河津城
河津城([下田城 周辺城郭])
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河津城の口コミ情報
2022年03月27日 ️_
河津城は河津川東岸の標高180mの山頂に築かれた山城⛰🏯です
北条早雲による伊豆攻略戦の際に火攻め🔥に遭い落城しています😢
落城の際、消火🧯のために兵糧米🌾を撒いたと云われており、本郭ではこの時の焼米を拾うことができるそうですが、兵糧米🌾で消火🧯を試みるエピソードは珍しいと思います🤔
この城のハイライト🔦は本郭の北側ですので、本郭からの眺望を味わうだけで下山しないでください😚
本郭北側の堀切凹を手前に配した段郭はなかなか画📷になります🥰←直下は別荘地ですので、静かに楽しんでください🤫
河津桜🌸が咲き誇る時期には城跡から河津川の桜並木も一望できます☺️…が、シーズン中は河津駅周辺の駐車場🅿️は一律で1日1,000円になります😅
〜 以下、現地解説板より 〜
河津城跡
この山の山頂には、古の城・河津城があったと伝えられています。
河津城は戦国時代の初め、足利氏の血を引く蔭山勘解由により築かれたと云われています。
言い伝えによれば、延徳3年(1491年)の戦で、北条早雲の伊豆攻略軍に山の麓から火攻めを受けたそうです。
燃え盛る火の手を防ごうにも山の城では水はなく、思いあぐねて大量の兵糧米を山頂から火の海めがけ流し出し、火を消そうとしましたが、山肌をなめるように迫り来る炎をとうとう消し止められずあえなく落城したそうです。
この頃は石垣や天守閣等は造られず、郭と呼ばれる山の尾根の土を削って平らにした城の形が大半でした。
河津城の施設は本郭と呼ばれる城の中心部がある山頂から尾根にかけて存在しており、実践本位で詰めの城を意識した典型的な山城といえます。
建物は礎石の上に柱を立てた平家建ての簡素な小屋程のものでした。
本郭からは、貯蔵庫の跡らしきものが見つかっています。
貯蔵庫は地面を掘り下げた形(強風で倒れない工夫と思われます。)で建物を建てられており、米、板材、竹などが発見されています。
この他にも木製品では漆を塗った蓋や編みかごの竹製品、貯蔵庫で使った釘や戸を閉める時に使った掛金具が見つかっています。
また、他の場所からも常滑焼の大がめ、壺、水差など多くの出土品が発見されています。
平成5年12月
河津町役場