三仏寺城
三仏寺城([三木氏城館 周辺城郭])
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三仏寺城の口コミ情報
2021年11月06日 国府左京大夫城介
飛騨では最も古い城
【歴史】
永治元年(1141)の頃には、飛騨守であった平時輔が在城していた。治承5年(1181)に、城主であった景家が不在の時に、木曽義仲の攻められ、落城し、景家の妻らが生死不明となった。
その後、藤原朝高、畑六郎左衛門(新田義貞の家臣の末裔)、畑(藤原?)安高らが城主になっている。
戦国時代になると、大永元年(1521)に三木直頼が在城することで三木氏の城となった。天文16年(1547)に家臣の平野右衛門尉が入城し、後に直頼の子直弘が城主となっている。しかし、永禄7年(1564)に武田氏による飛騨侵攻において、山県昌景に攻められ、直弘は城に火を放ち遁走し、そのまま廃城となった。
【遺構】
松倉城から北東に4.3kmに位置する標高672m(比高100m)の山に築かれた典型的な連郭式山城です。4つの曲輪で構成され、一番南端にある南の丸(出丸)から三の丸、二の丸と続き、北端が主郭となっている。堀切や切岸などがあり、二の丸の西側斜面には畝状竪堀を確認することが出来る。
【感想】
大手口から登城したが、ほぼ直登に近い登り口で、帰りに利用した歓喜寺口と比べるとかなりキツイです。搦手口は利用していないので分かりませんが…。
城自体の造りは比較的シンプルな造りですが、三木直頼が居城にしただけのことはあり、各曲輪は十分な広さを備えています。また、主郭の北側には堀切があったり、大手口に4段の段曲輪を設置するなど防御性も高いように感じました。この城の見所は何といっても、二の丸西側にある畝状竪堀です。搦手口の方から堀に下りていくことができるので、是非間近で見てください。高山の名物である朴葉が大量に積もっているので、滑らないように注意してください。
【アクセス】
高山駅から徒歩で30分。(近くにバス停はあったが、利用していないので詳細不明)
歓喜寺登城口付近に2台程駐車スペースあり。
【写真】
1:遠景
2:説明版(歓喜寺登城口)
3:主郭
4:大手口の段曲輪
5:主郭北側にある土橋と堀切
6:畝状竪堀
7:南の丸
8:搦手道