下田城(しもだじょう)

下田城の基本情報

通称・別名

鵜島城、城山

所在地

静岡県下田市下田公園3

旧国名

伊豆国

分類・構造

海城

天守構造

築城主

後北条氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

後北条氏、清水氏(北条氏家臣)、戸田氏

廃城年

江戸時代

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(下田城址)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

安良里城(静岡県賀茂郡)[24.3km]
丸山城(静岡県伊豆市)[29.8km]
狩野城(静岡県伊豆市)[29.9km]
鎌田城(静岡県伊東市)[32.4km]
為朝館(東京都大島町)[38.4km]
長浜城(静岡県沼津市)[39.2km]
韮山城(静岡県伊豆の国市)[42.8km]
韮山代官所(静岡県伊豆の国市)[42.9km]
網代城(静岡県熱海市)[43.9km]
戸倉城(静岡県駿東郡)[47.6km]

下田城の解説文



下田城(しもだじょう)は、静岡県下田市にあった日本の城(海城)。戦国時代末期の小田原・北条氏の水軍の拠点。1588年北条氏直築城。

立地・構造 

現在の静岡県下田市の、下田港の湾口を扼する西側の岬全体が城地だった。直径800mの円内に複数の入江が点在する天然の地形を利用し、曲輪が配置されていた。本丸は東西12m・南北30mの平場で、本丸の北側に2段の天守曲輪があった。最南端のお茶ケ崎に物見櫓があり、直下の和歌の浦が船溜りとされた。

歴史 

後北条氏は当城を小田原水軍の根拠地とし、玉縄衆の朝比奈孫太郎が入っていた。やがて豊臣秀吉との関係が悪化すると伊豆衆の清水康英を城将とし、豊臣軍の来襲に備えて改修された。天正18年(1590年)に豊臣側の長宗我部元親、九鬼嘉隆、脇坂安治、加藤嘉明らの率いる一万以上の水軍が来襲し、康英は手兵600余で約50日にわたって籠城した後に開城している。北条氏の滅亡後は徳川家康の家臣・戸田忠次が下田5,000石を治め、当城主となった。忠次の子・尊次は慶長6年(1601年)に三河国の田原城へ転封となり、以後は江戸幕府の直轄領として下田町奉行が支配し、廃城となった。

城址は下田公園となっている[1]。北条の障子堀が直に見られる数少ない城である。

参考文献 

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(22.静岡県)』、角川書店、1982年

下田城の口コミ情報

2024年11月20日 noble権中納言弥勒菩薩
下田城



定番、北側の下田城址石碑があるところから登りました。駐車場、トイレもここにあります。

下田城、13年ぶり。確か会社のレクリエーションで、自由時間に一人で訪れて以来です。その時は誘ったのに誰も来ず、みんな“黒船”に乗りに行った中、“ボッチ”単独行だったと記憶。諸大名がみんな関東方に付いてしまった、“豊家”みたいな気分でした…😭

山上まで舗装された通路が付けられていて、そのせいで一部破壊されてしまったところもあります。『伝天守台』があり、割りと広いスペースですが、天正年間中が主舞台だったことを考えると、そんなに立派な“天守”はなく、恐らく建物は物見の櫓に毛が生えた程度の作事ではないか、と思います。北条家の城郭で小田原攻め、八王子城の“天守”と同等でしょう。

近年の研究では、“障子堀後北条家専売特許説”は薄れてきているようですが、ここでも畝上の障子堀を目にすることができます。但し山中城ほど完璧に整備復元されてはいません。大半の堀ではほぼ埋まっており、“伝天守台”西側下の部分が割りと良好に“畝”を確認できます。

“天守台”から南東側は、尾根状に下がっていく地形に従って、四段ほど細い曲輪とそれに沿う横堀が続いており、それぞれの曲輪の間は岩盤を掘り割った堀切となります。

天守台から1つ目の堀切は通路化されているので見やすいですが、その下の2つ目、3つ目の堀切は、通路からは見上げる形になり、堀切に入るためにはちょっとぬかるみの土、少し藪に入る感じです。まぁスニーカーでも行けますが。

“伝天守台”から北側、下田湾方面を俯瞰すると、一段下に広場となっている居館跡も確認できます。城将の清水康英が居住していた所ですね。

未整備の東側尾根曲輪群などを頑張って確認しようと思わなければ、登り降り含めても1時間程度で大丈夫だと思います。

北条家南端の主要城郭、ぜひ行ってみてください😆

2024年11月13日 昌幸近江守晩秋リア旅
白水城[下田城  周辺城郭]



伊豆半島南端の長津呂湾、その最深部の鍋裏山に築かれた白水城。
築城年は不明ですが、伊豆は北条早雲の時代に支配されるところとなり、この城も例外ではなかったと思われます。城主名として御簾(みす)三河守があげられます。
天正16年(1588)に清水康英が下田城城主を命じられると、支城として利用されたと思われます。(後述のご老人のお話より推察)

縄張りは主郭の前後に郭を持ち、3郭には大きな虎口と石積みが見られ、主郭と6郭との間は堀切と土橋が普請されています。
そしてこの城の特徴は、郭が早雲の居城である興国寺城を模したような、高く分厚い土塁に囲まれていることです。

車は麓の公営駐車場に停められます(1回500円)。訪城した日は、時折傘が裏返ってしまうような暴風雨が吹く不順な天候、一瞬の隙を縫って見学してきました。遊覧船は欠航してましたが駐車場は営業してましたよ。
「白水城を見に来た」と言って苦笑い顔だったご老人(駐車場の受付の方・男性)と、下山した時にお話ししました。以下ご老人のお話です。

・子供の頃、遊びによく白水城に登った。
・湾の向かいの山に狼煙台があるよ。下田まで繋がってたかも知れないね。
・ハイキングコースとして整備されたけど、イノシシが増え荒らすようになり、通行が危険な箇所が出てきて現在は閉鎖状態。この前、市に再整備をお願いしたけど、県の管轄なんだって。すぐにどうこうならないのがもどかしい。

やはり地元の方のお話って貴重な情報ばかりですね。ハイキングコース再整備の望みがかなう日を私も心待ちにしております。

【写真の紹介】
①3郭-4郭間の凹み。堀切かと思っていたが大手虎口と謳っている方もいる。
②3郭虎口。石を積み上げた立派なもの。
③3郭土塁1。石積みが見られる。
④3郭土塁2。圧巻の高さ。
⑤主郭。
⑥主郭土塁には石積みが施される。
⑦主郭-6郭間には堀切に土橋が架かる。
⑧井戸跡。水が白濁としていたのが城の名の言われ。

2024年11月08日 昌幸近江守晩秋リア旅
大沢砦[下田城  周辺城郭]



道の駅 花の三聖苑伊豆松崎の背後、高さ40mの東西に伸びる小山に大沢砦が築かれました。北に池代川、南に明伏川の2本の川に挟まれた天然の要害です。
館の地名は残っていますが、主は伝承がないそうです。
天正18年(1590)豊臣水軍が松崎に上陸し、婆沙羅越えで下田に進撃する途中にこの砦がありますので、何かしらの戦いが起きたことでしょう。

縄張りは砦のため主郭に堀切といるシンプルな造りです。ただし主郭土塁と堀切は河原石を用いた補強がされています。

前述の通り、道の駅の裏なのでサクッと見学できます。小さな道の駅ですが、お蕎麦屋さんもありますよ。

【写真の説明】
①堀切
②堀切は石で補強されている
③主郭への登城路
④主郭に沿って回り込ませる坂虎口
⑤主郭土塁
⑥主郭南側。土塁に石が埋め込まれる
⑦主郭北側。郭の外側に列石が見られる
⑧麓に建つ山神社。ここの裏から登城。
※急な雨のため乱反射しているフォトがあります。

2024年11月04日 源山城守@ポンコ2…
下田城



下田水族館の無料駐車場を利用し、そちらから登城しました。説明板近くには御手洗いがありますが、頭上にかかるクモの巣にご注意ください。

説明板より上がるとすぐの分かれ道に「山頂分岐(近道)200m」と「山頂分岐(順路)540m」とあり、竪堀風のそばに木段が整備された近道を選びましたが、無数の頭上クモの巣に遭遇することになりました。頭はクモの巣まみれに…
伝天守台近くの空堀へは5分ほどでつきますが、空堀まで遺構を感じられず、近道はお勧めできません。
空堀には畝がうっすら残り、伝天守台のある主郭へは切通風の堀切、主郭周囲には空堀や櫓台のようなものが見られます。主郭へ上がり見下ろすと、複数の入り組んだ入江や、三方を断崖に囲まれてるのがわかります。入江の船溜り場に、水軍基地を感じさせられました。
主郭は岩盤が露出しており、郭の中で一番広いようですが、郭の一つの馬場ケ崎など見ても尾根を利用してるので細長く、他の郭も同様でした。戻りは順路を使いましたが、尾根を活かして土塁や切岸のように使い、郭の広さのわりにでかい横堀に畝があったり、郭と郭の間は岩盤堀切が入ったりで、意外に楽しめました。

所々に見える岩肌や遺構見つつ進める順路より登城するのが、個人的にはお勧めです。滞在時間は上り下り含め40分ほどでした。

2024年10月31日 征夷大将軍クララ姫
下田城



ペリー、踊り子、温泉、港町。城跡は公園の一部として整備され、天守台までは登りやすい道でした。曲輪や空堀も残っており、畝を見つけた時は感動しました。登道途中から望める下田の港も、素敵。

2024年10月20日 巨福呂左近衛少将充流
下田城



山中城ほどの見事な畝堀では無いが、薄っす〜らと残っている貴重な史跡。

2024年08月04日 気分爽快豊後守
下田城



下田公園になっているので、あまり期待せずに寄りましたが、横堀、堀切がいくつか残っています。半ズボンで行ってしまい、草むらへ入るのを躊躇してしまったので、隅々まで見られませんでした。

①主郭を見上げる
②主郭東側は急斜面
③主郭は狭い
④主郭西の細尾根
⑤凄い岩盤堀切
⑥二郭南の横堀
⑦⑥の横堀を反対側から
⑧畝があるではないか!

2024年03月16日 武蔵守のむげん
下田城



下田海中水族館の無料駐車場が利用可能。整備された道を15分程かけて登ると水族館を見下ろせる展望台に到着。それから中心部に歩いて行く途中に見事な堀切がいくつも見られます。中心部付近には大規模な空堀、また切岸と空堀との高低差も圧巻の高さ。一見の価値ありです。

2023年10月24日 ムサコ駿河守
下田城



ベリー来航記念碑のそばにトイレ併設の駐車場があり、そこから天守台跡まで小山を登って10数分です。
遺構はあんまり分からなかったですが、眺めは良好、立地の良さは感じられます。

2023年10月09日 RED副将軍
下田城



北条水軍 の重要拠点

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。北条氏によって築かれた北条水軍の根拠地。当初は玉縄衆の朝比奈孫太郎が城主であったとされます。
1588年に豊臣秀吉に備えて大改修され、伊豆衆のひとりである清水康英が城主であったとされます。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐において、豊臣水軍は長宗我部元親・脇坂安治・九鬼嘉隆・加藤義明らの1万以上の大軍で下田城を包囲。
北条勢の清水康英はそれに対して僅か600人の寡兵であったとされます。それでも籠城戦は50日以上におよび、最終的には開城勧告を受け入れ降伏しました。
北条氏の滅亡後は、徳川家臣の戸田忠次が入城。
1601年に戸田氏が田原城へ転封となると江戸幕府の直轄領となったため廃城となりました。

見所
下田湾に張り出した鵜島に築かれ、現在は下田公園として整備されています。
本曲輪、二の曲輪の西側下には大空堀が巡ります。痩せ尾根を利用した狭小な曲輪とは対照的にその下の空堀は非常に長大で深いです。
本曲輪と二の曲輪は岩盤掘削の堀切で遮断され、西側に大空堀を巡らせ土橋が架かります。
主郭北西下には畝堀前面に突き出した射撃陣地を併設。上方の主郭と連携し十字砲火を浴びせる仕組みです。

2023年08月07日 枡
下田城



8月初旬に登城やはりこの時期は激暑!草木は茂っていたものの見事残って居る障子堀等を確認…流石北条紫陽花が見事に咲き乱れる季節も魅力的ですが…冬場に改めて訪れたいと思います城下の下田水族館のイルカショーの音声が和みます

2022年03月28日 ️_
白水城[下田城  周辺城郭]



白水城は長津呂港(石廊崎港)の東側の標高約60mに位置する山城⛰🏯です
長津呂地区は室町初期より土豪・御廉氏の領域で隣村との交通は 海上🚣‍♀️を利用しており、そのために初期の縄張りは簡単な設備だけで 十分でした😚

城は本郭部分と2の郭部分とに区分でき、本郭は自然の地勢を削り込んで曲輪とする初期的な築城方法で、平場を中心に置き、曲輪によって左右から防備し、腰曲輪で前面を防備し、背後を堀り切る凹ことによって 後方の高地より独立させています
年代的には室町初期の遺構と考えられ、防備の主体は海上🌊にありました

それに対して2の郭は一変して東と北に大きな土塁凸を構え、明らかに陸地に対しての構えを備えています😤
部分的に石積🪨も見られること、虎口🐯がはっきりしていること等により戦国時代に至って改築されたものと考えられます
西側に土塁凸がないのは、この方面は海🌊に接して急崖であるために侵入される危険性は少ないからと思われます😌

城へ登る途中に古井戸がありますが、この井戸水🚰が白いため 「白水城」と言うと云われています🤔

石廊崎の駐車場🅿️を利用し、料金所の職員さんに「白水城に登ります😊」と告げると静岡古城研究会の資料のコピーをいただけます☺️

2022年03月27日 ️_
河津城[下田城  周辺城郭]



河津城は河津川東岸の標高180mの山頂に築かれた山城⛰🏯です
北条早雲による伊豆攻略戦の際に火攻め🔥に遭い落城しています😢
落城の際、消火🧯のために兵糧米🌾を撒いたと云われており、本郭ではこの時の焼米を拾うことができるそうですが、兵糧米🌾で消火🧯を試みるエピソードは珍しいと思います🤔
この城のハイライト🔦は本郭の北側ですので、本郭からの眺望を味わうだけで下山しないでください😚
本郭北側の堀切凹を手前に配した段郭はなかなか画📷になります🥰←直下は別荘地ですので、静かに楽しんでください🤫
河津桜🌸が咲き誇る時期には城跡から河津川の桜並木も一望できます☺️…が、シーズン中は河津駅周辺の駐車場🅿️は一律で1日1,000円になります😅

〜 以下、現地解説板より 〜

河津城跡

この山の山頂には、古の城・河津城があったと伝えられています。
河津城は戦国時代の初め、足利氏の血を引く蔭山勘解由により築かれたと云われています。
言い伝えによれば、延徳3年(1491年)の戦で、北条早雲の伊豆攻略軍に山の麓から火攻めを受けたそうです。
燃え盛る火の手を防ごうにも山の城では水はなく、思いあぐねて大量の兵糧米を山頂から火の海めがけ流し出し、火を消そうとしましたが、山肌をなめるように迫り来る炎をとうとう消し止められずあえなく落城したそうです。
この頃は石垣や天守閣等は造られず、郭と呼ばれる山の尾根の土を削って平らにした城の形が大半でした。
河津城の施設は本郭と呼ばれる城の中心部がある山頂から尾根にかけて存在しており、実践本位で詰めの城を意識した典型的な山城といえます。
建物は礎石の上に柱を立てた平家建ての簡素な小屋程のものでした。
本郭からは、貯蔵庫の跡らしきものが見つかっています。
貯蔵庫は地面を掘り下げた形(強風で倒れない工夫と思われます。)で建物を建てられており、米、板材、竹などが発見されています。
この他にも木製品では漆を塗った蓋や編みかごの竹製品、貯蔵庫で使った釘や戸を閉める時に使った掛金具が見つかっています。
また、他の場所からも常滑焼の大がめ、壺、水差など多くの出土品が発見されています。

平成5年12月

河津町役場

2022年03月20日 さくらのママ
下田城

パンプスなどヒールの有る靴ではなく、スニーカーなど山歩き対応の靴がおすすめです道は整備されている所もありますが(本物の山道もありました)、石を敷き詰めてある系なので、場所によってはガタガタですリア攻めの後は、商店街にあるパン屋さんのアンパンがおすすめです!美味しいですよー(^^)/

2022年02月27日 おっさ美濃守
下田城



2022.2.26訪問
天守台を囲むように長く深い堀が掘られている。よく見ると障子堀になっているのがわかる。堀の側面には大きな石が積まれていて立派。早めの桜が咲き始めていた。

2022年02月26日 三河守ぱーる
下田城



駐車場から登ること10分弱。天守台下を通り越すと標識がありさらに進むと見事な空堀があります。天守台からのぞむと障子堀になっていることがよく分かりました。上からの展望もよく、またちょうど河津桜の時期でとてもきれいでした。

2022年02月22日 ️_
深根城[下田城  周辺城郭]

深根城は室町時代にこの辺りを支配した 有力者の城館跡です凸

伝承によれば、 延徳3年(1491年)に伊勢新九郎(北条早雲)が伊豆堀越公方を攻めた⚔時、追われた足利茶々丸🍵を助けた関戸播磨守吉信が深根城に立て籠って抗戦しましたが、明応7年(1498年)に落城し、城内の老若男女ことごとく首を切られた💀と云われいます🥺

現状としては土塁凸のある主郭は個人宅になっていますので、節度をもって見学するようにしてください🙄

以前は県道15号線の深根橋付近に深根城の石碑がありましたが、道路工事により撤去されたのか、先日再訪した際に見つけることができませんでした😢

足利茶々丸🍵さん夫妻が眠る「御所の墓」に行くには県道15号線沿いにある石碑を目印にして山腹の墓地を目指してください
それほどの距離はありませんので、是非、立ち寄って手を合わせてあげてください😌

2022年02月20日 涼丸
下田城



総距離700mの空堀。
ろくに情報仕入れず、今は公園になってるので期待してなかったから余計に面白かった。
映画と同じだ笑
あちこちにある変な銅像を横目に見ながら園路を行くと、大きく曲がった先の左側に何やら怪しげな脇道が。
立ち入り禁止の表示も無いので突入!
その時は知る由もないけど件の空堀です。で、隣の高台が曲輪かな?
ケーブルが通っていて人の手は入っているけど、薮なんで歩きづらい。
でも園路の周辺は整備してあって畝もわかりやすかったです。

しかし、あくまで公園として整備されてるので、曲輪などの遺構は特に説明もなく、保安林としての役目もある為ほぼ林です。
こうゆう城は好きなんで残念。
写真は園路からの空堀です。図の現在地から。

2021年06月26日 琉球守風のこうちゃん播守
下田城



現地、駐車場にトイレ、有ります😁紫陽花祭シーズンはガレージが有料かもしれません🤨
登城口から本丸跡迄、綺麗に舗装されてます🤗本丸跡からの景色、最高でした😳

2021年06月18日 シャンプー刑部卿
下田城



ちょうどあじさい祭りしてました
山を登る道のりもずっとあじさいの道で、
天守台跡まで行くとあじさい群落があって
あじさいに囲まれる体験が出来ました
6月に行くのオススメです

2021年02月07日 さすらいライダー
下田城

下田市街の奥に位置しており、途中には、ペリーロードなど見どころもあります。駐車場、トイレも完備され、城跡じたいもきれいに整備されていて歩きやすいです。
入口より先のいちばん奥に、フェリー乗り場があり、一日、一便のワンデークルーズにのると、八丈島を攻略出来ます❗️

2019年06月24日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
下田城



主郭西側の一番深い所の空堀☆北条氏の海城☆下田湾を臨む山稜に築かれた城郭☆規模が大きくて写真に収まらずw10mの空堀は圧巻☆撮ってから気づいたが龍のお顔に見えて仕方ないw木の部分がお髭です♪


2019年06月22日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
下田城



(左)主郭☆(右)副郭☆間の堀切は岩盤を切っている☆
北条氏の旗がある所は土橋☆その脇は空堀☆伊豆衆であり北条氏の家臣であり北条水軍の清水上野介康英が城主☆

2018年11月11日 中務卿一之介
下田城

畝堀がいい状態で残っているはずなのですが、雑草の処置がされていないため、わかりにくいのが残念です。
伊豆急下田駅から徒歩で目指す場合は、スマホのナビは「下田公園」で検索してください。「下田城跡」でも検索されますが、なぜか遠回りになってしまいます。私はそれに気づかなかったので、行きは5,6分余計に歩く羽目となりました(>_<)

2017年01月25日 カーネル
下田城

伊豆急行下田駅から

ローターリーを通過して「下田公園→」の案内に従って南下します
わかりやすい登り口は、下田公園の北端にある広い広場からで、散策のための緩い坂を登り「天守台跡」を目指すといいです

天守台は眺めがいいです。眼下に堀が見えるので天守台を降りて堀へ

堀の規模は大きく、明瞭に残っていて圧倒されます
そのまま反対側に下ると、下田水族館の駐車場に降りれます

駅に戻って1時間ちょいでした。初めて行ったときは道に迷い、もっと時間がかかりました


2014年01月13日 【隠者】史学会帰新参
下田城

下田駅から下田城の北側入口まて、約1キロ、バスだと大浦口下車、城の西側の空堀が見所。城跡をくまなく歩くと意外と時間がかかる。公園入口の少し南に温泉銭湯の「昭和湯」がある。城見学で疲れたらここで一休み。


2013年01月20日 ぽえぞお弾正少弼黄金旅程
下田城

車で攻略(^_^)v
開国記念広場か下田海中水族館の駐車場が便利。
開国記念広場の辺りが居館跡だと思います。
横堀(畝状のものも微かに解る)や削平した曲輪らしき跡も確認できます。

ちなみにカーナビに入れて行く場合は『下田公園』で行って下さい。
『下田城』と入れるととんでもない所に行きます(笑)

2012年04月29日 三日左馬助落人
下田城

下田公園一帯がほぼ城址で、麓から15分程度で「伝天守台」に着きます。
この辺りの遺構には往時の雰囲気があり、空堀にはよく見ると畝のあとが確認できます。細かな尾根の入り組んだ地形を取り入れた、見応えのある城でした。

下田城の周辺スポット情報

 館跡(遺構・復元物)

 畝堀(遺構・復元物)

 城名説明看板(碑・説明板)

 城名石碑(碑・説明板)

 柿崎館(周辺城郭)

 深根城(周辺城郭)

 一色陣屋(周辺城郭)

 河津城(周辺城郭)

 白水城(周辺城郭)

 大沢砦(周辺城郭)

 了仙寺(寺社・史跡)

 ペリーロード(寺社・史跡)

 旧澤村邸(寺社・史跡)

 ペリー艦隊来航記念碑(寺社・史跡)

 開国記念碑(寺社・史跡)

 下田公園トイレ(トイレ)

 下田城駐車場トイレ(トイレ)

 下田海中水族館駐車場(駐車場)

 ペリーロード駐車場(駐車場)

 下田城駐車場(駐車場)

 黒船ミュージアム(関連施設)

 下田開国博物館(関連施設)

 登城口(下田公園入り口)(その他)

 ペリーロード側登城路(その他)

 海岸側登城路(その他)

 御所の墓(その他)

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