篠脇城(しのわきじょう)
篠脇城の基本情報
通称・別名
- 郡上城
所在地
- 岐阜県郡上市大和町牧志の脇
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 東氏村
築城年
- 鎌倉時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 東氏
廃城年
- 天文10年(1541)
遺構
- 曲輪、櫓台、堀切、横堀(空堀)、畝状竪堀、礎石
指定文化財
- 国史跡(東氏館跡及び篠脇城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
郡上八幡城(岐阜県郡上市)[6.9km]
二日町城(岐阜県郡上市)[12.0km]
大洞城(岐阜県関市)[25.3km]
義平館(福井県大野市)[25.7km]
萩原諏訪城(岐阜県下呂市)[26.8km]
桜洞城(岐阜県下呂市)[27.0km]
小倉山城(岐阜県美濃市)[28.6km]
大桑城(岐阜県山県市)[30.7km]
神所城(岐阜県本巣市)[34.5km]
加治田城(岐阜県加茂郡)[35.0km]
篠脇城の解説文
[引用元:Wikipedia「篠脇城」の項目]
篠脇城(しのわきじょう)は、岐阜県郡上市大和町にあった日本の城(山城)。国の史跡に指定されている(指定名称は「東氏館跡及び篠脇城跡」)[1][2]。
概要
この地域一帯を支配していた東氏が8代・約230年間にわたって居城とした。栗巣川左岸の標高約523メートルの篠脇山山頂にあり、北は牛道郷(現・郡上市白鳥町)、北東は寒水(現・同市明宝)、東は小駄良(現・同市八幡町)にそれぞれ通じ、西方2キロメートル弱に長良川がある要衝だった。北側の麓には東氏館跡庭園がある。
歴史
『大和村史』によれば初代・東胤行の晩年に築城が始まり、14世紀前半の四代・東氏村のとき本格的に城が完成して移住したとされる。
東胤行は承久の乱の功績により美濃国郡上郡山田庄を加領され、郡上東氏の開祖となった。14世紀初めごろ、東氏村により阿千葉城から拠点を移したとされる[3]。
1468年(応仁2年)には斎藤妙椿に攻められて落城したが、関東に在陣していた東常縁がこれを伝え聞いて詠んだ歌が妙椿に伝わり、贈歌10首と引換えに城を返還した、と『鎌倉大草紙』にはある。1471年(文明3年)から1477年(文明9年)にかけて、宗祇が篠脇城に常縁を訪ねて古今伝授を受けている。
1540年(天文9年)に朝倉氏が来攻し、第11代の東常慶が撃退したが、これを機に翌1541年には赤谷山城に居城を移したため、篠脇城は廃城となった。
後に遠藤氏が東氏の後を継ぎ、郡上八幡城を本拠としている。
構造
年不詳の『篠脇城跡略図』によると、麓の東西に土井(土居)、中央に門口、東方に矢場、西方には馬場があったとされる。土井囲の中には東氏の館があった。現在は山麓の登り口に表門跡とされる礎石がある。山頂の三段の平地のうち最上段が本丸跡と推定される。山上の曲輪を囲むように掘られた畝状竪堀がこの城の特徴で、地元では「臼の目堀」と呼んでいる。ほとんどは現状の深さ2-3メートル、底幅2メートル、長さ10-40メートルで、その内2本が山麓まで達する。南側は尾根続きのため土塁や堀切を設けている。二の丸の西北に湧水があり、城の飲料水だったと考えられる。
国史跡指定を目標とする郡上市教育委員会による発掘調査が2020年から実施され、庭園を備えていたことが判明した。庭園跡地には景石のほか池の跡とみられる窪地がみられる。[4]
現地情報
所在地
- 岐阜県郡上市大和町牧(篠脇山)
交通アクセス(登城口)
- 鉄道
- 長良川鉄道越美南線徳永駅より東へ徒歩約30分
参考文献
- 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館
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篠脇城の口コミ情報
2023年11月05日 もふもふ大蔵少輔
篠脇城
登りがけっこうハード💦延々続くつづれ折りの山道(道幅細い)。11月初旬だったが、ヘビやらスズメバチもいたのでお気をつけて。畝状竪堀群は凄かった!!
2023年05月14日 しぇるふぁ加賀守
松尾城[篠脇城 周辺城郭]
郡上市史跡指定城の一つです。駐車場はありませんが、すぐ近くに「道の駅 古今伝授の里やまと」があるため、そこに駐車しての攻城がオススメです。道の駅からは徒歩5分程度で登城口に到着します。道もまっすぐ行くだけで、入口に旧大和町時代に設置された思われる標柱が立っているので分かりやすいと思います。
登城口から少し坂を登り、左側に「城跡登口」と書かれた標柱が見えてくるのでそこから藪道のなかを進みます。ただ、入って50m足らずで主郭だったので本当にすぐ行ける城跡っていう感じでした。入口にあった標柱からも200〜300mぐらいしか距離がないです。ただ、主郭に入ってみるといきなりカモシカに出くわしました(汗)
添付写真にも映っているので良くみてみるとわかると思いますが、右奥にカメラ目線でジーッと見つめている奴が居るのが分かるかと思います。左奥に城址石碑らしきものが立っているのが確認できましたが、さすがにカモシカが目の前にいるのでそのまま退散しました!ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘何が篆書されていたかは確認できなかったのでまたリベンジしたいですね。
2022年12月17日 お気楽飛騨守喜兵衛
篠脇城
城跡は山頂にあり、東氏館跡庭園の近くに登山口があります。猪避けの電線が入り口を塞いでるので、外して入ります。登山道は整備されている方ですが、落ち葉が多いので足元注意です。登りはかなり疲れます。途中で巨大な竪堀が現れ、堀好きには圧巻です。観音様が見守る道を登ること約30分で山頂です。本丸付近は祠と石碑と案内板があり、ビニールシートで覆われたところがあって発掘中のようでした。荒らさないでね。鹿だか猪だかの新しいフンがあったので、熊よけの鈴などあったほうが良いかもしれません。
2022年06月06日 武蔵守マクシミリアン
篠脇城
麓の「古今伝授の里フィールドミュージアム」に駐車場があります。そこから主郭までつづら折りの坂を登らねばなりません。個人差はありますが30〜40分かかります。結構きついですよ。登り口に杖が置いてあるので、持っていると助かります。降りてきたら返してね。
主郭は結構広いです。周囲は何十本もの竪堀に守られています。好きな人には堪らないほどみたいですね。写真の祠は、主郭で発掘調査中の居館の横に建つ。篠脇城主だった東氏の先祖(桓武平氏の家系、千葉氏の流れ)を祀ったものと説明板に書いてありました。
2022年05月29日 RED副将軍
篠脇城
主郭を放射状に巡る畝状竪堀群が特徴的な東氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
14世紀前半に東氏村により築城。
東氏は、下総国千葉氏の庶流と云われ、承久の乱の功労により入部し土着。8代に渡り約230年間、当地を支配し居城としました。
南北朝時代は、東氏は東軍の細川氏に属するも、美濃国守護の土岐氏は西軍の山名氏に付き敵対。1468年に守護代の斎藤妙椿から攻撃され落城します。この時、城主の東常縁は関東に在陣しており、歌10首を斎藤妙椿に贈り、城を返還してもらったと鎌倉大草紙に記されています。
1540年に朝倉氏の侵攻を受け撃退するも、激戦により損傷が激しく、修復せずに移転し廃城になったと云われます。
見所
30条以上の畝状竪堀群が主郭の周囲を放射状に巡り、臼の目堀と呼ばれています。
主郭は東と西に虎口が開口するも、西側虎口は後世の改変と見られています。
北側麓に東氏の館跡もあります。
⚠️河川沿いの湿地帯でありヤマビルの棲息域です。冬期の訪城をオススメします。
2022年03月14日 大和大納言
阿千葉城[篠脇城 周辺城郭]
2022/3/5訪問
案内板のある南側より北部分の旧156号線は封鎖されています。私のようにナビが古いままの方は少ないと思いますが、北側から車で向かう場合は、一度長良川の向かい側を南下してから600m程戻る事になります。
2021年06月07日 とんかつおやじND
阿千葉城[篠脇城 周辺城郭]
阿千葉城跡は鎌倉時代、承久の乱の後山田庄の地頭に任じられた東胤行が最初に城を構えた所で、三代時常までおよそ百年間ここに居城した。四代氏村に至って牧の篠脇城へ移ったが、その後鷲見氏がここに居城した。城跡は山頂に二段になる約一五五〇平方メートルの本丸、二の丸がある。さらに北方の峰に沿って板状のニニ〇平方メートルの壕の跡がある。歌道のほまれ高い東氏の最初の居城として、中世山城の面影を今に伝えるものである。
大和町文化財保護協会の看板より
2021年05月07日 Jager724右近衛少将
篠脇城
5/3に訪れました。畝状竪堀群が素晴らしいのですが季節が悪く写真にはよく写らなかった
2021年05月05日 くっしー治部大輔尚人
篠脇城
畝状竪堀群が半端ない城です。
写真ではなかなか伝わらないですが、大量の竪堀が張り巡らされています。
普通の畝状竪堀群は敵がせめてくる可能性の高い一方向に作るものですが、この城は360度に作られています。
さらに、本丸、二の丸周辺の切岸が素晴らしい。これは簡単に攻めれないですよ!
麓に「古今伝授の里フィールドミュージアム」という施設があります。ここの駐車場を使わせてもらいました。また、施設内にはレストランや東氏記念館・国名勝東氏館跡庭園があり、この城を居城にした東氏の歴史や9代目の東常縁について学ぶことができます。
2020年10月31日 中務少輔やまち
篠脇城
古今伝授の里フィールドミュージアム駐車場を利用。東氏館跡庭園側に登城口あり。
登城口から本丸曲輪まで、とても綺麗に整備されている。
途中に、整備道から外れる大手門入口の看板があるが、そちらは殆ど整備されていない。そのかわり、畝状竪堀群を通って行くので間近で良く見れる。
なお竪堀はこの時期、葉が邪魔で本丸からは殆ど見えず。
発掘調査しているのか、本丸にはブルーシートが至る所にかけられていました。
なお整備道から外れた大手門道は、本丸櫓台跡側に出ます。
2020年06月19日 あきおこ
神路城[篠脇城 周辺城郭]
篠脇城の南西にある山城です(標高360m/比高110m)。遠藤盛胤、又は臼田某が居城したと伝わります。
登城路は無いので白山神社左手の谷筋から直登しました。
直登すると尾根に出るので右に向かいます。逆に左に進むと堀切を伴う城郭様の地形があります。別名一夜城と呼ばれるので、その遺構かもしれません。
尾根を右に歩くと、どーんと鋭い切岸が現れます。城は主郭を中心に南東と北西に段曲輪を配置したコンパクトなものですが、外桝形を2つ備え竪堀を巧妙に配置して導線をコントロールする技巧的な縄張りになっているのが体感できます。
何よりも一番良かったのは 山が管理されて枝打ちされているのでエッジの効いた遺構がすごく見やすかった事です。
駐車場は神社境内に数台駐車できますが道幅が狭いのと境内入り口すぐに大木があるので大型車はきついかも。
(登城日2020年6月6日)
2017年06月08日 野呂利左衛門督休三
篠脇城
岐阜県博物館に1/150の模型があります。畝状竪堀がたくさん巡らせているのがわかります。
2015年05月01日 まー刑部卿
篠脇城
フィールドミュージアムの駐車場に停めて橋を渡り直進すると石碑が見えるので左折すると登城口ありストックなどの杖があるので使うと疲れませんが猪予防のための高圧電流線が張ってあるので注意してください。比較的に登りやすいですが本丸跡付近は急な上り坂で足場も悪い。見所は本丸周辺の畝状竪堀群。本丸跡を見終わったら大手道のところを歩くとありますよ。
2012年05月28日 カーネル
篠脇城
現地情報にある徳永駅から東へ30分、というのは、登山口までです
そこから本丸までは、コースタイム30分で、健脚であれば、10分で登れますが、堀に見とれてると30分です