古川城
古川城([姉小路氏城館 周辺城郭])
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古川城の口コミ情報
2024年05月10日 RED副将軍
姉小路古川氏の本拠地🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。
応永年間(1394年~1428年)末期に藤原師言が築いたとの伝承もある様ですが、天文年間(1532~1555年)に古川二郎による築城とも云われ定かではありません。
姉小路氏は、飛騨国司として勢力を拡大しましたが、1405年頃には小島・古川・向の三氏に分かれます。
その内の古川氏が古川城を本拠とし、古川基綱・古川済継の親子は小島氏を圧倒して宗家の地位を奪いました。
姉小路氏は一族の内乱もあり弱体化した後に、三木氏が姉小路との同化を画策。事実上の家督を乗っ取り飛騨国司を継承しました。
1560年には三木良頼と子の自頼が古川氏を称して古川城を拠点としました。
その後、在地土豪である牛丸氏の属城となり、1564年には武田氏重臣の山県昌景が飛騨に侵攻し、敗れた上杉氏家臣の塩屋秋貞が古川城に退去したとされます。
塩屋秋貞は上杉謙信が没し上杉氏が家督争いにより弱体化すると織田信長に仕えるも、本能寺の変で織田信長が没すると後ろ盾を失い、1583年に城生城の斎藤信利に侵攻するも援軍に駆け付けた上杉景勝により討死しました。
その後の古川城は三木氏の勢力下にありましたが、1585年の羽柴秀吉の家臣である金森長近による飛騨平定の際には無血開城。
三木自綱が討たれ三木氏が滅亡すると古川城には金森可重が入城しましたが、直ぐに増島城を築いて居城を移し廃城となりました。
見所
宮川西岸の標高629mの山陵上に築かれています。
西から東に伸びる尾根上の最高所に主郭を置き、主郭は鋭い切岸で硬められ周囲を帯郭が巡り、北側背後は櫓台状の高台があります。
主郭北側背後には三郭を経てその先は大堀切で尾根を遮断。
主郭東側は段郭が連なり、蛤城の由縁でもある蛤石が鎮座しています。
尾根先端部の東端には桝形虎口、主郭周辺には石垣痕があり金森氏によると思われる改修も認められます。
行き方は、県道471号から城域東側にある吉城コンポという肥料製造工場を目指します。そこから西側へ山の方へ200mほど入っていくと登城口の標柱が立っています。
登城口付近には駐車スペースが無いので県道沿いの広い路側帯に駐車した方が無難です。比高は約60mで数分で城域に辿り着きます。
2021年11月22日 くっしー治部大輔尚人
吉城コンポの看板を先に進むと、屋根だけが残る廃屋があります。その横に道があって、そこを登っていくと15分程で本丸にたどり着きます。
こじんまりとした城ですが、桝形虎口の跡が残っていますので、姉小路氏の遺構ではなく金森氏の時代の遺構ではないかと考えられています。飛騨市が説明看板を設置しています。縄張図もそこにあるので、それを参考に城内を散策すると面白いですよ!