桜洞城(さくらぼらじょう)
桜洞城の基本情報
通称・別名
- 冬城
所在地
- 岐阜県下呂市萩原町
旧国名
- 飛騨国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 三木直頼
築城年
- 永正年間(1504〜1521)
主な改修者
- -
主な城主
- 三木氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(桜洞城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
萩原諏訪城(岐阜県下呂市)[0.7km]
郡上八幡城(岐阜県郡上市)[26.7km]
篠脇城(岐阜県郡上市)[27.0km]
三木氏城館(岐阜県高山市)[27.4km]
高山城(岐阜県高山市)[29.0km]
二日町城(岐阜県郡上市)[32.8km]
大洞城(岐阜県関市)[36.5km]
増島城(岐阜県飛騨市)[39.3km]
大博士城(岐阜県中津川市)[39.9km]
姉小路氏城館(岐阜県飛騨市)[41.8km]
桜洞城の解説文
[引用元:Wikipedia「桜洞城」の項目]
桜洞城(さくらぼらじょう)は、飛騨国益田郡下呂郷桜洞[1](現在の岐阜県下呂市萩原町)にかつて存在した日本の城である。下呂市指定史跡。
概要
一般には『飛州志』の記述から戦国大名の三木直頼が築城したとされるが、異説として城址を調査した角竹喜登が『岐阜県史蹟名勝天然記念物調査報告書』第六回(1937年刊)において、直頼の祖父久頼以来の居城で、直頼・良頼の頃に完備したとした[2]。
歴史
飛騨を支配した三木自綱が天正7年(1579年)に松倉城を築城して居城を移すまでの間、三木家の居城であったが、それ以後は松倉城の支城となって自綱の子信綱が城主となる。
しかし、信綱は謀反の疑いで松倉城にて誘殺された。以後の城主は不明であるが、冬の拠点として用いられて冬城とも呼ばれ、天正13年(1585年)に金森長近に攻められ落城。萩原諏訪城が築かれると廃城になった。
遺構
桜洞城の口コミ情報
2021年09月06日 くっしー左馬頭尚人
桜洞城
桜谷公園の駐車場に車を停めて、川を渡り、少し登ると、史跡を示す下呂市教育委員会の標識が確認できます。
その周辺に土塁状の高まりや堀のような溝を確認することができます。でも城の構造は今ひとつよく分からなかったですね。
2021年08月01日 野良犬しろチロ丸
桜洞城
目の前まで車で行け、2台くらいなら駐車できます。
2021年04月01日 VTR河内守オフ会幹事シゲ
桜洞城
国道41号線を飛騨萩原の桜谷公園へ
ここの駐車場を利用しました。
トイレあり使用出来ますがちょっと古いです
そのトイレ前の橋を渡り斜面登る階段有り、
かなり急で滑ります足元気をつけて上がると開墾された所に、右手に残っている遺構が有ります
空堀と土塁だけですが、これが一部分とするとかなり大きな城域であったと考えられます
説明地図に土塁跡と有り行ってみましたが、
それらしきものは無かったです
見学時間は30分程でした
谷からの川と飛騨川の交わる所に有り、敵の侵入と監視でき要所を押さえた立地と思いました
2018年05月26日 木下近江守湖一郎
桜洞城
駐車場は桜谷公園のものを、使えます。開墾されており遺構は少ないです。
立地としては、飛騨川と桜谷に囲まれ、益田街道を見下ろす良い立地だと思います。
下から見上げるとと、飛騨川、益田街道、高山本線、城跡と準備高くなり、守備は固かったのではと想像できます。
雨上がりは路面が滑るので気をつけましょう。
2010年06月20日 三河守コーキしゃん
桜洞城
国道41号線朝霧橋信号を越してすぐに川がありますのでそこを右です。高山線の高架下をくぐると左に入る細い道があります。「桜谷公園」の看板がありますのでその案内に従って行くと公園の駐車場に着きます。
公園の案内図に桜洞城の位置も載ってます。
遺構は少ないですが空堀や石塁が多少残ってました。