切があったり、大手口に4段の段曲輪を設置するなど防御性も高いように感じました。この城の見所は何といっても、二の丸西側にある畝状竪堀です。搦手口の方から堀に下りていくことができるので、是非間近で見てください。高山の名物である朴葉が大量に積もっているので、滑らないように注意してください。

【アクセス】
高山駅から徒歩で30分。(近くにバス停はあったが、利用していないので詳細不明)
歓喜寺登城口付近に2台程駐車スペースあり。

【写真】
1:遠景
2:説明版(歓喜寺登城口)
3:主郭
4:大手口の段曲輪
5:主郭北側にある土橋と堀切
6:畝状竪堀
7:南の丸
8:搦手道

2021年11月03日 摂津守突風丸
三木氏城館



松倉城に行ってきました。Googleマップによると高山駅から約4km。レンタサイクルで電動自転車が無かったので普通の自転車で行きましたが…死にました。笑
麓近くのお土産屋さん?的なところまでなんとか気合いで上り、駐輪場に停めて遊歩道を歩くこと20分くらいでしょうか?堀切の看板を過ぎるとすぐに石垣が。三の丸、二の丸、本丸の遺構が確認できました。一部崩れていますが、なかなか良好な状態で石垣が残っています。車があれば城跡のすぐ下まで行けますし、遊歩道も整備されているので気軽にサクッと攻城できる山城です。

2021年09月05日 くっしー治部大輔尚人
三木氏城館



三木氏城館のうち、松倉城に登城しました。石垣が凄い!!この城は、それに尽きます。この石垣が三木氏によって作られたものなのか、金森氏によって作られたものか、論争があるのですが、金森説に一票ですね。この立派な高石垣は、織豊系城郭でいいんじゃないですかね。逆にこれが三木氏のものなら、城郭史の常識を見直さないといけないでしょう。

というわけで、できるだけ多くの人に見て欲しいです。シンボル広場というところに駐車場とトイレがあって、そこから歩いて10分ぐらいで本丸までいけます。是非是非、高山市に行く機会のある方は、リア攻めして下さい!!

2021年08月14日 伊豆守十郎
三木氏城館



松倉シンボル公園から少し歩くと見えてくる立派な石垣に興奮し、その後の二の丸、本丸の石垣に満足しながら、本丸から見える眺望に感動して欲しい。

2021年05月16日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
三木氏城館



三木氏城館の中で、広瀬城と松倉城二つリア攻めしました
広瀬城は先達様の口コミより駐車場
県文化財保護センターへすんなりと行けてとても助かりました
こちら駐車場にはトイレなく41号線沿いにコンビニ、道の駅など有りますのでそちらを利用になります

駐車場からは看板有りますのでそちらに進みます、しばらくして説明版あり右手にイノシシよけの門有りますので入ったら閉めましょう!

広瀬城一番奥の曲輪周りの畝状竪堀と各曲輪間の深い堀切と高い切岸見所満載の山城です

松倉城
林道を南側から入り松倉シンボル広場まで上がりました
北側からは急坂で狭いです
南側も道幅狭いですが交われる場所有ります

トイレもすぐ横に有ります

登城口は目の前そのまま5から10分程で三の丸石垣、手前に堀切ですがこちらは😭😭
野面積みの石垣堪能しました
崩れている所も有ります注意して見学しましょう、今回は乗鞍岳が少しでしたが
良いシーズンには乗鞍岳から北アルプス一望


2020年06月18日 越中守松宙右衛門
三木氏城館



広瀬城 駐車場

先人様の補足をします。
ナビはセブンイレブン高山国府バイパス店に設定した方が分かりやすいです。
県文化財保護センターにナビを設定すると違う場所に行きます。
ゼブン側の道を突き当たり左を曲がると写真②にすぐ右に曲がります。
真っ直ぐ行くと写真①の場所に車を停められます。ここが県文化財保護センターです。
ここまで来ると登城口の看板が出てるので後は車を停めて歩いて看板通りに。
ネットで、草が刈られて…と書いてありますが、私の行った初夏は写真③の状態でボーボーでした。

広瀬城は、標高620mの戦国期の山城。
飛騨高山市内で、高山城、松倉城に次ぐ大きな規模を持っています。

遺構で特徴的なものは、西側の大きな堀切と畝状空堀群です。
特に畝状空堀群は圧巻でした。

2017年11月13日 ソバッソ80.0
三木氏城館

11月中旬、松倉城跡

先人の通り松倉シンボル広場を目指す

「熊出没注意」のマークと「松倉遊歩道」の看板が出てきたら正解
トイレのある平坦地まで、車が離合出来ないウネウネ道を5分くらい登る(すれ違い出来る箇所はあるので、上手く譲り合ってね)
車は5台くらい停車可能

城跡登り口に一斗缶があり、ガンガン鳴らしてから登ってください
クマ避けです
搦め手側から登る形になると思われます
段曲輪状のデコボコ、堀切(甘いので分かりづらいが看板あり)を超えたら、もう有名な主郭石垣群が出てきます
多分10分もかからん

眺望はスゲぇ
石垣越しに高山市内一望、立山連峰(やと思う)が雪を纏った姿でハッキリ見えます
主郭部は石垣でグルリ囲ってますのでそこいら中が見所です
縄張り図には尾根筋に防御設備の表記あるが、嫡男をしょいこしていたので隅々まで散策出来ていません
フォトお持ちの方々、是非アップください

クマさんが出た実績のある城跡ですので、散策は自己責任で
ちなみに麓にはテディベアのお店があります
可愛いクマさんならいいんだけどね

2016年04月11日 征夷大将軍ひとりもん
三木氏城館

松倉城へは城跡西側を南北へ縦断する林道を上がった所にあるシンボル広場に駐車スペースがありました。
高山の町からは林道の南側から上がってくるほうが走りやすいかと思います。
そこから城跡までは250mです。

2013年06月30日 三日左馬助落人
三木氏城館

このゲームでは複数の城跡が三木氏城館として「群」的に登録されており、登録地は三木氏の本拠・松倉城になっています。
畝状竪堀が見事な広瀬城なども一体的に扱われていますが、松倉城とはけっこう離れてますのでご注意を

広瀬城は見所たっぷりなんですが、夏は下草と虫が多くて大変です
県文化財センターのを拝借して登れました。


2010年09月20日 ️_
三木氏城館

飛騨随一の石垣が有名ですが、築城に纏わる悲語も伝わっています
158を西に向かうと41との交差点手前に「小糸坂」という坂があります
昔この坂の近くに小糸という娘が母親と2人で暮らしていましたが、ある日築城真っ最中の松倉城に連れ去られ、人柱とされてしまいました
母親は力尽きるまで「小糸~、小糸~」と一人娘を探し続け、その悲しげな声は母親の死後も城下に響き渡ったということです
小糸の尊い犠牲に報いるためにも、駅やバス停で攻略せずに現地で石垣を眺めてみてください

三木氏城館の周辺スポット情報

 松倉城旗立台(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 曲輪(遺構・復元物)

 曲輪(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 二ノ丸(遺構・復元物)

 出丸(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 松倉城跡の碑(碑・説明板)

 松倉城説明板(碑・説明板)

 松倉城(周辺城郭)

 広瀬城(周辺城郭)

 鍋山城(周辺城郭)

 三仏寺城(周辺城郭)

 高堂城(周辺城郭)

 畑佐城(周辺城郭)

 尾崎城(周辺城郭)

 久々野城(周辺城郭)

 四天王神社(鍋山城登城口)(寺社・史跡)

 公衆便所(トイレ)

 松倉シンボル広場(駐車場)

 岐阜県文化財保護センター(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 三仏寺城 大手口(その他)

 登城口(その他)

 分岐点(その他)

 分岐点(その他)

 分岐点(その他)

 分岐点(その他)

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