野口城
野口城([姉小路氏城館 周辺城郭])
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野口城の口コミ情報
2023年12月13日 RED副将軍
城史は不明ながらも畝状竪堀群が見事な姉小路氏の名城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代や築城主等の詳細不詳。
室町時代に姉小路氏により周辺の小島城、向小島城、古川城と同様に築かれたとされます。
牛丸氏の一族である吉川左衛門尉の名が城主として伝わります。
姉小路氏は、飛騨国司として勢力を拡大しましたが、1405年頃には小島・古川・向の三氏に分かれます。一族の内乱もあり弱体化した後に、三木氏が家督を乗っ取り飛騨国司を継承。野口城も三木氏の属城となりました。
1585年に羽柴秀吉の家臣である金森長近が侵攻し、三木氏の小鷹利城・小島城・古川城と共に野口城も落とされたと考えられています。
見所
宮川東岸の標高566𝙢の城山に築かれ、越中西街道と数河峠の峠道の合流地点東側に位置する交通の要衝で、古川盆地の西側を監視する極めて重要な立地です。
南に開いた谷を囲む様に馬蹄形の尾根筋に郭が連なり、主に西、中央、東の3つの郭群で構成されています。
登城口から最初に辿り着くのが西側の郭群で主郭とされます。中央に一段高い郭を配し、南北には広い削平地が広がり、東側下に三条の畝状竪堀が認められます。
中央の郭群は四方の尾根を堀切で遮断し、西側に畝状竪堀群を敷設。特に北側は二重堀切となっています。
東側の郭群は北尾根を二重堀切で断ち、更にその先にも堀切を敷設しています。北斜面には明瞭な畝状竪堀群が残り、東尾根は北側に土塁を設けた細長い削平地となっています。
歴史上ではあまり記録に残らない城郭ですが城郭遺構としては大変素晴らしい山城です。
古川城、小島城、向小島城、小鷹利城と共に姉小路氏城館跡を構成する城郭のひとつで最近、国史跡に指定もされました。
行き方は、国道41号から北側麓の野口集落に入り、集落の突き当たりまで行きます。野口城跡の標柱がありますが「通り抜けはできません」の看板も立ち、一見は行き止まりに見えますが、よく見ると右手に「ご自由に駐車してください」の小さな看板があり車一台分のスペースに駐車させて頂きました。後は案内板通り進めば辿り着きます。比高は約90𝙢で登城路も整備されているので駐車スペースから20分程で辿り着きます。
下山して車に戻ってくると、飛騨市山城マップがワイパーに挟まっています。すると向かいの家からご主人が出て来られて、聞けば野口城の元地主さまとのこと。近年、飛騨市に土地を寄付され、それまではご自身が登城路や城内を整備したり、案内板を設置していたとのこと。
かの城郭研究家の宮坂武男先生もスケッチに来たなど貴重なお話を伺いました。
ご高齢でしたが、我々の様な山城巡ラーにとって整備をして下さっている地権者さまは非常にありがたい存在です。
という訳で飛騨市の野口城推しになりました。是非とも素晴らしい城郭遺構と整備をご訪城の上、確認してくださいませ。